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葛西臨海公園での花見(Ⅱ) [きたろう散歩]

2020/3/26(木) 取材
2020/4/8(水)  アップ

緊急事態宣言に伴い、私が通っているジムも、本日から休館となってしまいました。
3月初旬頃から、予定していたコンサートが次々と中止(延期)、私が開催している散歩会も取りやめとしている中、唯一ジムでの運動が、気晴らしになっていましたがとうとう、ここも休館で、八方塞がりの閉塞感がつのります。

都から、一次的な自粛要請が出た前日(3月26日)に訪問した葛西臨海公園からの景色の思い出して、少しは閉塞感を解消できればと思います。

葛西臨海公園(再掲)
#01A葛西臨海公園.jpg

◆◆葛西臨海公園◆◆
平成元年度に葛西臨海公園の一部約38ヘクタールがオープン。平成6年4月には鳥類園ゾーン、平成7年7月には展望レストハウス「クリスタルビュー」、平成13年春には観覧車がオープンしました。
また、葛西海浜公園にも隣接しており、行楽地としての色あいの濃い公園となっています。
(ホームページより)
葛西臨海公園案内図(再掲)

#03C葛西臨海公園園内マップB.jpg


***以下前回からの続きです***
芦ケ池から、「西なぎさレストハウス」へやって来ました。

●西なぎさレストハウス(北側から望む)
#17C8929B.jpg
Google Map より

#18、パークトレイン(先頭車両)
#18C8930.jpg
レストハウスで休憩していると、運休しているはずのパークトレインがやって来ました。良く見ると「研修中」の張り紙が貼ってありました。

#19、パークトレイン(客車)
#19C8957.jpg
研修中のため、客は乗っていませんでした。

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行徳橋の架替工事が完了・通行できるようになりました!!(市川市) [きたろう散歩]

2020年3月10日(火)及び11日(水)取材
同3月13日アップ

市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ行徳橋の架替工事が完了し※、通行可能となったので取材して来ました。
※行徳橋の北詰(稲荷木)の船橋方面からの接続道路はまだ工事中です(地図Gゾーン)。

#01、渡れるようになった行徳橋(3月10日14時19分)
#01架替後行徳橋開通3月10日IM5507.jpg
行徳橋、南詰(行徳側)の写真です。あいにくの雨で、写真写りが悪いので、明日再取材することにしました。

#02、行徳橋近辺の地図
#02行徳橋近辺地図③.jpg
3月11日午後、架替後の行徳橋を車で初めて渡り行徳橋の南詰めから行徳橋の写真を撮影しました。
※一般開放されている駐車場あります(無料)。

#03、架替後の行徳橋への新ルート(地図Aゾーン)
#03架替後行徳橋への新ルートP224.jpg
片側車線は、まだ工事中で、交互通行となっています。
尚、「架替後の行徳橋」というまどろっこしい表現をしていますが、新しく架け替えたからと言って「新行徳橋」ということにはなりません。既存の行徳バイパスが通っている橋が「新行徳橋」という名称のため、この橋は「架替後の行徳橋」という表現になります。

#04、同ルートを北側から撮影(Aゾーン)
#04南詰め新道路P223.jpg
工事は、最終段階で、恐らく本日中には相互通行になると推定されました。

#05、行徳橋南端の信号(地図B地点)
#05行徳橋南詰めP222.jpg
押しボタン式信号でした。

#06、架替後の親柱(左側)(B地点)
#06行徳橋親柱左P214.jpg


#07、架替後の行徳橋の車道
#07行徳橋車道P213.jpg
新型コロナウイルスの影響で学校が閉鎖のため、平日なのに子供の姿が多数見られました。

#08、同、自転車道&歩道
#08自転車道&歩道P210.jpg
幅は4mです。地面に描かれた水色の表示を見ると、車道寄りの2mが自転車道で、欄干側の2mが歩道でした。

#09、同親柱(右側)
#09親柱右P211.jpg
「令和二年三月竣工」と書いてあります。

#10、行徳橋の南端付近(C地点より撮影)
#10行徳橋C地点より撮影P221.jpg
まだ、工事用の資材等が置いてあります。

#11、行徳橋全景(C地点より撮影)
#11行徳橋上流からC地点から撮影P220.jpg


#12、行徳橋架替工事の看板
#12行徳工事の看板P219.jpg
架替後の行徳橋は通行開始となりましたが、工事は3月23日まで続きます。

#13、架替後の行徳橋の南端(地点Dより撮影)
#13D地点より撮影P229.jpg


#14、架替後の行徳橋(左)と廃止になった行徳橋(右)
#14D地点より撮影P209.jpg
正面に見える設備は可動堰です。可動堰の改修は平成26年(2014年)に終了しています。その後、行徳橋の架替工事が始まりました。

