きたろう散歩/珍しい雲の現象 [きたろう散歩]
2011/10/31(月)アップ
2011/10/29(土)取材
ダイヤモンド富士の撮影のため、江戸川堤防上でスタンバイしていた時、太陽の左側に位置する雲の、その雲の切れ目の辺りが、虹色に輝いているのに気がつきました。
記憶をたどり、この現象(雲)は彩雲であると判断しました。
(帰ってから、ネットで確認しましたが、正に彩雲でまちがいありませんでした)
「あ~、きれいだな~」と思いながら、ぼんやりと眺めていました。
ほんの、数分間で、だんだん色が薄れて来ました。
その時、はっと{写真・・・写真・・・」と気がつき、数枚撮影しました。
#01、彩雲(1)クローズアップ
※画面をクリックすると、拡大表示出来ます(他の写真も同様)
#02、彩雲(2)ロング
残念ながら、写真では肉眼で見た美しさがぜんぜん出てません。
(もっとも、この時点では、色がやや薄れて来ていましたが)
この後、数分で、虹色は消えていまいました。
この現象は、大変珍しい現象だそうです。それが故に、この雲を見た人には幸運が訪れると言われています。
何か良いことが、あるのかな!?!?
2011/10/29(土)取材
ダイヤモンド富士の撮影のため、江戸川堤防上でスタンバイしていた時、太陽の左側に位置する雲の、その雲の切れ目の辺りが、虹色に輝いているのに気がつきました。
記憶をたどり、この現象(雲)は彩雲であると判断しました。
(帰ってから、ネットで確認しましたが、正に彩雲でまちがいありませんでした)
「あ~、きれいだな~」と思いながら、ぼんやりと眺めていました。
ほんの、数分間で、だんだん色が薄れて来ました。
その時、はっと{写真・・・写真・・・」と気がつき、数枚撮影しました。
#01、彩雲(1)クローズアップ
※画面をクリックすると、拡大表示出来ます(他の写真も同様)
#02、彩雲(2)ロング
残念ながら、写真では肉眼で見た美しさがぜんぜん出てません。
(もっとも、この時点では、色がやや薄れて来ていましたが)
この後、数分で、虹色は消えていまいました。
この現象は、大変珍しい現象だそうです。それが故に、この雲を見た人には幸運が訪れると言われています。
何か良いことが、あるのかな!?!?
きたろう散歩/ダイヤモンド富士(秋-2)・・・市川市高谷新町より [ダイヤモンド富士]
2011/10/29アップ
2011/10/28取材
昨日に引き続き、ダイヤモンド富士の撮影に挑みました。午後3時頃、スポーツクラブから西の空をみたところ、穏やかな感じの晴天で天候はOKのようでした。スポーツクラブから、撮影ポイントへの移動に手間取り、日没時間ぎりぎりになってしまいました。車を降りてから撮影ポイントまで、約300mありますが、太陽は富士山頂に沈む寸前で、撮影ポイントまで走りました。まるで「走れメロス」と同じ心境でした。撮影ポイントの100m手前ほどで、富士山頂に太陽は沈みはじめたので、そこで撮影を開始しました。
16時40分20秒富士山頂に太陽は沈み始めました。
※:図#01内容一部訂正のため、差し替えました。(2011/11/01
#02、16時40分20秒
※写真をクリックすると、拡大表示出来ます(他の写真も同様)
#03、16時40分56秒
#04、16時41分36秒
今日も、富士山の右の稜線をスライドして行く。コロコロ富士状態であるのに気がつきました。
#05、16時42分18秒
#06、16時42分36秒
#07、16時42分56秒
#08、16時43分08秒
#09、16時43分32秒
<備考>今日の、ダイヤモンド富士のポイントは、本来は、ここより約500m南の、堤防の突端付近ですが、そこだと富士山は、対岸の建て物でほとんど隠れてしまい撮影には適しません。
本日の撮影ポイントの詳細をGoogle Mapでご覧ください。
撮影ポイントから、北方向を望む
鉄橋は、京葉線の鉄橋です。
撮影ポイントから南方向を望む。
この、堤防の突端が、本日のダイヤモンド富士のポイントです。
この、ひび割れは、震災で発生したものか?
昨日に引き続き2日連続で撮影出来ました。秋のダイヤモンド富士の撮影は、3日~5日中1回天候に恵まれるという感じなので、今年は、大変天候に恵まれていると言えます。
2011/10/28取材
昨日に引き続き、ダイヤモンド富士の撮影に挑みました。午後3時頃、スポーツクラブから西の空をみたところ、穏やかな感じの晴天で天候はOKのようでした。スポーツクラブから、撮影ポイントへの移動に手間取り、日没時間ぎりぎりになってしまいました。車を降りてから撮影ポイントまで、約300mありますが、太陽は富士山頂に沈む寸前で、撮影ポイントまで走りました。まるで「走れメロス」と同じ心境でした。撮影ポイントの100m手前ほどで、富士山頂に太陽は沈みはじめたので、そこで撮影を開始しました。
16時40分20秒富士山頂に太陽は沈み始めました。
※:図#01内容一部訂正のため、差し替えました。(2011/11/01
#02、16時40分20秒
※写真をクリックすると、拡大表示出来ます(他の写真も同様)
#03、16時40分56秒
#04、16時41分36秒
今日も、富士山の右の稜線をスライドして行く。コロコロ富士状態であるのに気がつきました。
#05、16時42分18秒
#06、16時42分36秒
#07、16時42分56秒
#08、16時43分08秒
#09、16時43分32秒
<備考>今日の、ダイヤモンド富士のポイントは、本来は、ここより約500m南の、堤防の突端付近ですが、そこだと富士山は、対岸の建て物でほとんど隠れてしまい撮影には適しません。
本日の撮影ポイントの詳細をGoogle Mapでご覧ください。
撮影ポイントから、北方向を望む
鉄橋は、京葉線の鉄橋です。
撮影ポイントから南方向を望む。
この、堤防の突端が、本日のダイヤモンド富士のポイントです。
この、ひび割れは、震災で発生したものか?
