神田祭り・神輿宮入見物記(2019)-(下) [散歩会]
2019/5/12(日) 取材
2019/5/19(日) アップ
前回(見物記・上)、「内神田鎌倉町町会」の宮入・参拝からの続きです。
#10、神輿退出(1)14時41分
二礼二拍手一礼の参拝が終了後、担ぎ手は女性にかわり境内からの退出モードに入ります。
#11、神輿退出(2)
神輿は、退出に向け、反時計回りに回転中。
#12、神輿退出(3)
神輿は、ほぼ90度回転しました。この後、180度回転し西出口から退出します。
#13~16、「淡路二丁目町会」の神輿(15時04分)
#14
#15
#16
#17、神田祭太鼓フェスティバル(15時17分)
「明神和太鼓 明輪会」の演奏です。
(この日太鼓フェスティバルは14時30分?から15時30分までで、 明輪会は最後の出演でした。)
#18、須田町中部町会神輿①15時38分
15時30分に甘酒「天野屋」前で、同行メンバーとの再集合のため境内から降りてきたところ、たまたま「須田町中部町会の神輿」が、入場して来るところに遭遇しました。
なんと、担ぎ手は全員女性でした。
#19~23、須田町中部町会神輿
#20
#21
#22
神輿一行は、はなやかに、隋神門へ進んで行きました。
#23
宮入は、神田祭で一番盛り上がる場面で、見物している我々も結構興奮します。
このあと、本日の第二のイベント(飲み会)会場にむかいました。
END
2019/5/19(日) アップ
前回(見物記・上)、「内神田鎌倉町町会」の宮入・参拝からの続きです。
#10、神輿退出(1)14時41分
二礼二拍手一礼の参拝が終了後、担ぎ手は女性にかわり境内からの退出モードに入ります。
#11、神輿退出(2)
神輿は、退出に向け、反時計回りに回転中。
#12、神輿退出(3)
神輿は、ほぼ90度回転しました。この後、180度回転し西出口から退出します。
#13~16、「淡路二丁目町会」の神輿(15時04分)
#14
#15
#16
#17、神田祭太鼓フェスティバル(15時17分)
「明神和太鼓 明輪会」の演奏です。
(この日太鼓フェスティバルは14時30分?から15時30分までで、 明輪会は最後の出演でした。)
#18、須田町中部町会神輿①15時38分
15時30分に甘酒「天野屋」前で、同行メンバーとの再集合のため境内から降りてきたところ、たまたま「須田町中部町会の神輿」が、入場して来るところに遭遇しました。
なんと、担ぎ手は全員女性でした。
#19~23、須田町中部町会神輿
#20
#21
#22
神輿一行は、はなやかに、隋神門へ進んで行きました。
#23
宮入は、神田祭で一番盛り上がる場面で、見物している我々も結構興奮します。
このあと、本日の第二のイベント(飲み会)会場にむかいました。
END
神田祭り・神輿宮入見物記(2019)-上 [散歩会]
神田祭り(本祭り)は、2年毎に開催されます。きたろうは、4年ぶりに、神田祭り宮入を見物して来ました。
(前回の「見物記」は2015/5/10取材)
#01、子供神輿(鳥居の下:13時57分)
子供神輿は、ほとんどの町会で所有しています。しかし、宮入に参加するのは、限られています。
宮入の前に、神田明神の鳥居の下で待機します。
#02、子供神輿入場(13時58分)
ここから、坂を登って、まず、隋神門を目指します。
(周りの大人達の掛け声は大きいですが、子供達の声はほとんど聞こえませんでした。)
#03、「将門塚保存会」の一行に出会う
「神輿の宮入」というイベントは、神田神社(明神)の拝殿前で行われます。
鳥居から参道を、まっすぐ北へ登っていけば拝殿前に行けますが、このルートは、神輿が通るルートで、祭り見物の人であふれかえっているので、我々は、西側をぐるっと周って(宮本公園の方から)拝殿前へアプローチしました。
その途中で「将門塚保存会」の一行と出会いました。将門は、神田神社が祀っている神様の一柱です。
この坂は神田神社から、西に下る道なので、この一行の方々は、神田神社にお参りして帰るところと思われます。
#04、神輿宮入(1)14時32分
境内へ到着したのは、14時20分頃で、この神輿の一組前の神輿が、宮入・参拝を行っていました。
これは、次の組「内神田鎌倉町」町会の神輿です(14時32分)。まず、前の神輿が退出すると、拝殿の前を広く空けます。
※以下数枚に渡り、「神輿宮入→参拝→退出」の流れを、画像で示します。
#05、神輿宮入(2)
次に、神輿一行の、先頭の提灯(?)が、進みます。
#06、神輿宮入(3)
神輿は、境内の東側から、拝殿の正面へ移動、そこから、元気一杯・掛け声勇ましく(但しゆっくりと)拝殿へ進みます。
#07、神輿宮入(4)
掛け声勇ましく、進んで行きます。
#08、神輿宮入(5)
拝殿の直前まで来ると、神輿は一旦前進をやめ、足踏み状態になります。
ついで、左端の、拍子木を持ったリーダーの指示に従って、神輿は前進→後進を何度か繰り返します。
#09、神輿宮入(6)
2~3度、前進・後進を繰り返した後、神輿を持ち上げ、担ぐのやめ台の上へ置きます。
この後、神輿の一行は神官から、お払いを受け、次いで参拝を行います(二礼二拍手一礼)。(お払いと参拝の画像はありません)
~続く~
(前回の「見物記」は2015/5/10取材)
#01、子供神輿(鳥居の下:13時57分)
子供神輿は、ほとんどの町会で所有しています。しかし、宮入に参加するのは、限られています。
宮入の前に、神田明神の鳥居の下で待機します。
#02、子供神輿入場(13時58分)
ここから、坂を登って、まず、隋神門を目指します。
(周りの大人達の掛け声は大きいですが、子供達の声はほとんど聞こえませんでした。)
#03、「将門塚保存会」の一行に出会う
「神輿の宮入」というイベントは、神田神社(明神)の拝殿前で行われます。
鳥居から参道を、まっすぐ北へ登っていけば拝殿前に行けますが、このルートは、神輿が通るルートで、祭り見物の人であふれかえっているので、我々は、西側をぐるっと周って(宮本公園の方から)拝殿前へアプローチしました。
その途中で「将門塚保存会」の一行と出会いました。将門は、神田神社が祀っている神様の一柱です。
この坂は神田神社から、西に下る道なので、この一行の方々は、神田神社にお参りして帰るところと思われます。
#04、神輿宮入(1)14時32分
境内へ到着したのは、14時20分頃で、この神輿の一組前の神輿が、宮入・参拝を行っていました。
これは、次の組「内神田鎌倉町」町会の神輿です(14時32分)。まず、前の神輿が退出すると、拝殿の前を広く空けます。
※以下数枚に渡り、「神輿宮入→参拝→退出」の流れを、画像で示します。
#05、神輿宮入(2)
次に、神輿一行の、先頭の提灯(?)が、進みます。
#06、神輿宮入(3)
神輿は、境内の東側から、拝殿の正面へ移動、そこから、元気一杯・掛け声勇ましく(但しゆっくりと)拝殿へ進みます。
#07、神輿宮入(4)
掛け声勇ましく、進んで行きます。
#08、神輿宮入(5)
拝殿の直前まで来ると、神輿は一旦前進をやめ、足踏み状態になります。
ついで、左端の、拍子木を持ったリーダーの指示に従って、神輿は前進→後進を何度か繰り返します。
#09、神輿宮入(6)
2~3度、前進・後進を繰り返した後、神輿を持ち上げ、担ぐのやめ台の上へ置きます。
この後、神輿の一行は神官から、お払いを受け、次いで参拝を行います(二礼二拍手一礼)。(お払いと参拝の画像はありません)
~続く~
ブラタモリトレース・仙台杜の都の秘密(宮城刑務所)編 [散歩会]
最近の数年間、仙台に帰省した折に開催していたブラタモリトレース(タモリさんさんが歩いた跡を辿る散歩会)を開催してきました。
今回は、ブラタモリ「仙台・杜の都の秘密」編の中の「宮城刑務所」の部分を辿ることにしました。
宮城刑務所はその昔、伊達政宗が晩年をすごした屋敷があったところです。幕府には、ここの屋敷は、正宗が晩年を過ごす隠居のための屋敷という名目で建設の許可を申請しました。しかし、その実態は、若林城という立派なお城だったのです。その中に、臥龍梅(がりゅうばい又はがりょうばい)と蟠龍(はんりゅう)の松という名木があり、「杜の都」編として取り上げられたのです。
#00、宮城刑務所内の臥龍梅
NHKのブラタモリより引用(以下、青い枠で囲った画像は、NHK・TVの画像です。但し、アナログVTRでの録画画像のため不鮮明ですのでご了承ください。)
#01、宮城刑務所矯正展(2018)宮城刑務所正門
ブラタモリのロケで、タモリさん一行もここから入場しました。但し、そのときは大扉は閉まっており、タモリさん一行は、右側の小扉から入場していました。
我々総勢7名の散歩会メンバーは、丁度AM10時に、門の中に入りました。
#02、宮城刑務所近辺の地図と宮城刑務所への交通案内
宮城刑務所の住所は「仙台市若林区古城2丁目3-1」です。宮城刑務所は、伊達政宗が晩年を過ごした、「若林城」の跡地に作られたもので、ここの住所はその由緒あるお城の名前をそのまま踏襲しているということになります。