#15、廃止行徳橋親柱(左)
#15廃止行徳橋親柱P207.jpg


#16、廃止行徳橋の歩道
#16廃止行徳橋歩道P206.jpg
幅1.2m、これで、人間と自転車と相互通行していました。
※写真の撮り方が悪く通行出来るように見えますが、手前は金網で封鎖されています。(#15参照)

#17、廃止行徳橋の車道
#17廃止行徳橋車道P228.jpg


#18、廃止行徳橋の親柱(右)
#18廃止行徳橋親柱P208.jpg


#19、廃止行徳橋へ通じる道路(Aゾーン)
#19行徳地区からの旧ルート通行止めP227.jpg
この道路の車道部分は閉鎖になると思われますが、歩道部分は、多分そのまま活かされると思われます。

#20、廃止行徳橋の南端
#20廃止行徳橋F地点から撮影P203.jpg


#21、廃止行徳橋全景
#21廃止行徳橋F地点より撮影P202.jpg
この橋は、4月以降に撤去の工事が行われるとのことです。
今回、橋の北端のあたり(Gゾーン)は、車を止められる適当な場所も無かったこともあって、写真は撮っていません。3月24日以降、再度訪問しGゾーンの工事後の状況を写真でレポしたいと思います。
END



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完成間近!行徳橋の架替(市川市) [きたろう散歩]

2020.3.1(日)取材、
2020.3.3(火)アップ
老朽化と歩道が狭く通行に支障をきたしている等の理由から行徳橋の架替工事が進められて来ました。
行徳橋の架替工事が完成し、完成式の案内が、市の広報に載りました。これを、見て架替後の橋を渡ってみようと、出かけました。

#01、行徳橋の完成式の案内(市川市広報)
#01行徳橋架替完成式の案内.jpg


#02、行徳橋南詰め
#02行徳橋南詰めP893.jpg
現地に行ったら、まだ工事中で、渡れる状態ではありませんでした。

#03、行徳橋近辺の地図①
#03行徳橋近辺地図①.jpg
行徳橋は、行徳街道が江戸川を渡る道路橋です。行徳街道は、市川市の行徳地区と八幡地区を結んでいる江戸時代から続く由緒ある道です。バイパスも出来ましたが、現在でも、路線バスは通るし、車、自転車、歩行者の通行量も多い重要な道路です。

#04、行徳橋近辺の地図②(行徳橋近辺の地図①拡大版です。)
#04行徳橋近辺地図②.jpg


#05、行徳橋架替工事の看板
#05行徳橋架替看板P905.jpg
この看板を見て、完成式が終わっても、工事は続き、一般人は橋を渡れないということがわかりました。

#06、現行行徳橋の親柱
#06旧行徳橋P895.jpg
行徳橋は、旧行徳橋とも呼称されています。(行徳街道のバイパスが江戸川を渡る橋が新行徳橋です。)

#07、現行の行徳橋と架替後の行徳橋
#07行徳橋架替前と後P897.jpg

現行の行徳橋が右で、架替後が左です。

#08、行徳橋完成式中止の看板
#08行徳橋開通式コロナウイルスで中止のP904.jpg
こんな、看板がありました。完成式は、当然屋外で実施されるだろうし、そんなに多くの人が参加するとも思えないのに「中止」ですか?
右にならえ!の日本人の性格が良く現れていると思いました。
また、広報の案内で「渡り初めを行う」と書いてありましたが、この看板で開通予定日は、頭書の予定通りの3月10日となっていて、渡り初め後にすぐ、一般の通行に供用されるのではないと認識しました。

#09、「架替工事の経緯」の看板
#09行徳橋架替理由P908.jpg
架替工事の理由として、①老朽化、②利用者の安全確保、他とありました。
「老朽化」を画像で示すのは難しいので、「利用者の安全確保」の一端を次に示します。

#10、現行行徳橋の歩道
#10行徳橋架替前P896.jpg
行徳橋の歩道は、このように大変狭い。また、車道も、狭く、ぎりぎりすれ違っているので、自転車の方は危険を感じ、歩道部分を走ることになります。この歩道は、幅1.2mとせまく、自転車と歩行者のすれ違いの時は、細心の注意を払う必要があります。自転車と自転車のすれ違いでは、どちらか一方の自転車は停止しないとすれ違えないという状況です。

