ブラタモリ・トレース/仙台・四谷用水(その2) [散歩会]
2015/10/25(日)取材
前回は、仙台の特徴的な地形の「へくり沢」について紹介しました。
今回は、いよいよ、四谷用水を辿るコースを歩きます。
#17、仙台市青葉区八幡1-3-15にある、八幡町(はちまんまち)の紹介説明板
へくり沢から、四谷用水に向かう途中にある説明板。
説明板には「私たちの八幡町」と題する、この町の歴史や、現在の新しいまちづくりの取り組み等について書かれています。(詳細割愛)
手前の石は、仙台城の石垣に使われた石。
(これは、ブラタモリの番組とは無縁です)
#今回の探索コースの地図と写真撮影ポイント
#18、由緒あるお店が残る作並街道(青葉区八幡4-1-6付近)
このお店は、味噌・醤油のお店で、現役で営業しています。
(これは、ブラタモリの番組とは無縁です)
#19、八幡4-1-13を右折四谷用水に向かいます
#20、狭い道を北上
この辺から、番組ブラタモリの四谷用水の探索が始まりました。この辺は、奇しくも、今回の散歩会に同行した同級生の家の前でした。
#21、タモリさん一行四谷用水へ向かう
草なぎ剛ナレーター:「続いては、仙台の町中へ。この辺りの用水は、現在蓋をされ、暗渠になっています。暗渠を辿れば、政宗が城下町に水を行き渡らせるために地形をうまく利用したことが分かるんです。」
タモリ:「普通の人は真っ平な町だと思っているんですよね。」
皆川さん:「実は河岸段丘の段差もあり、この先がそうですね!」
タモリ:「この上が上町で、一番上の台地ですね。ということは四谷用水はこの上を通っていたと言うことですね。」
#22、四谷用水跡(暗渠)(八幡4-10-1)
皆川さん:「四谷用水の痕跡が残っています。探して下さい!」
#23、タモリ:(暗渠を指さして)「これがあやしいですね。」
#24、タモリ:「道幅に対し、片方が異常に広い歩道があると言うのは、大体川の跡なんです。」
桑子アナ:「ここですよ正に!」
皆川さん:「間違い無いですよね。」
#25、青葉区八幡4-11-11付近
タモリ:「あっ!(四谷用水は)この下だ・・・」
皆川さん:「ガードレールの向こうです。」
木村さん:「これが蓋みたいなものですから・・・(用水は)下に流れていますよね!」
皆川さん:「まさに台地の縁(へり)なんですね。台地の際を流れている・・・」
#26、四谷用水と仙台の地形についての解説
草なぎ剛ナレーター:「仙台の城下町は、北西が高く南東に向かって、緩やかに傾斜しています。政宗は、水を遠くまで届けるため、なるべく高い場所を、つまり段丘の縁(へり)の部分に四谷用水を通したんです。」
#27、四谷用水・八幡4-11-21付近
桑子アナ:「縁を歩くっていうのは良いんですか?」
タモリ:「縁は大好きですよ!何でもですね、縁は・・・、ヒラメでもエンガワが旨い!!」
一同:「笑い」
#28、四谷用水・八幡4-11-21付近
皆川さん:「ここが、仙台市の縁なんです。市街地が、あっち(画面左方)に広がってます。」
木村さん:「「城下町がここから広がるんです・・・」
#29&30、四谷用水標示ポール(八幡4-11-27付近)
四谷用水を説明するポールが立っていたが、極く最近設置されたものの様である。
以下このポールに記載された文章を紹介します。
「<正面>「四谷用水」本流跡
<右側面>仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です。
<左側面>本流をこのような高台に流し町中に水を分流しやすいようにしました。当時として素晴らしい知恵と技術だったと言えます。」
#31、タモリさん、女子2名と出会う(八幡2-13-12付近)
皆川さん:「縁(へり)ガール来ました。」
タモリ&女子お互いに:「こんにちは!」
タモリ:「縁は好き?」
桑子アナ(女子に向かって):「あやしいこと言って、ごめんね!」
#32、八幡2-13-12付近
タモリ:「このアパート良いよね。」
皆川:「これ、暗渠沿いで、リバーサイドアパートメントですね」
皆川:「ナガヤ アートメント ハチ」と書いてありますね。」
#33、タモリ(リチャード・ギアの物まねで):「HACHI!!」
(続く)
前回は、仙台の特徴的な地形の「へくり沢」について紹介しました。
今回は、いよいよ、四谷用水を辿るコースを歩きます。
#17、仙台市青葉区八幡1-3-15にある、八幡町(はちまんまち)の紹介説明板
へくり沢から、四谷用水に向かう途中にある説明板。
説明板には「私たちの八幡町」と題する、この町の歴史や、現在の新しいまちづくりの取り組み等について書かれています。(詳細割愛)
手前の石は、仙台城の石垣に使われた石。
(これは、ブラタモリの番組とは無縁です)
#今回の探索コースの地図と写真撮影ポイント
#18、由緒あるお店が残る作並街道(青葉区八幡4-1-6付近)
このお店は、味噌・醤油のお店で、現役で営業しています。
(これは、ブラタモリの番組とは無縁です)
#19、八幡4-1-13を右折四谷用水に向かいます
#20、狭い道を北上
この辺から、番組ブラタモリの四谷用水の探索が始まりました。この辺は、奇しくも、今回の散歩会に同行した同級生の家の前でした。
#21、タモリさん一行四谷用水へ向かう
草なぎ剛ナレーター:「続いては、仙台の町中へ。この辺りの用水は、現在蓋をされ、暗渠になっています。暗渠を辿れば、政宗が城下町に水を行き渡らせるために地形をうまく利用したことが分かるんです。」
