きたろう散歩番外編”今日の東京スカイツリー(台風一過・富士山とのコラボ)” [東京スカイツリー]

2011/09/22(木)(同日アップ)

台風15号が、日本列島をなめるように通過し、各地に被害をもたらし、去って行きました。
お亡くなりになった方に対しては、ご冥福をお祈りいたします。被害を受けた方にはお見舞い申し上げます。

さて、台風一過の朝は、台風で汚れた空気が吹き払われて、この地からも富士山が望めます。
富士山と、東京スカイツリーのコラボを撮影しようと思って、外へ出ました。

 そしたら、なんとビックリ、前の家(空き家)の瓦が台風で飛ばされ、前の道路に落ちて割れて、破片が道一杯に散乱していました。今日は、木曜で、朝一番でゴミ収集車がここを通るので、その邪魔にならないように、破片を全部かき集めて、一か所にまとめて置きました。

 瓦の、撤去で手間取りましたが、江戸川に向かいました。予想通り、富士山と東京スカイツリーのコラボが見られました。

写真#01:江戸川から富士山、東京スカイツリーを望む(1)(6:57撮影)
#01台風一過・富士山・スカイツリー(ブログ).jpg

瓦の撤去で、手間取ってる間に、空気のクリーン度が下がり、富士山がくっきり見えるという程ではありませんでした。

さらに上流の方に移動して撮影しました。

写真#02:江戸川から富士山、東京スカイツリーを望む(2)(7:09撮影)
#02台風一過・富士山・スカイツリー(ブログ).jpg

上流に移動している間にも、どんどんクリーン度はさがり、富士山は、画像処理して、やっと見える位になってしまいました。




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第16-1回「芝神明増上寺」(秋79景)(上) [広重・名所江戸百景]

(2011/09/21アップ)

2011/09/14(水)

今回は、芝神明増上寺(しばしんめいぞうじょうじ)です。
まず、絵の題ですが、芝神明は、現在もこの地に建っている芝大神宮(しばだいじんぐう)のことで、広重の絵では、画面右(上)に描かれています。
増上寺は、徳川家の菩提寺として有名な増上寺で、増上寺の大門が、絵の左(上)に描かれています。

#00、芝神明増上寺
#00芝神明増上寺(廣重画).jpg

 画面手前の、一行は、地方から来た観光客の一行です。徳川家菩提所の参拝を済ませ、これから、大神宮へ参拝するものと思われます。
 彼ら、彼女らの表情を良く見て頂きたい。歩きながら、結構大声でおしゃべりしています。現代の団体の観光客の行動もこの時代となんら変わらないのではないのでしょうか。

 後ろの、僧侶の一団は、増上寺の青年僧の一団で、七ツ(午後4時)の鐘を合図に、増上寺を出発、托鉢に出かけるところです。七ツ時に出かけるので、人々は七ツ坊主と呼びました。
 広辞苑によれば「江戸末期に、寺の僧たちが、毎日七つ(午後四時)頃から拍子木をたたき、念仏を唱えて、江戸の町を托鉢(たくはつ)して歩いたもの。」とあります。
 これは、この僧たちの表面的な説明で、「絵本江戸風俗往来」によれば、「日暮七ツ時という鐘声を報ずるや、十人二十人ずつ組みて市中所々へ托鉢に出る増上寺の僧で、ゆえに、この名がついた。この坊主の集団は、修行と称して、道行く武士などに論争をふっかけて回り、托鉢は名のみにして、実は大道横行する者を懲しめんことを専らとす」というのが、実態でした。(東洋文庫50、『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎著、鈴木棠三編)
 托鉢という行動から逸脱しているとも考えられるこれらの行動は、徳川家の菩提寺である増上寺を後ろ盾にしていることもあって、黙認されていたようでした。


