さだまさし市川市ゆかりの地の探索Ⅲ(寺川邸・下) [きたろう散歩]
さだまさしシリーズは、「ダイヤモンド富士」や「木星・土星接近」の記事で中断してしまいました。
遅筆故、さだまさしシリーズ途中で、新たな興味ある出来事がおこり記事としてアップしてしまったからです。ご了承ください。今回また、さだまさしシリーズに戻り続けたいと思います。
さて、今回のテーマは、さだまさし氏(=以下雅志君とも呼称)が昭和42年から昭和47年(1967~1972)(中学3年の春から大学2年の春まで)に下宿していた寺川邸のありし日の写真を探し出すということです。
まず、私のオリジナル写真に何か無いかと調べました。
寺川邸は菅野2丁目にありましたが、この近辺の写真として、次の写真がありました。本シリーズⅠにも掲載しましたが、建替え直後の日出学園幼稚園から東方の外環自動車道の工事現場の方を撮影した写真です(2009年9月)。
#01、日出学園幼稚園から東方を望む(2009年9月)(きたろう散歩)
※日出学園幼稚園・・・市川市菅野2丁目21−12
当時の状況を、ネットで公開されている国土地理院の航空写真で確認してみました。
#02、寺川邸付近の航空写真(国土地理院 2009年)
※寺川邸・・・市川市菅野2丁目18-10
2009年は、外環自動車道(市川区間)の用地買収が大分進んだという状況でした。寺川邸は外環自動車道の工事で最終的には解体されましたが、2009年当時は、まだ寺川邸が残っていました。但し、この写真をよく見ると、寺川邸の母屋の西側と南側の一部は解体され削られているようでした。
#03、寺川邸の場所の推定(写真#01の拡大写真)(きたろう散歩)
#03の写真は、#01の写真を拡大したものですが、#02の航空写真の寺川邸の位置と照らし合わせて見ると、#03の写真中赤矢印の先あたりに寺川邸があったと推定されます。
このときは、外環自動車道の工事状況を撮影しに行ったもので、この辺に、かつて雅志君が住んでいたということは全く認識していませんでした。
因みに、当時撮影した他の写真も掲載します。
遅筆故、さだまさしシリーズ途中で、新たな興味ある出来事がおこり記事としてアップしてしまったからです。ご了承ください。今回また、さだまさしシリーズに戻り続けたいと思います。
さて、今回のテーマは、さだまさし氏(=以下雅志君とも呼称)が昭和42年から昭和47年(1967~1972)(中学3年の春から大学2年の春まで)に下宿していた寺川邸のありし日の写真を探し出すということです。
まず、私のオリジナル写真に何か無いかと調べました。
寺川邸は菅野2丁目にありましたが、この近辺の写真として、次の写真がありました。本シリーズⅠにも掲載しましたが、建替え直後の日出学園幼稚園から東方の外環自動車道の工事現場の方を撮影した写真です(2009年9月)。
#01、日出学園幼稚園から東方を望む(2009年9月)(きたろう散歩)
※日出学園幼稚園・・・市川市菅野2丁目21−12
当時の状況を、ネットで公開されている国土地理院の航空写真で確認してみました。
#02、寺川邸付近の航空写真(国土地理院 2009年)
※寺川邸・・・市川市菅野2丁目18-10
2009年は、外環自動車道(市川区間)の用地買収が大分進んだという状況でした。寺川邸は外環自動車道の工事で最終的には解体されましたが、2009年当時は、まだ寺川邸が残っていました。但し、この写真をよく見ると、寺川邸の母屋の西側と南側の一部は解体され削られているようでした。
#03、寺川邸の場所の推定(写真#01の拡大写真)(きたろう散歩)
#03の写真は、#01の写真を拡大したものですが、#02の航空写真の寺川邸の位置と照らし合わせて見ると、#03の写真中赤矢印の先あたりに寺川邸があったと推定されます。
このときは、外環自動車道の工事状況を撮影しに行ったもので、この辺に、かつて雅志君が住んでいたということは全く認識していませんでした。
因みに、当時撮影した他の写真も掲載します。