タモリ:「普通の人は真っ平な町だと思っているんですよね。」
皆川さん:「実は河岸段丘の段差もあり、この先がそうですね!」
タモリ:「この上が上町で、一番上の台地ですね。ということは四谷用水はこの上を通っていたと言うことですね。」
#22、四谷用水跡(暗渠)(八幡4-10-1)
皆川さん:「四谷用水の痕跡が残っています。探して下さい!」
#23、タモリ:(暗渠を指さして)「これがあやしいですね。」
#24、タモリ:「道幅に対し、片方が異常に広い歩道があると言うのは、大体川の跡なんです。」
桑子アナ:「ここですよ正に!」
皆川さん:「間違い無いですよね。」
#25、青葉区八幡4-11-11付近
タモリ:「あっ!(四谷用水は)この下だ・・・」
皆川さん:「ガードレールの向こうです。」
木村さん:「これが蓋みたいなものですから・・・(用水は)下に流れていますよね!」
皆川さん:「まさに台地の縁(へり)なんですね。台地の際を流れている・・・」
#26、四谷用水と仙台の地形についての解説
草なぎ剛ナレーター:「仙台の城下町は、北西が高く南東に向かって、緩やかに傾斜しています。政宗は、水を遠くまで届けるため、なるべく高い場所を、つまり段丘の縁(へり)の部分に四谷用水を通したんです。」
#27、四谷用水・八幡4-11-21付近
桑子アナ:「縁を歩くっていうのは良いんですか?」
タモリ:「縁は大好きですよ!何でもですね、縁は・・・、ヒラメでもエンガワが旨い!!」
一同:「笑い」
#28、四谷用水・八幡4-11-21付近
皆川さん:「ここが、仙台市の縁なんです。市街地が、あっち(画面左方)に広がってます。」
木村さん:「「城下町がここから広がるんです・・・」
#29&30、四谷用水標示ポール(八幡4-11-27付近)
四谷用水を説明するポールが立っていたが、極く最近設置されたものの様である。
以下このポールに記載された文章を紹介します。
「<正面>「四谷用水」本流跡
<右側面>仙台藩祖伊達政宗公は、城下町に必要な水を広瀬川上流の郷六から引きました。「四谷用水」と言われ、ここはその本流の跡です。
<左側面>本流をこのような高台に流し町中に水を分流しやすいようにしました。当時として素晴らしい知恵と技術だったと言えます。」
#31、タモリさん、女子2名と出会う(八幡2-13-12付近)
皆川さん:「縁(へり)ガール来ました。」
タモリ&女子お互いに:「こんにちは!」
タモリ:「縁は好き?」
桑子アナ(女子に向かって):「あやしいこと言って、ごめんね!」
#32、八幡2-13-12付近
タモリ:「このアパート良いよね。」
皆川:「これ、暗渠沿いで、リバーサイドアパートメントですね」
皆川:「ナガヤ アートメント ハチ」と書いてありますね。」
#33、タモリ(リチャード・ギアの物まねで):「HACHI!!」
(続く)
ブラタモリ・トレース/仙台・四谷用水(その1) [散歩会]
015/10/25(日)取材
仙台に帰省、数日滞在することになったので、その間に、仙台でブラタモリ・トレースをすることを計画しました。
ブラタモリ・トレースとはNHK・TVの番組「ブラタモリ」でタモリさん一行が歩いたのと同じコースを辿るという実に安易な企画の散歩会です。散歩会の後は例によって飲み会をするという言う計画を立て、中学同期のメーリング・リストで募集を
掛けました。その結果5名の方が参加することになりました。しかし、飲み会の募集の時には、見られなかった、非参加者からのコメントがいろいろありました。その中で、女性の同級生から、驚くべき内容のコメントがありました。※この内容は(その2)以降でお伝えします。
さて、今回のブラタモリ・トレースは、平成27年7月11日放送のブラタモリ・仙台の地形と用水から、その一部を辿ることにしました。
#01、NHK・TV番組「ブラタモリ・仙台の地形と用水」からの画像
撮影地点は仙台駅近くの「中央一丁目」交差点。
※以下、本ブログで、TV画面から転載の画像は、水色の枠で囲みます。
#02、番組出演者
右から、タモリさん、案内人の木村浩二さん(仙台市教育委員会)、桑子真帆アナウンサー(青葉城址にて)
#03、案内人・・・木村浩二さん
#04、「ブラタモリ・トレース/仙台の地形と用水(1日目)」トレース行程地図
ブラタモリの番組ホームページ掲載の地図をベースに作成しました。
赤線が番組で放送された、タモリさん一行が歩いたコース、青矢印は、今回きたろう一行が辿ったコース。
#05、同上拡大図(今回ブログで紹介する部分)
今回(その1)紹介するのは、仙台市街地の西部にある、へくり沢と呼ばれる地域です。特異なスリバチ状の地形で、広瀬川のすぐそばにありながら、伊達城下としての発達当初には、水にはめぐまれない地域でした。
※地図上、赤の、⑥、⑦、⑧・・・・は、以下に掲載する画像の#06、#07、#08・・・の撮影地点(方向)と対応します。
今回きたろう一行は、都合で、タモリさん一行が辿ったのと逆方向で辿りましたが、写真の掲載順は、ブラタモリの辿った順に掲載致します。
#06、ブラタモのロケ隊一行(へくり沢傍の道路にて)
画面中央の白い案内板を左に入ったところがへくり沢です。
※画面に写っているのは、ほとんどがロケ隊の皆様と思われます。(出演者を含め13~14名?)