 きたろうは午前中神田で所用を済ませ、ここにはJR浜松町駅から来ました。浜松町駅からここまでは数分で来れます。

#01:大門裏から増上寺三門を望む
#01増上寺三門.jpg

 この写真は、今回(9月14日)撮った写真で、増上寺の大門の裏から、増上寺の三門(三解脱門)を望んだところです。この三門は江戸初期に建てられ、その後1622年に再建されたものが残っていて、国の重要文化財に指定されています。
 この三門の二階部分は、戦後公開されたことがなかったのですが、一昨日(9月19日)のTVで、現在、この門の、二階部分を公開しているとの報道がなされていました。(11月30日まで、拝観料500円)
 当日、きたろうは勘違いして、広重の絵と同じアングルと思って、この写真を撮っていましたが、この写真を撮った位置は、広重の絵でいうと左上に見える門(大門)の内側から撮っていた事になります。

#02:増上寺大門を望む
#02増上寺大門.jpg

 この写真は、9年前(2002年)に撮った写真(フィルムカメラで)ですが、ここに見える門は、大門で、この写真の方が広重の視点に近い写真です。
「あさひ銀行」という看板が時代を感じさせます。
(この時は、広重の絵と同じ場所のアングルを押さえていたのに、今回はどうしたんでしょうね?)

 さて、芝神明、現在は芝大神宮と呼ばれていますが、#02の写真で言うと、あさひ銀行の裏の通りを右の入って行くと大神宮の参道にぶつかります。

#03:芝大神宮社殿正面
#03芝大神宮(正面).jpg

 芝大神宮について、ネットで調べた中で、きたろうが一番気に入った説明のものを、以下そのまま転載します。
(本来は、芝大神宮内の縁起を記した説明板等の写真を載せる所ですが、その類の説明板等は見あたりませんでした。)

芝大神宮・・・東京都港区芝大門一丁目
芝神明と称され、伊勢神宮のご祭神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)と 豊受大神(とようけのおおかみ)の二柱を主祭神とする「関東のお伊勢さま」です。
創建は平安時代の寛弘2年(1005年)で、一条天皇の御代から続く由緒あるお社。
鎌倉時代には、征夷大将軍・源頼朝より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、 江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はさらに賑わいをみせて 安藤広重などの浮世絵で描かれたように、関東一円の庶民信仰を集めました。
現在も縁結びや金運上昇などのご利益を求めて、多くの参拝者が訪れています。
         
(OTALABO 開運史学から引用)


 今日(9月14日)、芝神明増上寺を取材しようと思ったのは、午前に都内に所用があったこともありますが、芝大神宮の例祭期間中だったこともあります。
9月16日の大祭祭儀を中心に、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それらが長期間「だらだら」と続くために、古来より「だらだら祭り」とも言われているそうです。

写真#04:祭り期間中なので、神輿が展示してありました。
#04芝大神宮の神輿.jpg

写真#05:芝大神宮参道
#05芝大神宮参道.jpg
大神宮の鳥居の方向が西になります。社殿は東向きに建っています。

写真06:芝大神宮(奥の院)
#06芝大神宮・奥の院.jpg
大神宮の奥の院を裏から見た所。裏からだと、社殿(神明造り)の千木等が良く見えます。

#07:増上寺大門
#07増上寺大門.jpg

 広重の絵の左上の門は、この門です。この辺の地名「芝大門」や都営地下鉄の「大門駅」は。この門に因んで命名されました。現在の門は、昭和12年に作られたコンクリート製の門です。
当時、この門の内側が寺社の境内でしたが、現在は、民間のビルで占められています。
(現在は、この奥の三門の内側が寺社の境内になっています)

#08大門の前のレリーフ
#08大門前のレリーフ.jpg

 この辺を描いた、浮世絵のレリーフで左のレリーフは、本項、広重の絵をレリーフにしたものです。
右の絵は、芝神明のだらだら祭りの様子を描いた浮世絵のようです。


#09:大門(古写真)撮影年月不明
#09増上寺大門(古写真).jpg

門の内側の参道の両脇に並んでいるのは、茶店と思われる。

#10:芝神明(古写真)撮影年月不明
#10芝大神宮(古写真).jpg

 現在の社殿は、結構高いとこにありますが、これは自然の地形でなく、人工的に嵩上げしている
ことが、この写真からわかります。嵩上げした部分は、駐車場になっています。

注)本項続編を新設したのでタイトルを変更しました。

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きたろう散歩番外編”今日の東京スカイツリー(沈む太陽とのコラボ)” [東京スカイツリー]

