第16-1回「芝神明増上寺」(秋79景)(上) [広重・名所江戸百景]
(2011/09/21アップ)
2011/09/14(水)
今回は、芝神明増上寺(しばしんめいぞうじょうじ)です。
まず、絵の題ですが、芝神明は、現在もこの地に建っている芝大神宮(しばだいじんぐう)のことで、広重の絵では、画面右(上)に描かれています。
増上寺は、徳川家の菩提寺として有名な増上寺で、増上寺の大門が、絵の左(上)に描かれています。
#00、芝神明増上寺
画面手前の、一行は、地方から来た観光客の一行です。徳川家菩提所の参拝を済ませ、これから、大神宮へ参拝するものと思われます。
彼ら、彼女らの表情を良く見て頂きたい。歩きながら、結構大声でおしゃべりしています。現代の団体の観光客の行動もこの時代となんら変わらないのではないのでしょうか。
後ろの、僧侶の一団は、増上寺の青年僧の一団で、七ツ(午後4時)の鐘を合図に、増上寺を出発、托鉢に出かけるところです。七ツ時に出かけるので、人々は七ツ坊主と呼びました。
広辞苑によれば「江戸末期に、寺の僧たちが、毎日七つ(午後四時)頃から拍子木をたたき、念仏を唱えて、江戸の町を托鉢(たくはつ)して歩いたもの。」とあります。
これは、この僧たちの表面的な説明で、「絵本江戸風俗往来」によれば、「日暮七ツ時という鐘声を報ずるや、十人二十人ずつ組みて市中所々へ托鉢に出る増上寺の僧で、ゆえに、この名がついた。この坊主の集団は、修行と称して、道行く武士などに論争をふっかけて回り、托鉢は名のみにして、実は大道横行する者を懲しめんことを専らとす」というのが、実態でした。(東洋文庫50、『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎著、鈴木棠三編)
托鉢という行動から逸脱しているとも考えられるこれらの行動は、徳川家の菩提寺である増上寺を後ろ盾にしていることもあって、黙認されていたようでした。
きたろうは午前中神田で所用を済ませ、ここにはJR浜松町駅から来ました。浜松町駅からここまでは数分で来れます。
#01:大門裏から増上寺三門を望む
この写真は、今回(9月14日)撮った写真で、増上寺の大門の裏から、増上寺の三門(三解脱門)を望んだところです。この三門は江戸初期に建てられ、その後1622年に再建されたものが残っていて、国の重要文化財に指定されています。
この三門の二階部分は、戦後公開されたことがなかったのですが、一昨日(9月19日)のTVで、現在、この門の、二階部分を公開しているとの報道がなされていました。(11月30日まで、拝観料500円)
当日、きたろうは勘違いして、広重の絵と同じアングルと思って、この写真を撮っていましたが、この写真を撮った位置は、広重の絵でいうと左上に見える門(大門)の内側から撮っていた事になります。
#02:増上寺大門を望む
この写真は、9年前(2002年)に撮った写真(フィルムカメラで)ですが、ここに見える門は、大門で、この写真の方が広重の視点に近い写真です。
「あさひ銀行」という看板が時代を感じさせます。
(この時は、広重の絵と同じ場所のアングルを押さえていたのに、今回はどうしたんでしょうね?)
