さだまさしミュージアム見学記Ⅳ(完)(木内ギャラリーの見学) [イベント情報]
2015/7/15(水) 取材
さだまさしミュージアムは、二つの会場で開催されています。先日、芳澤ガーデンギャラリーでの展示の様子について報告いたしました。
今回は、木内ギャラリーでの展示について報告いたします。
#01、さだまさしさん
※この写真はネットから転載したもので、さだまさしミュージアムとは関係ありません。
#02、木内ギャラリー(東側面)
#03、木内ギャラリー(西側面)
#04、木内ギャラリー・玄関
さだまさしミュージアムの全体(芳澤ガーデンギャラリー&木内ギャラリー)と、木内ギャラリー固有の展示内容のご案内(ちらし裏面より転載)
さだまさしミュージアム《映画館》詳細案内(館内案内パネルより転載)
#05、你好!中国ダイジェスト版上映時間
※但し、この写真は芳澤ガーデンギャラリーで撮影したものです。
当日、10時40分頃入館しましたが、さだまさし監督作品「你好!中国」の①が始まっていたので、即それを視聴しました。
#06、さだまさしの映画「你好!中国 ① 青春ああ青春(31分)」イメージ
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画、「你好!中国 ① 青春ああ青春」は途中から見ましたが、「京劇」及び「中国雑技団」に所属する、若者を取材したものです。後半・見た範囲内では、若者が自分の演技を練習する風景が主でした。
トップスターになれるのは、所属する若者のうちのほんの一握りだけですが、トップスターをめざし、日々の練習する姿を描いたドキュメンタリーです。
彼らに要求される、体のしなやかさは20歳がピークで、それ以降は下降の一途をたどります。それまでにトップスターにならなかった者は、20歳前後で引退を余儀なくされます。
20歳を過ぎてもまだ脇役を演じているある若者の悩みにもスポットが当てられていました。
#07、廊下には、さださんが監督&出演した映画のポスターの数々が展示されていました。
#08、さだまさし「音楽館」展示室
旧木内邸で「書斎」だった部屋。
さだまさし音楽館案内パネル(文章)
#09、展示されていたジュークボックス(同型機)
※本写真は、展示ジュークボックスと同型機の写真をネット上から転載したもので、展示ジュークボックスの写真ではありません。
#10、同上拡大写真
映画①の終了後、次の映画が始まるまで、ジュークボックスで、自分で選んだ曲及び他のお客様が選んだ曲を聞きました。
最近、出回っているジュークボックスは、音源にCDを使った復刻品がほとんどですが、展示してあったものは、アナログレコード使用の貴重な本物でした。しかも、使用レコードは昔懐かしいドーナツ盤でした。
次の曲を聞きました。
交響楽/北の国から/雨宿り(ライブ版)/虹がかかったら/案山子/檸檬/道化師のソネット
※ジュークボックス使用料は無料です。
#11、旧木内邸「ベランダ」部分の展示
映画プログラム②が始まったので、それを見ました。
#12、さだまさしの映画「你好!中国 ②不思議国の田園(31分)」(イメージ)
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画の主なシーンを列挙すると:田園風景/川での洗濯風景/ハスの実の収穫・ミカンの収穫風景/赤ちゃん御七夜の行事/農家の結婚式風景等・・・
#13、廊下の展示
映画②終了後、また、ジュークボックスで曲を聞きました。
とてもちいさなまち/生々流転/北の国から/春女苑/無縁坂/精霊流し/交響楽/カーテンコール
#14、さだまさしの映画「你好!中国 ③古都・成都 (34分)」(イメージ)
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画の主なシーン:野生のパンダ探し/成都の街並/機織りの様子/動物園・パンダ/成都市内のある一家の生活(取材)/さださんが市場で買い物(食糧品)/大衆大食堂/喫茶店
#15、木内ギャラリー北西側から撮影
映画プログラム④の視聴は割愛しました。
この日は、平日にもかかわらず、40歳以上の女性を中心に、結構賑わいました。
きたろうは、10時40分から、約3時間30分、木内ギャラリーに滞在しましたが、映画を見て、音楽を聞いて・・・と、さだまさしの世界にどっぷり漬かりました。
さだまさしミュージアムの(シリーズ)レポートはこれで終了です。
本展示会の会期は7月26日(日)迄です。お時間のある方、ご覧になっては如何でしょうか?
