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瑞鳳殿見学記(その4)掲載延期 [きたろう散歩会]

2019/10/15 MON.

経ケ峯には、瑞鳳殿の西方に二代藩主伊達忠宗(ただむね)の御霊屋である感仙殿及び三代藩主伊達綱宗(つなむね)の御霊屋である善応殿もあります。
これらについては、「見学記(その4)」としてアップするつもりでした。
しかし、瑞鳳殿資料館以降の後半、やや駆け足で取材したせいか、納得できる写真があまり撮影出来ませんでした。
近々、仙台にまた行く予定があるので、感仙殿、善応殿について再取材し、その後「見学記(その4)」としてアップしたいと思います。
宜しく、ご了承の程お願い致します。
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瑞鳳殿見学記(その3) [きたろう散歩会]

2019/07/19 FRI. 取材
2019/10/4 FRI. アップ
◆今朝、SO-NETブログにログインしようとしたら、いままで見たことのない画面でIDとパスワードを要求され、既存のID、パスワードをいくら入力しても、ログイン出来ず、あせった(-_-;)
(登録していたメールアドレスが、無効になっていて、SO-NETからSSブログへの切り替えの連絡が来なかったようだ)
ともあれ、なんとかSSブログに切り替え、投稿を続けることが出来ました。
<本文開始>
前回は、瑞鳳殿の”臥龍梅”まで、やってきました。(臥龍梅は、瑞鳳殿の手前向かって左側(東側)に位置します)
臥龍梅のさらに左(東側)に、瑞鳳殿資料館があります。

#29&#30、瑞鳳殿資料館全景
#29瑞鳳殿資料館全景ウイキペディアより.jpg

#30瑞鳳殿資料館(公式HPより).jpg
引用:#29はウイキペディアより、#30は瑞鳳殿ホームペジより

#31、瑞鳳殿資料館内部
#31瑞鳳殿資料館内部(公式HPより).jpg
※本写真は、瑞鳳殿ホームページより引用
資料館の奥の隅で、伊達政宗に関するビデオが放映されていました。タイトルは2本あり、各々16分位のビデオでした(1本は、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するもの(タイトル失念)、もう1本は、確か「政宗公と仙台」というタイトルだった。)
このうち、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するビデオの一部の音声のみを録音しました。

#32、瑞鳳殿案内音声
今回の見学記その3では、このビデオの音声の内容に沿って、レポを進めて行きたいと思います。以下の写真#33から#55は、音声の内容に沿ったものを、ネット上から探して転載したものです。これらの写真は、資料館内の展示物ともほぼ共通するものでした。
◆つまり、このビデオ音声を再生し、同時に以下の写真#33から#55を順次見るようにすると、「紙芝居」を見るがごとく、「瑞鳳殿」、「発掘された政宗の遺骨」、「政宗の副葬品」等に関する写真を鑑賞できます(約7分間)。
※資料館内は撮影禁止で、資料館の展示物を撮影し、その写真をアップするというわけにいかないので、このような試みをしました。

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瑞鳳殿見学記(その2) [きたろう散歩会]

2019.7.19 FRI. 取材
2019.9.30.MON.アップ
前回ブログのラストの写真を再度掲載します。

#17、瑞鳳殿2
#17瑞鳳殿2.jpg
瑞鳳殿本体の直近の唐門の下までやって来ました。
ここで、前回の写真#05から#17までの撮影地点と方向を「(瑞鳳殿等)観覧順路図」に記入してみました。

#18、瑞鳳寺山門から瑞鳳殿までの写真撮影場所と方向
#18瑞鳳殿等観覧順路012カ.jpg


#19、瑞鳳殿3(正面拡大写真)
#19瑞鳳殿3.jpg
前回#16の説明板の文章で「慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)欄間に飛天、花頭窓(かとうまど)に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。」ということが書いてありましたが、一つずつ写真と照合したいと思います。
① 慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)・・・瑞鳳殿の扁額の左右にある黒いアーチ状の構造物が慕股(かえるまた)で、その中に描かれているのが瑞鳥(ずいちょう)です。
② 欄間に飛天・・・扁額の下の欄干に3人の天女が飛んでいます。左の天女は笛を、右の天女は琴を奏でています。中央の天女は舞を舞っているものと思われます。
③ 花頭窓(かとうまど)に鳳凰・・・左右の天女と窓の間に書かれているのが鳳凰です。
④ 隅柱に獅子頭・・・獅子頭が隅柱上部に位置しています(この写真では、はっきり獅子頭とはわかりませんが#24で説明します)
     

#20、瑞鳳殿4(さらに拡大)
#20瑞鳳殿4.jpg
扉の上部には、大きな「竹に雀」の紋が鎮座しています。
この扉は、普段は閉まっています。毎年元日、午前8時半から御開帳されるとのこと。その他命日などにも御開帳されるそうです。

#21、瑞鳳殿5(左斜め前から撮影)
#21瑞鳳殿5.jpg
屋根の下の庇状の構造物が二重で、格式高い造りになっています。
手前の説明板は#16の項で紹介した文章
『政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くため、ここ経ヶ峯(きょうがみね)に登り、同行の家臣に死後は当地へ墓所を造るように命じました・・・』が書いてあります。

#22、瑞鳳殿6(殉死者の供養塔(左側))
#22瑞鳳殿6.jpg
◆以下説明板より
 主君が亡くなった時に、家臣がその後を追って自ら死ぬことを殉死といい江戸時代初期までその風習がありました。藩主伊達改宗の死に際して、家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の計20名が殉死しました。
こうした殉死者を供養するため、瑞鳳殿の両脇には宝篋印塔という形式の石塔が建てられました。殉死者の墓は各家の菩提寺等にあり、瑞鳳殿両脇に遺骨はなく石塔は供養のためのものと考えられます。現在の石塔は昭和54年(1979)の瑞鳳殿再建の際に作り直されたものです。
瑞鳳殿の左側には9基の供養塔が立っています。
◆各供養塔の供養者氏名
 瑞鳳殿向かって左側(瑞鳳殿すぐ左)、手前から
   2、茂庭采女兼綱
   4、青木忠五郎友重
   6、加藤十三郎安次
   8、喜斎
   10、桑折豊後綱長
   12、小平太郎左衛門元成
   14、渡邊権之允重孝
   ※2~14 伊達政宗公に殉死した家臣
 瑞鳳殿向かって左側(左外側)、手前から
   18、東海林茂傳次
   19、横山角兵衛
  ※18、19 は政宗公に殉死した家臣に仕え殉死した陪臣
※2~19の番号の意味は、説明板には書いてなかったが、恐らく、家臣としての位の順番と思われます。