また、刑務所へのアクセスは、公共交通機関はバスということになりますが、駐車場があり車でのアクセスも可能です。
※図の中に、公共交通機関のアクセス詳細を書きましたが、ブログ末にもテキスト形式で、掲載します。
#03、利府太鼓演奏
太鼓の音は、会場外でも良く聞こえていました。黄色のアーチ状のゲートをくぐると、正面左手に中央ステージがあり、そこで太鼓の演奏がありましたが、ちょうど終了まぎわでしたので、素通りし、「塀の中の見学」受付場所へ向かいました。
#04、宮城刑務所施設見学受付場所
所謂塀の中の見学の受付場所には、すでに50人以上の方が集まっていてその後も列がどんどん伸びていて、関心の高さが現れていました。
※「塀の中の見学」のことは、主催者は「施設見学」と称しているので、本ブログでも以下施設見学と記述します。
ここで、ビニール袋が渡され、携帯電話、カメラ、タバコ、ライターを袋の中に入れ、口を縛るよう指示がありました。つまり、施設見学中は残念ながら、撮影禁止ということです。そういえば、ブラタモリでは、塀の中の取材が出来ることになったことを、「特別に撮影許可が!!」と大きなテロップでアピールしていました。荷物検査があると思っていましたが、それはありませんでした。
前方の門から、1グループ20人くらいずつ入り、刑務官2名の方に案内されました。今回施設見学に訪れた一般人は、待っているいる間、全く緊張感は無く、和やかな雰囲気で、入場を待っていました。
入場の際、刑務官から、施設見学中は、グループから離れないよう、厳しく注意を受けました。
ここから門の中の施設見学は撮影禁止なので、以下ブラタモリのTV画面を掲載します。
#05、タモリさん一行塀の中へ入場
タモリさん一行メンバーは、タモリさん、桑子アナとブラタモリ案内人・仙台市教育委員会の木村さんです。宮城刑務所の刑務官(庶務課長)の先導で、塀の中に入っていきました。タモリさんはいつものブラタモリでは見られないような緊張した表情で入っていきました。
#06、07、蟠龍(はんりょう)の松
番組のナレーションでも、画面に書いてある「幹の長さ36m、樹齢360年以上」の解説はありませんでした。
我々の施設見学では、見学の最後に、この松の解説がありました。今でも、日々、幹は伸びているとの事でした。
#08、城の土塁跡
松の後方に、土の高まりがありますが、これは、城の土塁の跡であると木村さんの解説がありました。
#09、松の幹の先端と土塁のEND部
お城の時代は、この土塁の左側から、城の中心に入っていきました。現在も、同じ経路で、施設の中心に入っていきました。
#10、出丸に向かう、タモリさん一行
土塁の上・塀のすぐ内側の通路を、出丸(※)に向かって進んで行きました。ここで、桑子アナが「(ここの)高さは何m位なのですか?」という素朴な疑問を刑務官にぶつけたところ、「警備上の問題から答えられない」とのことでした。
また、#10の画面で、塀の上部に”ぼかし”が施されていますが、この部分には、電線が張られていました。このことも、秘匿事項のようなので、きたろうは目撃してきましたが、その詳細については言及致しません。
※出丸・・・本城から張り出した形に築かれた小城(デジタル大辞泉)
#11、旧若林城出丸部分
お城の特徴的な「出丸」部分がそのまま残っていました。
#02の地図の宮城刑務所の北東部分。特徴的な出っ張りが、地図でも確認できます。
(矯正展の施設見学で、ここはコースに入っていませんでした。)
#12、タモリさん一行移動中
タモリさん一行移動中のシーンです。我々の施設見学でここは通らなかったと思いますが、この映像は、刑務所内の建物の典型的な様子なので掲載しました。刑務所内の建物は、窓に鉄格子が張られているのを除けば、極々一般的な工場の建物のような感じでした。
#13、刑務所内の工場棟
渡り廊下の前方約20mで右側に延びている棟が工場棟です。番組で工場棟内の映像はありませんでしたが、我々は、中に案内されました。工場棟内は、木工場の様相を呈し、いろいろな木工加工機、材料、半製品、完成品等が整然と並んでいました。
#14、臥龍梅(朝鮮梅)
宮城刑務所の一番奥にある、今回のブラタモリ(仙台・杜の都編)の目玉となる木、臥龍梅(がりゅうばい)です。朝鮮出兵のとき、正宗が、母親に見せたいために、この木を持ち帰ったとの事。樹齢は諸説あり、220年とも360年とも言われています。龍が寝そべっているような形にみえるためこの名が付きました。
#15、同上
タモリさん:「よっぽど気に入ったんでしょうね」
この木は、最初の梅に接ぎ木したもので二代目で、臥竜梅として国内最大のものとして、国の天然記念物に指定されています。
刑務官:「刑務所の中にある天然記念物というのは私が知るかぎりでは、この宮城刑務所刑務所にある臥龍梅だけだと思います。」
#16、臥龍梅、春花が満開のときの写真
刑務官:「今年(平成27年)の3月の下旬に撮ったものです。」
桑子アナ:「今でも、元気ですね~」
木村さん:「このきれいな花の姿を見られるのは、刑務官の方たちの特権ですね。」
刑務官:「いや、受刑者も当然見られます。」
#17、臥龍梅取材風景
木村さん:「お城の跡にすっぽり刑務所がつくられたおかげで、余計な開発等されず、正宗が隠しとうしたお城の痕跡が、そのまま残ったということです。」
#18、施設見学終了
タモリさん一行:「ありがとうございました!!」
#19、宮城刑務所の取材を終えて
刑務官:「どうですか?一歩塀の中から出て頂いて?」
タモリさん:「久しぶりのシャバだな~シャバの空気はいいな~」
一同:「笑い」
※ブラタモリ「仙台・杜の都編」はここで終了でした。我々が施設見学をした時間は正味20~30分くらいだった思います。
#20、矯正展中央ステージ近辺の風景(11時02分撮影)
当日は、快晴で、風も無く気持ちの良い天気でした(仙台地方11時現在。気温17.4℃、湿度52%、風速:東の風・風速0.8m)。
この番組(ブラタモリ・仙台・杜の都の秘密)が放送されたのは、平成27年7月18日(土)でした(同「仙台・地形と用水」編は、7月11日(土))。
同年の10月25日に第1回ブラタモリトレースと称する散歩会(中学同期メンバー)をはじめて以来、今回で第7回(最終回)となりました。毎年5月10月(今回は11月)に開催して来ましたが、全部の会で天候には恵まれました。
#21、仙台89ersチアーズの演技
仙台89ERSは、Bリーグのプロバスケットチームです。89ersチアーズはそのチアリーダーで、華麗なダンスと元気な声援で仙台89ERSのホームゲームを盛り上げています。
#22、チアーリーダーとキャラクターによる抽選会
ティナ君(※)から特別賞授与。中身は、サイン入りユニフォームおよびその他でした。
※ティナ君:仙台89ERSのキャラクター(子どものライオン)
きたろうは、1番違いではずれました(残念(-_-;))(前後賞はありませんでした)
#23、受刑者製作物の販売
矯正展のメインのコーナーです。製作物は、木工品、衣類、バッグ、洗剤等いろいろなものが販売されていました。
きたろうもスマホ・スタンドを買おうとしましたが、スマホケースに入れたままだと、スタンドの穴に収まらず、断念しました(裸だと入るが))。
ここは、宮城刑務所のコーナーですが、隣県の、山形、福島県の刑務所、さらに遠く四国、九州の刑務所からの出展もありました。
その他、ラーメン、カレー等の食事コーナー、ドーナツ、焼き鳥等の販売コーナーもありましたが、割愛しました。
#24、完全に出所しました
次の予定もあったので11時30分頃、宮城刑務所を完全に出所しました。
#25、「出所者の出迎えについて」(注意表示板)
門の右側刑務官詰め所の右側に、注意表示板が掲げられていました。
●見学を終えて
刑務所内の建物は、思っていたほどいかめしいものではありませんでした。構内の地面や樹木は、清掃整備が行き届いており、きれいでした。グランドもあり、受刑者でソフトボールのゲームが行われるとのことでした。建物の鉄格子や塀に設置された電線に気づいたときに、ここは刑務所の内部なのだな~とのなんとも言えない感慨がわきました。
今回は、ブラタモリ「仙台・杜の都の秘密」編の中の「宮城刑務所」の部分を辿ることにしました。
宮城刑務所はその昔、伊達政宗が晩年をすごした屋敷があったところです。幕府には、ここの屋敷は、正宗が晩年を過ごす隠居のための屋敷という名目で建設の許可を申請しました。しかし、その実態は、若林城という立派なお城だったのです。その中に、臥龍梅(がりゅうばい又はがりょうばい)と蟠龍(はんりゅう)の松という名木があり、「杜の都」編として取り上げられたのです。
#00、宮城刑務所内の臥龍梅
NHKのブラタモリより引用(以下、青い枠で囲った画像は、NHK・TVの画像です。但し、アナログVTRでの録画画像のため不鮮明ですのでご了承ください。
タモリさんは、NHKの番組の取材ということで、宮城刑務所内の見学&ロケが出来ますが、我々一般人は、刑務所内へ入るということはあきらめていました。
