第16回東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選参加記 [演奏会]
取材日、2018(平30)年8月22日(水)
投稿日、同年8月28日(火)
恒例の、東京音楽コンクール(弦楽部門・第2次予選)へ行って来ました(先週の水曜日)。昨年、東京音楽コンクールでは、木管部門予選と本選及び弦楽部門本選に行きました。今年は、木管部門は無く金管部門ですが、金管部門は割愛し、弦楽の予選、本選に行くことにしました。
音楽コンクールは、低料金で、たっぷりクラシックが聴けるということもありますが、若い演奏家が、日ごろの練習の成果を、大変な緊張の中で競って行くという独特な雰囲気は、一般の演奏会にはない魅力です。
#01、第16回東京音楽コンクール(弦楽部門)ちらし
※本チラシに掲載の演奏者は、昨年の弦楽部門第1位:荒井里桜さん(上段の写真)、第2位:三井静君(下段右)、第3位:パク・ハヤンさん(下段左)です。
#02、コンクール開催会場
一時、東京地方も、若干気温が下がりましたが、猛暑がぶりかえすなか、行って来ました。
会場は、東京文化会館で、本写真は10時33分に撮影しましたが、この時間に東京文化会館へ来るのは年に1~2度位しかありません。東京文化会館玄関前で日光が南東から射すという画像は珍しく、新鮮な感じがします。
#03、東京文化会館小ホール案内掲示板
ご覧のとおりの開催コンサートのタイム・スケジュールと当日券販売の案内が掲示されています。
#04、東京文化会館小ホール内
この写真は、午後の休憩終了時に撮影しましたが、8~9割の入りで、弦楽部門の人気の高さが現れていました(昨年来た、木管2次予選は、4~5割ぐらいの入りだったのに対し)。
撮影位置の、後ろ側に、審査員席がありました。
#05、演奏&審査(1)
さて、いよいよ演奏が始まりました。演奏は、1曲目は、ヴァイオリンソロでの演奏、2曲目は、ピアノ伴奏での演奏です。
コンクールの場合はいつも、きたろうも審査員の端くれのつもりで拝聴し、僭越ながら、評価させてもらっています。その評価は、画面右側に記載しました。
最初の4名のなかで、関君は、力強く、若々しい演奏で良かったです。
#06、演奏&審査(2)
演奏順、5番から7番の方です。
6番高木さんは、ダイナミックな部分繊細な部分の表情が的確に表現され、演奏にドラマ性が感じられました。
#07、演奏&審査(3)
演奏順8番から10番の方です。
演奏順、8番の大倉さんは、1曲目どうかな思いましたが、2曲目がとても良かったので評価Aにしました。
8番のチェロ、10番のコントラバスは、ヴァイオリン(ヴィオラ)の方に対しどう評価すべきか戸惑いを感じ、評価しませんでした。
#08、弦楽部門第2次予選きたろうの審査結果
本選出場者は、4名ですが、4名を明確に絞れず、当選者3名、当落線上2名を選びました。
その結果は、左のとおりですが、きたろうの評価は概ね的中しました。
大倉さんは良かったと思ったのですが、残念ながら選に漏れてしまいました。
※下半分ドレスのメモ
凝ったデザインのドレスの方のもののみメモしました。
#09、東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選審査結果
大谷康子弦楽部門審査員長から発表&講評がありました。
大谷さんのコメントで、「みなさん、レベルが高くて、その差は僅かでした。選に漏れた方も、決して悲観しないで、今後共はげんでください。本選進出が決まった方は、オケとの演奏では、思う存分個性を発揮してください。また、オケとのリハーサルを楽しんで、本番に臨んでください。期待しています。」とのことでした。
#10、本選出場者記念撮影
主催者側の公式記念撮影のあと、一般聴衆へ写真撮影の一瞬の機会提供があり、撮影させて頂きました。
右から、関朋岳(ともたけ)君(Vn)、有富萌々子(ありとみももこ)さん(ヴィオラ)、高木凛々子(りりこ)さん(Vn)、北田千尋(ちひろ)さん(Vn)
※お詫びと訂正 当初、本ブログをアップしたとき、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。今回、上記のように訂正致しました
