ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(新編1) [散歩会]
2016/05/12(木) 実施
たいへんご無沙汰しました。特に理由はないのですが、SO-NETの活動をしばらく休止していました。
また、昨年11月29日にアップした、ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(その2)は、完結しないまま現在に至って居ります。
今回、改めて、四ツ谷用水の取水口から本流洗い場跡、さらに壱弐参(いろは)横丁の井戸、うなぎ屋と名掛丁の用水支流跡を取材しましたので、紹介致します。
今回の、ブラタモリ・トレースは、昨年同様、同級生との散歩会として設定しました。
#01、JR仙山線葛岡駅(仙台市青葉区葛岡)
最初の目的地「四ツ谷用水取水口」には、JR葛岡駅が便利そうだったので、ここを集合場所にしました。無人駅でトイレが無く、ちょっと困りました。
駅舎上方のシートの被っている所がホームで、現在改装中とのこと。
#02、ブラタモリ・トレース四ツ谷用水関連地図(葛岡駅→四ツ谷用水沈砂池)
#03、四ツ谷用水取水口(TV番組ブラタモリより)
放送日2015年7月11日(土)NHK
本画面で、草ナギ剛さんのナレーションあり・・・
「タモリさんがやって来たのは、四ツ谷用水のスタート地点。ここから、四ツ谷用水を辿ると、政宗が地形マニアだったことが、良くわかるんです。」
#04、四ツ谷用水取水口(実写)
この施設の正式名称は「宮城県工業用水道事業所第六取水口(四ツ谷ぜき用水)」というらしい。
住所・・・仙台市青葉区郷六龍澤(葛岡駅から、徒歩900m)
タモリさん一行は、この門から入場したが、我々一行は許可を取っていないので、塀の左脇の山道のようなとこから降りて行きました。
#05、四ツ谷堰(TV画面より)
一番手前の方が、仙台市教育委員会木村浩二さん、その前が、日本スリバチ学会会長 皆川典久さん、その前が、桑子アナンサー、その前がタモリさん(左肩のみ見えている)。
#06、四ツ谷堰(実写)
#07、四ツ谷堰の水の流れ
写真で上の矢印の先に取水口があります。
余った水は、下の矢印のように、本流に戻ります。
#08、四ツ谷用水取水口
#07同様、右方向へ行く水が工業用水となります。手前の余り水は本流に戻ります。
(本写真のみ、平28年10月26日撮影)
#09、四ツ谷用水取水口の設備
結構な規模の設備が設置されています。
#10、四ツ谷用水沈砂池付近(TV画面より)
先程の取水口から徒歩800m地点。
四ツ谷用水は、約400年前、伊達政宗が、毛利藩にいた川村孫兵衛の手腕を買い、伊達藩に呼び寄せ、掘削を依頼し完成した。
当時から、昭和30年代までは、トンネル部分以外は開渠構造であったが、昭和30年半ば頃から堀の上に蓋がかぶされて、暗渠化が進んだ。
この辺(青葉区郷六字館)でのみ、四ツ谷用水の開渠構造が見られます。
写真で不鮮明ですが、画面右手、ガードレールのすぐ先に、沈砂池があります。
#11、宮城県工業用水道沈砂池(門と看板)
#12、「四ツ谷用水の開水路と沈砂池」の説明板
説明板の文章をテキストにそのまま落としました。
『四ツ谷用水』の開水路
伊達改宗公は城下町仙台を開くにあたって、生活用水,消火用水、農業用水等として必要な水をここ広瀬川の郷六から引き入れ、八幡から北六番丁を流れて梅田川に注ぐ本流と、途中の三つの支流を分岐して仙台城下に広く流しました、これが「四ツ谷用水」です。
最初の川水の取り入れ口は伊達家の別荘である「郷六御殿」の近くで、現在の「北堰」(三居沢発電所の取水堰)のあたりにあって「古堰」と言われていました。
約800m上流の現在の「四ツ谷堰は明治10年代に造られ、1号隧道(トンネル)を通ってここまで来ています。
この場所は藩政時代の「四ツ谷用水」の流れを見ることのできる唯一の場所です。
