松戸市坂川の河津桜 [きたろう散歩]
2022年3月6日取材
2022年3月7日アップ
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続く中、平和ボケとお叱りを受けるかも知れませんが、河津桜の撮影に行って来ました。
新聞に隣町の坂川という川の流域の河津桜が咲き始めたという記事を見て撮影に出かけました。
#01、以前から水をバックにした桜を撮りたかったので、念願が叶いました(*^_^*)
#02、
#03、
#04、定番の、青空をバックにした桜を撮ろうとしたら、急に雲が出てきてしまいました。
#05、
#06、坂川上流(西)方向
この平和な風景が、いつまでも続くといいですね!
#07、坂川下流(東)方向
#08、松戸市坂川不動橋
松戸市の市街地の真ん中を流れる坂川からのレポートでした。
2022年3月7日アップ
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続く中、平和ボケとお叱りを受けるかも知れませんが、河津桜の撮影に行って来ました。
新聞に隣町の坂川という川の流域の河津桜が咲き始めたという記事を見て撮影に出かけました。
#01、以前から水をバックにした桜を撮りたかったので、念願が叶いました(*^_^*)
#02、
#03、
#04、定番の、青空をバックにした桜を撮ろうとしたら、急に雲が出てきてしまいました。
#05、
#06、坂川上流(西)方向
この平和な風景が、いつまでも続くといいですね!
#07、坂川下流(東)方向
#08、松戸市坂川不動橋
松戸市の市街地の真ん中を流れる坂川からのレポートでした。
スポーツ広場の菜の花のミニお花畑(市川市福栄) [きたろう散歩]
2022年1月21日(金)取材
2022年1月23日(土)アップ
昨日、妻が地域新聞の情報で、地元で菜の花が咲いているところがあるとアピールしてきました。
南房総では、1月に菜の花は咲きますが、この辺で1月には咲かないので行ってみることにしました。
以下画像でランダムに紹介致します・・・
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13 この場所は、塩浜橋(行徳地区)の傍、福栄スポーツ広場の南側にあります。
#14 行徳野鳥観察舎へ通ずる道の途中にあります。
END
2022年1月23日(土)アップ
昨日、妻が地域新聞の情報で、地元で菜の花が咲いているところがあるとアピールしてきました。
南房総では、1月に菜の花は咲きますが、この辺で1月には咲かないので行ってみることにしました。
以下画像でランダムに紹介致します・・・
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13 この場所は、塩浜橋(行徳地区)の傍、福栄スポーツ広場の南側にあります。
#14 行徳野鳥観察舎へ通ずる道の途中にあります。
END
満月の日の夕暮れの公園と江戸川 [きたろう散歩]
2021年10月20日取材
皆様、ご無沙汰しています。
一寸アップのタイミングが遅くなりましたが一昨日の夕暮れ時のレポです。
10月20日夕方公園にストレッチのため行きました。西の空の雲が赤く染まっています。
#01、公園より西方の空
急に秋めいてきました。風が強いです。
#02、東方の空の鰯雲
この後、大きく空を写すため、江戸川堤防へ移動しました。
#03、04 江戸川からの鰯雲
#05、富士山方面
わかりにくい写真ですが、画面中央が富士山で、右の稜線がかろうじて見えるに留まっています。富士山全体の写真を撮りたいので、手前の黒い雲が移動しないかと粘りましたが、この雲は微動だにしませんでした。
今日は、風が強いのに、この黒い雲が全く移動しないのは不思議でした。
#06、月の出(17時11分)
東の空から満月が昇りました。
#07、公園からの満月(17時27分)
再び、公園に移動し満月の撮影を続行しました。
以上の写真は、スマホでの撮影でしたが、スマホでは夜間の撮影は困難なので、急遽家に戻りコンパクトデジカメに持ち替えました。
#08、コンパクトデジカメでの月の撮影(17時40分)
コンパクトデジカメでは、月のうさぎの模様まで写ります。
#09、露光をアップして撮影
露出を調整、地上の景色も見えるように写しました。
しかし、地上の景色が写るようにすると、月の模様は写りません。
#10、画像処理を施す
いろいろ画像処理をしましたが、地上の景色と月の模様を同時に見えるようにすることは出来ませんでした。このあたりがコンパクトカメラの限界か?
#11、満月のクローズアップ写真(17時49分)
コンパクトカメラでも月の模様はここまで捕らえられます。
END
皆様、ご無沙汰しています。
一寸アップのタイミングが遅くなりましたが一昨日の夕暮れ時のレポです。
10月20日夕方公園にストレッチのため行きました。西の空の雲が赤く染まっています。
#01、公園より西方の空
急に秋めいてきました。風が強いです。
#02、東方の空の鰯雲
この後、大きく空を写すため、江戸川堤防へ移動しました。
#03、04 江戸川からの鰯雲
#05、富士山方面
わかりにくい写真ですが、画面中央が富士山で、右の稜線がかろうじて見えるに留まっています。富士山全体の写真を撮りたいので、手前の黒い雲が移動しないかと粘りましたが、この雲は微動だにしませんでした。
今日は、風が強いのに、この黒い雲が全く移動しないのは不思議でした。
#06、月の出(17時11分)
東の空から満月が昇りました。
#07、公園からの満月(17時27分)
再び、公園に移動し満月の撮影を続行しました。
以上の写真は、スマホでの撮影でしたが、スマホでは夜間の撮影は困難なので、急遽家に戻りコンパクトデジカメに持ち替えました。
#08、コンパクトデジカメでの月の撮影(17時40分)
コンパクトデジカメでは、月のうさぎの模様まで写ります。
#09、露光をアップして撮影
露出を調整、地上の景色も見えるように写しました。
しかし、地上の景色が写るようにすると、月の模様は写りません。
#10、画像処理を施す
いろいろ画像処理をしましたが、地上の景色と月の模様を同時に見えるようにすることは出来ませんでした。このあたりがコンパクトカメラの限界か?