さて、芝神明、現在は芝大神宮と呼ばれていますが、#02の写真で言うと、あさひ銀行の裏の通りを右の入って行くと大神宮の参道にぶつかります。
#03:芝大神宮社殿正面
芝大神宮について、ネットで調べた中で、きたろうが一番気に入った説明のものを、以下そのまま転載します。
(本来は、芝大神宮内の縁起を記した説明板等の写真を載せる所ですが、その類の説明板等は見あたりませんでした。)
今日(9月14日)、芝神明増上寺を取材しようと思ったのは、午前に都内に所用があったこともありますが、芝大神宮の例祭期間中だったこともあります。
9月16日の大祭祭儀を中心に、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それらが長期間「だらだら」と続くために、古来より「だらだら祭り」とも言われているそうです。
写真#04:祭り期間中なので、神輿が展示してありました。
写真#05:芝大神宮参道
大神宮の鳥居の方向が西になります。社殿は東向きに建っています。
写真06:芝大神宮(奥の院)
大神宮の奥の院を裏から見た所。裏からだと、社殿(神明造り)の千木等が良く見えます。
#07:増上寺大門
広重の絵の左上の門は、この門です。この辺の地名「芝大門」や都営地下鉄の「大門駅」は。この門に因んで命名されました。現在の門は、昭和12年に作られたコンクリート製の門です。
当時、この門の内側が寺社の境内でしたが、現在は、民間のビルで占められています。
(現在は、この奥の三門の内側が寺社の境内になっています)
#08大門の前のレリーフ
この辺を描いた、浮世絵のレリーフで左のレリーフは、本項、広重の絵をレリーフにしたものです。
右の絵は、芝神明のだらだら祭りの様子を描いた浮世絵のようです。
#09:大門(古写真)撮影年月不明
門の内側の参道の両脇に並んでいるのは、茶店と思われる。
#10:芝神明(古写真)撮影年月不明
現在の社殿は、結構高いとこにありますが、これは自然の地形でなく、人工的に嵩上げしている
ことが、この写真からわかります。嵩上げした部分は、駐車場になっています。
注)本項続編を新設したのでタイトルを変更しました。
<撮影場所>
芝大明神:東京都港区芝大門一丁目12番7号
増上寺:東京都港区芝公園四丁目7番35号
<撮影時刻>
#01、#03~#08:2011/09/14(水) 12:50~13:10
#02:2002/06/18(火)朝
#09:古写真で見る・江戸から東京へ、P95(2001年4月20日発行)
#10:同上、P102
2011/09/14(水)
今回は、芝神明増上寺(しばしんめいぞうじょうじ)です。
まず、絵の題ですが、芝神明は、現在もこの地に建っている芝大神宮(しばだいじんぐう)のことで、広重の絵では、画面右(上)に描かれています。
増上寺は、徳川家の菩提寺として有名な増上寺で、増上寺の大門が、絵の左(上)に描かれています。
#00、芝神明増上寺
画面手前の、一行は、地方から来た観光客の一行です。徳川家菩提所の参拝を済ませ、これから、大神宮へ参拝するものと思われます。
彼ら、彼女らの表情を良く見て頂きたい。歩きながら、結構大声でおしゃべりしています。現代の団体の観光客の行動もこの時代となんら変わらないのではないのでしょうか。
後ろの、僧侶の一団は、増上寺の青年僧の一団で、七ツ(午後4時)の鐘を合図に、増上寺を出発、托鉢に出かけるところです。七ツ時に出かけるので、人々は七ツ坊主と呼びました。
広辞苑によれば「江戸末期に、寺の僧たちが、毎日七つ(午後四時)頃から拍子木をたたき、念仏を唱えて、江戸の町を托鉢(たくはつ)して歩いたもの。」とあります。
これは、この僧たちの表面的な説明で、「絵本江戸風俗往来」によれば、「日暮七ツ時という鐘声を報ずるや、十人二十人ずつ組みて市中所々へ托鉢に出る増上寺の僧で、ゆえに、この名がついた。この坊主の集団は、修行と称して、道行く武士などに論争をふっかけて回り、托鉢は名のみにして、実は大道横行する者を懲しめんことを専らとす」というのが、実態でした。(東洋文庫50、『絵本江戸風俗往来』(菊池貴一郎著、鈴木棠三編)
托鉢という行動から逸脱しているとも考えられるこれらの行動は、徳川家の菩提寺である増上寺を後ろ盾にしていることもあって、黙認されていたようでした。
きたろうは午前中神田で所用を済ませ、ここにはJR浜松町駅から来ました。浜松町駅からここまでは数分で来れます。
#01:大門裏から増上寺三門を望む
この写真は、今回(9月14日)撮った写真で、増上寺の大門の裏から、増上寺の三門(三解脱門)を望んだところです。この三門は江戸初期に建てられ、その後1622年に再建されたものが残っていて、国の重要文化財に指定されています。
この三門の二階部分は、戦後公開されたことがなかったのですが、一昨日(9月19日)のTVで、現在、この門の、二階部分を公開しているとの報道がなされていました。(11月30日まで、拝観料500円)
当日、きたろうは勘違いして、広重の絵と同じアングルと思って、この写真を撮っていましたが、この写真を撮った位置は、広重の絵でいうと左上に見える門(大門)の内側から撮っていた事になります。
#02:増上寺大門を望む
この写真は、9年前(2002年)に撮った写真(フィルムカメラで)ですが、ここに見える門は、大門で、この写真の方が広重の視点に近い写真です。
「あさひ銀行」という看板が時代を感じさせます。
(この時は、広重の絵と同じ場所のアングルを押さえていたのに、今回はどうしたんでしょうね?)