#11、参考情報等(ちらし裏面)
#12、審査員の先生方
弦楽部門審査員長は、大谷康子さん
総合審査員長は小林研一郎さん
#13、14、プログラム表紙
#15、賞金、入賞者特典(ちらし裏面)
本選は、今回選ばれた、4名の方が、オケと共演します。明日の8月29日(水)(18時開演)に行われます。
2次予選で、きたろうの審査では、#07のとおりの結果で、「本選でも、きたろうの評価のままで行くのか(1位高木さん?2位関君?)それとも逆転があるのか?」というところが、聴き所になります。
END
投稿日、同年8月28日(火)
恒例の、東京音楽コンクール(弦楽部門・第2次予選)へ行って来ました(先週の水曜日)。昨年、東京音楽コンクールでは、木管部門予選と本選及び弦楽部門本選に行きました。今年は、木管部門は無く金管部門ですが、金管部門は割愛し、弦楽の予選、本選に行くことにしました。
音楽コンクールは、低料金で、たっぷりクラシックが聴けるということもありますが、若い演奏家が、日ごろの練習の成果を、大変な緊張の中で競って行くという独特な雰囲気は、一般の演奏会にはない魅力です。
#01、第16回東京音楽コンクール(弦楽部門)ちらし
※本チラシに掲載の演奏者は、昨年の弦楽部門第1位:荒井里桜さん(上段の写真)、第2位:三井静君(下段右)、第3位:パク・ハヤンさん(下段左)です。
#02、コンクール開催会場
一時、東京地方も、若干気温が下がりましたが、猛暑がぶりかえすなか、行って来ました。
会場は、東京文化会館で、本写真は10時33分に撮影しましたが、この時間に東京文化会館へ来るのは年に1~2度位しかありません。東京文化会館玄関前で日光が南東から射すという画像は珍しく、新鮮な感じがします。
#03、東京文化会館小ホール案内掲示板
ご覧のとおりの開催コンサートのタイム・スケジュールと当日券販売の案内が掲示されています。
#04、東京文化会館小ホール内
この写真は、午後の休憩終了時に撮影しましたが、8~9割の入りで、弦楽部門の人気の高さが現れていました(昨年来た、木管2次予選は、4~5割ぐらいの入りだったのに対し)。
撮影位置の、後ろ側に、審査員席がありました。
#05、演奏&審査(1)
さて、いよいよ演奏が始まりました。演奏は、1曲目は、ヴァイオリンソロでの演奏、2曲目は、ピアノ伴奏での演奏です。
コンクールの場合はいつも、きたろうも審査員の端くれのつもりで拝聴し、僭越ながら、評価させてもらっています。その評価は、画面右側に記載しました。
最初の4名のなかで、関君は、力強く、若々しい演奏で良かったです。
#06、演奏&審査(2)
演奏順、5番から7番の方です。
6番高木さんは、ダイナミックな部分繊細な部分の表情が的確に表現され、演奏にドラマ性が感じられました。
#07、演奏&審査(3)
演奏順8番から10番の方です。
演奏順、8番の大倉さんは、1曲目どうかな思いましたが、2曲目がとても良かったので評価Aにしました。
8番のチェロ、10番のコントラバスは、ヴァイオリン(ヴィオラ)の方に対しどう評価すべきか戸惑いを感じ、評価しませんでした。
#08、弦楽部門第2次予選きたろうの審査結果
本選出場者は、4名ですが、4名を明確に絞れず、当選者3名、当落線上2名を選びました。
その結果は、左のとおりですが、きたろうの評価は概ね的中しました。
大倉さんは良かったと思ったのですが、残念ながら選に漏れてしまいました。
※下半分ドレスのメモ
凝ったデザインのドレスの方のもののみメモしました。
#09、東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選審査結果
大谷康子弦楽部門審査員長から発表&講評がありました。
大谷さんのコメントで、「みなさん、レベルが高くて、その差は僅かでした。選に漏れた方も、決して悲観しないで、今後共はげんでください。本選進出が決まった方は、オケとの演奏では、思う存分個性を発揮してください。また、オケとのリハーサルを楽しんで、本番に臨んでください。期待しています。」とのことでした。
#10、本選出場者記念撮影