(入館料:一般500円(2館で)、65歳以上400円)
END
さだまさしミュージアムは、二つの会場で開催されています。先日、芳澤ガーデンギャラリーでの展示の様子について報告いたしました。
今回は、木内ギャラリーでの展示について報告いたします。
#01、さだまさしさん
※この写真はネットから転載したもので、さだまさしミュージアムとは関係ありません。
#02、木内ギャラリー(東側面)
#03、木内ギャラリー(西側面)
#04、木内ギャラリー・玄関
さだまさしミュージアムの全体(芳澤ガーデンギャラリー&木内ギャラリー)と、木内ギャラリー固有の展示内容のご案内(ちらし裏面より転載)
※きたろう注)木内ギャラリーでは、5つの展示コーナーの内、「映画館」、「音楽館」を展示しています。●さだまさしミユージアム国民的アーティストとして活躍するさだまさしは、中学入学と同時にヴァイオリン修行のため単身上京し、東京葛飾での下宿生活を経て、中学3年生からの約20年間を市川市で過ごしました.青春の思い出の地市川は、まさに長崎に次ぐ第二の故郷であり、シンガー・ソングライターとしての出発点であるといっても過言ではないでしょう。本展では、歌手、小説家、パーソナリティー…といった多方面にわたる活躍のようすを《写真館》《美術館》《文学舘》《映画館》《音楽館》という5つのコーナーに分けて紹介いたします。【芳澤ガーデンギャラリー】では、本人直筆の譜面・・・・<中略>・・・【木内ギャラリー】では映画資料やポスター、レコードジャケットを展示。監督作品「長江」のフィルムから制作されたドキュメンタリー番組「你好!中国」の上映や「さだまさし・ジュークボックス」によるレコード演奏も楽しめます。さだまさしの歌や小説に導かれながら、市川の街を散策されてはいかがでしょうか。
さだまさしミュージアム《映画館》詳細案内(館内案内パネルより転載)
※きたろう注)この映画の制作で、さださんは数十億円という莫大な借金を負うことになりましたが、この点は全く触れられていませんでした。さだまさしさんの祖父佐田繁治さんは、島根県浜田市の豪農の家に育ち、若槻礼次郎内閣の時には商工大臣秘書官を務めた人物です。戦前中国に渡り、当時、島根の実家に宛てた手紙には「四川に日本人は私一人です」と書かれていました。中学2年生の時にこの手紙を見たさださんは、その筆跡が自分の字によく似ていることに驚きました。 この経験こそが、中国大陸に強<憧れるきっかけとなったのです。27歳の時、「長江の最初のー滴が見たい」という一途な思いから、ドキュメンタリー映画「長江」が制作されました。現地の事情により最初の一滴に辿り着くことは叶いませんでしたが、約35年前、世界で初めて長江流域を撮影した映像は、今では大変貴重な資料となっています。【さだまさし映画館】では、長江流域の歴史や文化を訪ね、ほとりに暮らす人びとを収めたドキュメント作品「你好!中国」を、今回再編集し上映するとともに、中国で撮影された貴重な写真も展示しています。市川にゆかりのある郭沫若の書を見上げるさださんの姿も必見です。
#05、你好!中国ダイジェスト版上映時間
※但し、この写真は芳澤ガーデンギャラリーで撮影したものです。
当日、10時40分頃入館しましたが、さだまさし監督作品「你好!中国」の①が始まっていたので、即それを視聴しました。
#06、さだまさしの映画「你好!中国 ① 青春ああ青春(31分)」イメージ
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画、「你好!中国 ① 青春ああ青春」は途中から見ましたが、「京劇」及び「中国雑技団」に所属する、若者を取材したものです。後半・見た範囲内では、若者が自分の演技を練習する風景が主でした。
トップスターになれるのは、所属する若者のうちのほんの一握りだけですが、トップスターをめざし、日々の練習する姿を描いたドキュメンタリーです。
彼らに要求される、体のしなやかさは20歳がピークで、それ以降は下降の一途をたどります。それまでにトップスターにならなかった者は、20歳前後で引退を余儀なくされます。
20歳を過ぎてもまだ脇役を演じているある若者の悩みにもスポットが当てられていました。
#07、廊下には、さださんが監督&出演した映画のポスターの数々が展示されていました。
#08、さだまさし「音楽館」展示室
旧木内邸で「書斎」だった部屋。
さだまさし音楽館案内パネル(文章)
1972年(昭和47年)、故郷長崎で、高校時代の音楽仲間吉田政美さんとフォークデュオ「グレープ」が結成されました.翌年には上京し、初のシングル「雪の朝」でプロデヒューを果たします。2作目の「精霊流し」が大ヒットするとグレープは時代の寵児となりますが、さださんが体調を崩したことにより、惜しまれながら3年間の活動に終止符を打ちました。1976年(昭和51年)にソロでデビューしてからは「雨やどり」「関白宣言」「親父の一番長い日」などヒット曲を連発し、ドラマ「北の国から」の音楽を担当したことにより、国民的なアーティストとして広く認められるようになります。2012~2013年にデビュー40周年記念コンサートを開催、2013年夏にはソロコンサート4000回という前人未到の記録を打ち立てました。その軽妙な語り口により、幅広いファンを持つことも世間によく知られています。【さだまさし音楽館】では、歌謡大賞のトロフィーや直筆の楽譜、歌詞といった貴重な資料と、レコードジャケット等を展示しています。豊富なレコードを内蔵した「さだまさしジュークボックス」によるBGMも是非お楽しみください。
#09、展示されていたジュークボックス(同型機)
※本写真は、展示ジュークボックスと同型機の写真をネット上から転載したもので、展示ジュークボックスの写真ではありません。
#10、同上拡大写真
映画①の終了後、次の映画が始まるまで、ジュークボックスで、自分で選んだ曲及び他のお客様が選んだ曲を聞きました。
最近、出回っているジュークボックスは、音源にCDを使った復刻品がほとんどですが、展示してあったものは、アナログレコード使用の貴重な本物でした。しかも、使用レコードは昔懐かしいドーナツ盤でした。
次の曲を聞きました。
交響楽/北の国から/雨宿り(ライブ版)/虹がかかったら/案山子/檸檬/道化師のソネット
※ジュークボックス使用料は無料です。
#11、旧木内邸「ベランダ」部分の展示
映画プログラム②が始まったので、それを見ました。
#12、さだまさしの映画「你好!中国 ②不思議国の田園(31分)」(イメージ)
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画の主なシーンを列挙すると:田園風景/川での洗濯風景/ハスの実の収穫・ミカンの収穫風景/赤ちゃん御七夜の行事/農家の結婚式風景等・・・
#13、廊下の展示
映画②終了後、また、ジュークボックスで曲を聞きました。
とてもちいさなまち/生々流転/北の国から/春女苑/無縁坂/精霊流し/交響楽/カーテンコール
#14、さだまさしの映画「你好!中国 ③古都・成都 (34分)」(イメージ)
※本写真は、ネットからの転載で、本映画の一シーンではありません。
映画の主なシーン:野生のパンダ探し/成都の街並/機織りの様子/動物園・パンダ/成都市内のある一家の生活(取材)/さださんが市場で買い物(食糧品)/大衆大食堂/喫茶店
#15、木内ギャラリー北西側から撮影
映画プログラム④の視聴は割愛しました。
この日は、平日にもかかわらず、40歳以上の女性を中心に、結構賑わいました。
きたろうは、10時40分から、約3時間30分、木内ギャラリーに滞在しましたが、映画を見て、音楽を聞いて・・・と、さだまさしの世界にどっぷり漬かりました。
さだまさしミュージアムの(シリーズ)レポートはこれで終了です。
本展示会の会期は7月26日(日)迄です。お時間のある方、ご覧になっては如何でしょうか?