#23、瑞鳳殿7(右斜め前から撮影)
#23瑞鳳殿7.jpg
このアングルだと、獅子頭の造形が良くみえるので拡大して見ました。

#24、瑞鳳殿8(獅子頭部拡大)
#24瑞鳳殿8.jpg
正面と右方向を向いた獅子頭がありますが、左が「阿」、右が「吽」様式になっているとのこと。

#25、瑞鳳殿9(殉死者の供養塔(右側))
#25瑞鳳殿9.jpg
瑞鳳殿右側の供養塔、こちらには、11基の供養塔があります。
 ◆各供養塔の供養者氏名
 瑞鳳殿の向かって右(瑞鳳殿のすぐ右側)、手前から
1、石田將監興純
 3、佐藤内膳吉信
 5、南次郎吉政吉
 7、菅野勝左衛門重成
 9、入生田三右衛門元康
 11、矢目伊兵衛常重
 13、小野二左衛門時村
 15、大槻喜右衛門定安
 ※1~15は伊達政宗公に殉死した家臣
 瑞鳳殿の向かって右(右外側)、手前から
 16、青柳傅右衛門
 1、加藤藤三右衛門
 20、杉山理兵衛
※16、1、20は政宗公に殉死した家臣に仕え殉死した陪臣
※供養塔は、左に9基、右に11基、合わせて20基の供養塔がありました。

#26、瑞鳳殿10(瑞鳳殿門の裏側)
#26瑞鳳殿10.jpg


#27、瑞鳳殿11(瑞鳳殿の門裏側(右))
#27瑞鳳殿11.jpg
七夕祭り飾りの吹流しが飾ってありました。
※撮影日は7月19日であるが仙台の七夕祭りは8月に実施するので、この吹流しは取り込み忘れではありません。
右側は音声ガイドの機械が置いてあります。タイトルは「経ケ峯」、「伊達政宗」、「瑞鳳殿」他数本ありましたが、再生時間がいずれも、1分30秒と短く、全く物足りませんでした。

#28、臥龍梅
#28臥龍梅.jpg
◆手前の説明板の説明
「臥龍梅」、樹種 ウメ(朝鮮ウメ)
『地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達改宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせた後、隠居所であった若林城(仙台市古城)(注)に移植したものといわれている。
 この臥龍梅は、古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979)、瑞鳳殿再建を記念して植樹されたものである。』
注)若林城跡は現在、宮城刑務所になっている。
拙SO-NETブログ「きたろう散歩」「ブラタモリトレース・仙台杜の都の秘密(宮城刑務所)編」で、この親木の臥龍梅について取り上げました。
https://hiroshige-kitarou.blog.so-net.ne.jp/2018-11-17
(ただし刑務所内は写真撮影禁止で、きたろう撮影の写真はありません。NHKのTVの写真はあります。)
瑞鳳殿見学記(その2)は以上です。
臥龍梅の右後方は、資料館ですが、次回は、この資料館内の見学記録を取り上げます。
(資料館の見学記では、写真と”ある仕掛け”により、より、実地体験に近い感覚が味わえます。乞うご期待!)
<続く>



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瑞鳳殿見学記(その1) [きたろう散歩会]

取材日、2019.07.19 FRI.
アップ日、2019、09.26 THU.

仙台に帰省したおり開催している散歩会で、今回は、瑞鳳殿見学を取り上げました。
 前回までは、NHKの番組のブラタモリ(仙台編)で、タモリさんが歩いた所をトレースして来ましたが、タモリさんの歩いた所はほとんど追尾し終えたので、今回から、伊達政宗のゆかりの地を巡って見ようと考えました。

#01、瑞鳳寺、瑞鳳殿のパンフレット
#01瑞鳳殿瑞鳳寺パンフ.jpg
瑞鳳寺のパンフは表紙のみ、瑞鳳殿のパンフは表紙と裏表紙。両者とも散歩会当日に入手したもの。

#02、瑞鳳殿案内図
#02瑞鳳殿案内図.jpg
※瑞鳳殿パンフ裏表紙の案内図(一部(北側部分)カットしてあります)。

瑞鳳殿は、青葉城跡から東約900m、広瀬川が大きくS字状に蛇行した内側の経ケ峯の上にあります。

#03、瑞鳳殿近辺の地図(Google Map)
#03瑞鳳殿近辺地図(GoogleMap).jpg
今回瑞鳳殿見学散歩会を募集したところ、参加者が少なかったので、「散歩会」ですが、車を出すことにしました。事前に、瑞鳳殿の住所を調べると「青葉区霊屋下23-2」とあり、その住所でナビを入力すると、瑞鳳殿の南側の住宅地の一角が設定されました(#03の青○印)。この付近に、一般駐車場はなさそうなので、さらに調べたところ、瑞鳳殿観覧者用駐車場(青葉区霊屋下18-12)というのがあったので、これをナビの目的地に設定しました。

#04、瑞鳳殿観覧者用駐車場(Googleストリートビュー)
#04瑞鳳殿観覧者用駐車場.jpg
駐車場は無料でした。

#05、瑞鳳殿案内板(右)と瑞鳳寺入口(左)(Googleストリートビュー)
#05瑞鳳殿等案内板と瑞鳳寺入口.jpg
駐車場から約100m上ったところにある「瑞鳳殿等の案内板」(右)と、瑞鳳寺入口。

#06、瑞鳳殿等総合案内板
#06瑞鳳殿等案内板012.jpg
瑞鳳殿のある一帯は経ケ峯という山地で、全体が伊達家の墓所となっています。案内板左上の部分にそのことが書いてあります。左下は、各霊屋、墓所の観覧順路の図、中央の写真は、戦前・焼失前の瑞鳳殿の写真、その右は、英語・中国語・ハングルの説明文。
左上「経ケ峯伊達家墓所」の説明文を原文のまま以下に掲載します。
『仙台城本丸跡から南東へ約900m、三方向を広瀬川に囲まれた丘陵地を経ケ峯(きょうがみね)と称し、その由来は古く満海(まんかい)上人が東峰に経文を納めたことによるものと伝られている。
ここには仙台藩祖伊達政宗(だてまさむね)公の霊屋・瑞鳳殿(おたまや・ずいほうでん)をはじめ2代忠宗(ただむね)公の霊屋・感仙殿(かんせんでん)、3代綱宗(つなむね)公の霊屋・善応殿(ぜんのうでん)、及び9代周宗(ちかむね)公、11代斉義(なりよし)公、同夫人の墓所である妙雲界廟(みょううんかいびょう)、5代吉村(よしむら)公以降の公子公女の墓所である御子様御廟(おこさまごびょう)がおかれ、藩政時代から伊達家の霊域となっていた。
 昭和6年(1931年)瑞鳳殿と感仙殿は、桃山様式の代表的な廟建築として国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災により善応殿と共に焼失した。戦後経ケ峯は伊達家より仙台市に寄贈され、遺跡として保存されてきたが、昭和49年(1974年)から昭和60年(1985年)にかけて3霊屋が再建され、現在経ケ峯は仙台市指定史跡歴史公園となっている。』