主催者側の公式記念撮影のあと、一般聴衆へ写真撮影の一瞬の機会提供があり、撮影させて頂きました。
右から、関朋岳(ともたけ)君(Vn)、有富萌々子(ありとみももこ)さん(ヴィオラ)、高木凛々子(りりこ)さん(Vn)、北田千尋(ちひろ)さん(Vn)
※お詫びと訂正 当初、本ブログをアップしたとき、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。今回、上記のように訂正致しました
#11、参考情報等(ちらし裏面)
#12、審査員の先生方
弦楽部門審査員長は、大谷康子さん
総合審査員長は小林研一郎さん
#13、14、プログラム表紙
#15、賞金、入賞者特典(ちらし裏面)
本選は、今回選ばれた、4名の方が、オケと共演します。明日の8月29日(水)(18時開演)に行われます。
2次予選で、きたろうの審査では、#07のとおりの結果で、「本選でも、きたろうの評価のままで行くのか(1位高木さん?2位関君?)それとも逆転があるのか?」というところが、聴き所になります。
END
第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」( 夏46景)(その3)(完) [広重・名所江戸百景]
名所江戸百景「鎧の渡し小網町」で広重の描いた視点と同視点から見た景色を写真に収めるというのが、本シリーズのテーマです。前回から、若干間が空いてしまったので、その1、その2を振り返って見ます。
#10、名所江戸百景「鎧の渡し小網町」広重の視点の解析
#10の中央の絵及び右側の写真(ストリートビュー)はどちらも、小網町側から旧松平家の屋敷、または現東京証券取引所方向を見たものです。
結局、この絵と写真の解析で、広重は、松平家の東の石垣の外、日本橋川・川岸の百本杭のところから描いたという結論に達しました。ただ、実際にこの場所に舟を浮かべて描いたというより、広重の得意とする、ありえない場所から想像で書いたものと思われます。
#11、広重の視点の解析(やや上流からの画像)
広重の視点の解析で、#10に対し、やや上流から且つ、やや拡大した画像上に、桟橋に立つ女性と広重を合成した画像を作ってみました。
きたろうが、この場所から写真を撮るということは、舟をチャーターしなければならず、きたろうには負担が大きすぎるので断念しました。と、ここで終わってしまったのでは、もやもや感が残るので、すでに登場していますが、Googleのストリートビューを利用し、現代版「鎧の渡し小網町」の視点を再現して見ました。
#12、「鎧の渡し小網町」広重の視点の再現
この写真で、丁度、橋の欄干が水面で反射し虚像を作っているところ辺りが、旧鎧の渡しの舟の航路になっていると思われます。
本シリーズでの広重の視点の再現を、きたろうの実写写真で再現するというのがモットーですが、今回は、ストリートビューの利用を余儀なくされました。
ここで、余興的に、広重の描いた、桟橋に立つ女性を、この写真の中に登場させて見ました。
#13、現代版鎧の渡し小網町
ありえない景色の再現ですが、意外と違和感を感じませんでした。
今回は、登場した女性も川の景色も、きたろうの実写ではありませんでしたが、次回は、何とか実写で、広重の視点での画像を再現したいと思っています。
END
#10、名所江戸百景「鎧の渡し小網町」広重の視点の解析
#10の中央の絵及び右側の写真(ストリートビュー)はどちらも、小網町側から旧松平家の屋敷、または現東京証券取引所方向を見たものです。
結局、この絵と写真の解析で、広重は、松平家の東の石垣の外、日本橋川・川岸の百本杭のところから描いたという結論に達しました。ただ、実際にこの場所に舟を浮かべて描いたというより、広重の得意とする、ありえない場所から想像で書いたものと思われます。
#11、広重の視点の解析(やや上流からの画像)
広重の視点の解析で、#10に対し、やや上流から且つ、やや拡大した画像上に、桟橋に立つ女性と広重を合成した画像を作ってみました。
きたろうが、この場所から写真を撮るということは、舟をチャーターしなければならず、きたろうには負担が大きすぎるので断念しました。と、ここで終わってしまったのでは、もやもや感が残るので、すでに登場していますが、Googleのストリートビューを利用し、現代版「鎧の渡し小網町」の視点を再現して見ました。