(入館料:一般500円(2館で)、65歳以上400円)
END
さだまさしミュージアム見学記Ⅲ(さだまさしさん市川のゆかりの場所の探訪) [エンターテーメント]
さだまさしミュージアムへの入場者には、#01の「さだまさしゆかりの市川マップ」が配布されます(芳澤ガーデンギャラリー&木内ギャラリーで)。
#01、「さだまさしゆかりの市川マップ」
前回の小郷畳店探訪に引き続き、さださんの市川ゆかりの場所を訪問しようと思いました。
この絵地図では、表示されている道路は大雑把で、この絵だけでは、正確な場所は分からないので、まずネットで調べました。
ゆかりの場所として、示されている場所のうち平川荘、寺川邸、新田の家、スナックPAM、居酒屋おざわ、亀田屋質店、石乃湯について調べました。
寺川邸、新田の家、スナックPAM、居酒屋おざわについてはなんの手掛かりも得られませんでした。
亀田屋質店と石乃湯は正確な住所までわかりました。平川荘は、現在は取り壊されて無いとのことでしたが、国分2丁目○○番であることがわかりました。
#02、さだまさし市川ゆかりの場所・探訪場所の選定
情報が得られたこの3箇所を探訪し、生写真を撮影しようと機会を伺っていましたが、用事があったり、雨だったりで、なかなか実現出来ませんでした。
7月8日完全OFFで朝雨が降っていなかったので、取材に出かけました。
#03、亀田屋質店・全景
自転車で家を出たとたんに、雨が降って来ました。結構本格的な降りにになって来ました。
#04、亀田屋質店入口
亀田屋質店、この日は定休日でした。
さださんは、高校3年で、ヴァイオリンの道を断念し、音大ではなく一般の大学へ進学しました。ヴァイオリンを断念したことで、親からの仕送りを断ったのは良いが、全く金がなくなり、食いつなぐため、泣く泣くヴァイオリンを質に入れた。その質店が、亀田屋質店です。
※亀田屋質店住所:市川市真間3丁目10-5
次に、石乃湯ですが、ここは飛ばし、先に平川荘(跡)を訪れることにしました。
#05、平川荘(跡地)へのバス通りからの曲がり角
調べた住所と、配布された地図から、平川荘(跡地)へのバス通りからの曲がり角を推定しました。
#06、この坂を上がった所が平川荘(跡地)らしい
#07、平川荘(跡地)
平川荘(跡地)の住所と、配布されたマップのイラストからみて、ここが平川荘(跡地)ときたろうは推定しました。
さださんにとって平川荘は、さださんがほぼ大学時代を過ごしたアパートで、赤貧のアルバイト生活からグレープとしてデビューした時、精霊流しがヒットした時を過ごした、特に感慨深いアパートだそうです。
※平川荘(跡地)住所:市川市国分2丁目○○(現在は個人宅なので詳しい住所は伏せます)
#08、平川荘(跡地)から東方の眺望
#07の写真の右の坂を上った所から、振り返って東方を撮影したものです。
この写真を撮影しているとき、ひとりのご婦人が通りかかり、きたろうを訝しげに見ていました。ここを撮影している道は袋小路だし、雨の中、個人の家の写真を撮っていたので、きたろうが怪しい人間に思われたようです。
#09、下総国分寺
平川荘(跡地)の傍には、下総国分寺があります。
次に、ここから戻って、石乃湯に向かいました。
#10、石乃湯全景
石乃湯は、平川荘のそばで、さださんが良く訪れた銭湯です。
※石乃湯住所:市川市国分2丁目2-21
この時間なのに(2時58分)開店しそうな雰囲気ではない。
#11、石乃湯・西側側面
石乃湯の西側面を観察したが、やはり営業している雰囲気はなかった。
この日の取材は、これで終了、家に帰り、現在、石乃湯が営業しているのかどうかをネットで調べたが、今一、はっきりしませんでした。
(続く)
次回は、さだまさしミュージアが開催されているもう一つの会場の木内ギャラリーを取材し結果を報告したいと思います。
#01、「さだまさしゆかりの市川マップ」
前回の小郷畳店探訪に引き続き、さださんの市川ゆかりの場所を訪問しようと思いました。
この絵地図では、表示されている道路は大雑把で、この絵だけでは、正確な場所は分からないので、まずネットで調べました。
ゆかりの場所として、示されている場所のうち平川荘、寺川邸、新田の家、スナックPAM、居酒屋おざわ、亀田屋質店、石乃湯について調べました。
寺川邸、新田の家、スナックPAM、居酒屋おざわについてはなんの手掛かりも得られませんでした。
亀田屋質店と石乃湯は正確な住所までわかりました。平川荘は、現在は取り壊されて無いとのことでしたが、国分2丁目○○番であることがわかりました。
#02、さだまさし市川ゆかりの場所・探訪場所の選定
情報が得られたこの3箇所を探訪し、生写真を撮影しようと機会を伺っていましたが、用事があったり、雨だったりで、なかなか実現出来ませんでした。
7月8日完全OFFで朝雨が降っていなかったので、取材に出かけました。
#03、亀田屋質店・全景
自転車で家を出たとたんに、雨が降って来ました。結構本格的な降りにになって来ました。