#07、瑞鳳寺山門
#08瑞鳳寺山門.jpg
※#07及び以下の#17まで、きたろうオリジナルの写真です。

#08、「瑞鳳寺」の説明板
#09瑞鳳寺説明板.jpg
瑞鳳寺説明板の内容は以下の通りです。
「正宗山 瑞鳳寺」
 当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永十四年(一、六三七)二代忠宗公によって創建された御一門格寺院である。
御本尊は釈迦、文珠、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの、梵鐘は寛永十四年忠宗公の寄進によるもので県指定の文化財である。
本堂前の冠木門は三代綱家公 側室椙原(すぎのはら)お品邸にあったもので俗に高尾門といわれている。
栄西堂は臨済宗の宗祖であり又日本に初めてお茶を伝えた、栄西禅師の御像を安置したもので、人間国宝、香取正彦氏の作である。
茶室端新軒は十四代淡々斉好裏千家又隠席写、ニ畳台目の二席。
花塚は、本源流の奥儀を示す石の組かたで、仙台の詩人土井晩翠の詩が記されている、その他伊達安芸の献灯、先代萩の亀千代、政岡、千松の像などがあり境内には多数の花木があります。

#10、瑞鳳寺本堂
#10瑞鳳寺.jpg


#11、瑞鳳殿へ至る階段
#11瑞鳳殿へ至る階段.jpg
瑞鳳殿は、左の階段を登った先にあります。

#12、瑞鳳殿入口
#12瑞鳳殿入口.jpg
観覧料は一般550円(シルバー割引無し)。

#13、「瑞鳳殿」、「政宗公墓室」の説明板
#13瑞鳳殿の案内板.jpg
「瑞鳳殿」の説明文は以下の通りです。
『仙台藩祖伊達改宗公は永禄10年(1567)米沢城に誕生し、18歳で伊達家を相続した。以来、卓越した武将として南奥羽を支配し、「独眼竜政宗」の異名を天下に轟かせた。
 天正19年(1591)豊臣秀吉の命により、米沢から岩出山(宮城県北)に移り10年を過ごした後、慶長6年(1601)徳川家康の許しを得て、35歳の時仙台城を築き、以後、仙台藩の政治、産業、文化の振興に尽力し、また、スペインとの通商貿易を試み、家臣支倉六右衛門常長を使者としてヨーロッパまで派遣する等、伊達62万石の基礎を築いた。
 寛永13年(1636)政宗公は70歳で没し、遺言によって経ケ峯に埋葬された。
瑞鳳殿は、政宗公の霊屋で、桃山様式の豪華絢爛たる廟建築として昭和6年(1931)国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災で焼失し、昭和54年(1979)再建された。』

「政宗公墓室」の説明文は以下の通りです。
『昭和49年(1974)瑞鳳殿再建に先立って地下墓室の学術調査が行われた。墓室は凝灰岩の切石47個で組立られ内部からは遺骸と共に30余点の副葬品が発掘されている。遺骸は学術調査終了後再埋葬された。』

#14、涅槃門
#14涅槃門.jpg
涅槃門は、瑞鳳殿へ至る一番下の門で、#12瑞鳳殿入口と同じ高さの平面上にあります。

「涅槃門」の説明文は以下の通りです。
『瑞鳳殿の正面門は「涅槃門」(ねはんもん)と呼ばれています。涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死という意味にもなります。
瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉(ひば)を用いて再建され、正面扉上部の蟇股(かえるまた)には瑞獣(ずいじゅう)「麒麟」、左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。』

#15、瑞鳳殿の門
#15瑞鳳殿の門.jpg
涅槃門から階段を約30段昇った、一段高いところにある門。

#16、瑞鳳殿(1)
#16瑞鳳殿1.jpg
瑞鳳殿の説明文は以下の通りです。
『「政宗公の霊屋 瑞鳳殿」 
政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くため、ここ経ヶ峯(きょうがみね)に登り、同行の家臣に死後は当地へ墓所を造るように命じました。この遺言に従い、寛永13(1636)年5月24日、江戸で70年の生涯を終えると、仙台に運ばれ、ここ経ケ峯に葬られました。
霊屋瑞鳳殿(たまやずいほうでん)は翌年の10月に完成しています。木造三間四方の建物は漆極彩色によって仕上げられた、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛たる廟で、慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)欄間に飛天、花頭窓(かとうまど)に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。霊屋内部には須弥壇(すみだん)が設けられ、政宗の尊像(御木像)が安置されており、壁や天井には仏画や鳳凰などが描かれていました。
 瑞鳳殿は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたか、昭和20(1945)年の戦災により焼失。昭和54(1979)年に再建されました。
本殿の扉は普段は閉ざされており、政宗の命日(5月24日)、新年の拝礼式など特別な場合に御開帳されます。』

#17、瑞鳳殿(2)
#17瑞鳳殿2.jpg
瑞鳳殿本体は、ここからさらに階段数段を昇ったところにあります。
※瑞鳳殿(その1)は以上です。
<続く>


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第17回(2019)東京音楽コンクール声楽本選を聴いてきました(小林研一郎氏講評メモ付き) [演奏会]

2019/8/26(月)取材
2019/9/3(火)ブログアップ
2019.8.16(金)~8.26(月)まで、東京音楽コンクール(木管、ピアノ、声楽)×2(2次予選と本選)が行われました。
&00東京音楽コンクール.jpg

きたろうは、声楽の2次予選以外、すべて聴きました。
今回は、声楽の本選についてブログアップします。
    

昨年もやりましたが、きたろうも、聴衆賞の投票だけでなく、1位~3位を予測し、自分の耳の自己診断をおこないました。
というと、演奏会中終始、四角四面で、演奏を分析的に聞いているのか?というとそんなことは無く、各々の曲の冒頭部分は、そのような感じで聴いていますが、そのあとは、普通の演奏会と同じような心持で楽しんで聴いています。
      
      
#01、8月26日(月)東京文化会館入口・東京音楽コンクール声楽本選・開場約6分前(17時24分)
&01東京文化会館入口.jpg
今日は、連日の暑さから開放され、大分涼しいです(気温約26℃)。

#02、東京文化会館ロビー
&02東京文化会館ロビー.jpg
この画像は、開場5分前の画像です。開場待ちの列の長さに驚きました。
    

#03、東京文化会館の東側
&03東京音楽コンクール.jpg
結局列は、館の東外側まで延びていて、そこに並びました。

#04、東京文化会館大ホール
&04東京音楽コンクール.jpg
(但し、この画像は、8月24日ピアノ本選のときの画像です)

#05、第17回・東京音楽コンクール(2019)声楽本選、演奏者氏名及び演奏曲(演奏タイムスケジュール)
&05東京音楽コンクール進行表.jpg
※ロビーに掲示してあるものを撮影しました。

#06、声楽本選の概要(プログラムから抜粋)
&06東京音楽コンクール概要.jpg
声楽全応募数は72名、本選出場者数は5名。
※きたろうは声楽二次予選は欠席しました。