昨日に引き続き2日連続で撮影出来ました。秋のダイヤモンド富士の撮影は、3日~5日中1回天候に恵まれるという感じなので、今年は、大変天候に恵まれていると言えます。
きたろう散歩/ダイヤモンド富士(秋-1)・・・ふなばし三番瀬海浜公園近くから [ダイヤモンド富士]
2011/10/27(木)アップ(同日取材)
きたろうの棲みか近辺から、ダイヤモンド富士が見られる季節がやってきました。
今シーズン(秋)の第1弾として、ふなばし三番瀬海浜公園から狙う事にしました。ところが、海浜公園は、大震災後安全が確認出来ないという理由から、閉鎖になっていました。入口が厳重に封鎖され、駐車場にも入れませんでした。なので、海浜公園の西隣の、物流センターに入らしてもらい、そこの一番南のフェンスのとこから、ダイヤモンド富士を狙いました。
#01、撮影ポイント(航空写真)
#02、撮影場所(物流センター構内)
16時42分頃から、太陽は山頂部に沈んで行きました。
以下、連続写真でご覧ください。
#03、16時42分29秒
#04、16時43分15秒
#05、16時44分06秒
#06、16時44分45秒
#07、16時45分17秒
#08、16時45分39秒
本日・夕方、西の空は、雲ひとつなく穏やかに晴れていて、絶好の写真日和でした。
富士山の右の稜線を、太陽が滑るように沈んで行きました。
この状態は、いわゆるコロコロ富士の状態です。
ネットの情報では、海浜公園では、10月27日がダイヤモンド富士が見られる日とされています。
しかし、10月27日では、コロコロ富士だったので、1日早かったと思われました。
※青・太字部分=平成23年11月9日に訂正した部分です。
きたろうの棲みか近辺から、ダイヤモンド富士が見られる季節がやってきました。
今シーズン(秋)の第1弾として、ふなばし三番瀬海浜公園から狙う事にしました。ところが、海浜公園は、大震災後安全が確認出来ないという理由から、閉鎖になっていました。入口が厳重に封鎖され、駐車場にも入れませんでした。なので、海浜公園の西隣の、物流センターに入らしてもらい、そこの一番南のフェンスのとこから、ダイヤモンド富士を狙いました。
#01、撮影ポイント(航空写真)
#02、撮影場所(物流センター構内)
16時42分頃から、太陽は山頂部に沈んで行きました。
以下、連続写真でご覧ください。
#03、16時42分29秒
#04、16時43分15秒
#05、16時44分06秒
#06、16時44分45秒
#07、16時45分17秒
#08、16時45分39秒
本日・夕方、西の空は、雲ひとつなく穏やかに晴れていて、絶好の写真日和でした。
富士山の右の稜線を、太陽が滑るように沈んで行きました。
この状態は、いわゆるコロコロ富士の状態です。
ネットの情報では、海浜公園では、10月27日がダイヤモンド富士が見られる日とされています。
しかし、10月27日では、コロコロ富士だったので、1日早かったと思われました。
※青・太字部分=平成23年11月9日に訂正した部分です。
きたろう散歩/”アド街ック天国”トレース・・・日本橋(下)(べったら市を中心に) [散歩会]
2011/10/26(水)アップ
2011/10/19(水)取材
前回、テレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」で取り上げ・放送した日本橋のスポットをトレースして、紹介しました。今回は、前回からの続きです。
⑯うぶけや(はさみ、毛抜)
番組一言情報:天明三年(1783)創業。毛抜き8,925円。合わせ部分が精密に出来ているため、毛を抜くときに力が均等にかかり、これで抜くとほとんど痛くないとのことです。
#11、うぶけや(鋏・毛抜き)
訪問して確認した事項:品の良さそうなお姉様お二人で店番をしていました。
(Ⅱ)で放送されました(平成20年10月4日放送)
住所:人形町3-9-2
⑰近三(うなぎ)
番組一言情報:創業約140年(明治元年頃創業)。国産のうなぎを、炭火で焼き、リーズナブルな価格で提供しています。サッカー解説者の松木安太郎さんのご実家でもあります。梅・・・2,100円
#12、近三入口
#13、近三の看板
表の江戸通りに看板があり、店は路地の奥にあります。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:小伝馬町15-16
⑱べったら市
番組一言情報:元々は、宝田恵比寿神社の神事で使う道具の市でした。
そこの、出店でべったら漬けが売られていたのが、いつのまにかべッたら漬けの方が主流になり、べったら市として定着しました。毎年、10月19日、20日に開催されます。
(たまたま、散歩会の日程と合致し、べったら市が見られました。)
#14、べったら市の賑わい(撮影位置と方向は#00(下)の地図参照)
※画像をクリックすると、拡大表示になります。
「参道入り口」・・・宝田恵比寿神社の参道のことです。
#00(下)、日本橋の地図
#15、べったら市販売風景
1本1,500円で販売されていました。
#16、宝田恵比寿神社前の賑わい
#17、神輿と山車
やや、小ぶりですが本格的な造りの神輿と山車です。
#18、べったら漬けの宅配サービス(撮影場所・方向は#00下参照)
訪問して確認した事項:べったら市は、宝田恵比寿神社を中心に東西約300m、南北約150mの広い範囲の交通を遮断して行われていました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:宝田恵比寿神社・・・日本橋本町3-10-11