#07、へくり沢入口から、広瀬川の方を望む。
※以下、水色枠の無い写真はきたろうオリジナルの写真です。
<番組のトーク>
草ナギ剛(ナレーター):「水を手に入れるのも一苦労という川と町の高低差を実感出来る場所なんです」
タモリ:「あ~~、ほんと、川が見えるわ!」
桑子アナ:「すぐ近くなんですね」
※きたろう注
ここは、へくり沢の沢水が広瀬川にそそぐ地点で、現在沢水は暗渠となっています。撮影した道路(面)と広瀬川の水面の高低差は約5mあり、広瀬川の水は利用しずらい。
さりとて、へくり沢の沢水は、恐らく水量が安定せず、江戸時代、沢水の利用は一部に留まったものと思われます。
#08、へくり沢入口
木村さん:「ちょっと左手に入って頂くと・・・」
#09、へくり沢の崖
タモリ:「崖がありますね~!」
木村さん「もう少し行くとですね~、両側に崖があり、15m以上、川から見ると20m以上の落差ですから、すごい崖です」
※きたろう注
きたろうは仙台出身ですが、この地域に来たことはありませんでした。他の同級生もはじめて来たと言っていました。へくり沢の前の道路(#06の道路)を通ったことは何度かありますが、へくり沢内の道は、袋小路になっているので友人・知人・親戚でもいない限り、ここを通ることは無いわけです。
画面左奥の高い建物は、ライオンズタワー(仙台広瀬)で、目立つ建物なので、今回の散歩会の集合場所にしました。
#10、さらなる案内人登場
東京スリバチ学会会長・皆川典久さん
草ナギ剛ナレーター:「週末ごとに、仲間と共に、全国の谷を飛びまわる、正に旅マニア。タモリさんとも知り合いです」
※きたろう注
この方は、以前タモリ倶楽部を見ているときに、出演していました。
#11、皆川さんのへくり沢の解説
皆川さん:「ここが正に、両側が崖に囲まれたすり鉢状の谷なんですね。へくり沢と言って、仙台城下でも非常に特徴的な谷の地形です。ここがほぼ一番低い所で、川筋・川跡に近い所です。」
タモリ:「ここひらたいですよね?」
皆川さん:「かなり(谷を)埋めていますから、(平らになっています)。私は谷マニアでもあり、暗渠マニアでもあります。」
桑子アナ:「暗渠ということはこの下は川ですか?」
皆川さん:「川が今でも流れています。昔は、堰き止めて、冬場は凍るんでスケート場として使ったりしていました。」
タモリ:「それは、そのままにした方が良かったのに」
(一同笑い)
※きたろうはこのことは、知識としては知っていました。それは、学校の文集で誰かが、「ここでスケートをした」という作文を書いていたからです。
#12、へくり沢をつなぐ土橋
皆川さん:「前方を谷を塞ぐように斜面が見えるのが分かりますか?」
木村さん:「車が通ってますでしょ」
皆川さん:「このへくり沢を越えるために、17世紀に作られた土の橋、土橋なんですね。」
草ナギ剛(ナレーター):「土橋の上に見えるのが、お城に繋がる道。これだけ高低差があると、水を手に入れるのも大変ですね。」
#13、へくり沢近辺の地形の立体模型
今までの地図、画像だけでは、へくり沢のイメージが湧かないと思いますで、外部ブログを探したところ、この立体模型を見つけましたので参考のために転載致しました。
(「仙台人が仙台を好きになるブログ」より転載。
※きたろう注:
手前の水面を水色に塗った川が広瀬川、そこから左上に切れ込んだ谷がへくり沢。へくり沢に架かる橋が土橋である。
#14、へくり沢全景
(#12)の斜面を登った途中から振り返って、へくり沢を眺めたところ。
#15、土橋の上の面(道路)からへくり沢を望む
木村さん:「今、城下町の上の面に辿りつきました。この落差分、毎日世适用水と飲料水を運び上げるのは、大変ですね。町全体に、水を行き渡らせる、住民のための用水が四谷用水です。」
草ナギ剛(ナレーター):「四谷用水は400年前、水不足を解消するために、伊達政宗が作りました。実は仙台の地形を知り尽くした伊達政宗だからこそ作れたんですね。」
※きたろう注
ここで、番組は、へくり沢のコーナーは終了しましたので、本ブログも中断します。
#16、土橋の上の道
先程の#15の所から少し南に下った所です。
実は、この道は、きたろうが小学校、高校、大学(1・2年)と通った道で、大変なつかしい場所(道)です。
左側の大きなお屋敷は、その当時とほとんど変わっていません(塀は綺麗になったが)。右側は尚絅学院の石垣で、この石垣も変わっていません。
(1日目その1・END)
仙台に帰省、数日滞在することになったので、その間に、仙台でブラタモリ・トレースをすることを計画しました。
