講演会受講記「遺伝子から見た古代のイヌ」 その2 [講演会]
前回の予告編的な記事から大分間が空いてしまいましたが、今回から実際の講演を要約して紹介します。
講師3名の講演がありましたが、今回はトップバッターの市川考古博物館の方からの「イヌの骨の発掘場所」についての講演を紹介いたします。
◆◇演題1、イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは◆◇
講師:市立市川考古博物館 山路直充氏
(同館を2年前に退職、現在再雇用中との由)
■イヌの骨発見のきっかけ
個人住宅の事前調査として、1984年(昭和59年)8月~10月の発掘された。
■第6地点とは?
イヌの骨は、市川市の須和田遺跡の第6地点から出土した。
この付近から、「博士館」銘の墨書土器が出土したことから、国府で儒教を教えた国博士の屋敷があったものと考えられる。
(第6地点の北東約600mのところに、国府の中心的建物があったと推定されている)
■遺跡第6地点
次の遺跡が出土した
❖竪穴建物4棟(5C末から7C)
❖土坑3口・・・古代(時期不詳2口)、8C後半1口
❖イヌ、ウシ、ウマ(の骨)、貝層、土錘30点以上
■3号土坑から出土した遺物
❖形・大きさ・・・下図参照
❖用途・・・当初は貯蔵庫として作られた。のちに、動物の埋葬等として使われた。
❖堆積状況、イヌ、ウシ、ウマは中層の上半部に集中する。
❖年代・・下層に7Cの土器がある以外は8Cのものである。上層に瓦があるが。これは、765~767年に発生したものと思われる。
■土坑の再利用
貯蔵穴としての利用が終わった後、壊れた土器や6号のイヌが入れられた。6号のイヌは祭祀に利用された可能性が高い。
中層出土のイヌ、ウシ、ウマは、廃棄と埋葬の場合がある。
※きたろう感想
土坑に埋められたイヌの一部は、骨の状況から見て、捨てられた推定されるとのことで、当時は、全部のイヌが必ずしも埋葬されということではないということで、現在の犬に関する態度と大いに異なると感じた。
講師3名の講演がありましたが、今回はトップバッターの市川考古博物館の方からの「イヌの骨の発掘場所」についての講演を紹介いたします。
◆◇演題1、イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは◆◇
講師:市立市川考古博物館 山路直充氏
(同館を2年前に退職、現在再雇用中との由)
■イヌの骨発見のきっかけ
個人住宅の事前調査として、1984年(昭和59年)8月~10月の発掘された。
■第6地点とは?
イヌの骨は、市川市の須和田遺跡の第6地点から出土した。
この付近から、「博士館」銘の墨書土器が出土したことから、国府で儒教を教えた国博士の屋敷があったものと考えられる。
(第6地点の北東約600mのところに、国府の中心的建物があったと推定されている)
■遺跡第6地点
次の遺跡が出土した
❖竪穴建物4棟(5C末から7C)
❖土坑3口・・・古代(時期不詳2口)、8C後半1口
❖イヌ、ウシ、ウマ(の骨)、貝層、土錘30点以上
■3号土坑から出土した遺物
❖形・大きさ・・・下図参照
❖用途・・・当初は貯蔵庫として作られた。のちに、動物の埋葬等として使われた。
❖堆積状況、イヌ、ウシ、ウマは中層の上半部に集中する。
❖年代・・下層に7Cの土器がある以外は8Cのものである。上層に瓦があるが。これは、765~767年に発生したものと思われる。
■土坑の再利用
貯蔵穴としての利用が終わった後、壊れた土器や6号のイヌが入れられた。6号のイヌは祭祀に利用された可能性が高い。
中層出土のイヌ、ウシ、ウマは、廃棄と埋葬の場合がある。
※きたろう感想
土坑に埋められたイヌの一部は、骨の状況から見て、捨てられた推定されるとのことで、当時は、全部のイヌが必ずしも埋葬されということではないということで、現在の犬に関する態度と大いに異なると感じた。