ところが、昨年秋に、一般人でも、毎年10月に開催される、刑務所の矯正展の時なら刑務所内の見学が出来るということを仙台在住の方が教えてくれました。そこで、今年の夏ごろから、Google Alertで「宮城刑務所」「矯正展」のキーワードで情報アンテナを張っていましたが、9月半ばになっても、ネットからの情報は得られなかったため、宮城刑務所に電話して問い合わせたところ、「今年は、11月4日(日)開催で、所謂・刑務所の塀の中の見学は、午前9時30分から受け付ける」との情報を得ました。その他、ネットのブログで、「矯正展では、受刑者が作った家具・工芸品の販売の他各種イベントや刑務所の食事の試食もある」ということはわかりました(但し2015年矯正展の情報(※))。その後も、ネットでの情報収集を続けましたが、有力な情報は得られず、宮城刑務所は、矯正展のネットへの情報発信に関しては消極的と思われました。
さて、最低限、日時がわかれば、いつものように、メンバーを募ることは出来るので、中学の同級生を対象に募集を募ったところ6名の参加者が集まりました。
※「はかたっこのブログ」さん・2015年開催の矯正展の訪問レポによる。
<宮城刑務所へのアクセス>
●地下鉄薬師堂駅からバス
①73系統、藤田行きまたは70系統、霞の目営業所前行き「南小泉三丁目」下車、徒歩10分
②75系統、長町南駅・太白区役所前方面「古城二丁目」下車、徒歩0分
※但し、75系統は平日は便数が非常に少ない上、休日は運休なので、ご注意ください。
●地下鉄河原町駅から
①徒歩18分
②河原町駅東(バス停)から75系統薬師堂行き、「古城二丁目」下車、徒歩0分
※但し、75系統は平日は便数が非常に少ない上、休日は運休なので、バスの利用はあまり推奨しません。
END
ブラタモリトレース・二子玉川(その4・最終回) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同8月2日(木)アップ
また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。
同8月2日(木)アップ
また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)
#01、大勝庵(蕎麦屋)を訪問するタモリさん一行
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。
#02、ブラタモリトレース行程地図
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。
ブラタモリトレース・二子玉川(その3) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同7月20日(金)アップ
ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。
#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)
%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
同7月20日(金)アップ
ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。
#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)
%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
ブラタモリトレース・二子玉川(その2) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同7月6日(金)アップ
次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。
次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。
#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
※向谷さん:画面左
◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」
◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」
◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#15、多摩川河原(きたろう実写)
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。
#00、ブラタモリトレース行程図
◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)
#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。
◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」
#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」
#18、謎の土手上から(きたろう実写)
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)
#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
#20、大正13年の地図
◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」
シャリ~~ン(効果音)
「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」
この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・
%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。
#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
※やなぎや・・・玉川3-25-15
◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。
#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。
◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。
#24、昔のやなぎやの写真
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。
◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い
#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」
◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
(続く)
同7月6日(金)アップ
次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。
次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。
#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
※向谷さん:画面左
◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」
◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」
◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ
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#15、多摩川河原(きたろう実写)
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。
#00、ブラタモリトレース行程図
◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)
#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。
◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」
#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」