ブラタモリ・トレースとはNHK・TVの番組「ブラタモリ」でタモリさん一行が歩いたのと同じコースを辿るという実に安易な企画の散歩会です。散歩会の後は例によって飲み会をするという言う計画を立て、中学同期のメーリング・リストで募集を
掛けました。その結果5名の方が参加することになりました。しかし、飲み会の募集の時には、見られなかった、非参加者からのコメントがいろいろありました。その中で、女性の同級生から、驚くべき内容のコメントがありました。※この内容は(その2)以降でお伝えします。
さて、今回のブラタモリ・トレースは、平成27年7月11日放送のブラタモリ・仙台の地形と用水から、その一部を辿ることにしました。
#01、NHK・TV番組「ブラタモリ・仙台の地形と用水」からの画像
撮影地点は仙台駅近くの「中央一丁目」交差点。
※以下、本ブログで、TV画面から転載の画像は、水色の枠で囲みます。
#02、番組出演者
右から、タモリさん、案内人の木村浩二さん(仙台市教育委員会)、桑子真帆アナウンサー(青葉城址にて)
#03、案内人・・・木村浩二さん
#04、「ブラタモリ・トレース/仙台の地形と用水(1日目)」トレース行程地図
ブラタモリの番組ホームページ掲載の地図をベースに作成しました。
赤線が番組で放送された、タモリさん一行が歩いたコース、青矢印は、今回きたろう一行が辿ったコース。
#05、同上拡大図(今回ブログで紹介する部分)
今回(その1)紹介するのは、仙台市街地の西部にある、へくり沢と呼ばれる地域です。特異なスリバチ状の地形で、広瀬川のすぐそばにありながら、伊達城下としての発達当初には、水にはめぐまれない地域でした。
※地図上、赤の、⑥、⑦、⑧・・・・は、以下に掲載する画像の#06、#07、#08・・・の撮影地点(方向)と対応します。
今回きたろう一行は、都合で、タモリさん一行が辿ったのと逆方向で辿りましたが、写真の掲載順は、ブラタモリの辿った順に掲載致します。
#06、ブラタモのロケ隊一行(へくり沢傍の道路にて)
画面中央の白い案内板を左に入ったところがへくり沢です。
※画面に写っているのは、ほとんどがロケ隊の皆様と思われます。(出演者を含め13~14名?)
#07、へくり沢入口から、広瀬川の方を望む。
※以下、水色枠の無い写真はきたろうオリジナルの写真です。
<番組のトーク>
草ナギ剛(ナレーター):「水を手に入れるのも一苦労という川と町の高低差を実感出来る場所なんです」
タモリ:「あ~~、ほんと、川が見えるわ!」
桑子アナ:「すぐ近くなんですね」
※きたろう注
ここは、へくり沢の沢水が広瀬川にそそぐ地点で、現在沢水は暗渠となっています。撮影した道路(面)と広瀬川の水面の高低差は約5mあり、広瀬川の水は利用しずらい。
さりとて、へくり沢の沢水は、恐らく水量が安定せず、江戸時代、沢水の利用は一部に留まったものと思われます。
#08、へくり沢入口
木村さん:「ちょっと左手に入って頂くと・・・」
#09、へくり沢の崖
タモリ:「崖がありますね~!」
木村さん「もう少し行くとですね~、両側に崖があり、15m以上、川から見ると20m以上の落差ですから、すごい崖です」
※きたろう注
きたろうは仙台出身ですが、この地域に来たことはありませんでした。他の同級生もはじめて来たと言っていました。へくり沢の前の道路(#06の道路)を通ったことは何度かありますが、へくり沢内の道は、袋小路になっているので友人・知人・親戚でもいない限り、ここを通ることは無いわけです。
画面左奥の高い建物は、ライオンズタワー(仙台広瀬)で、目立つ建物なので、今回の散歩会の集合場所にしました。
#10、さらなる案内人登場
東京スリバチ学会会長・皆川典久さん
草ナギ剛ナレーター:「週末ごとに、仲間と共に、全国の谷を飛びまわる、正に旅マニア。タモリさんとも知り合いです」
※きたろう注
この方は、以前タモリ倶楽部を見ているときに、出演していました。
#11、皆川さんのへくり沢の解説
皆川さん:「ここが正に、両側が崖に囲まれたすり鉢状の谷なんですね。へくり沢と言って、仙台城下でも非常に特徴的な谷の地形です。ここがほぼ一番低い所で、川筋・川跡に近い所です。」
タモリ:「ここひらたいですよね?」
皆川さん:「かなり(谷を)埋めていますから、(平らになっています)。私は谷マニアでもあり、暗渠マニアでもあります。」
桑子アナ:「暗渠ということはこの下は川ですか?」
皆川さん:「川が今でも流れています。昔は、堰き止めて、冬場は凍るんでスケート場として使ったりしていました。」
タモリ:「それは、そのままにした方が良かったのに」