#04、亀田屋質店入口
亀田屋質店、この日は定休日でした。
さださんは、高校3年で、ヴァイオリンの道を断念し、音大ではなく一般の大学へ進学しました。ヴァイオリンを断念したことで、親からの仕送りを断ったのは良いが、全く金がなくなり、食いつなぐため、泣く泣くヴァイオリンを質に入れた。その質店が、亀田屋質店です。
※亀田屋質店住所:市川市真間3丁目10-5
次に、石乃湯ですが、ここは飛ばし、先に平川荘(跡)を訪れることにしました。
#05、平川荘(跡地)へのバス通りからの曲がり角
調べた住所と、配布された地図から、平川荘(跡地)へのバス通りからの曲がり角を推定しました。
#06、この坂を上がった所が平川荘(跡地)らしい
#07、平川荘(跡地)
平川荘(跡地)の住所と、配布されたマップのイラストからみて、ここが平川荘(跡地)ときたろうは推定しました。
さださんにとって平川荘は、さださんがほぼ大学時代を過ごしたアパートで、赤貧のアルバイト生活からグレープとしてデビューした時、精霊流しがヒットした時を過ごした、特に感慨深いアパートだそうです。
※平川荘(跡地)住所:市川市国分2丁目○○(現在は個人宅なので詳しい住所は伏せます)
#08、平川荘(跡地)から東方の眺望
#07の写真の右の坂を上った所から、振り返って東方を撮影したものです。
この写真を撮影しているとき、ひとりのご婦人が通りかかり、きたろうを訝しげに見ていました。ここを撮影している道は袋小路だし、雨の中、個人の家の写真を撮っていたので、きたろうが怪しい人間に思われたようです。
#09、下総国分寺
平川荘(跡地)の傍には、下総国分寺があります。
次に、ここから戻って、石乃湯に向かいました。
#10、石乃湯全景
石乃湯は、平川荘のそばで、さださんが良く訪れた銭湯です。
※石乃湯住所:市川市国分2丁目2-21
この時間なのに(2時58分)開店しそうな雰囲気ではない。
#11、石乃湯・西側側面
石乃湯の西側面を観察したが、やはり営業している雰囲気はなかった。
この日の取材は、これで終了、家に帰り、現在、石乃湯が営業しているのかどうかをネットで調べたが、今一、はっきりしませんでした。
(続く)
次回は、さだまさしミュージアが開催されているもう一つの会場の木内ギャラリーを取材し結果を報告したいと思います。
さだまさしミュージアム見学記Ⅱ(佐田玲子さんトークショー)(さだまさしⅡ)
2015/6/28(日) 取材
2015/7/10 アップ
さだまさしミュージアム見学記、前回からの続きです。
#20、佐田玲子さんギャラリートーク告知
※「さだまさしミュージアム」チラシの裏面より
「さだまさしミュージアム」の一番奥の部屋の展示を見ていたら、左程広くないロビーが騒がしくなってきました。
佐田玲子さんのトークショーの時間がせまって来たので、聴衆が集まり始めました。椅子席は予約した方用で、ここは始まる直前にくれば良いせいか、まだ空席が目立ちました。椅子席の抽選に外れた方が立ち見の場所を確保するため集まってきました(きたろうも抽選にはずれた)。ロビーは広い廊下といった形状なのでなるべく前の良い席を確保したいと30分も前から集まり始めました。
この会場でギャラリートークを過去にも聞いていますが、ここは美術館なので、画家に関するトークだったせいか、きわめて静かなものでした。
今回は、現役の人気歌手に関する、しかも、本人の実の妹のトークショーということもあって、熱気がありました。
いよいよ、トークショーが始まりました。
きたろうが展示を見ていた奥の部屋の出入口は、トークショーのステージの裏になっています。トークショーの開始時間前に聴衆が集まって来てしまったので、奥の部屋から、客席に移動しそびれてしまい、ステージの裏から聴くことにしました。
佐田玲子さんは、TBSラジオの火曜の朝の放送に登場するのを、きたろうはほとんどいつも聞いてました。
きたろうは佐田玲子さんをフリーアナンサーと思っていました。また、佐田玲子さんが、さだまさしの妹というのも知りませんでした。今回、佐田玲子さんは、さだまさしの妹で、歌手でラジオのパーソナリティもやっていると言うのをはじめて知りました。
#21、佐田玲子さん近影
さて、トークショーでの話をかいつまんで、お伝えします。
さだまさしさんと佐田玲子さんは、5つ違いで、玲子さんが幼い頃はまさしさんは良くヴァイオリンの練習をしていたという記憶がある。NHKのドラマでは、幼い頃に一家で食事をしているシーンがありましたが、実際は、父親は、金策でほとんど家にいなかったので、ああいうシーンはなかった。実際の父は、ドラマの遠藤憲一さんのような「コワモテ」ではなく、いつも、にこにこしている、やさしい感じだったとのこと。
その後、玲子さんが、8歳の時に、まさしさんは、東京(注)に行ってしまい、それ以来、別れて暮らすことになった。玲子さんが、中2の時に、まさしさんを訪ねて、一人で上京したのが、玲子さんの最初の一人旅だったこと。