#11、架替後の、自転車道&歩道
#11行徳橋架替後歩道P900.jpg
架替後の自転車道&歩道は幅4mと十分な広さとなります。

#12、行徳橋架替後の車道、歩道等の幅
#12行徳橋架替後断面図P908.jpg


#13、架替後の行徳橋(上流側)
#13行徳橋架替後親柱左P902.jpg
2013年3月16日に行われた、国土交通省関東地方整備局の地域住民に対する説明会で、地域住民は「橋の両側に歩道を設置して欲しい」旨強く要望していましたが、結局、それは、無視された形となりました。
親柱に記載されているとおり、橋の名称は「ぎょうとくはし(行徳橋)」です。架替という概念ですので、「新行徳橋」とはなりません(もっとも、新行徳橋は既にありますし・・・)。
「ぎょうとくばし」でなく「ぎょうとくはし」なんですね?(私は、「ぎょうとくばし」と言っていますが・・・)

#14、親柱(右側)
#14行徳橋架替後親柱右P898.jpg
架替後の橋は、現行の橋よりも、大分高いところを通っているのがこの写真でわかると思います。

#15、現行の橋(右)と架替後の橋(左)
#15行徳橋架替前と後P910.jpg
私は、行徳橋を、車でも、自転車でも時々渡ります。
特に、自転車でのすれ違い時に、細心の注意から開放され、快適に通行できると期待されます。
END

タグ:市川 行徳橋
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おかね塚(下) [きたろう散歩]

取材日、2019/05/26(日)
アップ日、2019/07/11(木)
3月6日、市川市押切12-31(前)の6差路にある史跡おかね塚を通りがかりに取材しました。そこには「行徳おかね塚の由来」という石碑がありましたが、それをてっきり「おかね塚」と誤認したまま前回ブログ・アップしてしまいました。
 今回、改めて、この史跡を取材しました。

#01、市川市押切の6差路の西端にあるおかね塚
#01行徳おかね塚2019年5月-001B.jpg


#02、石碑「行徳おかね塚の由来」
#02行徳おかね塚2019年5月-003.jpg
この石碑は、「ここに『おかね塚』が作られました。」という説明板ですが、「この一角のどこにおかね塚があるか」というようなことは書いてありませんでした。
この、由来碑の後方には、ブロック塀で囲われた中に、墓石や石仏がありました。
この取材の前に、WEBで若干調べたところ、「おかね塚は庚申塔」であるという記述が見られた。しかし、庚申塔がなんであるか良くわからないまま現地に行き、この一角にある、墓石、石仏を写真におさめました。

#03、石仏と複数の墓石
#03行徳おかね塚2019年5月-006.jpg


#04、墓所中央にある墓
#04行徳おかね塚2019年5月-007.jpg


#05、中央の墓は廣瀬家の墓
#05行徳おかね塚2019年5月-017.jpg


#06、廣瀬家の墓右後方の複数の墓石
#06行徳おかね塚2019年5月-020.jpg


#07、廣瀬家の墓左後方の複数の墓石
#07行徳おかね塚2019年5月-022.jpg


#08、墓所、左手前にある石仏
#08和行徳おかね塚2019年5月-009.jpg


#09、石仏頭部
#09行徳おかね塚2019年5月-011B.jpg


#10、石仏上半身
#10行徳おかね塚2019年5月-015B.jpg


#11、石仏下半身
#11行徳おかね塚2019年5月-013B.jpg

これらの石仏、墓石には、いろいろ文字が書いてあるので、判読を試みましたが、墓石(中央の墓石除く)は苔むして、全く文字が見えませんでした。石仏にも、いろいろ文字が書いてありましたが、不鮮明で、判読は即、断念しました。
さて、これらの、墓石、石仏のどれがおかね塚なのか?ということであるが、この由来碑によれば、おかねさんのために墓を建てたように読み取れるし、ネットの情報では、庚申塔であると言うことだし、さっぱり見当がつきませんでした。
 取材日の二日後の5月28日に、たまたま郷土史の講座があったので、講師の方に、これらの写真を提示しながら、お話を伺ったところ、この左手にある石仏が庚申塔で、おかね塚と呼ばれているということや、この由来碑にある粗朶とは製塩に使うための薪であること、また、碑文を書いた綿貫喜郎氏は、数年前にお亡くなりになったことなどを教示していただきました。
 ただ、きたろうが疑念をもった、この由来碑の文章の信憑性については、はっきりした見解は、示して頂けませんでした。
この後、ネット上で、やや詳しく検索して見ましたが、ネット上の情報は、自身で調べたという情報はなく、何らかの情報の孫引きで、もやもや感が残りました。
 6月14日、市川中央図書館に行き、綿貫喜郎氏、宮崎長蔵氏共著の「行徳物語」を当たったところ、第3章「今と昔」に「おかね塚とお経塚」という項目があり、おかね塚についての言及がありました。(この部分の文章は、末尾に掲載)
 由来碑を書いた綿貫喜郎氏(宮崎長蔵氏共著)の著書でも、この石仏が、おかねさんの朋輩がお金を出しあって建てたものというより、「地元の伝承としてこのようなことが伝わっている」というような書き方で、史実であるとの判断は避けているように感じました。