#11、満月のクローズアップ写真(17時49分)
コンパクトカメラでも月の模様はここまで捕らえられます。
END
堀切菖蒲園探訪記(東京都葛飾区)(下) [きたろう散歩]
2021年6月9日 取材
2021年6月24日 アップ
前回からの続きです。気温29度に迫ろうという中、園内に入って約40分経過、休憩所に入ることにしました。
#25、堀切菖蒲園・休憩所(3時辺り※)
※3時辺り=園内の場所を時計の文字盤の時刻の位置になぞらえて示しています。北=12時、東=3時、南=6時、西=9時(前回のブログ#09参照)
#26、休憩所の壁面の展示
休憩所の壁面には、堀切菖蒲園関連の浮世絵や写真が展示してありました。
#27、展示浮世絵「堀切菖蒲花盛図」
三代歌川豊国の作品。
#28、展示写真
堀切菖蒲園の宣伝のちらしと思われる。
#29、展示浮世絵「東京名所花競」
安達吟光の作品。
写真下部の白の三角形の他各種形状のものは、ガラスケースの反射によるもの。
#30、展示浮世絵「美人堀切の遊覧」
楊斎延一の作品です。
昔も、今も、永続的に園内遊覧がが行なわれているということです(美人が、必ずしもいるとは限りませんが・・・)。
(絵の右側三分の一は、ガラスの反射で不鮮明のため割愛。割愛した部分は、着物の女性がしゃがんで、菖蒲を鑑賞している姿が描かれています。)
#31、展示浮世絵「名所江戸百景の内・堀切の花菖蒲」
歌川廣重の作品です。
実は、今回の来園目的の一つに、「この絵と同じアングルの写真を撮る」というのがあります。入園してから、今まで、この絵と同じアングルの写真は撮れていません。休憩後、残りの圃場でこのアングルに挑戦します・・・
#32、園内風景(休憩所脇の池から北方向)
睡蓮池という池です。この一角は、白い花の菖蒲で揃えてあります。
#33、園内風景(1時半辺りから南西方向)
この池は、杜若(かきつばた)という名の池です。
#34、廣重の絵を模して撮影
かろうじて廣重の絵と似たアングルの写真が取れました。しかし、背景は似ても似つかないものでした(>_<)
時代が違うので、背景は大きく異なります。花の姿は、約160年経っても変わらない・・・
感慨深いです(^O^)/
#35、宇宙という品種の菖蒲(1時辺り)
雄大なスケールの品種名を持つ菖蒲。思わず、レンズを向けました。
#36、園内風景(12時半あたりから南方向)
菖蒲園内を、反時計回りに、ほぼ、4分の3周し、園内の撮影も最終コーナーです。
#37、静観亭と菖蒲園の説明板(12時半辺りから西方向)
#38、堀切菖蒲園の説明板
説明板の超要約・・・この地での、菖蒲園の発祥は、定かではありませんが、室町時代にはそれらしき記録が残っています。
江戸末期に、堀切に、小高園(注)という菖蒲園が開園し、さらに明治期に堀切園が開園し現在にいたっています。
※詳細は、この画像をクリック・拡大してご覧ください
注)ここより約500m程東の場所にあった(現在は残っていません)。
#39、撮影終了出入り口付近まで戻ってきました。
現在13時18分。入園は12時4分なので、1時間14分の滞在でした。
#40、大江戸大衆らーめん(あろま)
#41、本日の行程地図
以上で、「じゅん散歩」の立寄り先は、長沢ベルト工業を除き、トレースしました。
本日の歩行距離は、菖蒲園内を含み約2.0kmでした。
#42、おまけ写真(菖蒲七福神)
じゅん散歩では紹介されませんでしたが、この堀切七福神は、堀切のスポットとしてはずせません。場所的には、堀切十二神像の背後にあり、駅から菖蒲園へ向かう道筋にあるので、すぐわかります。(平成6年(1994)6月設置)
※当日の11時47分に撮影
END
2021年6月24日 アップ
前回からの続きです。気温29度に迫ろうという中、園内に入って約40分経過、休憩所に入ることにしました。
#25、堀切菖蒲園・休憩所(3時辺り※)
※3時辺り=園内の場所を時計の文字盤の時刻の位置になぞらえて示しています。北=12時、東=3時、南=6時、西=9時(前回のブログ#09参照)
#26、休憩所の壁面の展示
休憩所の壁面には、堀切菖蒲園関連の浮世絵や写真が展示してありました。
#27、展示浮世絵「堀切菖蒲花盛図」
三代歌川豊国の作品。
#28、展示写真
堀切菖蒲園の宣伝のちらしと思われる。
#29、展示浮世絵「東京名所花競」
安達吟光の作品。
写真下部の白の三角形の他各種形状のものは、ガラスケースの反射によるもの。
#30、展示浮世絵「美人堀切の遊覧」
楊斎延一の作品です。
昔も、今も、永続的に園内遊覧がが行なわれているということです(美人が、必ずしもいるとは限りませんが・・・)。
(絵の右側三分の一は、ガラスの反射で不鮮明のため割愛。割愛した部分は、着物の女性がしゃがんで、菖蒲を鑑賞している姿が描かれています。)
#31、展示浮世絵「名所江戸百景の内・堀切の花菖蒲」
歌川廣重の作品です。
実は、今回の来園目的の一つに、「この絵と同じアングルの写真を撮る」というのがあります。入園してから、今まで、この絵と同じアングルの写真は撮れていません。休憩後、残りの圃場でこのアングルに挑戦します・・・
#32、園内風景(休憩所脇の池から北方向)
睡蓮池という池です。この一角は、白い花の菖蒲で揃えてあります。
#33、園内風景(1時半辺りから南西方向)
この池は、杜若(かきつばた)という名の池です。
#34、廣重の絵を模して撮影
かろうじて廣重の絵と似たアングルの写真が取れました。しかし、背景は似ても似つかないものでした(>_<)
時代が違うので、背景は大きく異なります。花の姿は、約160年経っても変わらない・・・
感慨深いです(^O^)/
#35、宇宙という品種の菖蒲(1時辺り)