#18、謎の土手上から(きたろう実写)
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)
#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
#20、大正13年の地図
◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」
シャリ~~ン(効果音)
「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」
この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・
%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)
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◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。
#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
※やなぎや・・・玉川3-25-15
◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。
#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。
◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。
#24、昔のやなぎやの写真
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。
◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い
#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」
◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル
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#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
(続く)
ブラタモリトレース・二子玉川(その1) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同7月3日(火)アップ
大変、ご無沙汰しております。
ちょっと間が空きましたが、また、ブラタモリトレースを企画し実施しましたので、ブログ・アップ致します。
※お詫び
前回の「ブラタモリトレース・神宮外苑」は、全3回シリーズ予定のところ、2回で中断してしまい、大変申し訳ございませんでした。お詫び致します。
さて、今回は、NHKの番組「ブラタモリ」シリーズの第3回目に放送された「二子玉川」に焦点をあてました。本番組は2009年(平成21年)10月15日に放送され、2010年10月22日に再放送されました。(本ブログは、再放送の画像を使用しました。また、アナログVTRで録画したものからの画像ですので、不鮮明な画像であることをご了承ください。)
#00、ブラタモリトレース・二子玉川の地図(計画&実績)
番組のロケ地は
①巨大ショッピング・センター
②古写真に写された場所(#00地図の地点B)
③多摩川河原
④川から離れた場所にある謎の土手
⑤一軒残る、老舗の料理店
⑥廃止された玉川電気鉄道の名残の構造物(鉄道柵)
⑦同電停「中耕地」の跡地
⑧蕎麦屋・大勝庵(玉川電気鉄道グッズ収集家)
⑨行善寺
ですが、①ショッピング・センターと⑨行善寺、は取材を割愛しました。
また、⑤の老舗の料理屋については、店の前の通過に留めました。
#01、ブラタモリ 二子玉川 オープニング画面
オープニング・テーマ曲(音声ファイル)
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#02、タモリさんと久保田アナが二子玉川降り立つ(TV画像)
タモリさん達が、電車で二子玉川駅に来たとは思えませんが、タモリさん久保田アナが二子玉川駅に降り立ち、西口から出てくるところから番組が始まりました。この後すぐに、二子玉川駅前の再開発の映像に変り、当時(2009年)再開発の真っ最中であるのが紹介されました(駅舎も改装中)。
ついで、タモリさんは、ほとんど二子玉川に来たことが無く、興味もあまりないというのに対し、久保田アナは、二子玉川はおしゃれで素敵な街であるという認識を持っていることが発覚しました。
注)以下、TV画面の写真は、青い枠で囲んで示し、「(TV画像)」の表示は割愛いたします。
#03、現在(2018年6月)の二子玉川駅西口(きたろう実写)
駅舎はメタリック調の外装にリニューアルされました。
#04、多摩川河原
多摩川に架かっている鉄橋は、東急田園都市線の鉄橋です。画面左方が二子玉川駅方面、画面右の先が溝の口方面です。
(※見える川面は、厳密には多摩川の支流の野川か?丁度この付近で合流するので、微妙なところです。)
本画面を皮切りに、二子玉川交通アクセス図、多摩川の空撮映像、駅前巨大ショッピングセンターの映像が示され、それに合わせて戸田恵子さんが、二子玉川の概要説明をナレーションしました。
二子玉川の概要(ナレーション:戸田恵子さん)(音声ファイル)
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次に、ショッピングセンター内を歩くタモリさんと久保田アナの場面になります。タモリさんは、ショッピングセンターには全く興味を示さないまま番組は進行しましたが、ここで一人目の案内人の方が登場したとたん、タモリさんはがぜん、ブラタモリのスイッチが入ったようです。
#05A、一人目の案内人松沢邦光さん(画面右)
松沢邦光さん:ショッピングセンター開発時の現場責任者。この辺一帯の、地権者一軒一軒と交渉を続けているときに、この辺の写真を撮影、現在まで大切に保管していたとのこと。
#05B、開発時撮影した写真の場所と同一場所との新旧比較
久保田アナ:「この辺で、同じポジションが判る場所がありますか?」
松沢邦光さん「今、この角が、この写真の場所です。」
タモリ:「ここは、何があるんですか?」
松沢さん:「砂利置き場!」
久保田アナ:「砂利置き場!!ハー!?」
#06、かつて「砂利置き場」だった交差点の北西の角(現在)。
#07、同上場所の昭和38年の写真
#08、同上、北東の角(現在)
#09、同上場所の昭和38年の写真
タモリ:「世田谷じゃないですね」
松沢さん:「全然違います。」
タモリ:「ものすごいド田舎です。これを見せて、昭和38・39年頃の世田谷とは誰も思わないです。」
久保田アナ:「分からないですね、本当に。」
#10、古写真の現在の場所の解析(地図)
現地で、古写真の撮影場所は、#10の「地点A」と思い、写真を撮りました。
#11、地点Aからの眺め(現在)きたろう実写
しかし、この写真では交差点の左の角の建物が全く違うことや空中連絡通路の数が、ビデオでは1本に対し、撮影した写真では3本もあり、ここでは無いことが判りました。
帰宅後、ビデオを見返したところ、タモリさん、松沢さんの後方に野村證券の赤い看板がある(#05A、#05Bにも写っている)のをヒントに、GOOGLE MAPのストリート・ビューで付近を探索したところ、#10の「地点B」がその場所であると判明しました。
#12、旧砂利置き場の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
#13、旧田園風景が広がっていた所の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
<続く>
同7月3日(火)アップ
大変、ご無沙汰しております。
ちょっと間が空きましたが、また、ブラタモリトレースを企画し実施しましたので、ブログ・アップ致します。
※お詫び
前回の「ブラタモリトレース・神宮外苑」は、全3回シリーズ予定のところ、2回で中断してしまい、大変申し訳ございませんでした。お詫び致します。
さて、今回は、NHKの番組「ブラタモリ」シリーズの第3回目に放送された「二子玉川」に焦点をあてました。本番組は2009年(平成21年)10月15日に放送され、2010年10月22日に再放送されました。(本ブログは、再放送の画像を使用しました。また、アナログVTRで録画したものからの画像ですので、不鮮明な画像であることをご了承ください。)
#00、ブラタモリトレース・二子玉川の地図(計画&実績)
番組のロケ地は
①巨大ショッピング・センター
②古写真に写された場所(#00地図の地点B)
③多摩川河原
④川から離れた場所にある謎の土手