#12、おかね塚由来碑の背面
#12行徳おかね塚2019年5月-021.jpg


#13、おかね塚由来碑の背面の拡大
#13行徳おかね塚2019年5月-019.jpg


由来碑は、おかねさんの悲運を哀れんで供養してきた地元の方々の伝承を後世に伝えるため、地元の有志によって昭和51年6月に建てられました。
信憑性が疑問視されるような伝承にこんな立派な由来碑を作ってしまうという、有志の方々に感心せざるを得ませんでした。
本文END

宮崎長蔵・綿貫喜郎共著「行徳物語」※、第3章 今と昔、「おかね塚とお経塚」より
 ◆おかね塚とお経塚◆
 行徳には、江戸時代初期の石造物がかなり残されている。その中でも押切にある《おかね塚》と新井にある《お経塚》には、それぞれ伝説が結びつけられ、人びとに語り継がれてきた。
 押切には船だまりがあって、五大木とよばれる小さな漁船の溜り場となっていた。ここには江戸時代の中ごろから、製塩に使われる燃料の粗朶(薪)が上総方面から運ばれ、定期的に五大力船とよぶ荷物の輸送船が停泊するようになった。
 こうした船の船頭や、人夫のなかには、停泊中に江戸の吉原(遊郭街)まで遊びに行く者もいた。そんな者たちのひとりが、かねという遊女と親しくなり、ついに夫婦の約束を交わしてしまった。
 船頭との約束をかたく信じたかねは、年季が明けるとすぐ押切に来て、上総からたきぎを運んでくる船頭に会えるのを楽しみに、ひたすら持ちこがれていた。

 しかし、いつまで持ってもその船頭は現われなかった。かねは蓄えたお金もすっかりつかい果たしてしまったが、それでも船頭がやって来るのを諦めず、村人たちに物乞いしながら、船だまりにある松の木蔭で待ち続けた。だが、かねもそのうち疲れ果ててしまい、ついにその松の木の下で帰らぬ人となってしまった。

 このことを伝え聞いた吉原の遊女たち百余人は、かねの純情な気持ちを哀れみ、わずかずつの金を出しあい、供養のための碑を建てた。村人たちも、この薄幸なかねのために花や線香を供え、これを《おかね塚》と名づけて今日まで供養を続けてきた。
 しかし、このように人びとに語り伝えられてきた《おかね塚》の碑だが、はたしてこれは、本当に遊女かねのために建てられたものだろうか?
 実は、この碑は、今から三百十数年前の寛文五年十月十五日に建てられたもので、押切部落の人たちによる庚申信仰のための庚申塔だったのである。
 舟形の光背に如来像を彫り出した実に立派な石像で、その下部周辺には百余名の名前が刻まれている。その名前も、片仮名で彫った女の名前が目立っているところから、おそらく遊女百余人の伝説が生まれてきたものだろう。とにかく、船頭と遊女にまつわる話が数ある中でも、悲恋に終わった純情な遊女かねのことは、強く村びとの心をとらえたできごとだったに違いない。それがいつしか、女性の名前がたくさん彫られた庚申塔と結びついて、今日まで供養されて来たものと思われる。
 真実はともかくとして、地下鉄東西線の出現とともに、行徳も新しく生まれ変わった今日では、もはや、この話を知る人も少なくなった。やがては人びとの心の中からも消え去る運命にあったが、たとえ遊女のかりそめの恋物語でも、語り伝え供養をしてきた人たちの心を後世に残そうと、このほど地元有志によって改めて「行徳おかね塚の由来」を書いた碑が建てられた。
※昭和52年10月15日初版発行、発行所 市川新聞社、発売元飯塚書房 東京都千代田区神田神保町

<再掲>郷土史研究家・綿貫喜郎氏(市川市曽谷公民館にて、2009年10月11日撮影)
#05綿貫喜郎氏曽谷公民館にて.jpg


●訂正&補足
この石碑に書いてある文章(写真から解読)
前回、「おかね塚(上)」で記述した「行徳おかね塚の由来」の10行目
『待つこと久し、されば蓄へし銭も散じ遂には路頭に食を□□』の□□部分は、「乞う」であることが判明しました。
また、碑文の末尾の署名が前回では、
「綿貫喜郎」となっていましたが、正しくは「綿貫喜郎誌」で、訂正いたします。


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きたろう散歩・おかね塚(1) [きたろう散歩]

取材日、2019/03/06(水)
アップ日、2019/06/24(月)

