第14回「小奈木川五本まつ」(秋97景) [広重・名所江戸百景]
(2011/9/6アップ)
話は、若干前後しますが、先週(8月31日)、都内に所用があり、その帰路、広重の江戸名所百景”小奈木川五本まつ”の跡地に行きました。広重が描いた五本松は、都営地下鉄・住吉駅の南方450m小名木川に架かる小名木川橋近辺にあったと伝えられています。
広重の描いた松は、明治になって枯れてしまったそうです。
かつては、小名木川沿い小名木橋の東側にあったそうですが、現在小名木橋の北東詰がミニ公園のようになっていて、松が数本植えられています。
#01 小奈木川五本まつ全景(平成21年9月11日撮影)
小名木川橋から東方を望む。
左の岸のちょっと先に五本松があったとのこと。
画面左が小奈木川五本まつ跡地のミニ公園(見にくいですが画面左端に高さ1m程の石碑が写ってます)。
小名木川は小奈木川とも書き小名木川は、徳川家康が下総国行徳から江戸へ塩を運ぶために小名木四郎兵衛という者に命じて掘らせたので、彼の姓をとって小名木川と名付けられました。
江戸が発展するにつれて、江戸と千葉方面(行徳、国府台、野田、成田、銚子など)を結ぶ水運交通の重要な水路となりました。塩だけでなく、いろいろな物資の輸送や観光客の往来に利用されました。
広重の絵にも、松の下を行徳方面に向かう船が描かれています。
五本松については、小名木川橋北東詰めのミニ公園の中に、高さ1mほどの石碑があり、その碑文に五本松の事が書いてあるので、その文を、そのまま次に掲載します。
ここへは、2年前と11年前も来て、写真を撮っています。
以下、写真で五本松史跡、小名木川、小名木川橋の11年の変遷を紹介致します。
<五本松跡記念のミニ公園>
#02、平成12年5月4日(朝)撮影(フィルムカメラで撮影)
このミニ公園は、小名木川橋の北東詰めにあります。
松の木がまだ若いのか、葉があまり茂ってません。
#03、平成21年9月11日(午後)撮影(デジカメで撮影)
#01より南側からミニ公園を撮影、#01から9年経過し葉が大分茂って来てます、正面奥の石垣の所は、ベンチになっていて座れます。画面右の石の柱は、小名木川橋の親柱です。
#04、平成23年8月31日(午後)撮影(携帯カメラ)
意識したわけではありませんが、撮影アングルが、偶然11年前とほぼ同じアングルでした。
葉の茂り具合が異なる以外は、ほとんど変化は見られませんでした。
※なぜ携帯での撮影かというと、デジカメは持参したのですが、SDカードを入れ忘れて、撮影出来なかっただけの話です。
<ミニ公園から小名木川の水面を望む>
#05、平成12年
#06、平成21年:小名木川橋の際から小名木川橋の親柱と小奈木川を撮影(一脚を利用した簡易俯瞰撮影)
#07、平成23年
<小名木川橋から東方を望む>
#08、平成12年
五本松は、小名木川の北岸にあったとのことなので、画面の左側の岸にあったことになりますが、現在はどこにあったかを示す手掛かりは、ありません。
#09、平成21年
小名木川橋の、中間当たりの欄干に、広重の”小奈木川五本まつ”の銅のレリーフがはめ込んであります。
#10、明治期に撮影された”五本松”の写真。
これは、ミニ公園内にある、史跡説明板に貼られている写真です。
江戸期の松は、明治に枯れましたが、江東区はこの地を史跡として、ミニ公園を作ったり、松を植えたりして記念しています。
撮影日時
#01・・・2009/09/11 14:13
#03・・・同 日 14:41
#06・・・同 日 14:39
#02、#05、#08・・・2000/05/04 朝
#04・・・2011/08/31 13:06
#07・・・同 日 12:55
話は、若干前後しますが、先週(8月31日)、都内に所用があり、その帰路、広重の江戸名所百景”小奈木川五本まつ”の跡地に行きました。広重が描いた五本松は、都営地下鉄・住吉駅の南方450m小名木川に架かる小名木川橋近辺にあったと伝えられています。