#07、以下演奏順に、演奏者プロフィール・演奏曲と、きたろうのリアルタイムでの感想及び順位予測を示しました。
(※きたろうの予測評価・・・演奏を聴いて、リアルタイムで付けた評価です。きたろうの評価が最終発表の前であるという証明写真は#12~14に示しました。)

●小川栞奈さん(ソプラノ)
&07小川栞奈さん.jpg
?きたろう感想・・・メリハリが無い
(きたろう評点☆☆☆・・・入選)
※小川栞奈さん及び関係者の皆様へ、「『きたろう感想』が上から目線で申し訳ございません。一観客のタワゴトと思って、ご容赦ください
     
#08、[スペード]08前川健生さん [スペード]前川健生(けんしょう)さん(テノール)
&08前川健生.jpg
?きたろう感想・・・声が良い、聴衆に対するアピール好感が持てる。 (きたろう評点☆☆☆☆++・・・第3位)
     
#09、●竹下裕美(ひろみ)さん(ソプラノ)
&09竹下裕美.jpg
きたろう感想・・・もう一歩何か足らない (きたろう評点☆☆☆☆+・・・入選) ※竹下裕美さん及び関係者の皆様へ、「『きたろう感想』が上から目線で申し訳ございません。一観客のタワゴトと思って、ご容赦ください
     
#10、◆工藤和真(かずま)さん(テノール)
&10工藤和真.jpg
?きたろう感想・・・ドラマ性あり、はく力あり (きたろう評点☆☆☆☆++++・・・第1位、及び聴衆賞)
     
#11◆井出壮志朗(そうしろう)さん(バリトン)
&11井出壮志朗.jpg
?きたろう感想・・・声量はあるが、やや一本調子 (きたろう評点☆☆☆☆+++・・・第2位) ※井出壮志朗さん及び関係者の皆様へ、「『きたろう感想』が上から目線で申し訳ございません。一観客のタワゴトと思って、ご容赦ください」 きたろうの評価は 第1位、工藤和真(テノール)さん。☆4.4 第2位、井出壮志朗(バリトン)さん。☆4.3 第3位、前川健生さん(テノール)さん。☆4.2 入選、小川栞奈さん(ソプラノ)、竹下裕美(ソプラノ)さん ※演奏は、20時10分頃終了しました。すぐに、各演奏者の評点(☆、+)を調整し、順位を当日のプログラムに書き込み写真撮影しました。
      
#12、きたろう評価結果(表面)
&12東京音楽コンクールきたろう評価・表.jpg
      
    #13、きたろう評価結果(裏面)
&13東京音楽コンクールきたろう評価・裏.jpg
撮影時刻は、表面が20時11分36秒、裏面が20時11分48秒で、最終正式発表は20時50分頃以降で、この写真が、最終発表前に撮影されたという証拠です。 ※写真は、iPhone 6s Plusで撮影しているので、時刻は、かなり正確と思います。
     
#14、聴衆賞の投票
&14東京音楽コンクール聴衆賞投票.jpg
聴衆賞は、工藤さんに投票しました。 聴衆賞投票用紙撮影時刻・・・20時11分59秒 (最終発表・・・20時50分頃以降)
     
#15、審査結果発表
&15東京音楽コンクール審査結果.jpg
最終結果は、画面の通りでした。 事務局から、順位の発表がありましたが、まず、「第2位の発表です。」とアナウンスがありました。普通、第3位から発表されるのに、「おかしいな」と思っていたところ。結局「第1位は該当無し」とのアナウンスあり、会場では、かなり大きなどよめきが起こりました。きたろうも、予想外の展開に驚きました。
     
#16、大島審査委員長
&16大島審査員長.jpg
引き続き、表彰に移り、大島声楽部門審査員長から、表彰状や副賞が贈られました。 又、審査員長から、第1位が無かったことの説明が長々とありましたが、一般論的、概念的なことが多く、良く理解できなかった。 具体的に、何が足らなかったのか、ズバット指摘したほうが良いと思いました。
     
#17、小林研一郎総合審査委員長講評
&17小林研一郎氏.jpg
続いて、小林研一郎氏から、一人一人について講評がありました。 >[スペード]工藤さん・・・ハイトーン、はりさけそうな精神や、そこに宿っているさまざまなおもいをどのように伝えるか。もがいて、自分を越えて自分を作っていた。感動しました。 ◆井出さん・・・声量の大きさに驚いた。バリトンはオーケストラの音に埋没しやすいが、それを越えて響いてきた。東京文化会館の創建時に聞いたイタリアの○○○○を彷彿とさせる歌声でした。 (注)○○○○はイタリアの歌手の名前と思う ●小川さん・・・二次予選は良かったが、今日は気負いすぎた。オーケストラは天才の集団、オーケストラの中にどうやって溶け込んで行ったら良いかひたむきに一心不乱に頑張ってください。 [スペード]前川さん・・・最初にモーツァルトを持ってきた意味がわからない。オーケストラの前でいろいろ変化する声を出すことは危険なことである。 モーツァルトのやさしい声を××××××××××××あなたの声はオーケストラから遊離して閉じ込められるおそれがある。課題曲選びも注意してください。 良い点は、甘い声である点。また、ブレスの長いのには驚いた。 (注)××××××・・・発言内容聞き取れなかった ●竹下さん・・・二次予選から、一週間ですごく良くなった。声の質も良くなったし、オーケストラを手の内に出来ることも。 一年後どれだけ成長するか想像つかない。 ※この後、第1位該当者無しになった経緯と、「申し訳なかった」というような発言がありましたが、省略します。
     
#18、きたろう評価結果総括
&18江戸川きたろう.jpg
1位が該当者無しというのには、驚きましたが、工藤さん、井出さん、前川さんという相対的順位は的中したと言って良いと思いました。 但し、きたろうが、前川さんの相対的順位を3位につけたのが正解かどうかは不明でした。
    
  #19、ロビー内に掲示された審査結果(21時30分撮影)
&19東京音楽コンクール声楽審査結果.jpg
冒頭にも書きましたが、コンクールと言っても、声楽のいろいろな楽曲が、ハイレベルな歌い手で演奏され、楽しいひと時をすごすことが出来ました。東京交響楽団もとても良かったです。 改めて、声楽の演奏者はすごいなと感じました。 END

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三浦友理枝さん&東京六人組佐倉公演コンサート・レポ(2019年7月28日14時~) [演奏会]

取材:2019/7/28
アップ:2019/8/6

佐倉市民音楽ホールから定期的に来る案内のハガキで、東京六人組さんが佐倉で公演するのを知り、早速チケットを購入しました。

#01、東京六人組佐倉公演のちらし
#01東京六人組佐倉公演ちらし.jpg
※チラシの東京六人組の写真(右下)は、ちらしのオリジナル写真でなく、別の写真のはめ込み合成です。(チラシの写真そのものではモアレ縞模様が強く出たため)