#12、「鎧の渡し小網町」広重の視点の再現
この写真で、丁度、橋の欄干が水面で反射し虚像を作っているところ辺りが、旧鎧の渡しの舟の航路になっていると思われます。
本シリーズでの広重の視点の再現を、きたろうの実写写真で再現するというのがモットーですが、今回は、ストリートビューの利用を余儀なくされました。
ここで、余興的に、広重の描いた、桟橋に立つ女性を、この写真の中に登場させて見ました。
#13、現代版鎧の渡し小網町
ありえない景色の再現ですが、意外と違和感を感じませんでした。
今回は、登場した女性も川の景色も、きたろうの実写ではありませんでしたが、次回は、何とか実写で、広重の視点での画像を再現したいと思っています。
END
第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その2) [広重・名所江戸百景]
取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月19日(土)
その1では、「鎧の渡し小網町」を描いた広重の視点について疑問が沸いたと言う所で終了しましたが、それの続きです。
この#07の絵以外に、鎧の渡しを描いた絵がないか探したところ、なんと広重は40歳代に、「江戸百景・よろいの渡し」という絵を描いていることが分かりました。
#08、広重画「江戸百景・よろいの渡し」(1840年頃)
この絵は、鎧の渡しを小網町側から、茅場町の桟橋方向を描いたものです。この絵を見ると、松平の屋敷の東の角のすぐ下流のところに桟橋があった様子がよく分かります。また、この絵の中で名所江戸百景の鎧の渡し小網町を描いた広重の視点及び視線を作図すると、赤の矢印のように推定されます。即ち、広重は、屋敷の石垣の護岸のための百本杭の辺りの川の中から描いたということになります。
この、#08の絵を写真で再現出来ないものか?ということで、Google Mapのストリートビューを探したところ、この地点を日本橋川を航行する船からのストリートビューがありました。
#09、鎧の渡しの茅場町側桟橋跡(ストリートビュー)
#02の地図及び#08の絵と#09ストリートビューの良く見比べると、当時の松平の屋敷と桟橋と日本橋川の関係は、その名残を今でも日本橋川の護岸のコンクリートの壁の形状に残しているのがわかります。
さて、「鎧の渡し小網町」の広重のありえない視点ですが、これは、広重では、特に珍しいことではありません。名所江戸百景の中には、高度10数mから数百mからの俯瞰で描かれたものが多数あります。広重は、ありえない位置から見た風景を描くのは、大変得意な画家で、恐らく、「鎧の渡し小網町」の、整列した倉庫群、日本橋川を行きかう舟、桟橋にたたずむ町娘を一枚の絵にしたとき、もっとも美しく描ける構図のために、どこから描くかとなったときの視点は、たまたま百本杭の前だったということと推定されます。
(その3に続く)
アップ:同、8月19日(土)
その1では、「鎧の渡し小網町」を描いた広重の視点について疑問が沸いたと言う所で終了しましたが、それの続きです。
この#07の絵以外に、鎧の渡しを描いた絵がないか探したところ、なんと広重は40歳代に、「江戸百景・よろいの渡し」という絵を描いていることが分かりました。
#08、広重画「江戸百景・よろいの渡し」(1840年頃)
この絵は、鎧の渡しを小網町側から、茅場町の桟橋方向を描いたものです。この絵を見ると、松平の屋敷の東の角のすぐ下流のところに桟橋があった様子がよく分かります。また、この絵の中で名所江戸百景の鎧の渡し小網町を描いた広重の視点及び視線を作図すると、赤の矢印のように推定されます。即ち、広重は、屋敷の石垣の護岸のための百本杭の辺りの川の中から描いたということになります。
この、#08の絵を写真で再現出来ないものか?ということで、Google Mapのストリートビューを探したところ、この地点を日本橋川を航行する船からのストリートビューがありました。
#09、鎧の渡しの茅場町側桟橋跡(ストリートビュー)