(2011/9/16アップ)

平成23年9月15日(木)

スポーツクラブへ行こうと家を出た時、空の色と空気感から、直感的に夕方、夕焼けが出現すると思いました。先週の夕焼けの時はデジカメを持って行かなかったので、今日こそはと思ってデジカメ持参で行きました。
 
スイミングは早めに切り上げ、いつものポイントに行きました。
東京スカイツリーの方向は、きれいな夕焼けで、ちょうど日没のタイミングでした。

太陽が沈むに連れ、撮影ポイントも移動しつつ、適宜シャッターを押しました。
東京スカイツリーと沈む太陽のコラボをお楽しみください。

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第15回「五百羅漢さゞゐ堂」(夏66景) [広重・名所江戸百景]

(2011/09/10アップ)

2011/09/07(水)この項は前々回の”東京スカイツリー(本村橋から)”から続きます。

本村橋から東京スカイツリーを眺め、「五百羅漢さゞゐ堂」が描かれた舞台へやって来ました。

#00広重・五百羅漢さゞゐ堂(夏66景).jpg

羅漢は阿羅漢の略で、仏教の修行を積んだ最上位の聖者のことを言います。その聖者の五百体の像をかつては祀っていましたが、これが五百羅漢です。
広重の絵の、右の高い建物がさざえ堂(さゞゐ堂)です。この建物の階段は、さざえと同じようならせん状になっているので、さざえ堂と称されました。さゞえの”え”が”ゐ(い)”になってるのは、江戸なまりだそうです。
五百体もの木像があるので、その中には、亡くなった身内や知人とそっくりな像があり、ここに来れば、そのそっくりな像に会えるということで人気を博しました。
また、このさざえ堂は、三階建ての高楼で、絵からも分かるように眺望が良いことでも人気となりました。

#01、現在の羅漢寺(1)(羅漢寺の反対側の総合区民センターの4Fから撮影)

#01.jpg

現在は、4Fから眺めても、眺望はほとんど望めません。

#02、現在の羅漢寺(2)(総合区民センターのエントランス(2F)付近から撮影)

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羅漢寺の左の交差点は”区民センター前”交差点。江戸期の羅漢寺は六千坪以上の敷地がありました。この、画面に見えてる交差点や寺の前の道路など、かつては寺の境内でした。

#03、羅漢寺と「五百羅漢」跡石碑

#03.jpg

この石碑は、総合区民センターの前庭にあります。

#04、「五百羅漢跡」石碑と「江東区教育委員会の史跡説明板」

#04.jpg

石碑の右に、江東区教育員会の史跡の説明板があります。そこに記載の文章を以下そのまま掲載します。

 
五百羅漢跡(ごひゃくらかんあと)          大島四の五
     。 
    
五百羅漢は、元禄八年(1695)に松雲元慶禅師によリ創建された黄槃宗(おうばくしゅう)の寺院です。禅師は貞享年間(1684~88)に江戸へ出、元禄四年(1691)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄八年、将軍徳川綱吉から天恩山五百阿羅漢寺(てんおんさんごひゃくあらかんじ)の寺号と六千坪余の寺地を賜リここに自ら彫像した羅漢像など五三六体を安置しました。
当寺の三匝堂(さんそうどう)は、廊下がらせん状に三階まで続いており、その様子がサザエのようであることから、または三匝とサザエの発音が似ていることから「さざえ堂」と呼ばれ、多くの参詣客を集める江戸名所のひとつてした。
区内には、五百羅漢までの道筋を示す道標が二基現存しています。
 羅漢寺は明治二十年(1887)本所緑町(現墨田区) へ移リ、さらに同四十二年(1909)現在地(目黒区)へ移転しました。
ここに残る石標柱は、五百羅漢跡を示すために昭和三十三年に建てられたものです。
平成二十年三月
江東区教育委員会