#02、佐倉市民音楽ホールからの案内のハガキ(2019年2月&4月)
#02佐倉市民音楽ホールからの案内ハガキ.jpg
東京六人組が「三浦友理枝×東京六人組」と表記されていましたが、東京六人組の表記法をかえたのかな~という程度の認識で見ていました。良く良く見たら、前半が三浦さんのソロ演奏、後半が東京六人組のアンサンブル演奏であることがわかりました。

#03、佐倉市民音楽ホール正面広場(開場4分前)
#03佐倉市民音楽ホール正面広場.jpg
前日の天気予報では熱帯低気圧の通過で、曇り~雨の予報でしたが、当日は晴れて暑くなりました(気温約30℃)。

#04、佐倉市民音楽ホール開場直後(13時34分)
#04佐倉市民音楽ホールロビー13時34分.jpg
客層は高齢者が中心で、男女比はほぼ1対1?と思われました。

#05、佐倉市民音楽ホール開演10分前(13時50分)
#05佐倉市民音楽ホール開演10分前.jpg
座席は、ほぼ満席、でした。三浦さんが、ここ数年来毎年公演しており(注)、佐倉での知名度が高いためと思われました。
(注:昨年はホール改修工事のため三浦さんの公演は無し)

#06、プログラム第一部、三浦友理枝さんピアノ・リサイタル(プログラム)
#06第一部三浦友理枝さんソロ演奏プログラム.jpg


#07、三浦友理枝さん(当日の終演後の記念撮影の写真より)
#07三浦友理枝さん(きとろうオリジナル).jpg
❖第1曲目(ノクターン第8番)演奏後の三浦さんのトーク
皆様こんにちは♪~
台風直撃との予報でしたが、それて良かったです。ここでの演奏は2年ぶりで、今年も演奏を要請されたので、いつも一緒に演奏している、東京六人組の演奏を提案したところ快諾頂き、二部で演奏致します。
次に演奏する曲は、題名のとおり、二つの曲が合体している曲で、元々はピアノとオーケストラのための曲ですが、近年は、ピアノ・ソロで演奏されることが多いです。大ポロネーズは、ショパンが若いときの作品でみずみずしく華やかな作品です。

❖第2曲目ショパン/アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調Op.22の演奏(感想)
真摯でしかも熱情ある演奏でした。盛大な拍手で三浦さんを讃えました。

❖アンコール曲の演奏
三浦さん「ありがとうございました。今の演奏で、息があがっています。若いときは、わ~~楽しいという感覚で弾けましたが、現在は、また一寸違う感覚で弾いています。
アンコールとして「プーランクの即興曲エディット・ビアフを讃えて」を演奏します。

#08、(ご参考)YouTubeより、三浦さんの演奏のお姿
#08三浦友理枝さん演奏のお姿Youtubeより.jpg
◇演奏者:三浦友理枝、川久保賜紀 、遠藤真理
◇演奏曲:亡き王女のためのパヴァーヌ
URL=https://www.youtube.com/watch?v=Az5jPUow0Wc
※亡き王女のためのパヴァーヌは第2部の東京六人組の演奏、第3曲目で演奏されました。

#09、第2部東京六人組の演奏プログラム
#09第2部東京六人組アンサンブル・プログラム.jpg
演奏曲は、2015年に発売した1枚目のCDからの曲で構成されていました。

#10、東京六人組の演奏中の画像(You Tubeより)
#10東京六人組演奏の画像YouTubeより.jpg
東京六人組は、木管五重奏にピアノが加わった編成です。
※写真は2017年11月6日ハクジュホールでの演奏YouTubeより(https://www.youtube.com/watch?v=yFgIBqm80_Y

❖1曲目は、プーランク/六重奏曲より第1楽章
軽快でスリリングな曲調で始まり、途中不思議な雰囲気のメロディが流れ、終盤再びアップテンポで見事な全楽器の競演と言った感じで終わります。

きたろうは、木管五重奏の演奏は、結構良く聴きに行っています。仮に木管五重奏の響きを林にたとえると、東京六人組は森の響きという感じです。
ピアノが加わると音の厚みがこうも違うのか!

§1曲目演奏の後、自己紹介&楽器紹介が行われました。
(以下、トーク内容とプロフィールをないまぜにして紹介致します)

#11、上野由恵(よしえ)さん(フルート)
(写真はきたろうオリジナル=終演後の記念写真より切り抜いたものです。)
#11上野由恵さん(きたろうオリジナル).jpg
<楽器紹介>フルートの楽器紹介で結構詳しい説明がありました。
駄洒落が得意とのこと。(意外でした)
<プロフィール>
東京藝術大学修士課程終了
第76回日本音楽コンクール第1位
第2回東京音楽コンクール第1位
アメリカ、フランスでの活動を経て、2018年夏に帰国。

#12、荒絵理子さん(オーボエ)
(写真はきたろうのオリジナル写真です。以下の#13~#15も同様です)
#12荒絵理子さん(きたろうオリジナル).jpg
<自己紹介>演奏者のなかで、唯一千葉県出身者です。この会場は、オーボエを吹き始めてすぐの頃、宮本文昭さんの演奏を聴いたという思い出があります。
楽器紹介では、一般的説明に加え、リードは自分で作らなくてはならず、これに、時間が取られるということが紹介されました。
<プロフィール>
東京音楽大学卒業
第73回日本音楽コンクール第1位
2009年4月より東京交響楽団主席オーボエ奏者

#13、福士マリ子さん(ファゴット)
#13福士マリ子さん(きたろうオリジナル).jpg
<楽器紹介>管楽器の中で一番低音を担当する楽器です。
<プロフィール>
東京藝術大学卒業
第27回日本管打楽器コンクールファゴット部門第1位
現在東京交響楽団主席ファゴット奏者

#14、金子平(たいら)さん(クラリネット)
#14金子平さん(きたろうオリジナル).jpg
彼の番になって、いきなり「ガーシュインのラプソディ・イン・ブルー」の冒頭部の演奏がありました。
そのあと「話が苦手なもので、演奏を以って自己紹介と致します」との説明がありました。
<楽器紹介>「リードはオーボエが二枚でクラネットは一枚です。その他はオーボエとほぼ同じです」という簡潔なものでした。
<プロフィール>
東京藝術大学を経て、独リューベック国立音楽大学で学び卒業
日本音楽コンクール1位
2009年から2012年までリューベック歌劇場管弦楽団でクラリネット奏者を務めた。
現在読売日本交響楽団主席クラリネット奏者

#15、福川伸陽(のぶあき)さん
#15福川伸陽さん(きたろうオリジナル).jpg

<楽器紹介>結構詳しい説明がありました。最後、「ホルンは、音が後ろに出るので、ホルン奏者は後ろ向きと評されることもありますが、ホルンの音はステージ奥の反響板に音をぶつけて聞かす、奥ゆかしい人間であると自負しております」という落ちがついていました。
<プロフィール>
武蔵野音楽大学中退後にスイスへ渡り、ブルーノ・シュナイダー、トーマス・ミュラー、ミヒャエル・ヘルツェン、ヘルマン・バウマンらの薫陶を受ける。
第77回日本音楽コンクール第1位
NHK交響楽団主席ホルン奏者