⑤一軒残る、老舗の料理店
⑥廃止された玉川電気鉄道の名残の構造物(鉄道柵)
⑦同電停「中耕地」の跡地
⑧蕎麦屋・大勝庵(玉川電気鉄道グッズ収集家)
⑨行善寺
ですが、①ショッピング・センターと⑨行善寺、は取材を割愛しました。
また、⑤の老舗の料理屋については、店の前の通過に留めました。
#01、ブラタモリ 二子玉川 オープニング画面
オープニング・テーマ曲(音声ファイル)
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#02、タモリさんと久保田アナが二子玉川降り立つ(TV画像)
タモリさん達が、電車で二子玉川駅に来たとは思えませんが、タモリさん久保田アナが二子玉川駅に降り立ち、西口から出てくるところから番組が始まりました。この後すぐに、二子玉川駅前の再開発の映像に変り、当時(2009年)再開発の真っ最中であるのが紹介されました(駅舎も改装中)。
ついで、タモリさんは、ほとんど二子玉川に来たことが無く、興味もあまりないというのに対し、久保田アナは、二子玉川はおしゃれで素敵な街であるという認識を持っていることが発覚しました。
注)以下、TV画面の写真は、青い枠で囲んで示し、「(TV画像)」の表示は割愛いたします。
#03、現在(2018年6月)の二子玉川駅西口(きたろう実写)
駅舎はメタリック調の外装にリニューアルされました。
#04、多摩川河原
多摩川に架かっている鉄橋は、東急田園都市線の鉄橋です。画面左方が二子玉川駅方面、画面右の先が溝の口方面です。
(※見える川面は、厳密には多摩川の支流の野川か?丁度この付近で合流するので、微妙なところです。)
本画面を皮切りに、二子玉川交通アクセス図、多摩川の空撮映像、駅前巨大ショッピングセンターの映像が示され、それに合わせて戸田恵子さんが、二子玉川の概要説明をナレーションしました。
二子玉川の概要(ナレーション:戸田恵子さん)(音声ファイル)
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次に、ショッピングセンター内を歩くタモリさんと久保田アナの場面になります。タモリさんは、ショッピングセンターには全く興味を示さないまま番組は進行しましたが、ここで一人目の案内人の方が登場したとたん、タモリさんはがぜん、ブラタモリのスイッチが入ったようです。
#05A、一人目の案内人松沢邦光さん(画面右)
松沢邦光さん:ショッピングセンター開発時の現場責任者。この辺一帯の、地権者一軒一軒と交渉を続けているときに、この辺の写真を撮影、現在まで大切に保管していたとのこと。
#05B、開発時撮影した写真の場所と同一場所との新旧比較
久保田アナ:「この辺で、同じポジションが判る場所がありますか?」
松沢邦光さん「今、この角が、この写真の場所です。」
タモリ:「ここは、何があるんですか?」
松沢さん:「砂利置き場!」
久保田アナ:「砂利置き場!!ハー!?」
#06、かつて「砂利置き場」だった交差点の北西の角(現在)。
#07、同上場所の昭和38年の写真
#08、同上、北東の角(現在)
#09、同上場所の昭和38年の写真
タモリ:「世田谷じゃないですね」
松沢さん:「全然違います。」
タモリ:「ものすごいド田舎です。これを見せて、昭和38・39年頃の世田谷とは誰も思わないです。」
久保田アナ:「分からないですね、本当に。」
#10、古写真の現在の場所の解析(地図)
現地で、古写真の撮影場所は、#10の「地点A」と思い、写真を撮りました。
#11、地点Aからの眺め(現在)きたろう実写
しかし、この写真では交差点の左の角の建物が全く違うことや空中連絡通路の数が、ビデオでは1本に対し、撮影した写真では3本もあり、ここでは無いことが判りました。
帰宅後、ビデオを見返したところ、タモリさん、松沢さんの後方に野村證券の赤い看板がある(#05A、#05Bにも写っている)のをヒントに、GOOGLE MAPのストリート・ビューで付近を探索したところ、#10の「地点B」がその場所であると判明しました。
#12、旧砂利置き場の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
#13、旧田園風景が広がっていた所の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
<続く>
ブラタモリトレース神宮外苑・聖徳記念絵画館編(その2) [散歩会]
ブラタモリトレース・神宮外苑・聖徳(せいとく)記念絵画館編の続きです。
ここで、遅くなりましたが、今回のブラタモリトレース(きたろう散歩会)を行なった所の地図を示します。
#10A、ブラタモリトレース・外苑前半の地図
立ち寄り箇所①聖徳記念絵画館→同②新国立競技場→同③水明亭(長崎チャンポンの店)
※今回のブラタモリトレースで巡ったスポットの順序と「ブラタモリ・外苑」の番組で巡った順序とは異なります。
#10B、聖徳(せいとく)記念絵画館・副館長がお出迎え
副館長(高橋京子さん):「(この建物は)重厚な建物なので、皆さん、この大きい階段を登るのに躊躇されることが多分あると思います。皆様はどうですか?」
タモリ:「立ち入り禁止だと思っていました。」
※ブラタモリの画面はVHS方式で録画したものからの写真なので、画質は悪いです
#11、タモリさん一行、絵画館へ入館 副館長:「どうぞ、今日は寒いので(注)・・・」
久保田アナ:「失礼しま~す」
タモリ:「重厚ですね!」
注)この番組の放送日は平成24年3月29日ですが、番組のロケは2月14日または2月16日と思われます(推定根拠は、鳩森八幡宮の編で説明します)。 この日は、両日とも、寒い日(それぞれ最高気温が6.9℃、5.6℃)冷たい雨が降った日でした。
#12、タモリさん一行、中央ホールを鑑賞する! 副館長:「ここは、本当にすばらしいでしょ(*^_^*)」
タモリ:「すごいね!」
副館長:「皆様お立ちになっているところから、上までは、約28mあります。」
タモリと久保田アナ(同時に):「へ~~!!」
#13、中央ホール・音の反響 久保田アナ:「声がよく響きますよね!」
副館長:「小さい声でそおっと話さないと、『ワワワワ~』っと響きます。」
#14、中央ホールのブラタモリトレース(=きたろうの実写) ナレーター:「昨年(2011年4月)重要文化財に指定されたこの建物、当時最先端の技術とデザインで造られています。様々な色の大理石で造られた中央ホールは19世紀末、ウイーンで始まった『セセション様式』を取り入れたもので、直線が多いのが特徴です。
ステンドグラスから入ってくる柔らかな光も当時としては斬新なものでした。」
#15・16、タモリさんの興味は、絵画より化石? タモリ:(壁面の説明表示を見て)「オッ!」
久保田アナ:(同上表示を見て)「マーチソニア?」
タモリ:「マーチソニア。アッ!、これね!」
#17、絵画館の壁面にある、「マーチソニア」の化石 ナレーター:「タモリさん、この大理石の壁に何やら発見したのは化石です。実は、絵画館の壁では様々な化石を発見することが出来るのです。 化石の入った黒い大理石は、美濃・赤坂産の大理石に見つかることが多いそうです」
#18・19、(引き続き)タモリさん化石探索 タモリ:「ありそうだな・・・」、「ん!これ、そうでしょう!」
副館長:「これ、そうですね」
久保田アナ:「点々が・・・」
#20・21、壁面の化石(フズリナ) ナレーター:「発見したのは、フズリナという生物の化石でした」
#22、きたろう一行「壁面の化石のブラタモリトレース」 きたろうのコメント:番組でタモリさんが発見した壁面の化石を見ようと、当該の階段の所に胸躍らせながら行きました。
すると「残念!」ご覧のとおり、「立ち入り禁止」となっていて、化石を確認することは出来ませんでした(反対側の階段も同様)。
壁面・化石のブラタモリトレースは空振りでした。
#23、タモリさん一行、絵画展示室(日本画)へ入る ナレーター:「さて、建物の本題に戻りましょう。ここには、明治天皇の生涯と業績画いた日本画と洋画、計80点が飾られています。
これらを展示するために造られたのが絵画館なんです。」
#24、「大政奉還」を画いた絵の前で 副館長:「これ、よく教科書に大政奉還というとこの絵が出てきます。 思い出すでしょ?」
タモリ:「大政奉還というとこれですね。想いだします。」
久保田アナ:「教科書で見ました・・・」
#25、「大政奉還」の絵 ナレーター:教科書でお馴染みの「大政奉還」の図。
二条城で第十五代将軍・徳川慶喜が京都にいた重臣を招集し、政権を朝廷に返すことを決定した状況が細かく画かれています。
きたろうコメント:徳川代々の将軍の中で、最も人気の無い・・・というより、腰抜けとか、裏切り者といった批判もある慶喜ですが、大政奉還の図に画かれた慶喜は凛とした気品のある顔立ちで、立派な方と思えました。慶喜に対する批判は見当違いではないのかな?と認識を改めさせられるような絵でした。
