さだまさしミュージアム見学記Ⅱ(佐田玲子さんトークショー)(さだまさしⅡ)
2015/6/28(日) 取材
2015/7/10 アップ
さだまさしミュージアム見学記、前回からの続きです。
#20、佐田玲子さんギャラリートーク告知
※「さだまさしミュージアム」チラシの裏面より
「さだまさしミュージアム」の一番奥の部屋の展示を見ていたら、左程広くないロビーが騒がしくなってきました。
佐田玲子さんのトークショーの時間がせまって来たので、聴衆が集まり始めました。椅子席は予約した方用で、ここは始まる直前にくれば良いせいか、まだ空席が目立ちました。椅子席の抽選に外れた方が立ち見の場所を確保するため集まってきました(きたろうも抽選にはずれた)。ロビーは広い廊下といった形状なのでなるべく前の良い席を確保したいと30分も前から集まり始めました。
この会場でギャラリートークを過去にも聞いていますが、ここは美術館なので、画家に関するトークだったせいか、きわめて静かなものでした。
今回は、現役の人気歌手に関する、しかも、本人の実の妹のトークショーということもあって、熱気がありました。
いよいよ、トークショーが始まりました。
きたろうが展示を見ていた奥の部屋の出入口は、トークショーのステージの裏になっています。トークショーの開始時間前に聴衆が集まって来てしまったので、奥の部屋から、客席に移動しそびれてしまい、ステージの裏から聴くことにしました。
佐田玲子さんは、TBSラジオの火曜の朝の放送に登場するのを、きたろうはほとんどいつも聞いてました。
きたろうは佐田玲子さんをフリーアナンサーと思っていました。また、佐田玲子さんが、さだまさしの妹というのも知りませんでした。今回、佐田玲子さんは、さだまさしの妹で、歌手でラジオのパーソナリティもやっていると言うのをはじめて知りました。
#21、佐田玲子さん近影
さて、トークショーでの話をかいつまんで、お伝えします。
さだまさしさんと佐田玲子さんは、5つ違いで、玲子さんが幼い頃はまさしさんは良くヴァイオリンの練習をしていたという記憶がある。NHKのドラマでは、幼い頃に一家で食事をしているシーンがありましたが、実際は、父親は、金策でほとんど家にいなかったので、ああいうシーンはなかった。実際の父は、ドラマの遠藤憲一さんのような「コワモテ」ではなく、いつも、にこにこしている、やさしい感じだったとのこと。
その後、玲子さんが、8歳の時に、まさしさんは、東京(注)に行ってしまい、それ以来、別れて暮らすことになった。玲子さんが、中2の時に、まさしさんを訪ねて、一人で上京したのが、玲子さんの最初の一人旅だったこと。
注)中学の時上京し最初に葛飾区に住んだ。市川へは、高校入学と同時に移った。
その後、まさしさんの曲がヒットした頃、玲子さんは、絵の勉強で美大に入学しようとしていた時に、まさしさんが音楽事務所を立ち上げるので、そこを手伝うことになり、絵の道は断念したこと。
さらに、その後、ヒットが続き、市川の新田の家で、家族全員で暮らすことが出来たことなどをお話してくださいました。
#22、ギャラリートーク会場(芳澤ガーデンギャラリー・ロビー)
※但し、トークショー終了・ステージ撤去・椅子片付け後の撮影です。
まさしさんは新田の家で夜に作曲をやっていたので、この時、家族は物音を立てないように静かにしていたこと。
曲が出来上がったときは、深夜にもかかわらず、まさしさんが二階から「みなさ~ん、曲が出来ました~」と言いながら降りて来て、その曲を家族に聞かせたこと。
私がモデルのような曲が数曲存在すること(具体的な曲名は聞き漏らした)などをお話してくれました。
それから、お母様の話をしました。お母様は、すごい貧乏だったけど、明るい人で、たとえば、米がまったくなくなると、「あらー、お米がないわ~~」と明るく笑い飛ばしていたとのこと。
貧乏にもかかわらず、着る物はファッショナブルであったこと。