雄大なスケールの品種名を持つ菖蒲。思わず、レンズを向けました。
#36、園内風景(12時半あたりから南方向)
菖蒲園内を、反時計回りに、ほぼ、4分の3周し、園内の撮影も最終コーナーです。
#37、静観亭と菖蒲園の説明板(12時半辺りから西方向)
#38、堀切菖蒲園の説明板
説明板の超要約・・・この地での、菖蒲園の発祥は、定かではありませんが、室町時代にはそれらしき記録が残っています。
江戸末期に、堀切に、小高園(注)という菖蒲園が開園し、さらに明治期に堀切園が開園し現在にいたっています。
※詳細は、この画像をクリック・拡大してご覧ください
堀切菖蒲園探訪記(上)(東京都葛飾区) [きたろう散歩]
2021年6月9日 取材
2021年6月21日 アップ
ご無沙汰しています。
今回アップのものは、取材から、大分期間が空きましたが、まだ菖蒲の季節が続いていると思うのでアップしました。
#「堀切菖蒲園・点描」きたろう散歩
この季節、菖蒲の花のニュースがちょくちょく聞かれます。我が町からだと、県境を、跨ぎますが、葛飾区の堀切菖蒲園が有名です。
この園は江戸時代から続いている由緒正しい菖蒲園で、広重、豊国らが浮世絵を描いています。
卑近なところでは、人気の散歩番組「じゅん散歩」でも採り上げられ、5月19日に高田純次さんが紹介しました。
※緊急事態宣言下ですが、同菖蒲園のホームページで、「開園している時間及びコロナ対策(マスク着用)を行なって入場のこと」との案内があったので出かけることにしました。
#00、じゅん散歩5月19日放送の立ち寄り先
この、放送回では、菖蒲園の他、堀切十二支神、大江戸らーめんあろま、長沢ベルト工業へ立ち寄っていました。せっかくですので、高田氏の巡回先も出来るだけトレースすることにしました。
#01、堀切十二支神(きたろう散歩)
京成堀切菖蒲園駅の南約160mの所にあります。菖蒲園へ行く道筋から枝分かれした道にあるため、最初通り過ぎてしまいました。
#02、向かって右から、十二支神の内、申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)(きたろう散歩)
近寄って、石像を見ると、ちょっとグロテスクというか、ユーモラスというか、独特な造形の石像でした。
純次さんは「私の干支は猪だけど、(この像は)豚になっていて、嫌だな~」と言っていました。
#03、同右から、辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)(きたろう散歩)
デファオルメが大きく、なかなか干支と石像がしっくり結びつかない(特に辰、巳)。
#04、同右から、寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)(きたろう散歩)
虎さんが、今にも語りかけて来そうです・・・
#05、同右から、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)(きたろう散歩)
説明板がなく、制作年や由来は全くわからなかったが、なかなかの造形物でした。
#06、堀切菖蒲園への道案内板(きたろう散歩)
駅から、主要なところに道順の案内板がありました。
#07、堀切菖蒲園への小路(きたろう散歩)
菖蒲園への道は、歩行者・自転車専用の道で、道の両側の植栽も含め、良く整備されています。葛飾区のやる気が感じられました。
#08、堀切菖蒲園入口(きたろう散歩)
住所:葛飾区堀切2-19-1
面積:8,747.87㎡(約2,650坪)
栽培株数:約200種6,000株
入園料:無料
管理は、葛飾区公園課
#09、園内地図(きたろう散歩)
静観亭は、1階喫茶コーナー、2階客室(宴会等有料で貸し出す)となっています。
以下園内場所の説明で、静観亭の位置を時計の12時相当の位置として、図のように○○時として示します。
※概ね12時=北、3時=東、6時=南、9時=西。
#10、園内入口傍からの眺め(きたろう散歩)
入口近くのこの石灯篭以外には、休憩所ぐらいしか構造物はありません。堀切菖蒲園の特徴的な眺めです。
#11、12、13、品種「山路の露」他(園内9時辺り)(きたろう散歩)
#14、15、品種「蛾眉山月(がびさんげつ)(きたろう散歩)
#16、園内風景(三番圃場より南方向を撮影)(きたろう散歩)
表示板には「この三番は今年二年目の圃場です。」と書いてあります。
#17、18、品種「勇獅子」(きたろう散歩)
#19、園内風景(8時辺から静観亭方向を望む)(きたろう散歩)
#20、園内風景(7時半辺りから静観亭方向を望む)(きたろう散歩)
皆様、花菖蒲の撮影に勤しんでいます。
#21、22、品種「清少納言」(3時辺りから北西方向)(きたろう散歩)
優雅な名前と、姿、気に入りました(^O^)/
#23、同「清少納言」(3時辺りから南西方向)(きたろう散歩)
#24、園内風景(3時辺りから西方向)(きたろう散歩)
#25、休憩所(3時辺り)(きたろう散歩)
今の気温は28.8℃、園内に入って約40分経過。休憩することにしました。(気象庁データ江戸川臨海12時50分)
#26、浮世絵等の展示(きたろう散歩)
休憩所の壁面に菖蒲園の浮世絵や写真が展示してありました。
(ブログも一旦休憩とします。次回へ続く)
2021年6月21日 アップ
ご無沙汰しています。
今回アップのものは、取材から、大分期間が空きましたが、まだ菖蒲の季節が続いていると思うのでアップしました。
#「堀切菖蒲園・点描」きたろう散歩
この季節、菖蒲の花のニュースがちょくちょく聞かれます。我が町からだと、県境を、跨ぎますが、葛飾区の堀切菖蒲園が有名です。