⑲江戸屋(刷毛)
番組一言情報:享保三年(1718)創業。様々な用途の刷毛、約3,000種類を製造販売しています。江戸期は将軍家大奥にお化粧用の刷毛を納めていました。
#19、江戸屋
江戸屋は、宝田恵比寿神社の傍にあり、べったら市会場のまっただなかにあります。
#20、江戸屋店頭
店頭は、化粧用の刷毛を求める様々な年齢層の女性で大賑わいでした。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:大伝馬町2-16
⑳てん茂(てんも)(天ぷら)(写真はありません)
番組一言情報:蝶ネクタイの三代目と四代目が天ぷらを揚げて居ます。(初代は屋台で営業した)。夜のコースは9,450円。江戸前天ぷらの伝統のゴマ油を使用してます。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋本町4-1-3
スポット・トレース以上で終了です。
この後、いつものゴール地点まで移動し、打ち上げをしました。
本日の散歩行程は約6.4kmでした。
2011/10/19(水)取材
前回、テレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」で取り上げ・放送した日本橋のスポットをトレースして、紹介しました。今回は、前回からの続きです。
⑯うぶけや(はさみ、毛抜)
番組一言情報:天明三年(1783)創業。毛抜き8,925円。合わせ部分が精密に出来ているため、毛を抜くときに力が均等にかかり、これで抜くとほとんど痛くないとのことです。
#11、うぶけや(鋏・毛抜き)
訪問して確認した事項:品の良さそうなお姉様お二人で店番をしていました。
(Ⅱ)で放送されました(平成20年10月4日放送)
住所:人形町3-9-2
⑰近三(うなぎ)
番組一言情報:創業約140年(明治元年頃創業)。国産のうなぎを、炭火で焼き、リーズナブルな価格で提供しています。サッカー解説者の松木安太郎さんのご実家でもあります。梅・・・2,100円
#12、近三入口
#13、近三の看板
表の江戸通りに看板があり、店は路地の奥にあります。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:小伝馬町15-16
⑱べったら市
番組一言情報:元々は、宝田恵比寿神社の神事で使う道具の市でした。
そこの、出店でべったら漬けが売られていたのが、いつのまにかべッたら漬けの方が主流になり、べったら市として定着しました。毎年、10月19日、20日に開催されます。
(たまたま、散歩会の日程と合致し、べったら市が見られました。)
#14、べったら市の賑わい(撮影位置と方向は#00(下)の地図参照)
※画像をクリックすると、拡大表示になります。
「参道入り口」・・・宝田恵比寿神社の参道のことです。
#00(下)、日本橋の地図
#15、べったら市販売風景
1本1,500円で販売されていました。
#16、宝田恵比寿神社前の賑わい
#17、神輿と山車
やや、小ぶりですが本格的な造りの神輿と山車です。
#18、べったら漬けの宅配サービス(撮影場所・方向は#00下参照)
訪問して確認した事項:べったら市は、宝田恵比寿神社を中心に東西約300m、南北約150mの広い範囲の交通を遮断して行われていました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:宝田恵比寿神社・・・日本橋本町3-10-11
⑲江戸屋(刷毛)
番組一言情報:享保三年(1718)創業。様々な用途の刷毛、約3,000種類を製造販売しています。江戸期は将軍家大奥にお化粧用の刷毛を納めていました。
#19、江戸屋
江戸屋は、宝田恵比寿神社の傍にあり、べったら市会場のまっただなかにあります。
#20、江戸屋店頭
店頭は、化粧用の刷毛を求める様々な年齢層の女性で大賑わいでした。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:大伝馬町2-16
⑳てん茂(てんも)(天ぷら)(写真はありません)
番組一言情報:蝶ネクタイの三代目と四代目が天ぷらを揚げて居ます。(初代は屋台で営業した)。夜のコースは9,450円。江戸前天ぷらの伝統のゴマ油を使用してます。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋本町4-1-3
スポット・トレース以上で終了です。
この後、いつものゴール地点まで移動し、打ち上げをしました。
本日の散歩行程は約6.4kmでした。
きたろう散歩/”アド街ック天国”トレース・・・日本橋(上) [散歩会]
2011/10/24(月)アップ
2011/10/19(水)取材
先週散歩会をやりました。いつもは、神社仏閣または史跡探訪ですが、今回は趣向を変え、テレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」で紹介された、スポットを探訪しました。舞台は、「日本橋」です。「出没!アド街ック天国」で日本橋は、平成11年3月13日と平成20年10月4日の2回放送されています。この2回の放送分からスポットを適宜セレクトし訪問しました。
#00、日本橋の地図(訪問スポット及びコース)
日本橋と言っても、日本橋○丁目○-○という以外に、日本橋○○町○-○という地名もあります。