#05 羅漢禅寺(区民センター前交差点から撮影)

#05.jpg

#06 羅漢禅寺(拡大)

#06.jpg

江東区教育委員会の説明板によると、羅漢寺は目黒区に移転したということですが、現在もこの地には「羅漢禅寺」があります。
明治に移転したという羅漢寺と現在ある羅漢禅寺とはどういう関係かは分かりませんでした。
現在の、羅漢禅寺の縁起等を書いたものがないかどうか、探しましたがありませんでした。

#07 羅漢寺門柱

#07.jpg
 
門柱には「曹洞宗 羅漢寺」と刻んであります。
元々あった羅漢寺は黄槃宗であるので、同じ羅漢寺と称しても、元々の羅漢寺とは異なると思われます。

#08 羅漢禅寺(2000年5月4日撮影)

#08.jpg

これは、11年前撮影の写真ですが、大きな変化は無いようです。

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きたろう散歩番外編”今日の東京スカイツリー(夕景)” [東京スカイツリー]

(011/09/10アップ)

2011/09/09(金)
今日は、真夏の天気が戻って来たようで、日差しが強く蒸し暑い天気です。
スポーツクラブからの帰路、思いがけず、きれいな夕焼けが見られました。
デジカメは持っていませんでしたが、急きょ江戸川の土手に向かいました。
携帯カメラで、東京スカイツリーの撮影は、ここからだと(約10km離れている)無理があるのはわかっていましたが、一応撮影しました。

#東京スカイツリー(夕景)689.jpg

#東京スカイツリー(夕景)695.jpg


日は沈んでしまいましたが、東京スカイツリーが残照の中、シュルエットで浮かんでいました。
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きたろう散歩番外編”今日の東京スカイツリー・本村橋(江東区)から” [東京スカイツリー]

(2011/09/09アップ)
2011/09/07(水)
都心へ出かけた帰路、江戸名所百景のタネ仕込みのため、西大島駅(都営新宿線)方面へ向かっている途中に遭遇した、東京スカイツリーです。

#01:東京スカイツリー(江東区本村橋から望む)
#01東京スカイツリー・本村橋(江東区)から.jpg

本村橋は、JR錦糸町駅の南南東約1kmに位置します。
下の川は、横十間川、画面左の緑は、猿江恩賜公園の樹木です。
この日は、台風の後、グズグズしていた天気から脱し、久々に、日差しが強く暑いけれども、カラッと湿度が低く過ごしやすかったです。
この後、名所江戸百景の”五百羅漢さゝ゛ゐ(さざえ)堂”跡を訪問、取材しました。
近々アップします。

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第14回「小奈木川五本まつ」(秋97景) [広重・名所江戸百景]

(2011/9/6アップ)

話は、若干前後しますが、先週(8月31日)、都内に所用があり、その帰路、広重の江戸名所百景”小奈木川五本まつ”の跡地に行きました。広重が描いた五本松は、都営地下鉄・住吉駅の南方450m小名木川に架かる小名木川橋近辺にあったと伝えられています。
広重の描いた松は、明治になって枯れてしまったそうです。
かつては、小名木川沿い小名木橋の東側にあったそうですが、現在小名木橋の北東詰がミニ公園のようになっていて、松が数本植えられています。

#00小奈木川五本まつ(秋97景).jpg

#01 小奈木川五本まつ全景(平成21年9月11日撮影)

#01小奈木川五本まつ全景.jpg

小名木川橋から東方を望む。
左の岸のちょっと先に五本松があったとのこと。
画面左が小奈木川五本まつ跡地のミニ公園(見にくいですが画面左端に高さ1m程の石碑が写ってます)。

 小名木川は小奈木川とも書き小名木川は、徳川家康が下総国行徳から江戸へ塩を運ぶために小名木四郎兵衛という者に命じて掘らせたので、彼の姓をとって小名木川と名付けられました。

江戸が発展するにつれて、江戸と千葉方面(行徳、国府台、野田、成田、銚子など)を結ぶ水運交通の重要な水路となりました。塩だけでなく、いろいろな物資の輸送や観光客の往来に利用されました。
広重の絵にも、松の下を行徳方面に向かう船が描かれています。