この園は江戸時代から続いている由緒正しい菖蒲園で、広重、豊国らが浮世絵を描いています。
卑近なところでは、人気の散歩番組「じゅん散歩」でも採り上げられ、5月19日に高田純次さんが紹介しました。
※緊急事態宣言下ですが、同菖蒲園のホームページで、「開園している時間及びコロナ対策(マスク着用)を行なって入場のこと」との案内があったので出かけることにしました。
#00、じゅん散歩5月19日放送の立ち寄り先
この、放送回では、菖蒲園の他、堀切十二支神、大江戸らーめんあろま、長沢ベルト工業へ立ち寄っていました。せっかくですので、高田氏の巡回先も出来るだけトレースすることにしました。
#01、堀切十二支神(きたろう散歩)
京成堀切菖蒲園駅の南約160mの所にあります。菖蒲園へ行く道筋から枝分かれした道にあるため、最初通り過ぎてしまいました。
#02、向かって右から、十二支神の内、申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)(きたろう散歩)
近寄って、石像を見ると、ちょっとグロテスクというか、ユーモラスというか、独特な造形の石像でした。
純次さんは「私の干支は猪だけど、(この像は)豚になっていて、嫌だな~」と言っていました。
#03、同右から、辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)(きたろう散歩)
デファオルメが大きく、なかなか干支と石像がしっくり結びつかない(特に辰、巳)。
#04、同右から、寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)(きたろう散歩)
虎さんが、今にも語りかけて来そうです・・・
#05、同右から、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)(きたろう散歩)
説明板がなく、制作年や由来は全くわからなかったが、なかなかの造形物でした。
#06、堀切菖蒲園への道案内板(きたろう散歩)
駅から、主要なところに道順の案内板がありました。
#07、堀切菖蒲園への小路(きたろう散歩)
菖蒲園への道は、歩行者・自転車専用の道で、道の両側の植栽も含め、良く整備されています。葛飾区のやる気が感じられました。
#08、堀切菖蒲園入口(きたろう散歩)
住所:葛飾区堀切2-19-1
面積:8,747.87㎡(約2,650坪)
栽培株数:約200種6,000株
入園料:無料
管理は、葛飾区公園課
#09、園内地図(きたろう散歩)
静観亭は、1階喫茶コーナー、2階客室(宴会等有料で貸し出す)となっています。
以下園内場所の説明で、静観亭の位置を時計の12時相当の位置として、図のように○○時として示します。
※概ね12時=北、3時=東、6時=南、9時=西。
#10、園内入口傍からの眺め(きたろう散歩)
入口近くのこの石灯篭以外には、休憩所ぐらいしか構造物はありません。堀切菖蒲園の特徴的な眺めです。
#11、12、13、品種「山路の露」他(園内9時辺り)(きたろう散歩)
#14、15、品種「蛾眉山月(がびさんげつ)(きたろう散歩)
#16、園内風景(三番圃場より南方向を撮影)(きたろう散歩)
表示板には「この三番は今年二年目の圃場です。」と書いてあります。
#17、18、品種「勇獅子」(きたろう散歩)
#19、園内風景(8時辺から静観亭方向を望む)(きたろう散歩)
#20、園内風景(7時半辺りから静観亭方向を望む)(きたろう散歩)
皆様、花菖蒲の撮影に勤しんでいます。
#21、22、品種「清少納言」(3時辺りから北西方向)(きたろう散歩)
優雅な名前と、姿、気に入りました(^O^)/
#23、同「清少納言」(3時辺りから南西方向)(きたろう散歩)
#24、園内風景(3時辺りから西方向)(きたろう散歩)
#25、休憩所(3時辺り)(きたろう散歩)
今の気温は28.8℃、園内に入って約40分経過。休憩することにしました。(気象庁データ江戸川臨海12時50分)
#26、浮世絵等の展示(きたろう散歩)
休憩所の壁面に菖蒲園の浮世絵や写真が展示してありました。
(ブログも一旦休憩とします。次回へ続く)
市内の今の季節の花2題(千葉県市川市) [きたろう散歩]
2021年4月28日 取材
2021年4月30日 アップ
◇◆高圓寺の藤◇◆
我が市にも藤で有名な寺があります。先々週、開花状況の下見に行った時は、まだ藤の房の先端が開花していなかったので(写真は撮らず)そのまま帰って来ました。
一昨日の午前、そろそろ見頃ではないか思って、市の中心よりやや北にある高圓寺という寺に行って来ました。
#01、寺駐車場
しかし、残念ながら、コロナの重点措置の影響で、寺の境内は入場が禁止されていました。
#02、寺山門
寺の表門へ回って見ましたが、やはり鉄柵で入場禁止措置がされていました。
それでも、山門から藤棚は見えるので、そこから撮影しました。
#03~08高圓寺の藤
この寺の藤は、樹齢200年といわれ、花の房が長い(1m以上)のが特徴です。
他のSNSの情報によると、年々花が小さくなっているらしいとのことですが、まだまだ見ごたえのある藤の花でした。
◇◆郭沫若(かくまつじゃく)記念館の芝桜◇◆
同日の午後、高圓寺の西約2kmのところに位置する、郭沫若記念館の庭の芝桜を見に行きました。
#09、郭沫若記念館入口
この手前にある庭一面に芝桜が栽培されています。
#10、郭沫若記念館の庭全景(芝桜は栽培されていなかった)
例年、この庭の左面も右面も全面芝桜が栽培されていますが今年は影も形もありませんでした。