今回は、日本橋と付く所全部を対象地域としました。
以下、訪問したスポットを写真を交えながら紹介します。
◎出発(集合)東京駅・銀の鈴(写真はありません)
①長門(和菓子)(写真はありません)
番組一言情報:この店には、、松風という1枚1.000円のせんべいがあるとのこと。
訪問して確認した事項:松風せんべいが販売されているのを確認しました。また、店の名は、山口県とは特に関係がないとのことでした。
(Ⅰ)平成11年と(Ⅱ)平成20年に放送されました。
住所:日本橋3-1-3
②吉野鮨本店(写真はありません)
番組一言情報:トロという呼称の発祥の店とのこと
この店で昼食を摂りました。ランチのチラシ寿司(1,575円)(今回のリアルの価格)を頂きました。
→感想・・・マグロは中トロ、海老は色鮮やかでした。寿司飯は粘りのないような伝統的な寿司飯の感じでした。
(Ⅰ)(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋3-8-11
③武楊堂(地図専門店)(写真はありません)
番組一言情報:この店のオリジナル地図の「四季訪」はロングセラー製品です。
この店では、きたろう散歩の参考になる本を購入しました。
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋3-8-16
④美國屋(うなぎ)(写真はありません)
番組一言情報:現在二代目。午後4時で閉店する。国内産うなぎのみ使用しています。
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋2-5-11
⑤山本山(海苔、お茶)
番組一言情報:元禄三年(1690)創業。山本山というと、現在は海苔のイメージが強いが、元々はお茶屋。「玉露」という呼称は山本山が最初とのこと。
#01、山本山店頭(店頭に展示してあるのは、喫茶部のメニューです)
#02、山本山のショーウインドウに展示されている「山本山の沿革」
(Ⅰ)(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋2-5-2
⑥お多幸本店(おでん)
番組一言情報:この店の名物はとうめしで元々は賄い飯。ごはんに豆腐を載せた物・・・370円(平成20年現在)
#03、お多幸本店(おでん)の店頭にあった「おでんとお多幸」
(Ⅱ)で放送されました。
住所:中央区日本橋2-2-3
⑦うさぎや(写真はありません)
番組一言情報:どらドラ焼き1個170円・・・平成11年当時
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋1-3-8
⑧八木長本店(鰹節)(写真はありません)
元文二年(1737)創業
訪問して確認した事項:鰹節、さば節、乾麵、麺のつゆ等販売しています。珍しいとこでは、カキ氷削り器のような、鰹節削り器が販売されていました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋室町1-7-2
⑨日本橋
#04、日本橋(南西詰から撮影)
「歴史クルーズ 大江戸」と銘打ったこの船は、ここに留まって、案内人がなにやら説明をしていました。
アド街ック天国の平成20年放送で、この場所に相川欣也と大江アナが立って、番組エンディングを放送しました。
⑩さる屋(楊枝専門店)(写真はありません)
番組一言情報:宝永元年(1704)創業。黒文字楊枝1,575円(約420本入り)(価格は平成20年現在)
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋小網町18-10
⑪きく家(料亭)
番組一言情報:日本橋人形町のお忍びの粋な空間。完全予約制、コース16.000円~(平成20年現在)。ご主人のこだわりで、日本酒を地下に貯蔵していて、熟成したものを供しています。
訪問して確認した事項:きたろうとは、縁の無い店と思いました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋人形町1-5-10
#05、料亭 きく家
⑫よし梅 芳町亭(料亭)
番組一言情報:建物は登録有形文化財(文化庁)。ねぎま鍋(まぐろの鍋)は3人前から(一人前9,000円・・平成20年現在)
#06、よし梅 芳町亭 玄関
⑬志乃多寿司総本店(いなり寿司)(写真はありません)
番組一言情報:創業約130年、いなり寿司・・・6個567円(平成20年当時価格)
(Ⅱ)で放送されました。
住所:人形町2-10-10
⑭岩井つづら店
番組一言情報:現在、四代目。つづらの制作販売をおこなっているところは都内では2件のみ。1個44.000円(平成20年現在)から。納品まで3ヵ月待ち。
#07、岩井つづら店外観
#08:岩井つづら店内部
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋人形町2-10-1
⑮玄治店(げんやだな)濱田家
番組一言情報:創業約100年。芳町芸者ゆかりの地(現在芸者は16名)。コース・・・25.000円~
#09、濱田屋玄関
(Ⅱ)で放送されました。
住所:人形町3-13-5
#10、中央区教育委員会の「玄治店(げんやだな)跡」説明板
濱田屋傍の人形長交差点付近にあります。
以下(下)に続きます。
2011/10/19(水)取材