注)中学の時上京し最初に葛飾区に住んだ。市川へは、高校入学と同時に移った。
その後、まさしさんの曲がヒットした頃、玲子さんは、絵の勉強で美大に入学しようとしていた時に、まさしさんが音楽事務所を立ち上げるので、そこを手伝うことになり、絵の道は断念したこと。
さらに、その後、ヒットが続き、市川の新田の家で、家族全員で暮らすことが出来たことなどをお話してくださいました。
#22、ギャラリートーク会場(芳澤ガーデンギャラリー・ロビー)
※但し、トークショー終了・ステージ撤去・椅子片付け後の撮影です。
まさしさんは新田の家で夜に作曲をやっていたので、この時、家族は物音を立てないように静かにしていたこと。
曲が出来上がったときは、深夜にもかかわらず、まさしさんが二階から「みなさ~ん、曲が出来ました~」と言いながら降りて来て、その曲を家族に聞かせたこと。
私がモデルのような曲が数曲存在すること(具体的な曲名は聞き漏らした)などをお話してくれました。
それから、お母様の話をしました。お母様は、すごい貧乏だったけど、明るい人で、たとえば、米がまったくなくなると、「あらー、お米がないわ~~」と明るく笑い飛ばしていたとのこと。
貧乏にもかかわらず、着る物はファッショナブルであったこと。
借金取りが、毎日押しかけてきたが、来るたびに、借金取りの人にお茶を必ず出して、対応したという人物像が語られました。
また、何回か、「NHKのドラマは、大ウソです」との発言がありましたが、この点は、きたろうの前ブログ「緊急告知 さだまさしさんラジオ出演!!」のコメント欄でふれたとおりです。
それから、佐田玲子さんは独身の様ですが、適齢期の時に、さだまさしの音楽事務所が忙しく、そのせいで結婚出来なかったような発言をしていましたが、きたろうは、それは、ちがうんじゃないかと思いました。
トークだけでなく、ギターの弾き語りも2曲披露してくれました。しっとりと、こころに染みる歌声で聴衆は聞きいっていました。
最後に、玲子さんの方から、「一番遠くから来た方どなたでしょう?」という質問がありました。そしたら、「京都」「山口」「北海道」という回答があり、やはり、超熱心なファンの方が居たということが、はからずも明らかになりました。(一番遠くから来た方にプレゼントがありました。プレゼントは25センチ角位の箱でしたが、中身が何かは聞き洩らしました)。
1時間の予定時間をかなりオーバーし、ギターの弾き語りも披露した、サービス万点のトークショーでした。
きたろうは、その後、もう一度ギャラリー内を一周してから、館を辞しました。
#23、芳澤ガーデンギャラリー南側
#24、同上
16時30分頃、館を出て、さだまさしの市川のゆかりの場所の一箇所に立ち寄ることにしました。
#25、「さだまさし ゆかりの 市川マップ」(抜粋)
この、小郷(おごう)畳店は、新田の家の時代(まさしさん24歳以降)ご両親とこの家の親交が厚かったとのこと。
今回の、さださんのアパートの一室の再現で、畳を提供したとのことです。
#26、小郷畳店(市川市新田1丁目)
※市川真間駅から、400m東の線路際にあります。
#27~29、同上
小郷畳店の前を通り、家へ帰りました。
(続く)次回は、7月8日さだまさし市川ゆかりの場所を数箇所を探訪した結果を書きます。
2015/7/10 アップ
さだまさしミュージアム見学記、前回からの続きです。
#20、佐田玲子さんギャラリートーク告知
※「さだまさしミュージアム」チラシの裏面より
「さだまさしミュージアム」の一番奥の部屋の展示を見ていたら、左程広くないロビーが騒がしくなってきました。
佐田玲子さんのトークショーの時間がせまって来たので、聴衆が集まり始めました。椅子席は予約した方用で、ここは始まる直前にくれば良いせいか、まだ空席が目立ちました。椅子席の抽選に外れた方が立ち見の場所を確保するため集まってきました(きたろうも抽選にはずれた)。ロビーは広い廊下といった形状なのでなるべく前の良い席を確保したいと30分も前から集まり始めました。
この会場でギャラリートークを過去にも聞いていますが、ここは美術館なので、画家に関するトークだったせいか、きわめて静かなものでした。
今回は、現役の人気歌手に関する、しかも、本人の実の妹のトークショーということもあって、熱気がありました。
いよいよ、トークショーが始まりました。
きたろうが展示を見ていた奥の部屋の出入口は、トークショーのステージの裏になっています。トークショーの開始時間前に聴衆が集まって来てしまったので、奥の部屋から、客席に移動しそびれてしまい、ステージの裏から聴くことにしました。
佐田玲子さんは、TBSラジオの火曜の朝の放送に登場するのを、きたろうはほとんどいつも聞いてました。
きたろうは佐田玲子さんをフリーアナンサーと思っていました。また、佐田玲子さんが、さだまさしの妹というのも知りませんでした。今回、佐田玲子さんは、さだまさしの妹で、歌手でラジオのパーソナリティもやっていると言うのをはじめて知りました。