#02の地図及び#08の絵と#09ストリートビューの良く見比べると、当時の松平の屋敷と桟橋と日本橋川の関係は、その名残を今でも日本橋川の護岸のコンクリートの壁の形状に残しているのがわかります。
さて、「鎧の渡し小網町」の広重のありえない視点ですが、これは、広重では、特に珍しいことではありません。名所江戸百景の中には、高度10数mから数百mからの俯瞰で描かれたものが多数あります。広重は、ありえない位置から見た風景を描くのは、大変得意な画家で、恐らく、「鎧の渡し小網町」の、整列した倉庫群、日本橋川を行きかう舟、桟橋にたたずむ町娘を一枚の絵にしたとき、もっとも美しく描ける構図のために、どこから描くかとなったときの視点は、たまたま百本杭の前だったということと推定されます。
(その3に続く)
第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その1) [広重・名所江戸百景]
取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月16日(木)
「鎧の渡し小網町」を取材した日は、近くにある、東京証券会館で行われる邦楽のコンクールを聞きに行くのを目的にしていました。そして、広重の「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」のことは、家を出るときは全く念頭にありませんでした。しかし、会場近くに差し掛かったとき、この辺が、鎧の渡し小網町の舞台であるのを思い出し、急遽、邦楽コンクールの中学生の部の鑑賞を取りやめ、名所江戸百景の取材をすることにしました。
そんな訳で、デジカメも持っていなかったので、スマホで写真を撮ってきました。
#01、広重「名所江戸百景・鎧の渡し小網町(夏46景)」
この絵は、1857年広重最晩年61歳のときに画かれました。前年(1856)には、ハリスが来航、また、翌年(1858)から安政の大獄が始まるという、激動の時代の幕開け的な時代背景の下で画かれたものです。
この絵は、夏の「鎧の渡し」を描いたものです。画面には、日本橋川を行きかう荷を満載にした複数の小舟、対岸小網町の倉庫群、空を舞う4羽の燕、桟橋で舟を待つ町娘等が書き込まれています。
#02、鎧橋(鎧の渡し)付近の今昔(地図対比)
この辺りは、 武家屋敷、下級武士の組屋敷、各種問屋の蔵などが混在していた地域で、日本橋川の水運に根ざした商業が盛んなところでし
#03、鎧の渡し小網町の今昔比較(画像対比)
さて、鎧の渡し小網町の絵の現代版写真の撮影ですが、広重の絵は、兜町から鎧の渡しをはさんで対岸の小網町の倉庫群を、上流から下流方向に斜めに描いたものです。
当日、鎧橋から上流方向及び下流方向数枚の写真を撮影し、この絵に一番合致するものを、#03の右側に示しました。
この写真の、撮影ポイントは#02の地図の③で撮影方向は南東(黄矢印)方向です。
※お詫び&訂正、前回8月16日アップ時、#02の地図に③の記載が漏れていました。今回(8月19日)③を記載したものを掲載し直しました。
(蛇足ですが、スマホの画質は、コンパクトデジカメの画質と同等またはそれ以上の画質を持っていました)
#03の、今昔対比で、メインの鎧の渡しは、鎧橋に変りました。橋の欄干の一部が画面左下に見えています。
対岸の、倉庫群は、現在では、花王グループの関連企業の建物に変っています。写真、画面奥の緑色の橋桁の橋は、茅場橋です。
残念ながら、燕及び町娘の姿は見当たりませんでした。
#04、鎧橋南詰めから鎧橋を望む
鎧橋南詰め(西側)に、中央区教育委員会の史跡表示板があります。
#05、「鎧の渡し」史跡表示板
ここには、鎧の渡しの歴史的なことが書かれています。
その文をそっくり下記に示します。
鎧の渡し跡
所在地中央区日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番
鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一○四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