先週散歩会をやりました。いつもは、神社仏閣または史跡探訪ですが、今回は趣向を変え、テレビ東京の人気番組「出没!アド街ック天国」で紹介された、スポットを探訪しました。舞台は、「日本橋」です。「出没!アド街ック天国」で日本橋は、平成11年3月13日と平成20年10月4日の2回放送されています。この2回の放送分からスポットを適宜セレクトし訪問しました。
#00、日本橋の地図(訪問スポット及びコース)
日本橋と言っても、日本橋○丁目○-○という以外に、日本橋○○町○-○という地名もあります。
今回は、日本橋と付く所全部を対象地域としました。
以下、訪問したスポットを写真を交えながら紹介します。
◎出発(集合)東京駅・銀の鈴(写真はありません)
①長門(和菓子)(写真はありません)
番組一言情報:この店には、、松風という1枚1.000円のせんべいがあるとのこと。
訪問して確認した事項:松風せんべいが販売されているのを確認しました。また、店の名は、山口県とは特に関係がないとのことでした。
(Ⅰ)平成11年と(Ⅱ)平成20年に放送されました。
住所:日本橋3-1-3
②吉野鮨本店(写真はありません)
番組一言情報:トロという呼称の発祥の店とのこと
この店で昼食を摂りました。ランチのチラシ寿司(1,575円)(今回のリアルの価格)を頂きました。
→感想・・・マグロは中トロ、海老は色鮮やかでした。寿司飯は粘りのないような伝統的な寿司飯の感じでした。
(Ⅰ)(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋3-8-11
③武楊堂(地図専門店)(写真はありません)
番組一言情報:この店のオリジナル地図の「四季訪」はロングセラー製品です。
この店では、きたろう散歩の参考になる本を購入しました。
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋3-8-16
④美國屋(うなぎ)(写真はありません)
番組一言情報:現在二代目。午後4時で閉店する。国内産うなぎのみ使用しています。
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋2-5-11
⑤山本山(海苔、お茶)
番組一言情報:元禄三年(1690)創業。山本山というと、現在は海苔のイメージが強いが、元々はお茶屋。「玉露」という呼称は山本山が最初とのこと。
#01、山本山店頭(店頭に展示してあるのは、喫茶部のメニューです)
#02、山本山のショーウインドウに展示されている「山本山の沿革」
(Ⅰ)(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋2-5-2
⑥お多幸本店(おでん)
番組一言情報:この店の名物はとうめしで元々は賄い飯。ごはんに豆腐を載せた物・・・370円(平成20年現在)
#03、お多幸本店(おでん)の店頭にあった「おでんとお多幸」
(Ⅱ)で放送されました。
住所:中央区日本橋2-2-3
⑦うさぎや(写真はありません)
番組一言情報:どらドラ焼き1個170円・・・平成11年当時
(Ⅰ)で放送されました。
住所:日本橋1-3-8
⑧八木長本店(鰹節)(写真はありません)
元文二年(1737)創業
訪問して確認した事項:鰹節、さば節、乾麵、麺のつゆ等販売しています。珍しいとこでは、カキ氷削り器のような、鰹節削り器が販売されていました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋室町1-7-2
⑨日本橋
#04、日本橋(南西詰から撮影)
「歴史クルーズ 大江戸」と銘打ったこの船は、ここに留まって、案内人がなにやら説明をしていました。
アド街ック天国の平成20年放送で、この場所に相川欣也と大江アナが立って、番組エンディングを放送しました。
⑩さる屋(楊枝専門店)(写真はありません)
番組一言情報:宝永元年(1704)創業。黒文字楊枝1,575円(約420本入り)(価格は平成20年現在)
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋小網町18-10
⑪きく家(料亭)
番組一言情報:日本橋人形町のお忍びの粋な空間。完全予約制、コース16.000円~(平成20年現在)。ご主人のこだわりで、日本酒を地下に貯蔵していて、熟成したものを供しています。
訪問して確認した事項:きたろうとは、縁の無い店と思いました。
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋人形町1-5-10
#05、料亭 きく家
⑫よし梅 芳町亭(料亭)
番組一言情報:建物は登録有形文化財(文化庁)。ねぎま鍋(まぐろの鍋)は3人前から(一人前9,000円・・平成20年現在)
#06、よし梅 芳町亭 玄関
⑬志乃多寿司総本店(いなり寿司)(写真はありません)
番組一言情報:創業約130年、いなり寿司・・・6個567円(平成20年当時価格)
(Ⅱ)で放送されました。
住所:人形町2-10-10
⑭岩井つづら店
番組一言情報:現在、四代目。つづらの制作販売をおこなっているところは都内では2件のみ。1個44.000円(平成20年現在)から。納品まで3ヵ月待ち。
#07、岩井つづら店外観
#08:岩井つづら店内部
(Ⅱ)で放送されました。
住所:日本橋人形町2-10-1
⑮玄治店(げんやだな)濱田家
番組一言情報:創業約100年。芳町芸者ゆかりの地(現在芸者は16名)。コース・・・25.000円~