●この後3曲演奏がありました。
❖2曲目:デュカス(浦壁信二編曲)/魔法使いの弟子
❖3曲目:ラヴェル(磯部周平編曲)/亡き王女のためのパヴアーヌ
❖4曲目:ラヴェル(川島素晴編曲)/ボレロ
※これらの曲は、東京六人組の第1枚目に収録されている曲で、各々東京六人組のために編曲されたものです。
各曲のProgram Note的なもの及び聴いた感想は省略します。

●プログラム最後の曲演奏後、拍手なりやまずアンコールが演奏されるときに、三浦さんに一寸したハプニングがあり、その時に、上野さんが駄洒落が得意?であることが判明しました。

❖アンコール曲は「フランセ:恋人たちのたそがれより第3楽章」でした。
会場から、暖かい大きな拍手が送られ、16時ちょっと前に終演しました。

#16、サイン会(荒さんのサイン)
#16荒さんのサイン.jpg
東京六人組さんのCDは一通り持っているので、既に購入したCDを持参し、(二度目の)サインを頂きました(左上は2018年に、下のサインが今回いただいたもの)

#17、福士さんのサイン
#17TokyoSextet第1枚目アルバム.jpg
東京六人組の1枚目のアルバムを購入したとき福士さんのサインのみ、もらいそびれていたので、今回改めて頂きました。

#18、三浦さんのサイン
#18三浦友理枝さんのCDショパン12の練習曲と即興曲2006年10月収録.jpg
既購入のCDを持参しサインを頂きました。このCDにたまたま本日演奏された「華麗なる大ポロネーズ」が収録されていて、とても良い記念になりました。

#19、東京六人組さんの記念撮影1
#19東京六人組記念撮影1.jpg
サイン会終了後、記念撮影に応じて頂きました。
前列左より、上野由恵(よしえ)さん、荒絵理子さん、福士マリ子さん、三浦友理枝さん、後列左より、金子平(たいら)さん、福川伸陽(のぶあき)さん

#20、東京六人組さんの記念撮影2
#20京六人組記念撮影2.jpg
きたろうは、二枚目でポーズ(ピース)を要求しました。荒さんがピースで応えてくれました。

#21、アンコール曲の掲示
#21東京六人組佐倉公演アンコール曲の掲示.jpg
三浦友理枝さん、東京六人組さんのパーフクトな演奏と、サイン会、記念撮影と120パーセント楽しませて頂き、会場を後にしました。
END



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おかね塚(下) [きたろう散歩]

取材日、2019/05/26(日)
アップ日、2019/07/11(木)
3月6日、市川市押切12-31(前)の6差路にある史跡おかね塚を通りがかりに取材しました。そこには「行徳おかね塚の由来」という石碑がありましたが、それをてっきり「おかね塚」と誤認したまま前回ブログ・アップしてしまいました。
 今回、改めて、この史跡を取材しました。

#01、市川市押切の6差路の西端にあるおかね塚
#01行徳おかね塚2019年5月-001B.jpg


#02、石碑「行徳おかね塚の由来」
#02行徳おかね塚2019年5月-003.jpg
この石碑は、「ここに『おかね塚』が作られました。」という説明板ですが、「この一角のどこにおかね塚があるか」というようなことは書いてありませんでした。
この、由来碑の後方には、ブロック塀で囲われた中に、墓石や石仏がありました。
この取材の前に、WEBで若干調べたところ、「おかね塚は庚申塔」であるという記述が見られた。しかし、庚申塔がなんであるか良くわからないまま現地に行き、この一角にある、墓石、石仏を写真におさめました。

#03、石仏と複数の墓石
#03行徳おかね塚2019年5月-006.jpg


#04、墓所中央にある墓
#04行徳おかね塚2019年5月-007.jpg


#05、中央の墓は廣瀬家の墓
#05行徳おかね塚2019年5月-017.jpg


#06、廣瀬家の墓右後方の複数の墓石
#06行徳おかね塚2019年5月-020.jpg


#07、廣瀬家の墓左後方の複数の墓石
#07行徳おかね塚2019年5月-022.jpg


#08、墓所、左手前にある石仏
#08和行徳おかね塚2019年5月-009.jpg


#09、石仏頭部
#09行徳おかね塚2019年5月-011B.jpg


#10、石仏上半身
#10行徳おかね塚2019年5月-015B.jpg


#11、石仏下半身
#11行徳おかね塚2019年5月-013B.jpg

これらの石仏、墓石には、いろいろ文字が書いてあるので、判読を試みましたが、墓石(中央の墓石除く)は苔むして、全く文字が見えませんでした。石仏にも、いろいろ文字が書いてありましたが、不鮮明で、判読は即、断念しました。
さて、これらの、墓石、石仏のどれがおかね塚なのか?ということであるが、この由来碑によれば、おかねさんのために墓を建てたように読み取れるし、ネットの情報では、庚申塔であると言うことだし、さっぱり見当がつきませんでした。
 取材日の二日後の5月28日に、たまたま郷土史の講座があったので、講師の方に、これらの写真を提示しながら、お話を伺ったところ、この左手にある石仏が庚申塔で、おかね塚と呼ばれているということや、この由来碑にある粗朶とは製塩に使うための薪であること、また、碑文を書いた綿貫喜郎氏は、数年前にお亡くなりになったことなどを教示していただきました。
 ただ、きたろうが疑念をもった、この由来碑の文章の信憑性については、はっきりした見解は、示して頂けませんでした。
この後、ネット上で、やや詳しく検索して見ましたが、ネット上の情報は、自身で調べたという情報はなく、何らかの情報の孫引きで、もやもや感が残りました。
 6月14日、市川中央図書館に行き、綿貫喜郎氏、宮崎長蔵氏共著の「行徳物語」を当たったところ、第3章「今と昔」に「おかね塚とお経塚」という項目があり、おかね塚についての言及がありました。(この部分の文章は、末尾に掲載)
 由来碑を書いた綿貫喜郎氏(宮崎長蔵氏共著)の著書でも、この石仏が、おかねさんの朋輩がお金を出しあって建てたものというより、「地元の伝承としてこのようなことが伝わっている」というような書き方で、史実であるとの判断は避けているように感じました。

#12、おかね塚由来碑の背面
#12行徳おかね塚2019年5月-021.jpg


#13、おかね塚由来碑の背面の拡大
#13行徳おかね塚2019年5月-019.jpg


由来碑は、おかねさんの悲運を哀れんで供養してきた地元の方々の伝承を後世に伝えるため、地元の有志によって昭和51年6月に建てられました。
信憑性が疑問視されるような伝承にこんな立派な由来碑を作ってしまうという、有志の方々に感心せざるを得ませんでした。
本文END