皆様、大変ご無沙汰しております。
このたび、千葉県市川市行徳地区(注)にある、「おかね塚」という、ちょっと変った名前の「塚」について、取材と調査をしましたので、アップします。
(注:現在、市川市行徳という地名はありません(市川市行徳駅前、市川市南行徳の地名はあるが)。概ね、旧東葛飾郡行徳町の範囲を、便宜上、行徳地区と呼称します。)
 この塚の存在を知ったきっかけは、行徳公民館の主催講座に出席するため、自転車で向かう際に、目標となる途中の目印がないかと探していたら、丁度自転車の経路で左折すべきところに「おかね塚」という史跡(的)なものがあるので、講座の前に立ち寄ったというのが、きっかけです。
 
#01、行徳公民館
#01行徳公民館.jpg
2019年3月6日撮影(撮影:江戸川きたろう)

#02、「おかね塚」、「行徳公民館」近辺の地図
#02おかね塚行徳公民館近辺地図.jpg
おかね塚は、市川市押切12-31(前)の6差路に建つ史跡で、Google Mapにも記載されています。

#03おかね塚?(説明表示石碑)
#03おかね塚の説明表示石碑.jpg
当初、この石碑が「おかね塚」と思い、この石碑を中心に写真を撮影しました。
行徳公民館で、講座を受講し、家に帰って、この碑文を読んでいたら、どうも、おかね塚そのものは、この石碑以外に、別に存在するようでした。

この石碑に書いてある文章(写真から解読)
◆行徳おかね塚の由来◆
行徳の浜は古来塩業を以って榮えし処。押切の地また然り。
浜辺に昇る塩焼きの煙は高く五大木(船)の行き交う中に粗朶(薪)を
運べる大船の往来するもあり為に船頭・人夫の此の地に泊る
者また少なしとせず。
 時に一船頭のしばしば此の地に來りて江戸吉原に遊びかね
と云える遊女と馴染む、船頭曰く年季を終えなば夫婦とな
らんと かね女喜びてその約を懐き歳を待つ、やがて季明
けなば早々に此の地に来りて船頭の至るを迎ふ。されど船頭
その姿を見せず。
 待つこと久し、されば蓄へし銭も散じ遂には路頭に食を□□
に至るもなお此の地に留る。船頭への恋慕の情きが
故なり。 遥かに上総の山影を望みて此処松樹の下に果つ。
 伝え聞きし朋輩百余人憐れみて資を募り墓碑を建て、霊を
弔ふ。
 噫呼 かね女の思ひの一途なる真に純なる哉 朋友の情の
篤きこと実に美なる哉。聞く者皆涙せざるはなし。里人の香
華を供えておかね塚と唱へしも時流れ日移りし今日その由知
る人ぞ少なし。
 茲(ここ)に幸薄かりしかね女を偲びて永代供養のため古老の伝へ
る由来を誌して後世に伝えんとする者也。  綿貫喜朗
   昭和五十一年六月吉日
注)□□・・・文字が風化により不鮮明で、解読できず。

最初、#03の写真を画像処理して文字が読めるような写真にならないかと試みましたが、このもくろみは果たせず、写真を拡大し、文章を解読した結果のテキスト文字(縦書き)を白黒反転し、石碑の写真と合成して、擬似的に、このもくろみを達成しました。

#04、おかね塚説明碑・文章レタッチ合成版
#04おかね塚の説明表示石碑(文章レタッチ合成版).jpg
表示された文章は、合成です(レタッチ:江戸川きたろう)

さて、この石碑の文章を読んで、率直のところ、「本当かな?」という思いがしました。
前半の部分は、実際にあったこととしても違和感はありません。
しかし、後半の「伝え聞きし朋輩百余人憐れみて資を募り墓碑を建て、霊を
弔ふ。」との一節は、こんなことがありえるだろうか?という感想でした。
また、ここの一節で、おかね塚というのは、このときに建てられたという墓のことを指しているのではないかと気付きました。
この、碑文を書いた「綿貫喜郎」氏の名前には、こころあたりがありました。
郷土史研究家で、この方の講演を二度程聴いた記憶があり、自身の写真ファイルを調べたところ、ご本人を撮影した画像がありました。

#05、郷土史研究家・綿貫喜郎氏(市川市曽谷公民館にて、2009年10月11日撮影)
#05綿貫喜郎氏曽谷公民館にて.jpg
注)綿貫喜郎氏の画像をWEB上で検索したところ、何枚かヒットしましたが、その画像(人物)は、綿貫氏に関連した方の画像で、ご本人のものではありませんので、ご注意ください。
綿貫喜郎氏は、残念ながら、数年前にお亡くなりになったそうです。