借金取りが、毎日押しかけてきたが、来るたびに、借金取りの人にお茶を必ず出して、対応したという人物像が語られました。
また、何回か、「NHKのドラマは、大ウソです」との発言がありましたが、この点は、きたろうの前ブログ「緊急告知 さだまさしさんラジオ出演!!」のコメント欄でふれたとおりです。
それから、佐田玲子さんは独身の様ですが、適齢期の時に、さだまさしの音楽事務所が忙しく、そのせいで結婚出来なかったような発言をしていましたが、きたろうは、それは、ちがうんじゃないかと思いました。
トークだけでなく、ギターの弾き語りも2曲披露してくれました。しっとりと、こころに染みる歌声で聴衆は聞きいっていました。
最後に、玲子さんの方から、「一番遠くから来た方どなたでしょう?」という質問がありました。そしたら、「京都」「山口」「北海道」という回答があり、やはり、超熱心なファンの方が居たということが、はからずも明らかになりました。(一番遠くから来た方にプレゼントがありました。プレゼントは25センチ角位の箱でしたが、中身が何かは聞き洩らしました)。
1時間の予定時間をかなりオーバーし、ギターの弾き語りも披露した、サービス万点のトークショーでした。
きたろうは、その後、もう一度ギャラリー内を一周してから、館を辞しました。
#23、芳澤ガーデンギャラリー南側
#24、同上
16時30分頃、館を出て、さだまさしの市川のゆかりの場所の一箇所に立ち寄ることにしました。
#25、「さだまさし ゆかりの 市川マップ」(抜粋)
この、小郷(おごう)畳店は、新田の家の時代(まさしさん24歳以降)ご両親とこの家の親交が厚かったとのこと。
今回の、さださんのアパートの一室の再現で、畳を提供したとのことです。
#26、小郷畳店(市川市新田1丁目)
※市川真間駅から、400m東の線路際にあります。
#27~29、同上
小郷畳店の前を通り、家へ帰りました。
(続く)次回は、7月8日さだまさし市川ゆかりの場所を数箇所を探訪した結果を書きます。
2015/7/10 アップ
さだまさしミュージアム見学記、前回からの続きです。
#20、佐田玲子さんギャラリートーク告知
※「さだまさしミュージアム」チラシの裏面より
「さだまさしミュージアム」の一番奥の部屋の展示を見ていたら、左程広くないロビーが騒がしくなってきました。
佐田玲子さんのトークショーの時間がせまって来たので、聴衆が集まり始めました。椅子席は予約した方用で、ここは始まる直前にくれば良いせいか、まだ空席が目立ちました。椅子席の抽選に外れた方が立ち見の場所を確保するため集まってきました(きたろうも抽選にはずれた)。ロビーは広い廊下といった形状なのでなるべく前の良い席を確保したいと30分も前から集まり始めました。
この会場でギャラリートークを過去にも聞いていますが、ここは美術館なので、画家に関するトークだったせいか、きわめて静かなものでした。
今回は、現役の人気歌手に関する、しかも、本人の実の妹のトークショーということもあって、熱気がありました。
いよいよ、トークショーが始まりました。
きたろうが展示を見ていた奥の部屋の出入口は、トークショーのステージの裏になっています。トークショーの開始時間前に聴衆が集まって来てしまったので、奥の部屋から、客席に移動しそびれてしまい、ステージの裏から聴くことにしました。
佐田玲子さんは、TBSラジオの火曜の朝の放送に登場するのを、きたろうはほとんどいつも聞いてました。
きたろうは佐田玲子さんをフリーアナンサーと思っていました。また、佐田玲子さんが、さだまさしの妹というのも知りませんでした。今回、佐田玲子さんは、さだまさしの妹で、歌手でラジオのパーソナリティもやっていると言うのをはじめて知りました。
#21、佐田玲子さん近影
さて、トークショーでの話をかいつまんで、お伝えします。