帰宅して、WEBで調べたところ、今年は(栽培を中断して)養生しているのではという記事がありましたが、これも推測情報ではっきりしませんでした。
※この後、この件に関し郭沫若記念館に問い合わせしました。下記、コメント欄を参照してください。
この写真で本ブログが終了では、訪問頂いた皆様に申し訳ないので過去の写真ですが、庭一面の芝桜の画像を次に掲げました(2014年4月19日撮影の未公開画像)。
#11~#13、郭沫若記念館の芝桜(過去の写真)
END
2021年4月30日 アップ
◇◆高圓寺の藤◇◆
我が市にも藤で有名な寺があります。先々週、開花状況の下見に行った時は、まだ藤の房の先端が開花していなかったので(写真は撮らず)そのまま帰って来ました。
一昨日の午前、そろそろ見頃ではないか思って、市の中心よりやや北にある高圓寺という寺に行って来ました。
#01、寺駐車場
しかし、残念ながら、コロナの重点措置の影響で、寺の境内は入場が禁止されていました。
#02、寺山門
寺の表門へ回って見ましたが、やはり鉄柵で入場禁止措置がされていました。
それでも、山門から藤棚は見えるので、そこから撮影しました。
#03~08高圓寺の藤
この寺の藤は、樹齢200年といわれ、花の房が長い(1m以上)のが特徴です。
他のSNSの情報によると、年々花が小さくなっているらしいとのことですが、まだまだ見ごたえのある藤の花でした。
◇◆郭沫若(かくまつじゃく)記念館の芝桜◇◆
同日の午後、高圓寺の西約2kmのところに位置する、郭沫若記念館の庭の芝桜を見に行きました。
#09、郭沫若記念館入口
この手前にある庭一面に芝桜が栽培されています。
#10、郭沫若記念館の庭全景(芝桜は栽培されていなかった)
例年、この庭の左面も右面も全面芝桜が栽培されていますが今年は影も形もありませんでした。
帰宅して、WEBで調べたところ、今年は(栽培を中断して)養生しているのではという記事がありましたが、これも推測情報ではっきりしませんでした。
※この後、この件に関し郭沫若記念館に問い合わせしました。下記、コメント欄を参照してください。
この写真で本ブログが終了では、訪問頂いた皆様に申し訳ないので過去の写真ですが、庭一面の芝桜の画像を次に掲げました(2014年4月19日撮影の未公開画像)。
#11~#13、郭沫若記念館の芝桜(過去の写真)
END
ハナミズキ・ロードを行く [きたろう散歩]
2021年4月9日取材
2021年4月12日アップ
タイトルがちょっとオーバーではないか?と我ながら思いましたがこれで行きます・・・
この季節になると数年前だったら、否応なしにハナミズキの花が目に入って来ました。というのは、ジムの行き帰りで通っていた道沿いに複数のハナミズキの木があったからです。
数年前から東京外環自動車道の工事が開始されてから、この道は分断され、この道路をほとんど利用しなくなり、この道沿いのハナミズキのことも忘れていました。
数日前に、ふと、このハナミズキのことを思い出し、4月9日取材してきました。
#01、ハナミズキ・ロード終点(Google Mapストリートビューより)
ハナミズキ・ロードとは、私が勝手に付けた名前です。この道路は、JR総武線の約300m南側を総武線と平行に東西に走っている道路です。一方通行の狭い道ですが、直線的に約1.6kmも続いている道路です。
※進入禁止の標識より画面奥(西方向)へ進行して取材しました。
#02~05、ハナミズキ①(きたろう散歩)
#01地点から約400m進んだところにあるハナミズキ。あるマンションの南側に6~7本並んで植えてあります。
ハナミズキは、桜に続いて咲きだす花で、桜に比べると地味な色合いですが、ハナミズキのファンだという方は結構いらっしゃいます。
#06、東京外環自動車道
ハナミズキ①からさらに西へ350m進んだところ。東京外環自動車道を渡る歩道橋上から北方向を望む。ハナミズキ・ロードは外環自動車道で分断されため、この道はめったに利用しなくなりました。
※画面奥の高架はJR総武線です。
#07~09、ハナミズキ②(きたろう散歩)
外環自動車道からさらに西へ約300m進んだところ。
一青窈さんが歌っている「薄紅色の・・・」のハナミズキは、このハナミズキですね。
#10、新田南公園前から西方を望む(Google Mapストリートビューより)
薄紅色のハナミズキの咲いていたところからさらに300m西に来たところ。新田南公園の前です。
この先500mでハナミズキロードは終わります。
#11~13、新田南公園の藤(きたろう散歩)
公園内に藤棚があり藤が咲いていました。
藤は4月下旬からと思っているので、ちょっといつもより早いような気がしますが・・・
この地点から、さらに西方へ進むとまだまだ、木に咲く花(木蓮等)が見られますが、大分時間が経過してしまったので、ここで打ち切りとしました。
久しぶりに、ハナミズキの花に接し、すがすがしい気持ちになりました。
END
2021年4月12日アップ
タイトルがちょっとオーバーではないか?と我ながら思いましたがこれで行きます・・・
この季節になると数年前だったら、否応なしにハナミズキの花が目に入って来ました。というのは、ジムの行き帰りで通っていた道沿いに複数のハナミズキの木があったからです。
数年前から東京外環自動車道の工事が開始されてから、この道は分断され、この道路をほとんど利用しなくなり、この道沿いのハナミズキのことも忘れていました。
数日前に、ふと、このハナミズキのことを思い出し、4月9日取材してきました。
#01、ハナミズキ・ロード終点(Google Mapストリートビューより)
ハナミズキ・ロードとは、私が勝手に付けた名前です。この道路は、JR総武線の約300m南側を総武線と平行に東西に走っている道路です。一方通行の狭い道ですが、直線的に約1.6kmも続いている道路です。