#21、佐田玲子さん近影
さて、トークショーでの話をかいつまんで、お伝えします。
さだまさしさんと佐田玲子さんは、5つ違いで、玲子さんが幼い頃はまさしさんは良くヴァイオリンの練習をしていたという記憶がある。NHKのドラマでは、幼い頃に一家で食事をしているシーンがありましたが、実際は、父親は、金策でほとんど家にいなかったので、ああいうシーンはなかった。実際の父は、ドラマの遠藤憲一さんのような「コワモテ」ではなく、いつも、にこにこしている、やさしい感じだったとのこと。
その後、玲子さんが、8歳の時に、まさしさんは、東京(注)に行ってしまい、それ以来、別れて暮らすことになった。玲子さんが、中2の時に、まさしさんを訪ねて、一人で上京したのが、玲子さんの最初の一人旅だったこと。
注)中学の時上京し最初に葛飾区に住んだ。市川へは、高校入学と同時に移った。
その後、まさしさんの曲がヒットした頃、玲子さんは、絵の勉強で美大に入学しようとしていた時に、まさしさんが音楽事務所を立ち上げるので、そこを手伝うことになり、絵の道は断念したこと。
さらに、その後、ヒットが続き、市川の新田の家で、家族全員で暮らすことが出来たことなどをお話してくださいました。
#22、ギャラリートーク会場(芳澤ガーデンギャラリー・ロビー)
※但し、トークショー終了・ステージ撤去・椅子片付け後の撮影です。
まさしさんは新田の家で夜に作曲をやっていたので、この時、家族は物音を立てないように静かにしていたこと。
曲が出来上がったときは、深夜にもかかわらず、まさしさんが二階から「みなさ~ん、曲が出来ました~」と言いながら降りて来て、その曲を家族に聞かせたこと。
私がモデルのような曲が数曲存在すること(具体的な曲名は聞き漏らした)などをお話してくれました。
それから、お母様の話をしました。お母様は、すごい貧乏だったけど、明るい人で、たとえば、米がまったくなくなると、「あらー、お米がないわ~~」と明るく笑い飛ばしていたとのこと。
貧乏にもかかわらず、着る物はファッショナブルであったこと。
借金取りが、毎日押しかけてきたが、来るたびに、借金取りの人にお茶を必ず出して、対応したという人物像が語られました。
また、何回か、「NHKのドラマは、大ウソです」との発言がありましたが、この点は、きたろうの前ブログ「緊急告知 さだまさしさんラジオ出演!!」のコメント欄でふれたとおりです。
それから、佐田玲子さんは独身の様ですが、適齢期の時に、さだまさしの音楽事務所が忙しく、そのせいで結婚出来なかったような発言をしていましたが、きたろうは、それは、ちがうんじゃないかと思いました。
トークだけでなく、ギターの弾き語りも2曲披露してくれました。しっとりと、こころに染みる歌声で聴衆は聞きいっていました。
最後に、玲子さんの方から、「一番遠くから来た方どなたでしょう?」という質問がありました。そしたら、「京都」「山口」「北海道」という回答があり、やはり、超熱心なファンの方が居たということが、はからずも明らかになりました。(一番遠くから来た方にプレゼントがありました。プレゼントは25センチ角位の箱でしたが、中身が何かは聞き洩らしました)。
1時間の予定時間をかなりオーバーし、ギターの弾き語りも披露した、サービス万点のトークショーでした。
きたろうは、その後、もう一度ギャラリー内を一周してから、館を辞しました。
#23、芳澤ガーデンギャラリー南側
#24、同上
16時30分頃、館を出て、さだまさしの市川のゆかりの場所の一箇所に立ち寄ることにしました。
#25、「さだまさし ゆかりの 市川マップ」(抜粋)
この、小郷(おごう)畳店は、新田の家の時代(まさしさん24歳以降)ご両親とこの家の親交が厚かったとのこと。
今回の、さださんのアパートの一室の再現で、畳を提供したとのことです。
#26、小郷畳店(市川市新田1丁目)
※市川真間駅から、400m東の線路際にあります。
#27~29、同上
小郷畳店の前を通り、家へ帰りました。
(続く)次回は、7月8日さだまさし市川ゆかりの場所を数箇所を探訪した結果を書きます。
さだまさしミュージアム見学記(さだまさしⅠ) [イベント情報]
2015/6/28(日) 取材
2015/7/5 アップ
地元でさだまさしミュージアムという展示会が開催されており、行って来ました。地元の美術館(芳澤ガーデンギャラリー)で7月26日まで行われているもので、さだまさしミュージアムという専門の記念館があるわけではありません。
#01、「さだまさしミュージアム」ちらしの上半分
さださんは高校入学時からプロデビュー頃まで20年間、きたろうの地元・市川に住んでいたという縁でこの企画が行われました。
現在放送中のNHKの土曜ドラマ「ちゃんぽん食べたか!」の放送時期に合わせたのかどうかは不明でしたが、ずいぶんタイムリーな企画でした。
また、本人が存命中に、こういった展示会というのも珍しいと思いました。