さだまさしさんと佐田玲子さんは、5つ違いで、玲子さんが幼い頃はまさしさんは良くヴァイオリンの練習をしていたという記憶がある。NHKのドラマでは、幼い頃に一家で食事をしているシーンがありましたが、実際は、父親は、金策でほとんど家にいなかったので、ああいうシーンはなかった。実際の父は、ドラマの遠藤憲一さんのような「コワモテ」ではなく、いつも、にこにこしている、やさしい感じだったとのこと。
その後、玲子さんが、8歳の時に、まさしさんは、東京(注)に行ってしまい、それ以来、別れて暮らすことになった。玲子さんが、中2の時に、まさしさんを訪ねて、一人で上京したのが、玲子さんの最初の一人旅だったこと。
注)中学の時上京し最初に葛飾区に住んだ。市川へは、高校入学と同時に移った。
その後、まさしさんの曲がヒットした頃、玲子さんは、絵の勉強で美大に入学しようとしていた時に、まさしさんが音楽事務所を立ち上げるので、そこを手伝うことになり、絵の道は断念したこと。
さらに、その後、ヒットが続き、市川の新田の家で、家族全員で暮らすことが出来たことなどをお話してくださいました。
#22、ギャラリートーク会場(芳澤ガーデンギャラリー・ロビー)
※但し、トークショー終了・ステージ撤去・椅子片付け後の撮影です。
まさしさんは新田の家で夜に作曲をやっていたので、この時、家族は物音を立てないように静かにしていたこと。
曲が出来上がったときは、深夜にもかかわらず、まさしさんが二階から「みなさ~ん、曲が出来ました~」と言いながら降りて来て、その曲を家族に聞かせたこと。
私がモデルのような曲が数曲存在すること(具体的な曲名は聞き漏らした)などをお話してくれました。
それから、お母様の話をしました。お母様は、すごい貧乏だったけど、明るい人で、たとえば、米がまったくなくなると、「あらー、お米がないわ~~」と明るく笑い飛ばしていたとのこと。
貧乏にもかかわらず、着る物はファッショナブルであったこと。
借金取りが、毎日押しかけてきたが、来るたびに、借金取りの人にお茶を必ず出して、対応したという人物像が語られました。
また、何回か、「NHKのドラマは、大ウソです」との発言がありましたが、この点は、きたろうの前ブログ「緊急告知 さだまさしさんラジオ出演!!」のコメント欄でふれたとおりです。
それから、佐田玲子さんは独身の様ですが、適齢期の時に、さだまさしの音楽事務所が忙しく、そのせいで結婚出来なかったような発言をしていましたが、きたろうは、それは、ちがうんじゃないかと思いました。
トークだけでなく、ギターの弾き語りも2曲披露してくれました。しっとりと、こころに染みる歌声で聴衆は聞きいっていました。
最後に、玲子さんの方から、「一番遠くから来た方どなたでしょう?」という質問がありました。そしたら、「京都」「山口」「北海道」という回答があり、やはり、超熱心なファンの方が居たということが、はからずも明らかになりました。(一番遠くから来た方にプレゼントがありました。プレゼントは25センチ角位の箱でしたが、中身が何かは聞き洩らしました)。
1時間の予定時間をかなりオーバーし、ギターの弾き語りも披露した、サービス万点のトークショーでした。
きたろうは、その後、もう一度ギャラリー内を一周してから、館を辞しました。
#23、芳澤ガーデンギャラリー南側
#24、同上
16時30分頃、館を出て、さだまさしの市川のゆかりの場所の一箇所に立ち寄ることにしました。
#25、「さだまさし ゆかりの 市川マップ」(抜粋)
この、小郷(おごう)畳店は、新田の家の時代(まさしさん24歳以降)ご両親とこの家の親交が厚かったとのこと。
今回の、さださんのアパートの一室の再現で、畳を提供したとのことです。
#26、小郷畳店(市川市新田1丁目)
※市川真間駅から、400m東の線路際にあります。
#27~29、同上
小郷畳店の前を通り、家へ帰りました。
(続く)次回は、7月8日さだまさし市川ゆかりの場所を数箇所を探訪した結果を書きます。