※進入禁止の標識より画面奥(西方向)へ進行して取材しました。
#02~05、ハナミズキ①(きたろう散歩)
#01地点から約400m進んだところにあるハナミズキ。あるマンションの南側に6~7本並んで植えてあります。
ハナミズキは、桜に続いて咲きだす花で、桜に比べると地味な色合いですが、ハナミズキのファンだという方は結構いらっしゃいます。
#06、東京外環自動車道
ハナミズキ①からさらに西へ350m進んだところ。東京外環自動車道を渡る歩道橋上から北方向を望む。ハナミズキ・ロードは外環自動車道で分断されため、この道はめったに利用しなくなりました。
※画面奥の高架はJR総武線です。
#07~09、ハナミズキ②(きたろう散歩)
外環自動車道からさらに西へ約300m進んだところ。
一青窈さんが歌っている「薄紅色の・・・」のハナミズキは、このハナミズキですね。
#10、新田南公園前から西方を望む(Google Mapストリートビューより)
薄紅色のハナミズキの咲いていたところからさらに300m西に来たところ。新田南公園の前です。
この先500mでハナミズキロードは終わります。
#11~13、新田南公園の藤(きたろう散歩)
公園内に藤棚があり藤が咲いていました。
藤は4月下旬からと思っているので、ちょっといつもより早いような気がしますが・・・
この地点から、さらに西方へ進むとまだまだ、木に咲く花(木蓮等)が見られますが、大分時間が経過してしまったので、ここで打ち切りとしました。
久しぶりに、ハナミズキの花に接し、すがすがしい気持ちになりました。
END
桜探訪記(Ⅰ)江戸川区篠崎 [きたろう散歩]
一昨日、通っているジムのそばの桜の開花状況をみましたが、まだ、6分咲きほどでした。
都内は、すでに満開というニュースが流れているので、昨日江戸区の桜を求めて江戸川を渡りました。
目的地は江戸川区の都立篠崎公園です。事前に調べたら、駐車場が、緊急事態宣言が解除されたにも関わらず閉鎖されていたので、自転車で行くことにしました
#01、江戸川水閘門(水門部分)(きたろう散歩)
江戸川水閘門とは、江戸川が江戸川放水路と旧江戸川に分岐した直ぐ下流の旧江戸川に設置された施設(水門+閘門)です。この写真は、本施設を千葉県(市川)側から見た水門部分です。
一般の、車両、バイクは通行禁止です(自転車は可)。
#02、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
この写真は、江戸川水閘門の閘門部分、今立っている所の直ぐ後ろに水門があり、それを閉じて水面の高さの調整をやっているところです。見えているボートは、閘門通過のためここで待機しているところです。
向かって右の岸は江戸川区です。
#03、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#02の画面右側と#03が、江戸川区の領域ですが、開花上京は6分程と推定されました。やはり、この辺りは、東京都心よりも開花の進行は遅いようです。
#04、コロナ関連の注意書き
ここは、公園として整備された場所ではなさそうですが、花見時期は人が集まるようで、「コロナ感染拡大の注意書き」が掲げられていました。
#05、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#06、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#07、江戸川水閘門脇の桜
この後、次の目的地に向かいました
#08、篠崎ポニーランド
次の目的地への途中・・・ポニーランドは営業していました。
#09、篠崎公園駐車場
ネットの情報どおり、駐車場は閉鎖されていました。
#10、篠崎公園入口
篠崎公園にやって来ました。やはり「コロナ感染防止の注意書き」が掲げられていました。
#11、篠崎公園の桜
わたしに○○分咲きと判断する能力はありませんが、一応篠崎公園の桜(よめいよしの)は6分咲きということにします
#12、篠崎公園の桜
この辺は、3~4分しか咲いていないようです。
江戸川区の桜の開花は、都心より進行が遅いようです。
#13、篠崎公園の桜・クローズアップ(きたろう散歩)
#14、篠崎公園の桜・クローズアップ(きたろう散歩)
#15、篠崎公園の桜・クローズアップ(きたろう散歩)
#16、篠崎公園の桜・クローズアップ(きたろう散歩)
#17、篠崎公園東に咲くオオシマザクラ(きたろう散歩)
以上#16まで、江戸川水閘門の桜を含め桜の品種は染井吉野でした。この写真は、公園東部分に咲いているオオシマザクラですがほぼ満開でした。
しかし、遠目で見ると、白~緑に見え地味なのでこの写真のみの掲載とします
#18、公園内点描(紙芝居)
公園に紙芝居が来ていました。ずいぶん、久しぶりに紙芝居屋さんを見ました(恐らく40年振り位)。まだ、存続していたんですね(@_@)
#19、公園内点描(おでん屋さん)
同様、屋台のおでん屋さんを見るのは、20年振り位と思われます。
この日は、車が使えず、自転車で取材しましたが、風が強く、大変こぎずらく、疲れました(-_-;)
しかし、晴れていて、桜のきれいな写真が撮れて良かったです(^O^)/
END
都内は、すでに満開というニュースが流れているので、昨日江戸区の桜を求めて江戸川を渡りました。
目的地は江戸川区の都立篠崎公園です。事前に調べたら、駐車場が、緊急事態宣言が解除されたにも関わらず閉鎖されていたので、自転車で行くことにしました
#01、江戸川水閘門(水門部分)(きたろう散歩)