この渡しは、明治五年{一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
縁日に
買うてぞ帰る
おもだかも
逆さにうつる
鎧のわたし
和朝亭国盛
平成二十年三月 中央区教育委員会
******************
また、この表示板に、「江戸名所図会・鎧の渡し」も掲載されています。これを、拡大したものを次に示しました。
#06、江戸名所図会・鎧の渡し
この絵は、広重の絵と同様、兜町(茅場町)側から、対岸小網町を描いたものです。広重の絵は例えば倉庫群など様式的に描かれているのに対し、江戸名所図絵では、蔵の屋号も描かれているいる等写実的といえます。
さて、ここで、鎧の渡しを描いた広重の視点を考えて見ました。
まず、#06江戸名所図会の絵で、桟橋のヘリに広重の絵と同様に町娘に立ってもらい、それを斜め後方から描けば、広重の鎧の渡しの絵と同様な絵が描けるはずです。
(#07参照)
#07、鎧の渡し広重の視点の検証(1)
広重の絵では、広重の視点と町娘は、概ね5~6mははなれているように見えます。
ところが、#07の絵では、桟橋の幅は2mにも満たないような狭い桟橋で、はたして、広重はどこから町娘及び鎧の渡しを描いたのだろうという疑問が沸きます。
(その2に続く)
アップ:同、8月16日(木)
「鎧の渡し小網町」を取材した日は、近くにある、東京証券会館で行われる邦楽のコンクールを聞きに行くのを目的にしていました。そして、広重の「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」のことは、家を出るときは全く念頭にありませんでした。しかし、会場近くに差し掛かったとき、この辺が、鎧の渡し小網町の舞台であるのを思い出し、急遽、邦楽コンクールの中学生の部の鑑賞を取りやめ、名所江戸百景の取材をすることにしました。
そんな訳で、デジカメも持っていなかったので、スマホで写真を撮ってきました。
#01、広重「名所江戸百景・鎧の渡し小網町(夏46景)」
この絵は、1857年広重最晩年61歳のときに画かれました。前年(1856)には、ハリスが来航、また、翌年(1858)から安政の大獄が始まるという、激動の時代の幕開け的な時代背景の下で画かれたものです。
この絵は、夏の「鎧の渡し」を描いたものです。画面には、日本橋川を行きかう荷を満載にした複数の小舟、対岸小網町の倉庫群、空を舞う4羽の燕、桟橋で舟を待つ町娘等が書き込まれています。
#02、鎧橋(鎧の渡し)付近の今昔(地図対比)
この辺りは、 武家屋敷、下級武士の組屋敷、各種問屋の蔵などが混在していた地域で、日本橋川の水運に根ざした商業が盛んなところでし
#03、鎧の渡し小網町の今昔比較(画像対比)
さて、鎧の渡し小網町の絵の現代版写真の撮影ですが、広重の絵は、兜町から鎧の渡しをはさんで対岸の小網町の倉庫群を、上流から下流方向に斜めに描いたものです。
当日、鎧橋から上流方向及び下流方向数枚の写真を撮影し、この絵に一番合致するものを、#03の右側に示しました。
この写真の、撮影ポイントは#02の地図の③で撮影方向は南東(黄矢印)方向です。
※お詫び&訂正、前回8月16日アップ時、#02の地図に③の記載が漏れていました。今回(8月19日)③を記載したものを掲載し直しました。
(蛇足ですが、スマホの画質は、コンパクトデジカメの画質と同等またはそれ以上の画質を持っていました)
#03の、今昔対比で、メインの鎧の渡しは、鎧橋に変りました。橋の欄干の一部が画面左下に見えています。
対岸の、倉庫群は、現在では、花王グループの関連企業の建物に変っています。写真、画面奥の緑色の橋桁の橋は、茅場橋です。
残念ながら、燕及び町娘の姿は見当たりませんでした。
#04、鎧橋南詰めから鎧橋を望む
鎧橋南詰め(西側)に、中央区教育委員会の史跡表示板があります。
#05、「鎧の渡し」史跡表示板
ここには、鎧の渡しの歴史的なことが書かれています。
その文をそっくり下記に示します。
鎧の渡し跡
所在地中央区日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番
鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。
伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一○四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
この渡しは、明治五年{一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。
縁日に
買うてぞ帰る
おもだかも
逆さにうつる
鎧のわたし
和朝亭国盛
平成二十年三月 中央区教育委員会
******************
また、この表示板に、「江戸名所図会・鎧の渡し」も掲載されています。これを、拡大したものを次に示しました。
#06、江戸名所図会・鎧の渡し
この絵は、広重の絵と同様、兜町(茅場町)側から、対岸小網町を描いたものです。広重の絵は例えば倉庫群など様式的に描かれているのに対し、江戸名所図絵では、蔵の屋号も描かれているいる等写実的といえます。
さて、ここで、鎧の渡しを描いた広重の視点を考えて見ました。
まず、#06江戸名所図会の絵で、桟橋のヘリに広重の絵と同様に町娘に立ってもらい、それを斜め後方から描けば、広重の鎧の渡しの絵と同様な絵が描けるはずです。
(#07参照)
#07、鎧の渡し広重の視点の検証(1)
広重の絵では、広重の視点と町娘は、概ね5~6mははなれているように見えます。
ところが、#07の絵では、桟橋の幅は2mにも満たないような狭い桟橋で、はたして、広重はどこから町娘及び鎧の渡しを描いたのだろうという疑問が沸きます。
(その2に続く)
オーボイスト Vol.4 荒絵理子さんリサイタル(新宿 ドルチェ楽器)2018/07/28(土)2:00pm開演 [演奏会]
わが町のクラシック会の輝けるスター、東京交響楽団の主席オーボエ奏者荒絵理子さんが、新宿でリサイタルを行うとのことで行って来ました。
取材日:2018年7月28日(土)2時pm開演、於アーティストサロン・ドルチェ(新宿) アップ日:同年8月4日(土) (※青太字→8月7日追記)
#01、「オーボイストVol.4、荒絵理子」ちらし
本リサイタルは、ドルチェ楽器主催の「オーボイストVol.4」という演奏会で、本リサイタルで演奏したオーボエ奏者が次の演奏者を指名して行くというリレー式の演奏会とのこと。
共演は、フルート:上野由恵(よしえ)さん、ピアノ:遠藤直子さん
#02、演奏会場、本ビル8階・ドルチェ楽器店内のホール
会場は、本ビルの8階、楽器店内のホールです。このビルは丁度新宿郵便局の向かいにあります。
台風12号が接近中とのことですが、このときはまだ風がやや強いかなといった程度でした。
#03、楽器店内、ホールの案内表示
#04、05、06、開演1分前の会場
100名程の小ホールですが、くせのない響きのホールです。
(開演1分前、ほぼ満席でした。)
#07、演奏プログラム
#08、荒さんトーク
今日は、イタリアの作曲家の曲(&イタリア的な曲)を吹こうということで、プログラムを構成しました。
当初、ピアノとオーボエだけで曲を探しましたが、該当する曲が少なく、急遽、フルートを編成に入れることにより、演奏曲が広がりました。
右:荒絵理子さん、左:上野由恵さん
#09、10、三人の熱演
オーボエとフルートは音域もほぼ同じで主旋律を吹く楽器のためか、オーボエ+フルート(+ピアノ)のアンサンブルは、きたろう自身もここ10年で1度位聞いたことがあるかなという程度です。
ただ、オーボエとフルートの音色は、一方が温かい郷愁のある音色で、フルートは、透明感があり、クリスタル的な音色と全く異なるため、変な競合が無く、良いバランスで響いていました。この、お二人は、東京六人組(木五+ピアノ)というアンサンブルの同メンバーで良く共演されており、息もぴったりでした。ピアノの方は、繊細な部分、ダイナミックな部分、リズミカルな部分と部分部分の各表情がはっきり、メリハリがある演奏で良かったです。(お姿が半分切れてしまいゴメンナサイ)
(8月6日追記・・・アンコール曲、曲名分かりました。「カッチーノのアベマリア」でした。)
#11、12、記念撮影
素敵な笑顔です!!