(一同笑い)
※きたろうはこのことは、知識としては知っていました。それは、学校の文集で誰かが、「ここでスケートをした」という作文を書いていたからです。
#12、へくり沢をつなぐ土橋
皆川さん:「前方を谷を塞ぐように斜面が見えるのが分かりますか?」
木村さん:「車が通ってますでしょ」
皆川さん:「このへくり沢を越えるために、17世紀に作られた土の橋、土橋なんですね。」
草ナギ剛(ナレーター):「土橋の上に見えるのが、お城に繋がる道。これだけ高低差があると、水を手に入れるのも大変ですね。」
#13、へくり沢近辺の地形の立体模型
今までの地図、画像だけでは、へくり沢のイメージが湧かないと思いますで、外部ブログを探したところ、この立体模型を見つけましたので参考のために転載致しました。
(「仙台人が仙台を好きになるブログ」より転載。
※きたろう注:
手前の水面を水色に塗った川が広瀬川、そこから左上に切れ込んだ谷がへくり沢。へくり沢に架かる橋が土橋である。
#14、へくり沢全景
(#12)の斜面を登った途中から振り返って、へくり沢を眺めたところ。
#15、土橋の上の面(道路)からへくり沢を望む
木村さん:「今、城下町の上の面に辿りつきました。この落差分、毎日世适用水と飲料水を運び上げるのは、大変ですね。町全体に、水を行き渡らせる、住民のための用水が四谷用水です。」
草ナギ剛(ナレーター):「四谷用水は400年前、水不足を解消するために、伊達政宗が作りました。実は仙台の地形を知り尽くした伊達政宗だからこそ作れたんですね。」
※きたろう注
ここで、番組は、へくり沢のコーナーは終了しましたので、本ブログも中断します。
#16、土橋の上の道
先程の#15の所から少し南に下った所です。
実は、この道は、きたろうが小学校、高校、大学(1・2年)と通った道で、大変なつかしい場所(道)です。
左側の大きなお屋敷は、その当時とほとんど変わっていません(塀は綺麗になったが)。右側は尚絅学院の石垣で、この石垣も変わっていません。
(1日目その1・END)
市川市フレッシュ音楽講座・第4回邦楽講座(三味線)受講記 [演奏会]
2015/11/09 (月)取材
フレッシュ音楽講座(邦楽講座=三味線)なる講座を受講しました。講師は、市川市の新人コンクール受賞者の佐藤さくら子さんと簑田弘大(みのだこうだい)さんです。
音楽講座ということで、講義中心のアカデミックな内容かと思いましたが、「一般的演奏会よりは、曲紹介等が長めの普通の音楽会でした」
#01、音楽講座ちらし
主催者のちらしをベースに、きたろうが大幅レタッチした特製ちらし。
※SNS用に作成したもので、実際に配布はしていません。
#02、行徳文化ホールI&I内(開演15分前)
平日で、しかも音楽講座ということもあってか、参加者は少なめでした。
#03、プログラム
前半は、曲紹介→演奏、曲紹介→演奏・・・という感じで進行しました。
三味線二丁で、647席のホールで、マイク無しでどれだけの音量かと思っていましたが、結構な音量でホール内に良く響きました。
曲目で「・・・の合方」とあるのは、唄が無い楽器演奏曲のような意味だそうです。
前半の5曲目清搔は「すがかき」と読みます。この曲までが伝統的な曲で、最後の呼応は現代邦楽です。この曲は、お互いに掛け合いしながら演奏が進行するという正に曲目通りの、にぎやかな曲でした。
後半は、三味線の調子の「二上がり」「三下がり」の解説とそれの代表的曲の演奏や三味線の歴史、構造の講義と演奏とで、興味深く聴き入りました。
「五郎時致(ときむね)より二上がり」では、佐藤さくら子さんが弾き唄いという、三味線を演奏して且つ唄うというのを演奏しました。
(佐藤さくら子さんは唄は専門ではないと言っていましたが、大変素敵でした(*^_^*))
#04、勧進帳(演奏終了)
最後は、歌舞伎勧進帳で、義経一行が、関所を通る時に、策略で弁慶が、義経を打ち据えるというクライマックスの場面の演奏でした。
簑田弘大さんの唄も入って、三味線二本とは言えなかなかの迫力でホールに響き、歌舞伎の場面が彷彿されました。
#05、演奏後の記念撮影
左:簑田弘大(みのだこうだい)さん、右:佐藤さくら子さん
分かり易い講義と素晴らしい演奏ありがとうございました(^O^)/
フレッシュ音楽講座(邦楽講座=三味線)なる講座を受講しました。講師は、市川市の新人コンクール受賞者の佐藤さくら子さんと簑田弘大(みのだこうだい)さんです。
音楽講座ということで、講義中心のアカデミックな内容かと思いましたが、「一般的演奏会よりは、曲紹介等が長めの普通の音楽会でした」
