第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その2) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月19日(土)

その1では、「鎧の渡し小網町」を描いた広重の視点について疑問が沸いたと言う所で終了しましたが、それの続きです。
この#07の絵以外に、鎧の渡しを描いた絵がないか探したところ、なんと広重は40歳代に、「江戸百景・よろいの渡し」という絵を描いていることが分かりました。

#08、広重画「江戸百景・よろいの渡し」(1840年頃)
#08鎧の渡し広重の視点の検証2.jpg
この絵は、鎧の渡しを小網町側から、茅場町の桟橋方向を描いたものです。この絵を見ると、松平の屋敷の東の角のすぐ下流のところに桟橋があった様子がよく分かります。また、この絵の中で名所江戸百景の鎧の渡し小網町を描いた広重の視点及び視線を作図すると、赤の矢印のように推定されます。即ち、広重は、屋敷の石垣の護岸のための百本杭の辺りの川の中から描いたということになります。
この、#08の絵を写真で再現出来ないものか?ということで、Google Mapのストリートビューを探したところ、この地点を日本橋川を航行する船からのストリートビューがありました。

#09、鎧の渡しの茅場町側桟橋跡(ストリートビュー)
#09鎧の渡し広重の視点の解析.jpg
#02の地図及び#08の絵と#09ストリートビューの良く見比べると、当時の松平の屋敷と桟橋と日本橋川の関係は、その名残を今でも日本橋川の護岸のコンクリートの壁の形状に残しているのがわかります。
さて、「鎧の渡し小網町」の広重のありえない視点ですが、これは、広重では、特に珍しいことではありません。名所江戸百景の中には、高度10数mから数百mからの俯瞰で描かれたものが多数あります。広重は、ありえない位置から見た風景を描くのは、大変得意な画家で、恐らく、「鎧の渡し小網町」の、整列した倉庫群、日本橋川を行きかう舟、桟橋にたたずむ町娘を一枚の絵にしたとき、もっとも美しく描ける構図のために、どこから描くかとなったときの視点は、たまたま百本杭の前だったということと推定されます。
(その3に続く)
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