現在は工業用水道として使用されております。
沈砂池とは砂を除去するための工業用水道の施設です。
平成26年12月「四ツ谷の水を街並みに!」市民の会
#13、宮城県工業用水道沈砂池全景
画面左が沈砂池、右側は四ツ谷用水の開渠部。
#14、木村氏のしぐさもトレース
木村氏の説明
「緑のきれいな森の手前を広瀬川が流れています。広瀬川の本流に沿って四ツ谷用水をずっと流しているという感じです。」
#15、四ツ谷用水唯一の開渠部分(1)
右側が上流方向(沈砂池)
非常にゆっくりした流れです。
#16、四ツ谷用水唯一の開渠部分(2)
手前が上流側、向こうが下流方向。
#17、聖沢掛樋(作並街道)
四ツ谷用水は、その名の由来ともなっている、四つの谷を越えて仙台城下まで流れて行きます。谷越えは、木の樋を使って越えました。この樋を掛樋(かけひ)と言います。
画面一番右が、作並街道、中央が作並街道(旧道)。旧道の左側に掛樋があります。
#18、聖沢掛樋の位置図
聖沢掛樋は青葉区八幡6丁目で、先程の沈砂池から、約2km下流にあります。
四つの大きい谷とは、上流から、針金沢、聖沢、鶏沢、へくり沢です。針金沢は、先程の沈砂池の東方約100m程の所にあります。
ここ聖沢は、2番目の谷で、一番深い谷です。
#19、聖沢掛樋を散歩会メンバーが見学
現在、樋(掛樋)がオープンの状態で見られるのは、ここだけです。
建設時の樋の大きさは、幅5尺(1.5m)×高さ5尺(1.5m)で松の木で出来ていました。
現在は、工業用水のため、コンクリート製です。
#20、聖沢掛樋をタモリさん一行が見学
番組より
タモリ氏「これ(用水)渡っていますね!上を!」
桑子アナ「ほんとだ!」
皆川さん「ローマの水道橋みたいでしょ」
タモリ氏「これ、谷、深いんだ!」
#21、聖沢掛樋と聖沢川
#22、聖沢掛樋を下流より望む
#23、聖沢掛樋の説明板
一般的に、この類の説明板は、自治体又は教育委員会が設置しますが、この説明板は、民間のグループで設置しています。
(続く)
たいへんご無沙汰しました。特に理由はないのですが、SO-NETの活動をしばらく休止していました。
また、昨年11月29日にアップした、ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(その2)は、完結しないまま現在に至って居ります。
今回、改めて、四ツ谷用水の取水口から本流洗い場跡、さらに壱弐参(いろは)横丁の井戸、うなぎ屋と名掛丁の用水支流跡を取材しましたので、紹介致します。
今回の、ブラタモリ・トレースは、昨年同様、同級生との散歩会として設定しました。
#01、JR仙山線葛岡駅(仙台市青葉区葛岡)
最初の目的地「四ツ谷用水取水口」には、JR葛岡駅が便利そうだったので、ここを集合場所にしました。無人駅でトイレが無く、ちょっと困りました。
駅舎上方のシートの被っている所がホームで、現在改装中とのこと。
#02、ブラタモリ・トレース四ツ谷用水関連地図(葛岡駅→四ツ谷用水沈砂池)
#03、四ツ谷用水取水口(TV番組ブラタモリより)
放送日2015年7月11日(土)NHK
本画面で、草ナギ剛さんのナレーションあり・・・
「タモリさんがやって来たのは、四ツ谷用水のスタート地点。ここから、四ツ谷用水を辿ると、政宗が地形マニアだったことが、良くわかるんです。」
#04、四ツ谷用水取水口(実写)
この施設の正式名称は「宮城県工業用水道事業所第六取水口(四ツ谷ぜき用水)」というらしい。
住所・・・仙台市青葉区郷六龍澤(葛岡駅から、徒歩900m)
タモリさん一行は、この門から入場したが、我々一行は許可を取っていないので、塀の左脇の山道のようなとこから降りて行きました。
#05、四ツ谷堰(TV画面より)
一番手前の方が、仙台市教育委員会木村浩二さん、その前が、日本スリバチ学会会長 皆川典久さん、その前が、桑子アナンサー、その前がタモリさん(左肩のみ見えている)。