#01、音楽講座ちらし
主催者のちらしをベースに、きたろうが大幅レタッチした特製ちらし。
※SNS用に作成したもので、実際に配布はしていません。
#02、行徳文化ホールI&I内(開演15分前)
平日で、しかも音楽講座ということもあってか、参加者は少なめでした。
#03、プログラム
前半は、曲紹介→演奏、曲紹介→演奏・・・という感じで進行しました。
三味線二丁で、647席のホールで、マイク無しでどれだけの音量かと思っていましたが、結構な音量でホール内に良く響きました。
曲目で「・・・の合方」とあるのは、唄が無い楽器演奏曲のような意味だそうです。
前半の5曲目清搔は「すがかき」と読みます。この曲までが伝統的な曲で、最後の呼応は現代邦楽です。この曲は、お互いに掛け合いしながら演奏が進行するという正に曲目通りの、にぎやかな曲でした。
後半は、三味線の調子の「二上がり」「三下がり」の解説とそれの代表的曲の演奏や三味線の歴史、構造の講義と演奏とで、興味深く聴き入りました。
「五郎時致(ときむね)より二上がり」では、佐藤さくら子さんが弾き唄いという、三味線を演奏して且つ唄うというのを演奏しました。
(佐藤さくら子さんは唄は専門ではないと言っていましたが、大変素敵でした(*^_^*))
#04、勧進帳(演奏終了)
最後は、歌舞伎勧進帳で、義経一行が、関所を通る時に、策略で弁慶が、義経を打ち据えるというクライマックスの場面の演奏でした。
簑田弘大さんの唄も入って、三味線二本とは言えなかなかの迫力でホールに響き、歌舞伎の場面が彷彿されました。
#05、演奏後の記念撮影
左:簑田弘大(みのだこうだい)さん、右:佐藤さくら子さん
分かり易い講義と素晴らしい演奏ありがとうございました(^O^)/
市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅱ(ガムラン演奏とバリ舞踊:小泉ちづこさん) [演奏と舞踊]
2015年10月31日(土)取材(2)
市川市では、戦後70年特別企画として、伊藤深水作の「南方風俗スケッチ」と永井荷風の「断腸亭日乗」の内容の(抜粋)紹介、及び同氏の遺品等の特別展示を行っています。
また、この会期中に、①「篠笛+尺八」、②「ガムラン演奏とバリ舞踊」、③「ヴァイオリン+ピアノ」のギャラリーコンサートが行われます。
ギャラリーコンサート②では、きたろうが贔屓にしている、小泉ちづこさんが出演するのでそのコンサートの開催日に、芳澤ガーデンギャラリーに行って来ました。
注)ギャラリーコンサートの①、②は終了しました。③は来たる11月7日に開催されます。展示会は11月8日まで開催しています。
本展示会のちらし(ポスター)
#19、芳澤ガーデンギャラリー・ギャラリーコンサートのご案内
※チラシ裏面より
本日の楽しみのギャラリーコンサートが2時から、ロビーで行われました。
実は3年前、2012年にも、本館で、伊東深水の「南方風俗スケッチ」の展示会があり(注)、その時出演した、櫻田素子さん、小泉ちづこさんが、今回も出演するということで、楽しみにしていました。
注)前回の展示内容と今回の展示内容は、一部の重複があるが、大多数は、異なる作品を展示しているとのこと。
#10、ガムラン演奏とバリ舞踊
今回は、演舞中の撮影ができなかったので、前回2012年に撮影したものをイメージとして掲載します。
左から、櫻田素子さん、秋山ゆかりさん(今回は欠席)、小泉ちづこさん
今日のプログラムは、(ガムラン演奏+バリ舞踊)→(ガムラン演奏のみ)→(ガムラン演奏+バリ舞踊)→(ガムラン演奏のみ)・・・という順で進行しました。
最初に、この写真とほぼ同じ衣装で、王家に捧げる伝統的な舞踊を踊りました。これは、激しい動きの踊りでした。
次いで楽器のみの演奏があってから、小泉さんが白い衣装に衣装替えして登場、ゆるやかな動きの「歓迎の舞」を踊りました。
また、楽器のみの演奏があって、最後のプログラムでは、男性っぽい衣装で登場、優雅な男性貴族の舞を踊りました。
さらに、アンコールとして「ジョゲッ」という、若い女性が気に行った人を誘って踊るという舞踊で、お客様を誘って、一緒に踊るというのを行いました。お客さまも、乗りが良く、多数の方がこの踊りに参加し盛り上がりました。
#21、演奏後記念撮影
後列左側・・・渡辺泰子さん(笛と太鼓の演奏)、後列右側・・・櫻田素子さん・・・リンディック(竹の木琴のような楽器)演奏、中央・・・小泉ちづこさん
#22、同上
#23、ファンの方々と記念撮影
素敵な演奏と舞踊、ありがとうございました!!