さて、芝神明、現在は芝大神宮と呼ばれていますが、#02の写真で言うと、あさひ銀行の裏の通りを右の入って行くと大神宮の参道にぶつかります。
#03:芝大神宮社殿正面
芝大神宮について、ネットで調べた中で、きたろうが一番気に入った説明のものを、以下そのまま転載します。
(本来は、芝大神宮内の縁起を記した説明板等の写真を載せる所ですが、その類の説明板等は見あたりませんでした。)
芝大神宮・・・東京都港区芝大門一丁目芝神明と称され、伊勢神宮のご祭神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)と 豊受大神(とようけのおおかみ)の二柱を主祭神とする「関東のお伊勢さま」です。創建は平安時代の寛弘2年(1005年)で、一条天皇の御代から続く由緒あるお社。鎌倉時代には、征夷大将軍・源頼朝より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、 江戸時代には、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はさらに賑わいをみせて 安藤広重などの浮世絵で描かれたように、関東一円の庶民信仰を集めました。現在も縁結びや金運上昇などのご利益を求めて、多くの参拝者が訪れています。(OTALABO 開運史学から引用)
今日(9月14日)、芝神明増上寺を取材しようと思ったのは、午前に都内に所用があったこともありますが、芝大神宮の例祭期間中だったこともあります。
9月16日の大祭祭儀を中心に、9月11日から21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われますが、それらが長期間「だらだら」と続くために、古来より「だらだら祭り」とも言われているそうです。
写真#04:祭り期間中なので、神輿が展示してありました。
写真#05:芝大神宮参道
大神宮の鳥居の方向が西になります。社殿は東向きに建っています。
写真06:芝大神宮(奥の院)
大神宮の奥の院を裏から見た所。裏からだと、社殿(神明造り)の千木等が良く見えます。
#07:増上寺大門
広重の絵の左上の門は、この門です。この辺の地名「芝大門」や都営地下鉄の「大門駅」は。この門に因んで命名されました。現在の門は、昭和12年に作られたコンクリート製の門です。
当時、この門の内側が寺社の境内でしたが、現在は、民間のビルで占められています。
(現在は、この奥の三門の内側が寺社の境内になっています)
#08大門の前のレリーフ
この辺を描いた、浮世絵のレリーフで左のレリーフは、本項、広重の絵をレリーフにしたものです。
右の絵は、芝神明のだらだら祭りの様子を描いた浮世絵のようです。
#09:大門(古写真)撮影年月不明
門の内側の参道の両脇に並んでいるのは、茶店と思われる。
#10:芝神明(古写真)撮影年月不明
現在の社殿は、結構高いとこにありますが、これは自然の地形でなく、人工的に嵩上げしている
ことが、この写真からわかります。嵩上げした部分は、駐車場になっています。
注)本項続編を新設したのでタイトルを変更しました。
<撮影場所>
芝大明神:東京都港区芝大門一丁目12番7号
増上寺:東京都港区芝公園四丁目7番35号
<撮影時刻>
#01、#03~#08:2011/09/14(水) 12:50~13:10
#02:2002/06/18(火)朝
#09:古写真で見る・江戸から東京へ、P95(2001年4月20日発行)
#10:同上、P102
2011-09-21 19:20
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