宮崎長蔵・綿貫喜郎共著「行徳物語」※、第3章 今と昔、「おかね塚とお経塚」より
 ◆おかね塚とお経塚◆
 行徳には、江戸時代初期の石造物がかなり残されている。その中でも押切にある《おかね塚》と新井にある《お経塚》には、それぞれ伝説が結びつけられ、人びとに語り継がれてきた。
 押切には船だまりがあって、五大木とよばれる小さな漁船の溜り場となっていた。ここには江戸時代の中ごろから、製塩に使われる燃料の粗朶(薪)が上総方面から運ばれ、定期的に五大力船とよぶ荷物の輸送船が停泊するようになった。
 こうした船の船頭や、人夫のなかには、停泊中に江戸の吉原(遊郭街)まで遊びに行く者もいた。そんな者たちのひとりが、かねという遊女と親しくなり、ついに夫婦の約束を交わしてしまった。
 船頭との約束をかたく信じたかねは、年季が明けるとすぐ押切に来て、上総からたきぎを運んでくる船頭に会えるのを楽しみに、ひたすら持ちこがれていた。

 しかし、いつまで持ってもその船頭は現われなかった。かねは蓄えたお金もすっかりつかい果たしてしまったが、それでも船頭がやって来るのを諦めず、村人たちに物乞いしながら、船だまりにある松の木蔭で待ち続けた。だが、かねもそのうち疲れ果ててしまい、ついにその松の木の下で帰らぬ人となってしまった。

 このことを伝え聞いた吉原の遊女たち百余人は、かねの純情な気持ちを哀れみ、わずかずつの金を出しあい、供養のための碑を建てた。村人たちも、この薄幸なかねのために花や線香を供え、これを《おかね塚》と名づけて今日まで供養を続けてきた。
 しかし、このように人びとに語り伝えられてきた《おかね塚》の碑だが、はたしてこれは、本当に遊女かねのために建てられたものだろうか?
 実は、この碑は、今から三百十数年前の寛文五年十月十五日に建てられたもので、押切部落の人たちによる庚申信仰のための庚申塔だったのである。
 舟形の光背に如来像を彫り出した実に立派な石像で、その下部周辺には百余名の名前が刻まれている。その名前も、片仮名で彫った女の名前が目立っているところから、おそらく遊女百余人の伝説が生まれてきたものだろう。とにかく、船頭と遊女にまつわる話が数ある中でも、悲恋に終わった純情な遊女かねのことは、強く村びとの心をとらえたできごとだったに違いない。それがいつしか、女性の名前がたくさん彫られた庚申塔と結びついて、今日まで供養されて来たものと思われる。
 真実はともかくとして、地下鉄東西線の出現とともに、行徳も新しく生まれ変わった今日では、もはや、この話を知る人も少なくなった。やがては人びとの心の中からも消え去る運命にあったが、たとえ遊女のかりそめの恋物語でも、語り伝え供養をしてきた人たちの心を後世に残そうと、このほど地元有志によって改めて「行徳おかね塚の由来」を書いた碑が建てられた。
※昭和52年10月15日初版発行、発行所 市川新聞社、発売元飯塚書房 東京都千代田区神田神保町

<再掲>郷土史研究家・綿貫喜郎氏(市川市曽谷公民館にて、2009年10月11日撮影)
#05綿貫喜郎氏曽谷公民館にて.jpg


●訂正&補足
この石碑に書いてある文章(写真から解読)
前回、「おかね塚(上)」で記述した「行徳おかね塚の由来」の10行目
『待つこと久し、されば蓄へし銭も散じ遂には路頭に食を□□』の□□部分は、「乞う」であることが判明しました。
また、碑文の末尾の署名が前回では、
「綿貫喜郎」となっていましたが、正しくは「綿貫喜郎誌」で、訂正いたします。


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きたろう散歩・おかね塚(1) [きたろう散歩]

取材日、2019/03/06(水)
アップ日、2019/06/24(月)

皆様、大変ご無沙汰しております。
このたび、千葉県市川市行徳地区(注)にある、「おかね塚」という、ちょっと変った名前の「塚」について、取材と調査をしましたので、アップします。
(注:現在、市川市行徳という地名はありません(市川市行徳駅前、市川市南行徳の地名はあるが)。概ね、旧東葛飾郡行徳町の範囲を、便宜上、行徳地区と呼称します。)
 この塚の存在を知ったきっかけは、行徳公民館の主催講座に出席するため、自転車で向かう際に、目標となる途中の目印がないかと探していたら、丁度自転車の経路で左折すべきところに「おかね塚」という史跡(的)なものがあるので、講座の前に立ち寄ったというのが、きっかけです。
 
#01、行徳公民館
#01行徳公民館.jpg
2019年3月6日撮影(撮影:江戸川きたろう)

#02、「おかね塚」、「行徳公民館」近辺の地図
#02おかね塚行徳公民館近辺地図.jpg
おかね塚は、市川市押切12-31(前)の6差路に建つ史跡で、Google Mapにも記載されています。

#03おかね塚?(説明表示石碑)
#03おかね塚の説明表示石碑.jpg
当初、この石碑が「おかね塚」と思い、この石碑を中心に写真を撮影しました。
行徳公民館で、講座を受講し、家に帰って、この碑文を読んでいたら、どうも、おかね塚そのものは、この石碑以外に、別に存在するようでした。

この石碑に書いてある文章(写真から解読)
◆行徳おかね塚の由来◆
行徳の浜は古来塩業を以って榮えし処。押切の地また然り。
浜辺に昇る塩焼きの煙は高く五大木(船)の行き交う中に粗朶(薪)を
運べる大船の往来するもあり為に船頭・人夫の此の地に泊る
者また少なしとせず。
 時に一船頭のしばしば此の地に來りて江戸吉原に遊びかね
と云える遊女と馴染む、船頭曰く年季を終えなば夫婦とな
らんと かね女喜びてその約を懐き歳を待つ、やがて季明
けなば早々に此の地に来りて船頭の至るを迎ふ。されど船頭
その姿を見せず。
 待つこと久し、されば蓄へし銭も散じ遂には路頭に食を□□
に至るもなお此の地に留る。船頭への恋慕の情きが
故なり。 遥かに上総の山影を望みて此処松樹の下に果つ。
 伝え聞きし朋輩百余人憐れみて資を募り墓碑を建て、霊を
弔ふ。
 噫呼 かね女の思ひの一途なる真に純なる哉 朋友の情の
篤きこと実に美なる哉。聞く者皆涙せざるはなし。里人の香
華を供えておかね塚と唱へしも時流れ日移りし今日その由知
る人ぞ少なし。
 茲(ここ)に幸薄かりしかね女を偲びて永代供養のため古老の伝へ
る由来を誌して後世に伝えんとする者也。  綿貫喜朗
   昭和五十一年六月吉日
注)□□・・・文字が風化により不鮮明で、解読できず。