#06、四ツ谷堰(実写)
#07、四ツ谷堰の水の流れ
写真で上の矢印の先に取水口があります。
余った水は、下の矢印のように、本流に戻ります。
#08、四ツ谷用水取水口
#07同様、右方向へ行く水が工業用水となります。手前の余り水は本流に戻ります。
(本写真のみ、平28年10月26日撮影)
#09、四ツ谷用水取水口の設備
結構な規模の設備が設置されています。
#10、四ツ谷用水沈砂池付近(TV画面より)
先程の取水口から徒歩800m地点。
四ツ谷用水は、約400年前、伊達政宗が、毛利藩にいた川村孫兵衛の手腕を買い、伊達藩に呼び寄せ、掘削を依頼し完成した。
当時から、昭和30年代までは、トンネル部分以外は開渠構造であったが、昭和30年半ば頃から堀の上に蓋がかぶされて、暗渠化が進んだ。
この辺(青葉区郷六字館)でのみ、四ツ谷用水の開渠構造が見られます。
写真で不鮮明ですが、画面右手、ガードレールのすぐ先に、沈砂池があります。
#11、宮城県工業用水道沈砂池(門と看板)
#12、「四ツ谷用水の開水路と沈砂池」の説明板
説明板の文章をテキストにそのまま落としました。
『四ツ谷用水』の開水路
伊達改宗公は城下町仙台を開くにあたって、生活用水,消火用水、農業用水等として必要な水をここ広瀬川の郷六から引き入れ、八幡から北六番丁を流れて梅田川に注ぐ本流と、途中の三つの支流を分岐して仙台城下に広く流しました、これが「四ツ谷用水」です。
最初の川水の取り入れ口は伊達家の別荘である「郷六御殿」の近くで、現在の「北堰」(三居沢発電所の取水堰)のあたりにあって「古堰」と言われていました。
約800m上流の現在の「四ツ谷堰は明治10年代に造られ、1号隧道(トンネル)を通ってここまで来ています。
この場所は藩政時代の「四ツ谷用水」の流れを見ることのできる唯一の場所です。
現在は工業用水道として使用されております。
沈砂池とは砂を除去するための工業用水道の施設です。
平成26年12月「四ツ谷の水を街並みに!」市民の会
#13、宮城県工業用水道沈砂池全景
画面左が沈砂池、右側は四ツ谷用水の開渠部。
#14、木村氏のしぐさもトレース
木村氏の説明
「緑のきれいな森の手前を広瀬川が流れています。広瀬川の本流に沿って四ツ谷用水をずっと流しているという感じです。」
#15、四ツ谷用水唯一の開渠部分(1)
右側が上流方向(沈砂池)
非常にゆっくりした流れです。
#16、四ツ谷用水唯一の開渠部分(2)
手前が上流側、向こうが下流方向。
#17、聖沢掛樋(作並街道)
四ツ谷用水は、その名の由来ともなっている、四つの谷を越えて仙台城下まで流れて行きます。谷越えは、木の樋を使って越えました。この樋を掛樋(かけひ)と言います。
画面一番右が、作並街道、中央が作並街道(旧道)。旧道の左側に掛樋があります。
#18、聖沢掛樋の位置図
聖沢掛樋は青葉区八幡6丁目で、先程の沈砂池から、約2km下流にあります。
四つの大きい谷とは、上流から、針金沢、聖沢、鶏沢、へくり沢です。針金沢は、先程の沈砂池の東方約100m程の所にあります。
ここ聖沢は、2番目の谷で、一番深い谷です。
#19、聖沢掛樋を散歩会メンバーが見学
現在、樋(掛樋)がオープンの状態で見られるのは、ここだけです。
建設時の樋の大きさは、幅5尺(1.5m)×高さ5尺(1.5m)で松の木で出来ていました。
現在は、工業用水のため、コンクリート製です。
#20、聖沢掛樋をタモリさん一行が見学
番組より
タモリ氏「これ(用水)渡っていますね!上を!」
桑子アナ「ほんとだ!」
皆川さん「ローマの水道橋みたいでしょ」
タモリ氏「これ、谷、深いんだ!」
#21、聖沢掛樋と聖沢川
#22、聖沢掛樋を下流より望む
#23、聖沢掛樋の説明板
一般的に、この類の説明板は、自治体又は教育委員会が設置しますが、この説明板は、民間のグループで設置しています。
(続く)