市川市では、戦後70年特別企画として、伊藤深水作の「南方風俗スケッチ」と永井荷風の「断腸亭日乗」の内容の(抜粋)紹介、及び同氏の遺品等の特別展示を行っています。
また、この会期中に、①「篠笛+尺八」、②「ガムラン演奏とバリ舞踊」、③「ヴァイオリン+ピアノ」のギャラリーコンサートが行われます。
ギャラリーコンサート②では、きたろうが贔屓にしている、小泉ちづこさんが出演するのでそのコンサートの開催日に、芳澤ガーデンギャラリーに行って来ました。
注)ギャラリーコンサートの①、②は終了しました。③は来たる11月7日に開催されます。展示会は11月8日まで開催しています。
本展示会のちらし(ポスター)
#19、芳澤ガーデンギャラリー・ギャラリーコンサートのご案内
※チラシ裏面より
本日の楽しみのギャラリーコンサートが2時から、ロビーで行われました。
実は3年前、2012年にも、本館で、伊東深水の「南方風俗スケッチ」の展示会があり(注)、その時出演した、櫻田素子さん、小泉ちづこさんが、今回も出演するということで、楽しみにしていました。
注)前回の展示内容と今回の展示内容は、一部の重複があるが、大多数は、異なる作品を展示しているとのこと。
#10、ガムラン演奏とバリ舞踊
今回は、演舞中の撮影ができなかったので、前回2012年に撮影したものをイメージとして掲載します。
左から、櫻田素子さん、秋山ゆかりさん(今回は欠席)、小泉ちづこさん
今日のプログラムは、(ガムラン演奏+バリ舞踊)→(ガムラン演奏のみ)→(ガムラン演奏+バリ舞踊)→(ガムラン演奏のみ)・・・という順で進行しました。
最初に、この写真とほぼ同じ衣装で、王家に捧げる伝統的な舞踊を踊りました。これは、激しい動きの踊りでした。
次いで楽器のみの演奏があってから、小泉さんが白い衣装に衣装替えして登場、ゆるやかな動きの「歓迎の舞」を踊りました。
また、楽器のみの演奏があって、最後のプログラムでは、男性っぽい衣装で登場、優雅な男性貴族の舞を踊りました。
さらに、アンコールとして「ジョゲッ」という、若い女性が気に行った人を誘って踊るという舞踊で、お客様を誘って、一緒に踊るというのを行いました。お客さまも、乗りが良く、多数の方がこの踊りに参加し盛り上がりました。
#21、演奏後記念撮影
後列左側・・・渡辺泰子さん(笛と太鼓の演奏)、後列右側・・・櫻田素子さん・・・リンディック(竹の木琴のような楽器)演奏、中央・・・小泉ちづこさん
#22、同上
#23、ファンの方々と記念撮影
素敵な演奏と舞踊、ありがとうございました!!
市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅰ/伊東深水(南方風俗スケッチ)展+永井荷風(断腸亭日乗)関連展 [絵画鑑賞]
2015年10月31日(土)取材
市川市では、戦後70年特別企画として、伊藤深水作の「南方風俗スケッチ」と永井荷風の「断腸亭日乗」の内容の(抜粋)紹介、及び同氏の遺品等の特別展示を行っています。
また、この会期中に、①「篠笛+尺八」、②「ガムラン演奏とバリ舞踊」、③「ヴァイオリン+ピアノ」のギャラリーコンサートが行われます。
ギャラリーコンサート②では、きたろうが贔屓にしている、小泉ちづこさんが出演するのでそのコンサートの開催日に、芳澤ガーデンギャラリーに行って来ました。(このギャラリーコンサートのレポートは「市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅱ」で行います。
注)ギャラリーコンサートの①、②は終了しました。③は来たる11月7日に開催されます。展示会は11月8日まで開催しています。
#01、本展示会のちらし(ポスター)
#02、市川市芳澤ガーデンギャラリー入口
#03、伊東深水・永井荷風企画展及びギャラリーコンサートの案内表示
#04、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(1)
わずかに紅葉が始まっています。
#05、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(2)
赤と緑の対比が鮮やかです。
#06、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(3)
#07、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(4)
#08、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(5)
#09、芳澤ガーデンギャラリー玄関
#10、本展示会の、開催趣旨と概要
#11、伊東深水の絵(1)
戦時下のインドネシアで描かれたスケッチで、鉛筆の輪郭線に水彩絵の具で彩色しています。
戦時下で、当時の写真は撮影されていないので、当時の島の様子を伝える、貴重な資料でもあるとのことです。
注)#11~18の写真は、ネットからの転載やちらしからの転載等で、必ずしも実際の展示内容と同一ではありません。
#12、伊東深水の絵(2)
#13、伊東深水の絵(3)
きたろうがもし、絵を始めるとしたら、まず、伊東深水氏の鉛筆+水彩絵の具で描く絵の技法で描いてみたい。
#14、永井荷風肖像写真
永井荷風は、戦後、数年間、市川市に住んでいました。また、遺族が、永井氏の遺品を市川市に寄贈したため、永井荷風に関する展示会が時折市川で開催されます。
#15、永井荷風の遺品
永井荷風は高齢にもかかわらず、晩年一人暮らしを行っていました。
荷風の遺品が展示されており、左の写真の他、メガネ、帽子、三つ揃え、湯のみ、急須などが展示されていました。
#16、断腸亭日乗(日記)
断腸亭日乗の本物が展示されていました。また、この中の内容を抜粋して、パネルにしたものも展示されていました。