さて、それでは、「おかね塚」そのものはどれなのか?ということになりますが、おかね塚の説明石碑の後ろ側に、墓が並んでおり、この中のひとつがおかね塚と推定されました。しかし、この日は、墓の部分は、詳しく写真を撮っていなかったので、これ以上の探求は出来ず、再度取材を行うこととしました。
(続く)


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中山法華経寺(千葉県市川市)の蓮 2016 [きたろう散歩]

取材日:2016/7/13(水)

中山法華経寺の蓮が見頃と地域新聞に出ていたので行って来ました。
#01、日蓮宗の名刹・中山法華経寺
$01法華経寺160713_115719.jpg
蓮が咲いている池は、本堂左手奥(左のお堂の裏)にあります。
※中山法華経寺は、冬季に行われる、百か日荒行で良く知られています。

#02、龍王池全景
$02法華経寺160713_113525.jpg


#03、
$03法華経寺160713_113909.jpg


#04、
$04法華経寺160713_114327.jpg


#05、
$05法華経寺160713_114408.jpg


#06、
$06法華経寺160713_115025.jpg

シオカラトンボが結構飛んでいました。

#07、
$07法華経寺160713_115406.jpg

龍王池は、寺の裏の、電柱に表記の住所で、公道に面しています。
地域新聞には、大賀蓮(古代ハス)が1株あると出ていましたが、それがどれかは分かりませんでした。

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江戸川堤の河津桜 [きたろう散歩]

2016/02/19(金)取材 
撮影場所:江戸川堤防上(市川市市川南4丁目6番先)


春めいた陽気に誘われ、江戸川堤に河津桜を見に行きました。
まだ、三分咲き程で見頃はこれからですがどうぞご覧ください。

#01
#C01江戸川・河津桜160219_154302.jpg
下流方向を望む。

#C02江戸川・河津桜160219_153626.jpg

#C03江戸川・河津桜160219_153929.jpg

#C04江戸川・河津桜160219_153936.jpg

#C05江戸川・河津桜160219_153957.jpg

#C06江戸川・河津桜160219_154055.jpg

#C07江戸川・河津桜160219_154102.jpg

#C08江戸川・河津桜160219_154115.jpg


#09
#C09江戸川・河津桜160219_153541.jpg
遠景は東京スカイツリー方面。
(撮影は、絞り優先プログラムf3.3で背景のぼかしに挑戦しましたが、ぼけ味は今一でした。)

#10
#C10江戸川・河津桜160219_154438B.jpg
この並木は、平成16年、市制70周年を記念して植樹されたとのこと。
この桜の木は、オーナー制になっており、各々の木には、オーナーの氏名が掲げてあります。

#11、案内表示板
#C11江戸川・河津桜160219_154640C.jpg
※表示内容
一番上・・・「市川緊急用船着場」
真ん中・・・「行徳橋→3.4km」
下・・・・・・・「1.18km←根本排水機場」
この案内板は桜並木の北エンドに立っています。
END

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東郷公園の河津桜(千代田区三番町18) [きたろう散歩]

2016/02/13(土)取材

ある講演会からの帰路、三番丁の東郷公園に立ち寄りました。
公園の奥の河津桜がほぼ満開でした。
#01河津桜東郷公園160213_162950.jpg
>※背景の建物は、隣接する、九段小学校です。
#02河津桜東郷公園160213_163005.jpg

#03河津桜東郷公園160213_163000.jpg

#04河津桜東郷公園160213_163000.jpg

#05河津桜東郷公園160213_163038.jpg
この日は、真冬というのに、最高気温が20度を越え、開花が加速したものと思われます。
(月曜以降、気温は急降下しました。)
END


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狛江市立古民家園(むいから民家園)滞留記 [きたろう散歩]

2015/10/3(土) 取材

 SNSの友人が狛江市で演奏会を行うので、聴きに行くことになったが、夕方からなので、早めに行って狛江市内を散策でもしようと思いました。ネットの地図を開き、どこか良いとこないかな~と探したところ、駅から西方約700mのところに「むいから民家園」というのが目につきここへ行くことにしました。

駅から歩いて「むいから民家園」の該当の場所に行ったら「狛江市立古民家園」の看板がかかっていたのでここだと思い入りました(入場無料)。

#01、古民家園入口(1)
&01狛江市立古民家園入口(1)15年10月03日14時37分.JPG
園内左手の建物は、管理棟です。

あとで分かったのですが、「むいから」とは「麦殻」のことで、屋根材に使う麦殻の音便だということでした。

#02、古民家園入口(2)
&02狛江市立古民家園入口(2)151003_1438.JPG
園内右手に、昔の農家の建物が見えます。

狛江市立古民家園住所・・・東京都狛江市元和泉2-15-5

#03、狛江市の地図(古民家園と演奏会場の位置等)
&03狛江市立古民家園他の地図.jpg


#04、むいから村役場=古民家園管理棟
&04古民家園管理棟151003_1442.JPG
演奏会は夕方5時開演で、現在時刻は2時42分なので、時間はたっぷりあります。