#02、「さだまさしミュージアム」ちらしの下半分
日曜日に、さだまさしさんの実妹の佐田玲子さんのトークショーがあるとのことだったので、その日に合わせて行って来ました。
#03、会場(芳澤ガーデンギャラリー)の門
#04、当日のトークショーに関する案内・貼紙
#05、芳澤ガーデンギャラリー内(1)
#06、芳澤ガーデンギャラリー内(2)
#07、芳澤ガーデンギャラリー内(3)
#08、芳澤ガーデンギャラリー内(4)
#09、芳澤ガーデンギャラリー入口
展示会は、五つのコーナー「写真館」「美術館」「文学館」「映画館」「音楽館」が設けられテーマに沿った展示物が展示してあります。
(「映画館」「音楽館」は別会場で、当日は行けなかった)。
内容を簡単に説明すると、「写真館」は、さださんの年表・幼い時から現在までの写真、小学生の時書いた絵日記、弾いていたギター、習い始めた時のヴァイオリン、彼を取り上げた雑誌の数々等の展示がありました。
#10、「写真館」展示イメージ(1)
※本写真はネットから転載したもので、展示会で展示してあった写真ではありません。
#11、「写真館」展示イメージ(2)
会場には、さださんが最初に習った時の、小さいヴァイオリンが展示されていました。
#12、「写真館」展示イメージ(3)
会場には録音の時に良く使用したというギターが展示してありました。
美術館では、さださんが描いた絵や色紙、さださんが写した写真、収集した中島潔さん・原田泰治さんの絵、高校時代の同級生でイラストレーターのおぐらひろかずさんの絵の展示がされていました。
#13、「美術館」展示イメージ(1)
会場には、さださんの色紙が展示されていました。
※本写真はネットから転載したもので、展示会で展示してあった写真ではありません。
#14、さださんが描いた絵
この絵は、さださんが描いた本物の絵が展示されていました。(ちらし裏面より転載)
#15、「美術館」展示イメージ(2)
会場には、さださんが、最初に購入した、中島潔さんの絵が展示されていました。
※本写真はネットからの転載
#16、「美術館」展示イメージ(3)
さださんが好きな原田泰治さんの絵
※本写真はネットからの転載
#17、「美術館」展示イメージ(4)
おぐらひろかずさんの絵。おぐらさんは、さださんの同級生で、さださんの執筆した本の挿絵なども書いているそうです。
※本写真は、ちらし裏面から転載
文学館では、さださんが執筆した本40数冊と自筆の原稿の展示と主要な本の抜粋をパネルにしたものの展示がありました。
#18、「文学館」展示イメージ(1)
※本写真はネットから転載したものです。
#19、「文学館」展示イメージ(2)
さらに、一番奥の部屋の特別コーナー(?)に、自筆の楽譜、映画「精霊流し」の台本、「交響曲」の詞を書いた自筆のパネル、東京長崎を走っていた、特急「さくら」の模型等の展示がありました。
この部屋の一番奥には、本展示会の目玉である、さださんが、赤貧の学生時代を過ごしたアパートの2階の一室が原寸大で再現されたものが建てられていました。
このアパート(平川荘)は、辛い時代を過ごした場所であると同時に未来への希望を見つけた特別な場所でもあったということで作られたそうです。
#20、さださんが住んだ、アパートの一室の再現
※毎日新聞(地方版)より転載
部屋の中は当時の貧乏学生の典型的な様相を呈し、テーブル(こたつ兼用と思われる)、万年床、畳に直接置かれた本、カセットデッキとテープ、ギターしかないというシンプルな生活が再現されていました。部屋の右隅に、流しとガス台があり、脇に主食にしていた袋の即席ラーメンもありました。窓の外の干し竿にティーバックが5~6個吊り下げられていました。これは、一度使った物を乾燥させて、再利用したとのことでした。
さらに、その外には、欅(けやき)の木がありました。さださんはこの木がお気に入りで、この木が切り倒された時に、このアパートを出ようと決心したくらいだそうです。夏になると、この木をはじめ、周囲の木に蝉が多数生息し、うるさく鳴いたそうで、この体験から「蝉時雨」出来たものと思っています(佐田玲子さん談)とのこと。
部屋の左隅にやもり数匹(手作りの簡単な模型)がいました。これは、部屋に住み着いたやもりの一家で、さださんは名前をつけて、一緒に生活したそうです。
展示物の概要は以上です。ありとあらゆるものが展示されているかと思ったが、良く、この手の記念館に展示されている、服とか文具の愛用品等の展示はありませんでした。
さだまさしさんの妹・佐田玲子さんのトークショー他については、次回に紹介致します。
(続く)
2015/7/5 アップ
地元でさだまさしミュージアムという展示会が開催されており、行って来ました。地元の美術館(芳澤ガーデンギャラリー)で7月26日まで行われているもので、さだまさしミュージアムという専門の記念館があるわけではありません。
#01、「さだまさしミュージアム」ちらしの上半分