このパネル(日記)を読むと、全くの個人的メモのような感じで、「誰と会った」とか「何を食べた」とか「何々を誰それから頂いた」とか、日常生活の出来ごとを、1日分、数行で簡潔に記録したものです。そこには、感情や、私情は書いてありませんでした。
しかし、特に目を引いたのは。戦時下なのに、浅草へ出かけて、踊り子に誘われて、映画を見たりしている記述があったことでした。その、映画はフランス映画で、荷風の日記には珍しく、「映画のフランス語が懐かしく、心地良かった」というような記述があったことです。まず、戦時下でも仏映画が見られたのが驚きだし、また荷風が、映画のフランス語を字幕無しで理解出来るほど、フランス語に堪能だった点です。
荷風は、当局から、あらぬ疑いをかけられないように、日記を書いている時は、この日記の存在を、友人にも秘密にしていたそうです。
#17、永井荷風の外出姿
この姿で、市川から、浅草やその他都内に出かけていた。
#18、浅草のストリップ劇場の楽屋で、踊り子と写真撮影
昭和25年頃、浅草ロック座などで、荷風作の劇が上演され、荷風自身特別出演として舞台に立ち、楽屋では踊り子たちと談笑する姿が新聞に載るなど話題を集めたこともあるという。
以上で、戦後70年特別企画展示の報告は終わりです。
ギャラリーコンサートに関しては、次の「市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅱ(ガムラン演奏とバリ舞踊:小泉ちづこさん)」でレポートします。
<続く>
市川市では、戦後70年特別企画として、伊藤深水作の「南方風俗スケッチ」と永井荷風の「断腸亭日乗」の内容の(抜粋)紹介、及び同氏の遺品等の特別展示を行っています。
また、この会期中に、①「篠笛+尺八」、②「ガムラン演奏とバリ舞踊」、③「ヴァイオリン+ピアノ」のギャラリーコンサートが行われます。
ギャラリーコンサート②では、きたろうが贔屓にしている、小泉ちづこさんが出演するのでそのコンサートの開催日に、芳澤ガーデンギャラリーに行って来ました。(このギャラリーコンサートのレポートは「市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅱ」で行います。
注)ギャラリーコンサートの①、②は終了しました。③は来たる11月7日に開催されます。展示会は11月8日まで開催しています。
#01、本展示会のちらし(ポスター)
#02、市川市芳澤ガーデンギャラリー入口
#03、伊東深水・永井荷風企画展及びギャラリーコンサートの案内表示
#04、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(1)
わずかに紅葉が始まっています。
#05、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(2)
赤と緑の対比が鮮やかです。
#06、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(3)
#07、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(4)
#08、芳澤ガーデンギャラリーの庭内(5)
#09、芳澤ガーデンギャラリー玄関
#10、本展示会の、開催趣旨と概要
#11、伊東深水の絵(1)
戦時下のインドネシアで描かれたスケッチで、鉛筆の輪郭線に水彩絵の具で彩色しています。
戦時下で、当時の写真は撮影されていないので、当時の島の様子を伝える、貴重な資料でもあるとのことです。
注)#11~18の写真は、ネットからの転載やちらしからの転載等で、必ずしも実際の展示内容と同一ではありません。
#12、伊東深水の絵(2)
#13、伊東深水の絵(3)
きたろうがもし、絵を始めるとしたら、まず、伊東深水氏の鉛筆+水彩絵の具で描く絵の技法で描いてみたい。
#14、永井荷風肖像写真
永井荷風は、戦後、数年間、市川市に住んでいました。また、遺族が、永井氏の遺品を市川市に寄贈したため、永井荷風に関する展示会が時折市川で開催されます。
#15、永井荷風の遺品
永井荷風は高齢にもかかわらず、晩年一人暮らしを行っていました。
荷風の遺品が展示されており、左の写真の他、メガネ、帽子、三つ揃え、湯のみ、急須などが展示されていました。
#16、断腸亭日乗(日記)
断腸亭日乗の本物が展示されていました。また、この中の内容を抜粋して、パネルにしたものも展示されていました。
このパネル(日記)を読むと、全くの個人的メモのような感じで、「誰と会った」とか「何を食べた」とか「何々を誰それから頂いた」とか、日常生活の出来ごとを、1日分、数行で簡潔に記録したものです。そこには、感情や、私情は書いてありませんでした。
しかし、特に目を引いたのは。戦時下なのに、浅草へ出かけて、踊り子に誘われて、映画を見たりしている記述があったことでした。その、映画はフランス映画で、荷風の日記には珍しく、「映画のフランス語が懐かしく、心地良かった」というような記述があったことです。まず、戦時下でも仏映画が見られたのが驚きだし、また荷風が、映画のフランス語を字幕無しで理解出来るほど、フランス語に堪能だった点です。
荷風は、当局から、あらぬ疑いをかけられないように、日記を書いている時は、この日記の存在を、友人にも秘密にしていたそうです。
#17、永井荷風の外出姿
この姿で、市川から、浅草やその他都内に出かけていた。
#18、浅草のストリップ劇場の楽屋で、踊り子と写真撮影
昭和25年頃、浅草ロック座などで、荷風作の劇が上演され、荷風自身特別出演として舞台に立ち、楽屋では踊り子たちと談笑する姿が新聞に載るなど話題を集めたこともあるという。
以上で、戦後70年特別企画展示の報告は終わりです。
ギャラリーコンサートに関しては、次の「市川市芳澤ガーデンギャラリー企画展Ⅱ(ガムラン演奏とバリ舞踊:小泉ちづこさん)」でレポートします。
<続く>