最初、#03の写真を画像処理して文字が読めるような写真にならないかと試みましたが、このもくろみは果たせず、写真を拡大し、文章を解読した結果のテキスト文字(縦書き)を白黒反転し、石碑の写真と合成して、擬似的に、このもくろみを達成しました。

#04、おかね塚説明碑・文章レタッチ合成版
#04おかね塚の説明表示石碑(文章レタッチ合成版).jpg
表示された文章は、合成です(レタッチ:江戸川きたろう)

さて、この石碑の文章を読んで、率直のところ、「本当かな?」という思いがしました。
前半の部分は、実際にあったこととしても違和感はありません。
しかし、後半の「伝え聞きし朋輩百余人憐れみて資を募り墓碑を建て、霊を
弔ふ。」との一節は、こんなことがありえるだろうか?という感想でした。
また、ここの一節で、おかね塚というのは、このときに建てられたという墓のことを指しているのではないかと気付きました。
この、碑文を書いた「綿貫喜郎」氏の名前には、こころあたりがありました。
郷土史研究家で、この方の講演を二度程聴いた記憶があり、自身の写真ファイルを調べたところ、ご本人を撮影した画像がありました。

#05、郷土史研究家・綿貫喜郎氏(市川市曽谷公民館にて、2009年10月11日撮影)
#05綿貫喜郎氏曽谷公民館にて.jpg
注)綿貫喜郎氏の画像をWEB上で検索したところ、何枚かヒットしましたが、その画像(人物)は、綿貫氏に関連した方の画像で、ご本人のものではありませんので、ご注意ください。
綿貫喜郎氏は、残念ながら、数年前にお亡くなりになったそうです。

さて、それでは、「おかね塚」そのものはどれなのか?ということになりますが、おかね塚の説明石碑の後ろ側に、墓が並んでおり、この中のひとつがおかね塚と推定されました。しかし、この日は、墓の部分は、詳しく写真を撮っていなかったので、これ以上の探求は出来ず、再度取材を行うこととしました。
(続く)


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神田祭り・神輿宮入見物記(2019)-(下) [散歩会]

2019/5/12(日) 取材
2019/5/19(日) アップ

前回(見物記・上)、「内神田鎌倉町町会」の宮入・参拝からの続きです。

#10、神輿退出(1)14時41分
&10神田祭2019-090.jpg
二礼二拍手一礼の参拝が終了後、担ぎ手は女性にかわり境内からの退出モードに入ります。

#11、神輿退出(2)
&11神田祭2019-097.jpg
神輿は、退出に向け、反時計回りに回転中。

#12、神輿退出(3)
&12神田祭2019-117.jpg
神輿は、ほぼ90度回転しました。この後、180度回転し西出口から退出します。

#13~16、「淡路二丁目町会」の神輿(15時04分)
&13神田祭2019-214.jpg

#14
&14神田祭2019-234.jpg

#15
&15神田祭2019-236.jpg

#16
&16神田祭2019-243.jpg

#17、神田祭太鼓フェスティバル(15時17分)
&17神田祭2019-262.jpg
「明神和太鼓 明輪会」の演奏です。
(この日太鼓フェスティバルは14時30分?から15時30分までで、 明輪会は最後の出演でした。)

#18、須田町中部町会神輿①15時38分
&18神田祭2019-289.jpg
15時30分に甘酒「天野屋」前で、同行メンバーとの再集合のため境内から降りてきたところ、たまたま「須田町中部町会の神輿」が、入場して来るところに遭遇しました。
なんと、担ぎ手は全員女性でした。

#19~23、須田町中部町会神輿
&19神田祭2019-298.jpg

#20
&20神田祭2019-307.jpg

#21
&21神田祭2019-309.jpg

#22
&22神田祭2019-320.jpg
神輿一行は、はなやかに、隋神門へ進んで行きました。

#23
&23神田祭2019-335.jpg
宮入は、神田祭で一番盛り上がる場面で、見物している我々も結構興奮します。
このあと、本日の第二のイベント(飲み会)会場にむかいました。

END

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神田祭り・神輿宮入見物記(2019)-上 [散歩会]

神田祭り(本祭り)は、2年毎に開催されます。きたろうは、4年ぶりに、神田祭り宮入を見物して来ました。
(前回の「見物記」は2015/5/10取材)

#01、子供神輿(鳥居の下:13時57分)
&01神田祭2019-001.jpg
子供神輿は、ほとんどの町会で所有しています。しかし、宮入に参加するのは、限られています。
宮入の前に、神田明神の鳥居の下で待機します。

#02、子供神輿入場(13時58分)
&02神田祭2019-018.jpg
ここから、坂を登って、まず、隋神門を目指します。
(周りの大人達の掛け声は大きいですが、子供達の声はほとんど聞こえませんでした。)

#03、「将門塚保存会」の一行に出会う
&03神田祭2019-019.jpg
「神輿の宮入」というイベントは、神田神社(明神)の拝殿前で行われます。
鳥居から参道を、まっすぐ北へ登っていけば拝殿前に行けますが、このルートは、神輿が通るルートで、祭り見物の人であふれかえっているので、我々は、西側をぐるっと周って(宮本公園の方から)拝殿前へアプローチしました。
その途中で「将門塚保存会」の一行と出会いました。将門は、神田神社が祀っている神様の一柱です。
この坂は神田神社から、西に下る道なので、この一行の方々は、神田神社にお参りして帰るところと思われます。

#04、神輿宮入(1)14時32分
&04神田祭2019-051.jpg
境内へ到着したのは、14時20分頃で、この神輿の一組前の神輿が、宮入・参拝を行っていました。
これは、次の組「内神田鎌倉町」町会の神輿です(14時32分)。まず、前の神輿が退出すると、拝殿の前を広く空けます。
※以下数枚に渡り、「神輿宮入→参拝→退出」の流れを、画像で示します。

#05、神輿宮入(2)
&05神田祭2019-061.jpg
次に、神輿一行の、先頭の提灯(?)が、進みます。

#06、神輿宮入(3)
&06神田祭2019-065.jpg
神輿は、境内の東側から、拝殿の正面へ移動、そこから、元気一杯・掛け声勇ましく(但しゆっくりと)拝殿へ進みます。

#07、神輿宮入(4)
&07神田祭2019-071.jpg
掛け声勇ましく、進んで行きます。

#08、神輿宮入(5)
&08神田祭2019-061.jpg
拝殿の直前まで来ると、神輿は一旦前進をやめ、足踏み状態になります。
ついで、左端の、拍子木を持ったリーダーの指示に従って、神輿は前進→後進を何度か繰り返します。

#09、神輿宮入(6)
&09神田祭2019-089.jpg
2~3度、前進・後進を繰り返した後、神輿を持ち上げ、担ぐのやめ台の上へ置きます。
この後、神輿の一行は神官から、お払いを受け、次いで参拝を行います(二礼二拍手一礼)。(お払いと参拝の画像はありません)

~続く~
タグ:神田祭 将門
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