絵画館のメインの部分である、絵の展示室内は当然撮影禁止ですので、ブラタモリトレース(きたろうの実写)はありません。
この後、約1時間、絵の鑑賞をして、絵画館から退出しました。
#26、絵画館から退出(きたろう実写) ブラタモリトレース・絵画館編はこれでENDです。
次は、(新)国立競技場、水明亭です。
(続く)
ここで、遅くなりましたが、今回のブラタモリトレース(きたろう散歩会)を行なった所の地図を示します。
#10A、ブラタモリトレース・外苑前半の地図
立ち寄り箇所①聖徳記念絵画館→同②新国立競技場→同③水明亭(長崎チャンポンの店)
※今回のブラタモリトレースで巡ったスポットの順序と「ブラタモリ・外苑」の番組で巡った順序とは異なります。
#10B、聖徳(せいとく)記念絵画館・副館長がお出迎え
副館長(高橋京子さん):「(この建物は)重厚な建物なので、皆さん、この大きい階段を登るのに躊躇されることが多分あると思います。皆様はどうですか?」
タモリ:「立ち入り禁止だと思っていました。」
※ブラタモリの画面はVHS方式で録画したものからの写真なので、画質は悪いです
#11、タモリさん一行、絵画館へ入館 副館長:「どうぞ、今日は寒いので(注)・・・」
久保田アナ:「失礼しま~す」
タモリ:「重厚ですね!」
注)この番組の放送日は平成24年3月29日ですが、番組のロケは2月14日または2月16日と思われます(推定根拠は、鳩森八幡宮の編で説明します)。 この日は、両日とも、寒い日(それぞれ最高気温が6.9℃、5.6℃)冷たい雨が降った日でした。
#12、タモリさん一行、中央ホールを鑑賞する! 副館長:「ここは、本当にすばらしいでしょ(*^_^*)」
タモリ:「すごいね!」
副館長:「皆様お立ちになっているところから、上までは、約28mあります。」
タモリと久保田アナ(同時に):「へ~~!!」
#13、中央ホール・音の反響 久保田アナ:「声がよく響きますよね!」
副館長:「小さい声でそおっと話さないと、『ワワワワ~』っと響きます。」
#14、中央ホールのブラタモリトレース(=きたろうの実写) ナレーター:「昨年(2011年4月)重要文化財に指定されたこの建物、当時最先端の技術とデザインで造られています。様々な色の大理石で造られた中央ホールは19世紀末、ウイーンで始まった『セセション様式』を取り入れたもので、直線が多いのが特徴です。
ステンドグラスから入ってくる柔らかな光も当時としては斬新なものでした。」
#15・16、タモリさんの興味は、絵画より化石? タモリ:(壁面の説明表示を見て)「オッ!」
久保田アナ:(同上表示を見て)「マーチソニア?」
タモリ:「マーチソニア。アッ!、これね!」
#17、絵画館の壁面にある、「マーチソニア」の化石 ナレーター:「タモリさん、この大理石の壁に何やら発見したのは化石です。実は、絵画館の壁では様々な化石を発見することが出来るのです。 化石の入った黒い大理石は、美濃・赤坂産の大理石に見つかることが多いそうです」
#18・19、(引き続き)タモリさん化石探索 タモリ:「ありそうだな・・・」、「ん!これ、そうでしょう!」
副館長:「これ、そうですね」
久保田アナ:「点々が・・・」
#20・21、壁面の化石(フズリナ) ナレーター:「発見したのは、フズリナという生物の化石でした」
#22、きたろう一行「壁面の化石のブラタモリトレース」 きたろうのコメント:番組でタモリさんが発見した壁面の化石を見ようと、当該の階段の所に胸躍らせながら行きました。
すると「残念!」ご覧のとおり、「立ち入り禁止」となっていて、化石を確認することは出来ませんでした(反対側の階段も同様)。
壁面・化石のブラタモリトレースは空振りでした。
#23、タモリさん一行、絵画展示室(日本画)へ入る ナレーター:「さて、建物の本題に戻りましょう。ここには、明治天皇の生涯と業績画いた日本画と洋画、計80点が飾られています。
これらを展示するために造られたのが絵画館なんです。」
#24、「大政奉還」を画いた絵の前で 副館長:「これ、よく教科書に大政奉還というとこの絵が出てきます。 思い出すでしょ?」
タモリ:「大政奉還というとこれですね。想いだします。」
久保田アナ:「教科書で見ました・・・」
#25、「大政奉還」の絵 ナレーター:教科書でお馴染みの「大政奉還」の図。
二条城で第十五代将軍・徳川慶喜が京都にいた重臣を招集し、政権を朝廷に返すことを決定した状況が細かく画かれています。
きたろうコメント:徳川代々の将軍の中で、最も人気の無い・・・というより、腰抜けとか、裏切り者といった批判もある慶喜ですが、大政奉還の図に画かれた慶喜は凛とした気品のある顔立ちで、立派な方と思えました。慶喜に対する批判は見当違いではないのかな?と認識を改めさせられるような絵でした。
絵画館のメインの部分である、絵の展示室内は当然撮影禁止ですので、ブラタモリトレース(きたろうの実写)はありません。
この後、約1時間、絵の鑑賞をして、絵画館から退出しました。
#26、絵画館から退出(きたろう実写) ブラタモリトレース・絵画館編はこれでENDです。
次は、(新)国立競技場、水明亭です。
(続く)
ブラタモリトレース神宮外苑・聖徳記念絵画館編(その1) [散歩会]
きたろうが、幹事を努めている散歩会で、NHKの番組「ブラタモリ」でタモリさん一行が歩いた跡をそのままトレースするという安易な企画の散歩会を実施しました。(平成30年2月11日)
今回は、平成24年(2012)3月29日放送の「ブラタモリ・神宮外苑」を採り上げ、その足跡を辿りました。
#01、青山通りにある、「明治神宮外苑」の看板
この看板の先が、明治神宮外苑になります。(写真=番組より)
#02、タモリさんと久保田アナが外苑にやってきました
タモリ:「『ブラタモリ』久しぶりの雨になりました。(今回は)外苑に行きます。
そういえば、昔、『♪雨の外苑~~~』という歌(※)がはやりました・・・」
久保田アナ:「じゃ(今日は)、ぴったりじゃないですか」
(※:『東京の灯よいつまでも』(昭和39年)新川二郎
#03、明治神宮外苑全景
※画像は番組より。明治神宮等の文字は、その画像にきたろうがレタッチで書き込。
今回、タモリさん一行は、聖徳記念絵画館、国立競技場等をぶらぶらしました。
#04、神宮外苑誕生のヒミツ!
ナレーター(戸田恵子):明治神宮が作られるときに、一緒に、美術館や運動場も作って欲しいという要望が多数持ち上がり、明治神宮から、一寸離れた、青山練兵場跡に、明治神宮外苑として造られることになりました。
神社の一部でもあるのにもかかわらず、野球場や相撲場、競技場やプールが造られました。
大正時代に、日本でここにしかない神社施設が出来上がりました。
※番組では、この後、絵画館前の、イチョウ並木のところへ行き。解説者の方の説明を受けましたが、本ブログでは割愛致します。
#05、「驚きの歴史!絵画館」
タモリ:「さ~、いよいよ絵画館に入りましょう・・・」
久保田アナ:「ここは、よく通るのですが、実は一度も入ったことはありません。」
タモリ:「ここは、意外と皆さん入らないのですよ・・・」
#06、聖徳記念絵画館
ナレーター:「絵画館、正式には、『聖徳(せいとく)記念絵画館』。国会議事堂にも間違えられる程の重厚な外観。確かに一寸入りにくいかも・・・建物の前には、幅60mの池があります。」
#07、驚きの歴史!絵画館・・・前の池がプールとして使われた
解説者(※):「戦後、ここがプールになっていたことがありまして。ここに写真があります。」
タモリ:「泳いでいるよ、子供たち!」
解説者:「あふれかえっています」
ナレーター:「この池は、昭和34年から、3年間子供達に開放されました。カッパ天国と名づけられ、3年間で50万人が利用したという、超人気の施設でした。入場料は10円でした。」
タモリ:(写真を見て)「ちょっと、これは如何なものか・・・」
※解説者:國學院大学 藤田大誠(ひろまさ)准教授(現教授)
#08、タモリさん一行は、絵画館へ入場
ナレーター:「外側は、すべて御影石。重厚な階段を登っていきます。
#09、同上場所(散歩会での実写)
※撮影時刻11時08分、気温12度(推定)、無風
絶好の散歩日和でした。
(続く)
今回は、平成24年(2012)3月29日放送の「ブラタモリ・神宮外苑」を採り上げ、その足跡を辿りました。
#01、青山通りにある、「明治神宮外苑」の看板
この看板の先が、明治神宮外苑になります。(写真=番組より)
#02、タモリさんと久保田アナが外苑にやってきました
タモリ:「『ブラタモリ』久しぶりの雨になりました。(今回は)外苑に行きます。
そういえば、昔、『♪雨の外苑~~~』という歌(※)がはやりました・・・」
久保田アナ:「じゃ(今日は)、ぴったりじゃないですか」
(※:『東京の灯よいつまでも』(昭和39年)新川二郎
#03、明治神宮外苑全景
※画像は番組より。明治神宮等の文字は、その画像にきたろうがレタッチで書き込。
今回、タモリさん一行は、聖徳記念絵画館、国立競技場等をぶらぶらしました。
#04、神宮外苑誕生のヒミツ!