江戸川水閘門とは、江戸川が江戸川放水路と旧江戸川に分岐した直ぐ下流の旧江戸川に設置された施設(水門+閘門)です。この写真は、本施設を千葉県(市川)側から見た水門部分です。
一般の、車両、バイクは通行禁止です(自転車は可)。
#02、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
この写真は、江戸川水閘門の閘門部分、今立っている所の直ぐ後ろに水門があり、それを閉じて水面の高さの調整をやっているところです。見えているボートは、閘門通過のためここで待機しているところです。
向かって右の岸は江戸川区です。
#03、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#02の画面右側と#03が、江戸川区の領域ですが、開花上京は6分程と推定されました。やはり、この辺りは、東京都心よりも開花の進行は遅いようです。
#04、コロナ関連の注意書き
ここは、公園として整備された場所ではなさそうですが、花見時期は人が集まるようで、「コロナ感染拡大の注意書き」が掲げられていました。
#05、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#06、江戸川水閘門脇の桜(きたろう散歩)
#07、江戸川水閘門脇の桜
この後、次の目的地に向かいました
#08、篠崎ポニーランド
次の目的地への途中・・・ポニーランドは営業していました。
#09、篠崎公園駐車場
ネットの情報どおり、駐車場は閉鎖されていました。
#10、篠崎公園入口
篠崎公園にやって来ました。やはり「コロナ感染防止の注意書き」が掲げられていました。
#11、篠崎公園の桜
わたしに○○分咲きと判断する能力はありませんが、一応篠崎公園の桜(よめいよしの)は6分咲きということにします
さだまさし市川市ゆかりの地の探索Ⅳ(寺川邸・続) [きたろう散歩]
お久しぶりです。また「さだまさし」シリーズに戻ります。
前回『さだまさし市川市ゆかりの地の探索Ⅲ(寺川邸・下)』では、自分のオリジナル写真または手持ちの写真集のなかで、雅志君が高校時代に下宿をしていた寺川邸の在りし日の写真を探しましたが結局見つかりませんでした。
今回は、図書館に収蔵されている市川の町並みが写っている写真集や航空写真集を調べることにしました。
その前に、まず、国土地理院のホームページの航空写真を調べました。
#01、市川市菅野2丁目(寺川邸)付近の航空写真(1976年)
雅志君が寺川邸に下宿していたのは1967から1972年( 昭和42年〜昭和47年)なのでこの航空写真が撮られた1976年は、市川市内の別の場所(市川市新田1丁目)に住んでいました。寺川邸の母屋と離れの位置関係等は、さださんの著書の記述から推定しました。
次に、図書館のリファレンスの係の方に、市川の写真集や千葉県の航空写真集等を4、5冊教えてもらい、寺川邸の写真を探しました。その結果、千葉県の各地を写した写真集の中に寺川邸が写っているのがありました。
#02、市川市本八幡・菅野地区の航空写真
「空から千葉県」(航空写真集) (1987年)より引用
市川市本八幡上空から本八幡と菅野地区の広域を写した航空写真ですが、寺川邸は豆粒程にしか写っていません。
この写真の白枠線部分を拡大したものを#03で示しました。
#03、市川市日出学園&寺川邸近辺の航空写真
「空から千葉県」(航空写真集) (1987年)より引用
画像がぼやけない程度に拡大しましたが、菅野台ハイツの2棟ははっきり認識できました。しかし、寺川邸の母屋や離れは、はっきりと認識は出来ませんでした。
結局、図書館所蔵の写真集の中に寺川邸の遠望写真はありましたが、近接写真は見当たらず、もやもやした気分のまま、寺川邸の写真の探索を終了しました。
そこで、気分を変えて、雅志君が寺川邸に下宿していた、1967から1972年( 昭和42年〜昭和47年)当時の寺川邸の近隣の写真を探しました。寺川邸のある市川の菅野といえば黒松が林立する高級住宅街というイメージです。この黒松が林立するイメージは菅野から西に新田、真間へと続いています。
このイメージにぴったりの写真が、手持ちの写真集の中にありました。
#04、市川市新田から菅野にかけての黒松の様子(昭和48年)
「市川市史写真図録(この街に生きる、暮らす)」より引用
この写真は、昭和48年、市川市新田5丁目から寺川邸のある菅野2丁目の方を俯瞰撮影したものです。黒松と住宅が共存している様子が良くわかります。寺川邸のある菅野2丁目は撮影地点から約700m先でぼんやりとかすんでいますが、私の記憶では、当時、この写真の手前の新田から奥の菅野2丁目まで連続的に同じような雰囲気の町並みだったと思います。寺川邸のある菅野2丁目の町並みの雰囲気をこの写真で感じて頂きたいと思います。
昭和48年という年は、さださんは前年(昭和47年)、吉田正美と長崎でグレープとしてデビューし、昭和48年の9月まで長崎で暮らしていました。昭和48年9月に、プロデビューのため再上京した年にあたります。
この写真の写っている範囲を#05に掲載しました。
#05、「市川新田から菅野にかけての黒松の様子」撮影範囲(地図)
#04の写っている範囲は、京成線市川真間駅から京成菅野駅の沿線及びその北側100~500mの範囲で、かつて東京の老舗の商家や会社社長の別邸などが多数ありました。寺川邸も、元々、木場の老舗の材木問屋の別荘兼寮だったもので、それをさださんが下宿していたときのお爺さんの代から住みはじめたものです。
そのいきさつについては、さだまさし著作の「ちゃんぽん食べたかっ!」から抜粋して下記に示しました。