#09、濱田屋玄関
(Ⅱ)で放送されました。
住所:人形町3-13-5
#10、中央区教育委員会の「玄治店(げんやだな)跡」説明板
濱田屋傍の人形長交差点付近にあります。
以下(下)に続きます。
第17回、増上寺塔赤羽根(とうあかばね)(夏53景) [広重・名所江戸百景]
2011/10/16(日)アップ
2011/09/28(水)取材
前回(第16-3回)増上寺三門一般公開で、この三門の二階部分に入場した話をしましたが、この入場の前に、江戸時代にあった、増上寺の五重の塔があった場所を取材しました。
まず、絵の題字の説明ですが、塔はもちろん絵の右半分に描かれた。五重の塔のことです。
赤羽根は絵の左側のあたりの当時の地名です。塔の左に描かれている橋は赤羽根橋です。現在、赤羽根の地名は残っていませんが、橋の名前(赤羽橋)と交差点名(赤羽橋交差点)にその名を留めています。
塔の左側の川は古川で、現在はこの川の上に、高速道路・都心環状線が作られています。
#00 増上寺塔赤羽根(広重画)
赤羽根橋の左側にある交番の様な建物は、辻番所です。更に左の武家屋敷は九州久留米藩主有馬中務大輔(なかつかさたいふ)の上屋敷です。この屋敷内の岡の上に江戸で一番高い火の見櫓が作られていました。火の見櫓と五重の塔の間に見える、白い幟(のぼり)は、水天宮の幟です。この水天宮は明治5年に人形町に移転しました。
さて、この絵の五重の塔ですが、これは文化三年(1806年)に再建されたものです。元々は、江戸初期に初代の大老・姫路の酒井雅楽頭(うたのかみ)が建立しました。
この塔は、増上寺の南側にある、前方後円墳・丸山古墳の前方部上に建っていました。
(#01の五千分一東京図参照)
この五重の塔は、昭和20年5月25日の夜の空襲で焼け落ちてしまい、それっきりで再建はされませんでした。
というわけで、この塔の現在の写真はありませんが、この近辺の主要スポットの写真を紹介します。
#01、江戸期と明治時代と現代の地図比較
現代の地図上の、#02~#09は、各写真№の撮影場所と方向です。
※画面上をクリックすると拡大表示になります。(他の写真でも同様です)
#02、芝公園内の川
現在、ここは芝公園になっていますが、江戸時代はこの辺まで増上寺の境内でした。
また、戦前までは、この川の先の方向に五重の塔がありました。
#03、銀世界の梅
江戸時代に「梅屋敷銀世界」と呼ばれていた梅林で、西新宿三丁目(東京ガス敷地内)にありました。昭和41年にここに移植されました。
#04、丸山古墳(前方後円墳の前方部分の下の辺り)
全長106mの丸山古墳。都内最大級の古墳で、5世紀代の築造と考えらるものです。ここは古墳の中の前方部分で、戦前までこの上に五重の塔が建っていました。
#05、丸山古墳・後円部分(から南東方向を望む)
後円部は、標高約16mであり、後円部の北寄りの所に「伊能忠敬測地遺功表」があります。
写真は、この遺功表の上に上がって撮影しました。
#06 東照宮
(詳細未取材)
#07、惣門
(詳細未取材)
#08、天然記念物・増上寺のカヤ
樹高25m以上のこのカヤの木は推定樹齢600年とのことです。増上寺には、このカヤに関する記録は特に無いとのことです。江戸期の地図で、この付近に相当する位置に「飯倉茅天神」というのがありますが、このカヤの木と関係があるのかどうか?これは不明です。
東京都港区の指定文化財でもあります。
#09、増上寺本堂
増上寺は浄土宗で、江戸時代は徳川家の菩提寺として、幕府の手厚い保護を受けました。この本堂は昭和20年(1945年)5月の空襲により焼失し、昭和49年に地上三階、地下1階・鉄筋コンクリート建てで再建されました。本尊の阿弥陀如来像は2階にお祀りしてあります。
因みに増上寺の寺紋は、徳川家と同じ三つ葉葵の御紋です。
#10、芝公園内の川(平成11年撮影)
写真#02と同様場所で12年前の平成11年5月25日(火)に撮影した写真です。
以前は、きれいな水が流れていました。今思えば、この日は、奇しくも、この辺りが空襲を受けた日だったんですね。その時は、何も感じませんでしたが・・・
2011/09/28(水)取材
前回(第16-3回)増上寺三門一般公開で、この三門の二階部分に入場した話をしましたが、この入場の前に、江戸時代にあった、増上寺の五重の塔があった場所を取材しました。
まず、絵の題字の説明ですが、塔はもちろん絵の右半分に描かれた。五重の塔のことです。
赤羽根は絵の左側のあたりの当時の地名です。塔の左に描かれている橋は赤羽根橋です。現在、赤羽根の地名は残っていませんが、橋の名前(赤羽橋)と交差点名(赤羽橋交差点)にその名を留めています。
塔の左側の川は古川で、現在はこの川の上に、高速道路・都心環状線が作られています。
#00 増上寺塔赤羽根(広重画)
赤羽根橋の左側にある交番の様な建物は、辻番所です。更に左の武家屋敷は九州久留米藩主有馬中務大輔(なかつかさたいふ)の上屋敷です。この屋敷内の岡の上に江戸で一番高い火の見櫓が作られていました。火の見櫓と五重の塔の間に見える、白い幟(のぼり)は、水天宮の幟です。この水天宮は明治5年に人形町に移転しました。
さて、この絵の五重の塔ですが、これは文化三年(1806年)に再建されたものです。元々は、江戸初期に初代の大老・姫路の酒井雅楽頭(うたのかみ)が建立しました。
この塔は、増上寺の南側にある、前方後円墳・丸山古墳の前方部上に建っていました。
(#01の五千分一東京図参照)