素晴らしい演奏ありがとうございました(*^_^*)
左から、フルート:上野由恵さん(日本音楽コンクール1位)
、オーボエ:荒絵理子さん(東京交響楽団主席、日本音楽コンクール1位)、ピアノ:遠藤直子さん(ドルチェ東京ミュージックアカデミーピアニスト)
#13、サインを完全ゲット
全員からサインを頂きました。
サインもありがとうございました(*^_^*)
END
取材日:2018年7月28日(土)2時pm開演、於アーティストサロン・ドルチェ(新宿) アップ日:同年8月4日(土) (※青太字→8月7日追記)
#01、「オーボイストVol.4、荒絵理子」ちらし
本リサイタルは、ドルチェ楽器主催の「オーボイストVol.4」という演奏会で、本リサイタルで演奏したオーボエ奏者が次の演奏者を指名して行くというリレー式の演奏会とのこと。
共演は、フルート:上野由恵(よしえ)さん、ピアノ:遠藤直子さん
#02、演奏会場、本ビル8階・ドルチェ楽器店内のホール
会場は、本ビルの8階、楽器店内のホールです。このビルは丁度新宿郵便局の向かいにあります。
台風12号が接近中とのことですが、このときはまだ風がやや強いかなといった程度でした。
#03、楽器店内、ホールの案内表示
#04、05、06、開演1分前の会場
100名程の小ホールですが、くせのない響きのホールです。
(開演1分前、ほぼ満席でした。)
#07、演奏プログラム
#08、荒さんトーク
今日は、イタリアの作曲家の曲(&イタリア的な曲)を吹こうということで、プログラムを構成しました。
当初、ピアノとオーボエだけで曲を探しましたが、該当する曲が少なく、急遽、フルートを編成に入れることにより、演奏曲が広がりました。
右:荒絵理子さん、左:上野由恵さん
#09、10、三人の熱演
オーボエとフルートは音域もほぼ同じで主旋律を吹く楽器のためか、オーボエ+フルート(+ピアノ)のアンサンブルは、きたろう自身もここ10年で1度位聞いたことがあるかなという程度です。
ただ、オーボエとフルートの音色は、一方が温かい郷愁のある音色で、フルートは、透明感があり、クリスタル的な音色と全く異なるため、変な競合が無く、良いバランスで響いていました。この、お二人は、東京六人組(木五+ピアノ)というアンサンブルの同メンバーで良く共演されており、息もぴったりでした。ピアノの方は、繊細な部分、ダイナミックな部分、リズミカルな部分と部分部分の各表情がはっきり、メリハリがある演奏で良かったです。(お姿が半分切れてしまいゴメンナサイ)
(8月6日追記・・・アンコール曲、曲名分かりました。「カッチーノのアベマリア」でした。)
#11、12、記念撮影
素敵な笑顔です!!
素晴らしい演奏ありがとうございました(*^_^*)
左から、フルート:上野由恵さん(日本音楽コンクール1位)
、オーボエ:荒絵理子さん(東京交響楽団主席、日本音楽コンクール1位)、ピアノ:遠藤直子さん(ドルチェ東京ミュージックアカデミーピアニスト)
#13、サインを完全ゲット
全員からサインを頂きました。
サインもありがとうございました(*^_^*)
END
ブラタモリトレース・二子玉川(その4・最終回) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同8月2日(木)アップ
また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。
同8月2日(木)アップ
また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)
#01、大勝庵(蕎麦屋)を訪問するタモリさん一行
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。
#02、ブラタモリトレース行程地図
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。