寺川邸は、航空写真の真上からの写真と斜め上からの遠望写真しか発見できず、その存在は確認できましたが、どんな家だったのかという実在感は得らず残念な気分で、寺川邸の写真の探索は終了しました。
****************************************
次回は、寺川邸の敷地に外環自動車道が通った現状を、実写真とGoogle Mapのストリートビューで紹介致します。
寺川邸の跡地をストリートビューで探索しているときに、思いがけない大発見がありました。
それは、次回お話させていただきます。
<続く>
引用文献
1)「空から千葉県」(航空写真集)昭和62年(1987)10月28日発行、出版社:千葉日報社
2)市川市史写真図録(この街に生きる、暮らす)・・平成26年(2014)11月3日発行(市川市文化国際部文化振興課発行)
3)「ちゃんぽん食べたかっ!」さだまさし著、2015年5月30日発行、NHK出版
今回は、図書館に収蔵されている市川の町並みが写っている写真集や航空写真集を調べることにしました。
その前に、まず、国土地理院のホームページの航空写真を調べました。
#01、市川市菅野2丁目(寺川邸)付近の航空写真(1976年)
雅志君が寺川邸に下宿していたのは1967から1972年( 昭和42年〜昭和47年)なのでこの航空写真が撮られた1976年は、市川市内の別の場所(市川市新田1丁目)に住んでいました。寺川邸の母屋と離れの位置関係等は、さださんの著書の記述から推定しました。
次に、図書館のリファレンスの係の方に、市川の写真集や千葉県の航空写真集等を4、5冊教えてもらい、寺川邸の写真を探しました。その結果、千葉県の各地を写した写真集の中に寺川邸が写っているのがありました。
#02、市川市本八幡・菅野地区の航空写真
「空から千葉県」(航空写真集) (1987年)より引用
市川市本八幡上空から本八幡と菅野地区の広域を写した航空写真ですが、寺川邸は豆粒程にしか写っていません。
この写真の白枠線部分を拡大したものを#03で示しました。
#03、市川市日出学園&寺川邸近辺の航空写真
「空から千葉県」(航空写真集) (1987年)より引用
画像がぼやけない程度に拡大しましたが、菅野台ハイツの2棟ははっきり認識できました。しかし、寺川邸の母屋や離れは、はっきりと認識は出来ませんでした。
結局、図書館所蔵の写真集の中に寺川邸の遠望写真はありましたが、近接写真は見当たらず、もやもやした気分のまま、寺川邸の写真の探索を終了しました。
そこで、気分を変えて、雅志君が寺川邸に下宿していた、1967から1972年( 昭和42年〜昭和47年)当時の寺川邸の近隣の写真を探しました。寺川邸のある市川の菅野といえば黒松が林立する高級住宅街というイメージです。この黒松が林立するイメージは菅野から西に新田、真間へと続いています。
このイメージにぴったりの写真が、手持ちの写真集の中にありました。
#04、市川市新田から菅野にかけての黒松の様子(昭和48年)
「市川市史写真図録(この街に生きる、暮らす)」より引用
この写真は、昭和48年、市川市新田5丁目から寺川邸のある菅野2丁目の方を俯瞰撮影したものです。黒松と住宅が共存している様子が良くわかります。寺川邸のある菅野2丁目は撮影地点から約700m先でぼんやりとかすんでいますが、私の記憶では、当時、この写真の手前の新田から奥の菅野2丁目まで連続的に同じような雰囲気の町並みだったと思います。寺川邸のある菅野2丁目の町並みの雰囲気をこの写真で感じて頂きたいと思います。
昭和48年という年は、さださんは前年(昭和47年)、吉田正美と長崎でグレープとしてデビューし、昭和48年の9月まで長崎で暮らしていました。昭和48年9月に、プロデビューのため再上京した年にあたります。
この写真の写っている範囲を#05に掲載しました。
#05、「市川新田から菅野にかけての黒松の様子」撮影範囲(地図)
#04の写っている範囲は、京成線市川真間駅から京成菅野駅の沿線及びその北側100~500mの範囲で、かつて東京の老舗の商家や会社社長の別邸などが多数ありました。寺川邸も、元々、木場の老舗の材木問屋の別荘兼寮だったもので、それをさださんが下宿していたときのお爺さんの代から住みはじめたものです。
そのいきさつについては、さだまさし著作の「ちゃんぽん食べたかっ!」から抜粋して下記に示しました。
「ちゃんぽん食べたかっ!」(第1章 中学生放浪記 P56)より抜粋 『寺川家は代々、木場の老舗の材木問屋の番頭を務めていたのだそうだ。僕が引っ越した時には既に亡くなっていたが、この家のおじいさんが引退する時の「退職金代わり」にその材木屋の主人が別荘として持っていた「寮」をそっくり贈ったというのだから、昔の金持ちの気っぷの良さには驚いてしまう。』
寺川邸は、航空写真の真上からの写真と斜め上からの遠望写真しか発見できず、その存在は確認できましたが、どんな家だったのかという実在感は得らず残念な気分で、寺川邸の写真の探索は終了しました。
****************************************
次回は、寺川邸の敷地に外環自動車道が通った現状を、実写真とGoogle Mapのストリートビューで紹介致します。
寺川邸の跡地をストリートビューで探索しているときに、思いがけない大発見がありました。
それは、次回お話させていただきます。
<続く>
引用文献
1)「空から千葉県」(航空写真集)昭和62年(1987)10月28日発行、出版社:千葉日報社
2)市川市史写真図録(この街に生きる、暮らす)・・平成26年(2014)11月3日発行(市川市文化国際部文化振興課発行)
3)「ちゃんぽん食べたかっ!」さだまさし著、2015年5月30日発行、NHK出版