#05、管理棟脇にある、園内の説明板
&05古民家園説明板14:41.jpg
この説明板には、園内の二つの主要建物、「農家の主屋」と「長屋門」の
概要が描いてあります。

※丁度、説明板の面上に、木の葉の影がかかり、明度の濃淡が強いので、この写真は大幅にレタッチしてあります。

#06、荒井家住宅(1)
&06狛江市荒井家主屋151003_1447.JPG

#07、荒井家住宅(2)
&07狛江市荒井家主屋151003_1448.JPG

#08、荒井家住宅(3)
&08狛江市荒井家主屋151003_1448.JPG

#09、荒井家住宅(4)
&09狛江市荒井家主屋151003_1449.JPG
庭には、人口の池と小川が造られ、子供たちの格好の遊び場となっていました。(池には、ヤゴが生息しているらしい。)

#10、荒井家住宅主屋の復元経過の説明板(住宅の台所に掲示されている)
&10荒井家主屋の変遷151003_1511.JPG


#11、復元された荒井家住宅の間取り
&11荒井家主屋の間取り151003_1511.jpg
※#10の写真を拡大

荒井家住宅は、かつて元和泉一丁目に所在し、江戸時代後期頃に建築されたと考えられます。(#03の地図参照)
その後、江戸末期と明治期に大幅な改築が行われましたが、復元は、江戸末期の「角屋(つのや)」と呼ばれる、住宅形式のものに復元しました。(#11の間取り参照)
平成4年小田急小田原線の立体交差及び複々線化事業に伴い、荒井家住宅は解体保存されていましたが、平成14年に当地に移築されたとのことです。
※管理棟脇の説明板から抜粋

※#05の説明板及び#10の説明板の内容は、本ブログ末に、テキストにして掲載していますので、詳細はそちらをご覧ください。

#12、移築前の荒井家住宅主屋
&12狛江市荒井家主屋古写真151003_144128_C.jpg
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したものです。

#13、庭の一角に井戸あり
&13狛江市立古民家園の井戸151003_151948_0.JPG
井戸の脇にある看板に「井戸の水は飲まないでください」と書いてある。

#14、旧高木家長屋門(1)庭側から見た写真
&14狛江市高木家長屋門151003_144411_0.JPG
 長屋門とは、主に武家の屋敷門として造られ、門の両脇に長屋を設けたものです。農村でも、名主など、格式のある家に、建てられることかありました。この長屋門を建てた高木家は、江戸時代に覚東村(がくとうむら)(現在の西野川一丁目近辺)(#03の地図参照)の名主を務めていました。
 建築当初、写真右側(南側)は穀蔵で、左側(北側)は土間の納屋でした。屋根は、寄棟造の茅葺屋根でした。
 その後、北側の納屋が馬屋になるなど、部屋の用途が変わり、改築がなされてきましたが、江戸時代に遡る貴重な建造物として、保存に向けて取り組みがなされました。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年にこの古民家園に移築・復元がなされました。
 現在、市内に残る唯一の長屋門です。
※管理棟脇の説明板より抜粋。

#15、旧高木家長屋門(2)外側から見た写真
&15狛江市高木家長屋門151003_144548_0.JPG
柱の下部の色の違う部分は、補修の跡である。

#16、旧高木家長屋門(3)外側から見た写真
&16狛江市高木家長屋門151003_144527_0.JPG


#17、「旧高木家長屋門 修理記」説明板
&17狛江市高木家長屋門説明板151003_144702_0.jpg
※ここに表示された内容は、ブログ末にテキストで掲載しました。

#18、移築前の高木家長屋門
&18狛江市高木家長屋門古写真151003_144140_B.jpg
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したもの。

園内の写真は30分程で撮り終え、演奏会が始まるまで、子供たちが遊ぶのを見ながら、本を読んで過ごしました。

●以下、各説明板に記載の文章をテキストにしたものを掲載します。

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勝浦海中展望塔・探訪記 [きたろう散歩]

2015年5月X日 取材

#01、勝浦の海中展望塔に行って来ました。
&01勝浦水中展望塔_135351_0.jpg

表示板右下の説明文内容
リアス式海岸の自然美あふれる景勝地、勝浦市鵜原地先は、寒流と暖の接点にあり、海の生物が豊富です。 この一帯14.5haが勝浦海中公園に指定され、その中央部に東洋一の規模を誇るる海中展望塔(高さ24.4m、水深8m)がたっています。 その海中展望塔から、年間約90種類以上の魚や海底の様子を観察することができます。