広重の描いた松は、明治になって枯れてしまったそうです。
かつては、小名木川沿い小名木橋の東側にあったそうですが、現在小名木橋の北東詰がミニ公園のようになっていて、松が数本植えられています。
#01 小奈木川五本まつ全景(平成21年9月11日撮影)
小名木川橋から東方を望む。
左の岸のちょっと先に五本松があったとのこと。
画面左が小奈木川五本まつ跡地のミニ公園(見にくいですが画面左端に高さ1m程の石碑が写ってます)。
小名木川は小奈木川とも書き小名木川は、徳川家康が下総国行徳から江戸へ塩を運ぶために小名木四郎兵衛という者に命じて掘らせたので、彼の姓をとって小名木川と名付けられました。
江戸が発展するにつれて、江戸と千葉方面(行徳、国府台、野田、成田、銚子など)を結ぶ水運交通の重要な水路となりました。塩だけでなく、いろいろな物資の輸送や観光客の往来に利用されました。
広重の絵にも、松の下を行徳方面に向かう船が描かれています。
五本松については、小名木川橋北東詰めのミニ公園の中に、高さ1mほどの石碑があり、その碑文に五本松の事が書いてあるので、その文を、そのまま次に掲載します。
<五本松跡・石碑・碑文>場所:小名木川橋北東詰め江戸時代この付近から東にかけて小名木川の河畔に老松があり小名木川の五本松として有名になり地名にもなったほどであってその一本の松が九鬼家の屋敷から道を越え水面を覆っている風景が江戸名所図会に描かれ錦絵などにも取材されたが明治時代になって枯れてしまった。昭和33年10月1日、江東区台12号
ここへは、2年前と11年前も来て、写真を撮っています。
以下、写真で五本松史跡、小名木川、小名木川橋の11年の変遷を紹介致します。
<五本松跡記念のミニ公園>
#02、平成12年5月4日(朝)撮影(フィルムカメラで撮影)
このミニ公園は、小名木川橋の北東詰めにあります。
松の木がまだ若いのか、葉があまり茂ってません。
#03、平成21年9月11日(午後)撮影(デジカメで撮影)
#01より南側からミニ公園を撮影、#01から9年経過し葉が大分茂って来てます、正面奥の石垣の所は、ベンチになっていて座れます。画面右の石の柱は、小名木川橋の親柱です。
#04、平成23年8月31日(午後)撮影(携帯カメラ)
意識したわけではありませんが、撮影アングルが、偶然11年前とほぼ同じアングルでした。
葉の茂り具合が異なる以外は、ほとんど変化は見られませんでした。
※なぜ携帯での撮影かというと、デジカメは持参したのですが、SDカードを入れ忘れて、撮影出来なかっただけの話です。
<ミニ公園から小名木川の水面を望む>
#05、平成12年
#06、平成21年:小名木川橋の際から小名木川橋の親柱と小奈木川を撮影(一脚を利用した簡易俯瞰撮影)
#07、平成23年
<小名木川橋から東方を望む>
#08、平成12年
五本松は、小名木川の北岸にあったとのことなので、画面の左側の岸にあったことになりますが、現在はどこにあったかを示す手掛かりは、ありません。
#09、平成21年
小名木川橋の、中間当たりの欄干に、広重の”小奈木川五本まつ”の銅のレリーフがはめ込んであります。
#10、明治期に撮影された”五本松”の写真。
これは、ミニ公園内にある、史跡説明板に貼られている写真です。
江戸期の松は、明治に枯れましたが、江東区はこの地を史跡として、ミニ公園を作ったり、松を植えたりして記念しています。
<撮影データ>
撮影場所住所・・・東京都江東区猿江2-16
撮影日時
#01・・・2009/09/11 14:13
#03・・・同 日 14:41
#06・・・同 日 14:39
#02、#05、#08・・・2000/05/04 朝
#04・・・2011/08/31 13:06
#07・・・同 日 12:55
2011-09-06 13:44
nice!(1)
コメント(0)
コメント 0