ナレーター(戸田恵子):明治神宮が作られるときに、一緒に、美術館や運動場も作って欲しいという要望が多数持ち上がり、明治神宮から、一寸離れた、青山練兵場跡に、明治神宮外苑として造られることになりました。
神社の一部でもあるのにもかかわらず、野球場や相撲場、競技場やプールが造られました。
大正時代に、日本でここにしかない神社施設が出来上がりました。
※番組では、この後、絵画館前の、イチョウ並木のところへ行き。解説者の方の説明を受けましたが、本ブログでは割愛致します。
#05、「驚きの歴史!絵画館」
タモリ:「さ~、いよいよ絵画館に入りましょう・・・」
久保田アナ:「ここは、よく通るのですが、実は一度も入ったことはありません。」
タモリ:「ここは、意外と皆さん入らないのですよ・・・」
#06、聖徳記念絵画館
ナレーター:「絵画館、正式には、『聖徳(せいとく)記念絵画館』。国会議事堂にも間違えられる程の重厚な外観。確かに一寸入りにくいかも・・・建物の前には、幅60mの池があります。」
#07、驚きの歴史!絵画館・・・前の池がプールとして使われた
解説者(※):「戦後、ここがプールになっていたことがありまして。ここに写真があります。」
タモリ:「泳いでいるよ、子供たち!」
解説者:「あふれかえっています」
ナレーター:「この池は、昭和34年から、3年間子供達に開放されました。カッパ天国と名づけられ、3年間で50万人が利用したという、超人気の施設でした。入場料は10円でした。」
タモリ:(写真を見て)「ちょっと、これは如何なものか・・・」
※解説者:國學院大学 藤田大誠(ひろまさ)准教授(現教授)
#08、タモリさん一行は、絵画館へ入場
ナレーター:「外側は、すべて御影石。重厚な階段を登っていきます。
#09、同上場所(散歩会での実写)
※撮影時刻11時08分、気温12度(推定)、無風
絶好の散歩日和でした。
(続く)
ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(新編1) [散歩会]
2016/05/12(木) 実施
たいへんご無沙汰しました。特に理由はないのですが、SO-NETの活動をしばらく休止していました。
また、昨年11月29日にアップした、ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(その2)は、完結しないまま現在に至って居ります。
今回、改めて、四ツ谷用水の取水口から本流洗い場跡、さらに壱弐参(いろは)横丁の井戸、うなぎ屋と名掛丁の用水支流跡を取材しましたので、紹介致します。
今回の、ブラタモリ・トレースは、昨年同様、同級生との散歩会として設定しました。
#01、JR仙山線葛岡駅(仙台市青葉区葛岡)
最初の目的地「四ツ谷用水取水口」には、JR葛岡駅が便利そうだったので、ここを集合場所にしました。無人駅でトイレが無く、ちょっと困りました。
駅舎上方のシートの被っている所がホームで、現在改装中とのこと。
#02、ブラタモリ・トレース四ツ谷用水関連地図(葛岡駅→四ツ谷用水沈砂池)
#03、四ツ谷用水取水口(TV番組ブラタモリより)
放送日2015年7月11日(土)NHK
本画面で、草ナギ剛さんのナレーションあり・・・
「タモリさんがやって来たのは、四ツ谷用水のスタート地点。ここから、四ツ谷用水を辿ると、政宗が地形マニアだったことが、良くわかるんです。」
#04、四ツ谷用水取水口(実写)
この施設の正式名称は「宮城県工業用水道事業所第六取水口(四ツ谷ぜき用水)」というらしい。
住所・・・仙台市青葉区郷六龍澤(葛岡駅から、徒歩900m)
タモリさん一行は、この門から入場したが、我々一行は許可を取っていないので、塀の左脇の山道のようなとこから降りて行きました。
#05、四ツ谷堰(TV画面より)
一番手前の方が、仙台市教育委員会木村浩二さん、その前が、日本スリバチ学会会長 皆川典久さん、その前が、桑子アナンサー、その前がタモリさん(左肩のみ見えている)。
#06、四ツ谷堰(実写)
#07、四ツ谷堰の水の流れ
写真で上の矢印の先に取水口があります。
余った水は、下の矢印のように、本流に戻ります。
#08、四ツ谷用水取水口
#07同様、右方向へ行く水が工業用水となります。手前の余り水は本流に戻ります。
(本写真のみ、平28年10月26日撮影)
#09、四ツ谷用水取水口の設備
結構な規模の設備が設置されています。
#10、四ツ谷用水沈砂池付近(TV画面より)
先程の取水口から徒歩800m地点。
四ツ谷用水は、約400年前、伊達政宗が、毛利藩にいた川村孫兵衛の手腕を買い、伊達藩に呼び寄せ、掘削を依頼し完成した。
当時から、昭和30年代までは、トンネル部分以外は開渠構造であったが、昭和30年半ば頃から堀の上に蓋がかぶされて、暗渠化が進んだ。
この辺(青葉区郷六字館)でのみ、四ツ谷用水の開渠構造が見られます。
写真で不鮮明ですが、画面右手、ガードレールのすぐ先に、沈砂池があります。
#11、宮城県工業用水道沈砂池(門と看板)
#12、「四ツ谷用水の開水路と沈砂池」の説明板
説明板の文章をテキストにそのまま落としました。
『四ツ谷用水』の開水路
伊達改宗公は城下町仙台を開くにあたって、生活用水,消火用水、農業用水等として必要な水をここ広瀬川の郷六から引き入れ、八幡から北六番丁を流れて梅田川に注ぐ本流と、途中の三つの支流を分岐して仙台城下に広く流しました、これが「四ツ谷用水」です。
最初の川水の取り入れ口は伊達家の別荘である「郷六御殿」の近くで、現在の「北堰」(三居沢発電所の取水堰)のあたりにあって「古堰」と言われていました。
約800m上流の現在の「四ツ谷堰は明治10年代に造られ、1号隧道(トンネル)を通ってここまで来ています。
この場所は藩政時代の「四ツ谷用水」の流れを見ることのできる唯一の場所です。
現在は工業用水道として使用されております。
沈砂池とは砂を除去するための工業用水道の施設です。
平成26年12月「四ツ谷の水を街並みに!」市民の会
#13、宮城県工業用水道沈砂池全景
画面左が沈砂池、右側は四ツ谷用水の開渠部。
#14、木村氏のしぐさもトレース
木村氏の説明
「緑のきれいな森の手前を広瀬川が流れています。広瀬川の本流に沿って四ツ谷用水をずっと流しているという感じです。」
#15、四ツ谷用水唯一の開渠部分(1)
右側が上流方向(沈砂池)
非常にゆっくりした流れです。
#16、四ツ谷用水唯一の開渠部分(2)
手前が上流側、向こうが下流方向。
#17、聖沢掛樋(作並街道)
四ツ谷用水は、その名の由来ともなっている、四つの谷を越えて仙台城下まで流れて行きます。谷越えは、木の樋を使って越えました。この樋を掛樋(かけひ)と言います。
画面一番右が、作並街道、中央が作並街道(旧道)。旧道の左側に掛樋があります。