#02、勝浦の海中展望塔・交通案内
&02勝浦水中展望塔_135351_0B.jpg
※勝浦の海中展望塔の栞より
勝浦市と言っても、JR外房線のうばら駅が最寄り駅です。

#03、海中展望塔全景
&03勝浦水中展望塔_140335_0.jpg
海上に突き出した橋の先に、高さ24.4m(ビルの9階建相当)、海中部分8mの海中観察塔が立っています。
大分、昔に一度来たことがありますが、その時は、海上が時化で、展望塔が、閉鎖となっていたので、今回が初訪問である。

#04、海中展望塔入口
&04勝浦水中展望塔_140615_0.jpg
近づくと、展望塔は、結構大きい(海上展望室は、約直径12m)

#05、階段は90段以上あります。
&05勝浦水中展望塔_140739_0.jpg


#06、海中観察窓は、水深約8m
&06勝浦水中展望塔_140923_0.jpg


#07、透明度はあまり良くない。
&07勝浦水中展望塔_141015_0.jpg
当日、公式発表は透明度6mとのこと。
見える大きい魚は「メジナ」と思われる。

#08、
&08勝浦水中展望塔_141307_0.jpg
良く見られる魚は、メジナの他、スズメダイ、マアジ等らしいが、透明度が今一で、どれがどれかははっきりしない。

#09、ここで見られる魚Ⅰ(パネル)
&09勝浦水中展望塔_141226_0.jpg


#10、金網の籠の中に餌が入っている。
&10勝浦水中展望塔_141404_0.jpg


#11、同上
&11勝浦水中展望塔_141432_0.jpg


#12、ここで見られる魚Ⅱ
&12勝浦水中展望塔_141241_0.jpg
年間では、この展望塔から90種類の魚が見られるという。

#13、石鯛と思われる
&13勝浦水中展望塔_141536_0.jpg


#14、餌に魚が群がり、中の金属籠が見えません。
&14勝浦水中展望塔_141654_0.jpg


#15、ここで見られる魚Ⅲ
&15勝浦水中展望塔_141642_1.jpg


#16、チョウチョウウオ
&16勝浦水中展望塔_141913_1.jpg


#17、
&17勝浦水中展望塔_142058_0.jpg


#18、
&18勝浦水中展望塔_142111_0.jpg


#19、上り専用ラセン階段
&19勝浦水中展望塔_142217_0.jpg


#20、東方向の眺望Ⅰ
&20勝浦水中展望塔_142557_0B.jpg


#21、同上拡大
&21勝浦水中展望塔_142557_0A.jpg


#22、同上説明パネル
&22勝浦水中展望塔_142620_0B.jpg


#23、東方向の眺望Ⅱ
&23勝浦水中展望塔_142557_0.jpg


#24、同上説明パネル
&24勝浦水中展望塔_142620_1.jpg


#25、西の眺望
&25勝浦水中展望塔_142526_1.jpg


#26、同上拡大
&26勝浦水中展望塔_143908_0.jpg


#27、同上説明パネル
&27勝浦水中展望塔_142646_1.jpg


#28、明神岬にある「孝女おせんの供養塔」(パネル写真)
&28勝浦水中展望塔_142306_0.jpg
<おせんころがしの伝承話>
孝女おせんの悲話の舞台。おせんが身投げした断崖は高さ10数m、4kmも続く絶壁です。

おせんころがしの伝承話  太平洋に突き出た高さ十数メートル、幅四キロにおよぶ断崖絶壁が『おせんころがし』と呼ばれ、孝女おせんの悲話を伝える舞台となっています。  おせん伝説には幾つかの逸話があります。  そのひとつに純真で心根の優しいおせんは、強欲非道な父親を改心させ村人と仲良く暮らしてほしいと説得しますが受け入れられず、ついに断崖から身を投じたというお話です、 この断崖上に孝女おせんの供養塔が建っています。


#29、
&29勝浦水中展望塔_142820_0.jpg


#30、
&30勝浦水中展望塔_143921_0.jpg


#31、連絡橋から西方を望むⅠ
&31勝浦水中展望塔150506_144027_0.jpg



#32、連絡橋から西方を望むⅡ
&32勝浦水中展望塔_143900_0.jpg


#33、連絡橋から東方を望む
&33勝浦水中展望塔_140326_0.jpg


#34、連絡橋から下方を望む
&34勝浦水中展望塔_140353_0.jpg


#35、海中展望塔遠望
&35勝浦水中展望塔_144608_0.jpg



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