五本松については、小名木川橋北東詰めのミニ公園の中に、高さ1mほどの石碑があり、その碑文に五本松の事が書いてあるので、その文を、そのまま次に掲載します。

<五本松跡・石碑・碑文>
場所:小名木川橋北東詰め
江戸時代この付近から東にかけて小名木川の河畔に老松があり小名木川の五本松として有名になり地名にもなったほどであってその一本の松が九鬼家の屋敷から道を越え水面を覆っている風景が江戸名所図会に描かれ錦絵などにも取材されたが明治時代になって枯れてしまった。
昭和33年10月1日、江東区台12号


ここへは、2年前と11年前も来て、写真を撮っています。
以下、写真で五本松史跡、小名木川、小名木川橋の11年の変遷を紹介致します。

<五本松跡記念のミニ公園>

#02、平成12年5月4日(朝)撮影(フィルムカメラで撮影)
#02平成12年5月4日.jpg

このミニ公園は、小名木川橋の北東詰めにあります。
松の木がまだ若いのか、葉があまり茂ってません。

#03、平成21年9月11日(午後)撮影(デジカメで撮影)
#03平成21年9月11日.jpg

#01より南側からミニ公園を撮影、#01から9年経過し葉が大分茂って来てます、正面奥の石垣の所は、ベンチになっていて座れます。画面右の石の柱は、小名木川橋の親柱です。

#04、平成23年8月31日(午後)撮影(携帯カメラ)
意識したわけではありませんが、撮影アングルが、偶然11年前とほぼ同じアングルでした。
葉の茂り具合が異なる以外は、ほとんど変化は見られませんでした。
※なぜ携帯での撮影かというと、デジカメは持参したのですが、SDカードを入れ忘れて、撮影出来なかっただけの話です。

<ミニ公園から小名木川の水面を望む>

#05、平成12年
#05平成12年5月4日.jpg

#06、平成21年:小名木川橋の際から小名木川橋の親柱と小奈木川を撮影(一脚を利用した簡易俯瞰撮影)

#06平成21年9月11日.jpg

#07、平成23年

#07平成23年8月31日.jpg

<小名木川橋から東方を望む>
#08、平成12年

#08平成12年5月4日.jpg

五本松は、小名木川の北岸にあったとのことなので、画面の左側の岸にあったことになりますが、現在はどこにあったかを示す手掛かりは、ありません。

#09、平成21年
小名木川橋の、中間当たりの欄干に、広重の”小奈木川五本まつ”の銅のレリーフがはめ込んであります。

#09平成21年9月11日.jpg

#10、明治期に撮影された”五本松”の写真。
#10五本松(明治期).jpg

これは、ミニ公園内にある、史跡説明板に貼られている写真です。

江戸期の松は、明治に枯れましたが、江東区はこの地を史跡として、ミニ公園を作ったり、松を植えたりして記念しています。

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きたろう散歩番外編”今日の東京スカイツリー(台風12号の余波中)” [東京スカイツリー]

(2011・9・4アップ)

9月3日(土)
台風12号が、四国に上陸瀬戸内海を通過中と思われます。
ここ江戸川付近は、暗雲に覆われ風も強いけど、晴れ間もときどき見えてます。
気温は約28℃ですが、猛烈な湿気で、大変蒸し暑いです。
例によって、東京スカイツリー方向をいつもの場所から撮影しました。

#01東京スカイツリー(江戸川・稲荷木).jpg

東京スカイツリーは、もやって見えます。
写真では、あまり分かりませんが、川は茶色に濁ってます。


同地点から、江戸川清掃工場方面も撮影しました。画面中央の煙突が江戸川清掃工場(東京都)です。江戸川は、ここで旧江戸川(奥)と江戸川(放水路)(手前)に分岐します。

#02江戸川清掃工場方面(稲荷木より).jpg

ここから、東京スカイツリーは約10km江戸川清掃工場は約3km離れています。
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