#18、聖沢掛樋の位置図
聖沢掛樋は青葉区八幡6丁目で、先程の沈砂池から、約2km下流にあります。
四つの大きい谷とは、上流から、針金沢、聖沢、鶏沢、へくり沢です。針金沢は、先程の沈砂池の東方約100m程の所にあります。
ここ聖沢は、2番目の谷で、一番深い谷です。
#19、聖沢掛樋を散歩会メンバーが見学
現在、樋(掛樋)がオープンの状態で見られるのは、ここだけです。
建設時の樋の大きさは、幅5尺(1.5m)×高さ5尺(1.5m)で松の木で出来ていました。
現在は、工業用水のため、コンクリート製です。
#20、聖沢掛樋をタモリさん一行が見学
番組より
タモリ氏「これ(用水)渡っていますね!上を!」
桑子アナ「ほんとだ!」
皆川さん「ローマの水道橋みたいでしょ」
タモリ氏「これ、谷、深いんだ!」
#21、聖沢掛樋と聖沢川
#22、聖沢掛樋を下流より望む
#23、聖沢掛樋の説明板
一般的に、この類の説明板は、自治体又は教育委員会が設置しますが、この説明板は、民間のグループで設置しています。
(続く)
たいへんご無沙汰しました。特に理由はないのですが、SO-NETの活動をしばらく休止していました。
また、昨年11月29日にアップした、ブラタモリ・トレース/仙台・四ツ谷用水(その2)は、完結しないまま現在に至って居ります。
今回、改めて、四ツ谷用水の取水口から本流洗い場跡、さらに壱弐参(いろは)横丁の井戸、うなぎ屋と名掛丁の用水支流跡を取材しましたので、紹介致します。
今回の、ブラタモリ・トレースは、昨年同様、同級生との散歩会として設定しました。
#01、JR仙山線葛岡駅(仙台市青葉区葛岡)
最初の目的地「四ツ谷用水取水口」には、JR葛岡駅が便利そうだったので、ここを集合場所にしました。無人駅でトイレが無く、ちょっと困りました。
駅舎上方のシートの被っている所がホームで、現在改装中とのこと。
#02、ブラタモリ・トレース四ツ谷用水関連地図(葛岡駅→四ツ谷用水沈砂池)
#03、四ツ谷用水取水口(TV番組ブラタモリより)
放送日2015年7月11日(土)NHK
本画面で、草ナギ剛さんのナレーションあり・・・
「タモリさんがやって来たのは、四ツ谷用水のスタート地点。ここから、四ツ谷用水を辿ると、政宗が地形マニアだったことが、良くわかるんです。」
#04、四ツ谷用水取水口(実写)
この施設の正式名称は「宮城県工業用水道事業所第六取水口(四ツ谷ぜき用水)」というらしい。
住所・・・仙台市青葉区郷六龍澤(葛岡駅から、徒歩900m)
タモリさん一行は、この門から入場したが、我々一行は許可を取っていないので、塀の左脇の山道のようなとこから降りて行きました。
#05、四ツ谷堰(TV画面より)
一番手前の方が、仙台市教育委員会木村浩二さん、その前が、日本スリバチ学会会長 皆川典久さん、その前が、桑子アナンサー、その前がタモリさん(左肩のみ見えている)。
#06、四ツ谷堰(実写)
#07、四ツ谷堰の水の流れ
写真で上の矢印の先に取水口があります。
余った水は、下の矢印のように、本流に戻ります。
#08、四ツ谷用水取水口
#07同様、右方向へ行く水が工業用水となります。手前の余り水は本流に戻ります。
(本写真のみ、平28年10月26日撮影)
#09、四ツ谷用水取水口の設備
結構な規模の設備が設置されています。
#10、四ツ谷用水沈砂池付近(TV画面より)
先程の取水口から徒歩800m地点。
四ツ谷用水は、約400年前、伊達政宗が、毛利藩にいた川村孫兵衛の手腕を買い、伊達藩に呼び寄せ、掘削を依頼し完成した。
当時から、昭和30年代までは、トンネル部分以外は開渠構造であったが、昭和30年半ば頃から堀の上に蓋がかぶされて、暗渠化が進んだ。
この辺(青葉区郷六字館)でのみ、四ツ谷用水の開渠構造が見られます。
写真で不鮮明ですが、画面右手、ガードレールのすぐ先に、沈砂池があります。
#11、宮城県工業用水道沈砂池(門と看板)
#12、「四ツ谷用水の開水路と沈砂池」の説明板
説明板の文章をテキストにそのまま落としました。
『四ツ谷用水』の開水路
伊達改宗公は城下町仙台を開くにあたって、生活用水,消火用水、農業用水等として必要な水をここ広瀬川の郷六から引き入れ、八幡から北六番丁を流れて梅田川に注ぐ本流と、途中の三つの支流を分岐して仙台城下に広く流しました、これが「四ツ谷用水」です。
最初の川水の取り入れ口は伊達家の別荘である「郷六御殿」の近くで、現在の「北堰」(三居沢発電所の取水堰)のあたりにあって「古堰」と言われていました。
約800m上流の現在の「四ツ谷堰は明治10年代に造られ、1号隧道(トンネル)を通ってここまで来ています。
この場所は藩政時代の「四ツ谷用水」の流れを見ることのできる唯一の場所です。
現在は工業用水道として使用されております。
沈砂池とは砂を除去するための工業用水道の施設です。
平成26年12月「四ツ谷の水を街並みに!」市民の会
#13、宮城県工業用水道沈砂池全景
画面左が沈砂池、右側は四ツ谷用水の開渠部。
#14、木村氏のしぐさもトレース
木村氏の説明
「緑のきれいな森の手前を広瀬川が流れています。広瀬川の本流に沿って四ツ谷用水をずっと流しているという感じです。」
#15、四ツ谷用水唯一の開渠部分(1)
右側が上流方向(沈砂池)
非常にゆっくりした流れです。
#16、四ツ谷用水唯一の開渠部分(2)
手前が上流側、向こうが下流方向。
#17、聖沢掛樋(作並街道)
四ツ谷用水は、その名の由来ともなっている、四つの谷を越えて仙台城下まで流れて行きます。谷越えは、木の樋を使って越えました。この樋を掛樋(かけひ)と言います。
画面一番右が、作並街道、中央が作並街道(旧道)。旧道の左側に掛樋があります。
#18、聖沢掛樋の位置図
聖沢掛樋は青葉区八幡6丁目で、先程の沈砂池から、約2km下流にあります。
四つの大きい谷とは、上流から、針金沢、聖沢、鶏沢、へくり沢です。針金沢は、先程の沈砂池の東方約100m程の所にあります。
ここ聖沢は、2番目の谷で、一番深い谷です。
#19、聖沢掛樋を散歩会メンバーが見学
現在、樋(掛樋)がオープンの状態で見られるのは、ここだけです。
建設時の樋の大きさは、幅5尺(1.5m)×高さ5尺(1.5m)で松の木で出来ていました。
現在は、工業用水のため、コンクリート製です。
#20、聖沢掛樋をタモリさん一行が見学
番組より
タモリ氏「これ(用水)渡っていますね!上を!」
桑子アナ「ほんとだ!」
皆川さん「ローマの水道橋みたいでしょ」
タモリ氏「これ、谷、深いんだ!」
#21、聖沢掛樋と聖沢川
#22、聖沢掛樋を下流より望む
#23、聖沢掛樋の説明板
一般的に、この類の説明板は、自治体又は教育委員会が設置しますが、この説明板は、民間のグループで設置しています。
(続く)