この五重の塔は、昭和20年5月25日の夜の空襲で焼け落ちてしまい、それっきりで再建はされませんでした。
というわけで、この塔の現在の写真はありませんが、この近辺の主要スポットの写真を紹介します。
#01、江戸期と明治時代と現代の地図比較
現代の地図上の、#02~#09は、各写真№の撮影場所と方向です。
※画面上をクリックすると拡大表示になります。(他の写真でも同様です)
#02、芝公園内の川
現在、ここは芝公園になっていますが、江戸時代はこの辺まで増上寺の境内でした。
また、戦前までは、この川の先の方向に五重の塔がありました。
#03、銀世界の梅
江戸時代に「梅屋敷銀世界」と呼ばれていた梅林で、西新宿三丁目(東京ガス敷地内)にありました。昭和41年にここに移植されました。
#04、丸山古墳(前方後円墳の前方部分の下の辺り)
全長106mの丸山古墳。都内最大級の古墳で、5世紀代の築造と考えらるものです。ここは古墳の中の前方部分で、戦前までこの上に五重の塔が建っていました。
#05、丸山古墳・後円部分(から南東方向を望む)
後円部は、標高約16mであり、後円部の北寄りの所に「伊能忠敬測地遺功表」があります。
写真は、この遺功表の上に上がって撮影しました。
#06 東照宮
(詳細未取材)
#07、惣門
(詳細未取材)
#08、天然記念物・増上寺のカヤ
樹高25m以上のこのカヤの木は推定樹齢600年とのことです。増上寺には、このカヤに関する記録は特に無いとのことです。江戸期の地図で、この付近に相当する位置に「飯倉茅天神」というのがありますが、このカヤの木と関係があるのかどうか?これは不明です。
東京都港区の指定文化財でもあります。
#09、増上寺本堂
増上寺は浄土宗で、江戸時代は徳川家の菩提寺として、幕府の手厚い保護を受けました。この本堂は昭和20年(1945年)5月の空襲により焼失し、昭和49年に地上三階、地下1階・鉄筋コンクリート建てで再建されました。本尊の阿弥陀如来像は2階にお祀りしてあります。
因みに増上寺の寺紋は、徳川家と同じ三つ葉葵の御紋です。
#10、芝公園内の川(平成11年撮影)
写真#02と同様場所で12年前の平成11年5月25日(火)に撮影した写真です。
以前は、きれいな水が流れていました。今思えば、この日は、奇しくも、この辺りが空襲を受けた日だったんですね。その時は、何も感じませんでしたが・・・
第16-3回、増上寺三門一般公開(広重名所江戸百景番外編)(一般公開は終了しました) [広重・名所江戸百景]
一般公開は終了しました2011/10/02(日)アップ
2011/09/28(水)取材
前回増上寺大門を9月14日に取材しましたが、その直後、TVで増上寺三門が戦後初めて一般公開されているという報道が流れていました。昔の大きい門は、門の二階部分が部屋のようになっていて、この部分を公開するというものでした。
9月28日(水)この門に入場するため、再びこの地を訪れました。
(この門への入場の前に、江戸名所百景の「増上寺塔赤羽」の取材を行いましたが、それについては、次回発表します。)
この門は、江戸の初期・元和8年(1622年)に再建されたものが、大震災、東京大空襲時にも火災にあわず残ったという貴重な門で、重要文化財に指定されています。
#01、増上寺三門(東側から望む)(簡易俯瞰撮影)
#02、増上寺三門(南側から望む)
#03、増上寺三門一階部拡大(パノラマ合成写真)
門二階へは、門の右側の建物(の裏側)から入場し、急な階段を上って二階に行きます。二階の正面向かって左側(南側)から階段を下ります(降りる階段が写真で写っています)。
#04、増上寺三門南側の建物(昇降口)
見学者はこの建物(の裏)から退場します
#05、増上寺三門近接写真(南側から)
二階部の周囲は、回廊になっています。二階見学後ここを通って帰ります。
#06、増上寺三門から本堂を望む
#07、三門(三解脱門)一般公開のポスター
ポスターのとおり11月30日(水)まで公開されます。
三門の正式名は三解脱門で、この門をくぐると、三毒煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)から離れることが出来るとされています。
#08、三門二階から、大門方向(東方向)を望む
二階には、釈迦三尊像、十六体の羅漢像が安置されていますが、二階内部は撮影禁止なので写真はありません。
三門は、江戸時代も期間を決めて一般公開されていました。江戸時代は、この二階からの眺望は素晴らしく海も見えました。
今年の3月10日の放送された、ブラタモリで、タモリもここから、久保田アナと東方向を眺めていました。
#09、境内側から三門外(大門方向)を望む
大門の向こう側がJR浜松町駅になります。
#10、入場記念のグッズ(栞)
竹製の栞、表面は、広重の「芝神明増上寺」の絵柄です。裏面は、増上寺の署名。紋は、なんと三葉葵の御紋です。徳川家の菩提寺なのでこの紋が許される訳です。
この門への、入場料は500円で、上の記念品が付きます。尚、二階へ上がる階段は、階段というより梯子と言った方が良い程急勾配ですので、ご留意ください。
2011/09/28(水)取材
前回増上寺大門を9月14日に取材しましたが、その直後、TVで増上寺三門が戦後初めて一般公開されているという報道が流れていました。昔の大きい門は、門の二階部分が部屋のようになっていて、この部分を公開するというものでした。
9月28日(水)この門に入場するため、再びこの地を訪れました。