さださんは高校入学時からプロデビュー頃まで20年間、きたろうの地元・市川に住んでいたという縁でこの企画が行われました。
現在放送中のNHKの土曜ドラマ「ちゃんぽん食べたか!」の放送時期に合わせたのかどうかは不明でしたが、ずいぶんタイムリーな企画でした。
また、本人が存命中に、こういった展示会というのも珍しいと思いました。
#02、「さだまさしミュージアム」ちらしの下半分
日曜日に、さだまさしさんの実妹の佐田玲子さんのトークショーがあるとのことだったので、その日に合わせて行って来ました。
#03、会場(芳澤ガーデンギャラリー)の門
#04、当日のトークショーに関する案内・貼紙
#05、芳澤ガーデンギャラリー内(1)
#06、芳澤ガーデンギャラリー内(2)
#07、芳澤ガーデンギャラリー内(3)
#08、芳澤ガーデンギャラリー内(4)
#09、芳澤ガーデンギャラリー入口
展示会は、五つのコーナー「写真館」「美術館」「文学館」「映画館」「音楽館」が設けられテーマに沿った展示物が展示してあります。
(「映画館」「音楽館」は別会場で、当日は行けなかった)。
内容を簡単に説明すると、「写真館」は、さださんの年表・幼い時から現在までの写真、小学生の時書いた絵日記、弾いていたギター、習い始めた時のヴァイオリン、彼を取り上げた雑誌の数々等の展示がありました。
#10、「写真館」展示イメージ(1)
※本写真はネットから転載したもので、展示会で展示してあった写真ではありません。
#11、「写真館」展示イメージ(2)
会場には、さださんが最初に習った時の、小さいヴァイオリンが展示されていました。
#12、「写真館」展示イメージ(3)
会場には録音の時に良く使用したというギターが展示してありました。
美術館では、さださんが描いた絵や色紙、さださんが写した写真、収集した中島潔さん・原田泰治さんの絵、高校時代の同級生でイラストレーターのおぐらひろかずさんの絵の展示がされていました。
#13、「美術館」展示イメージ(1)
会場には、さださんの色紙が展示されていました。
※本写真はネットから転載したもので、展示会で展示してあった写真ではありません。
#14、さださんが描いた絵
この絵は、さださんが描いた本物の絵が展示されていました。(ちらし裏面より転載)
#15、「美術館」展示イメージ(2)
会場には、さださんが、最初に購入した、中島潔さんの絵が展示されていました。
※本写真はネットからの転載
#16、「美術館」展示イメージ(3)
さださんが好きな原田泰治さんの絵
※本写真はネットからの転載
#17、「美術館」展示イメージ(4)
おぐらひろかずさんの絵。おぐらさんは、さださんの同級生で、さださんの執筆した本の挿絵なども書いているそうです。
※本写真は、ちらし裏面から転載
文学館では、さださんが執筆した本40数冊と自筆の原稿の展示と主要な本の抜粋をパネルにしたものの展示がありました。
#18、「文学館」展示イメージ(1)
※本写真はネットから転載したものです。
#19、「文学館」展示イメージ(2)
さらに、一番奥の部屋の特別コーナー(?)に、自筆の楽譜、映画「精霊流し」の台本、「交響曲」の詞を書いた自筆のパネル、東京長崎を走っていた、特急「さくら」の模型等の展示がありました。
この部屋の一番奥には、本展示会の目玉である、さださんが、赤貧の学生時代を過ごしたアパートの2階の一室が原寸大で再現されたものが建てられていました。
このアパート(平川荘)は、辛い時代を過ごした場所であると同時に未来への希望を見つけた特別な場所でもあったということで作られたそうです。
#20、さださんが住んだ、アパートの一室の再現
※毎日新聞(地方版)より転載
部屋の中は当時の貧乏学生の典型的な様相を呈し、テーブル(こたつ兼用と思われる)、万年床、畳に直接置かれた本、カセットデッキとテープ、ギターしかないというシンプルな生活が再現されていました。部屋の右隅に、流しとガス台があり、脇に主食にしていた袋の即席ラーメンもありました。窓の外の干し竿にティーバックが5~6個吊り下げられていました。これは、一度使った物を乾燥させて、再利用したとのことでした。
さらに、その外には、欅(けやき)の木がありました。さださんはこの木がお気に入りで、この木が切り倒された時に、このアパートを出ようと決心したくらいだそうです。夏になると、この木をはじめ、周囲の木に蝉が多数生息し、うるさく鳴いたそうで、この体験から「蝉時雨」出来たものと思っています(佐田玲子さん談)とのこと。
部屋の左隅にやもり数匹(手作りの簡単な模型)がいました。これは、部屋に住み着いたやもりの一家で、さださんは名前をつけて、一緒に生活したそうです。
展示物の概要は以上です。ありとあらゆるものが展示されているかと思ったが、良く、この手の記念館に展示されている、服とか文具の愛用品等の展示はありませんでした。
さだまさしさんの妹・佐田玲子さんのトークショー他については、次回に紹介致します。
(続く)