(この門への入場の前に、江戸名所百景の「増上寺塔赤羽」の取材を行いましたが、それについては、次回発表します。)
この門は、江戸の初期・元和8年(1622年)に再建されたものが、大震災、東京大空襲時にも火災にあわず残ったという貴重な門で、重要文化財に指定されています。
#01、増上寺三門(東側から望む)(簡易俯瞰撮影)
#02、増上寺三門(南側から望む)
#03、増上寺三門一階部拡大(パノラマ合成写真)
門二階へは、門の右側の建物(の裏側)から入場し、急な階段を上って二階に行きます。二階の正面向かって左側(南側)から階段を下ります(降りる階段が写真で写っています)。
#04、増上寺三門南側の建物(昇降口)
見学者はこの建物(の裏)から退場します
#05、増上寺三門近接写真(南側から)
二階部の周囲は、回廊になっています。二階見学後ここを通って帰ります。
#06、増上寺三門から本堂を望む
#07、三門(三解脱門)一般公開のポスター
ポスターのとおり11月30日(水)まで公開されます。
三門の正式名は三解脱門で、この門をくぐると、三毒煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)から離れることが出来るとされています。
#08、三門二階から、大門方向(東方向)を望む
二階には、釈迦三尊像、十六体の羅漢像が安置されていますが、二階内部は撮影禁止なので写真はありません。
三門は、江戸時代も期間を決めて一般公開されていました。江戸時代は、この二階からの眺望は素晴らしく海も見えました。
今年の3月10日の放送された、ブラタモリで、タモリもここから、久保田アナと東方向を眺めていました。
#09、境内側から三門外(大門方向)を望む
大門の向こう側がJR浜松町駅になります。
#10、入場記念のグッズ(栞)
竹製の栞、表面は、広重の「芝神明増上寺」の絵柄です。裏面は、増上寺の署名。紋は、なんと三葉葵の御紋です。徳川家の菩提寺なのでこの紋が許される訳です。
この門への、入場料は500円で、上の記念品が付きます。尚、二階へ上がる階段は、階段というより梯子と言った方が良い程急勾配ですので、ご留意ください。
第16-2回「芝神明増上寺」(秋79景)(下) [広重・名所江戸百景]
2011/10/01アップ
2011/09/28(水)取材
前回、増上寺大門に関して、広重が描いたのと同視点での写真を撮ってはいませんでした。
また、増上寺三門が9月17日から、一般公開が始まり、この公開は期間限定ということで、広重と同じ視点と同一の写真を撮り、また、三門の一般公開に参加すべく、再度増上寺を訪れることにしました。
浜松町の駅を降りて、西の方向へ向かい数分で大門の前に着きました。
今から、約150年前の広重の視点、および9年前のフィルムカメラでの視点とほぼ同じ地点で写真を撮りました。
今回は、広重の視点に、”より”近ずくため簡易俯瞰撮影を行いました(一脚を利用し地上約3mの高さから撮影を行った)。
#01 増上寺大門を望む(1)
画面奥が、増上寺大門、前回アップした9年前の写真の画面右に「あさひ銀行」と見えるのは、現在では「りそな」銀行として引き継がれています。
この辺が広重の視点に、近いと思われます。現在では、ビルに隠れていますが、芝大神宮は、手前のビルが無ければ、画面右、りそな銀行の奥の方に見えるはずです。
画面左に、大門の左半分を隠すように、箱型の荷台のトラックが駐車しています。このトラックが、どかないかと10分位そこで粘ってましたが、トラックは、動く気配がなく、あきらめて、門の方に近づき撮影を行いました。
#02 増上寺大門を望む(2)
このアングルですと、門全体は見えますが、ここまで来ると、広重の視線よりは、門に近づき過ぎということになります。
この、大門をくぐりさらに西に進み、増上寺三門の一般公開に参加して来ました。
それは、項を改めて、次回報告したいと思います。
2011/09/28(水)取材
前回、増上寺大門に関して、広重が描いたのと同視点での写真を撮ってはいませんでした。
また、増上寺三門が9月17日から、一般公開が始まり、この公開は期間限定ということで、広重と同じ視点と同一の写真を撮り、また、三門の一般公開に参加すべく、再度増上寺を訪れることにしました。
浜松町の駅を降りて、西の方向へ向かい数分で大門の前に着きました。
今から、約150年前の広重の視点、および9年前のフィルムカメラでの視点とほぼ同じ地点で写真を撮りました。
今回は、広重の視点に、”より”近ずくため簡易俯瞰撮影を行いました(一脚を利用し地上約3mの高さから撮影を行った)。
#01 増上寺大門を望む(1)
画面奥が、増上寺大門、前回アップした9年前の写真の画面右に「あさひ銀行」と見えるのは、現在では「りそな」銀行として引き継がれています。
この辺が広重の視点に、近いと思われます。現在では、ビルに隠れていますが、芝大神宮は、手前のビルが無ければ、画面右、りそな銀行の奥の方に見えるはずです。
画面左に、大門の左半分を隠すように、箱型の荷台のトラックが駐車しています。このトラックが、どかないかと10分位そこで粘ってましたが、トラックは、動く気配がなく、あきらめて、門の方に近づき撮影を行いました。
#02 増上寺大門を望む(2)
このアングルですと、門全体は見えますが、ここまで来ると、広重の視線よりは、門に近づき過ぎということになります。
この、大門をくぐりさらに西に進み、増上寺三門の一般公開に参加して来ました。
それは、項を改めて、次回報告したいと思います。