ブラタモリトレース・二子玉川(その3) [散歩会]
2018年6月17日(日)取材
同7月20日(金)アップ
ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。
#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)
%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
#02、旧玉電・運行当時の姿(番組では動画)
戸田ナレーター:「明治40年に開通した玉川電気鉄道、通称玉電。渋谷と、二子玉川を結んだ電車です。
#03、珍しい編成の玉電(前部=客車、後部=貨物車(砂利))
戸田ナレーター:「関東大震災後、コンクリート建築が増えると大量の砂利が必要になるので、玉川の砂利を都心に運ぶのがこの玉電だったのです。」
#04、昭和44年頃の二子玉川駅付近の写真
戸田ナレーター:「昭和44年人口増加に、輸送力がついて行けず廃止が決まりました。
しかし、二子玉川周辺には、玉電が走った名残が今も残っています。
ここで、40年前に撮った写真をもとに面影を探してみることにしました。」
#05、玉川駅の北東(地点E)(玉川2-24-27)
向谷さん:「この田園都市線(写真右側の高架)の下に、これ(玉電)があった。」
%音声ファイル02、写真05(二子玉川駅近辺)~写真10(残った鉄道柵)に対応する音声
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#06、田園都市線の脇にある駐車場(1)(地点F)(玉川2-2-11)
タモリさん:「あっ!?、この道は何だ?」
#07、田園都市線の脇にある駐車場(2)
タモリさん:「この柵は何だ?」
#08、同上、きたろう実写
#09、そっくり残った玉電の鉄道柵
向谷さん:「これは何ですかね~~?」
タモリさん:「これは、線路の柵ですね」
向谷さん:「鉄道柵です」
久保田アナ:「へ~~!」
#10、同上きたろう実写
戸田ナレーター:「駐車場の片隅、すっかり溶け込んでしまった鉄道柵。聞こえませんか?みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・」
#11、玉電廃線当日の光景
戸田ナレーター:「続いて向谷さんが子供の頃利用していた中耕地駅周辺を目指します。
この写真は、廃線の日、中耕地駅に入ってくる玉電。子供たちも見送っていますよね。」
#12、地元の小学生に中耕地駅跡を尋ねる
タモリさん:「中耕地という駅の跡わかる?」
小学生:「中耕地の後は、吉沢」
%音声ファイル03、中耕地駅周辺の写真#11から#21に対応する。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#13、かつて中耕地駅があったところ(地点G)(玉川3-20-10)
向谷さん:「前を見て、なんとなく感じません?」
タモリさん:「一寸広くなって、この辺だろう。電停だ!(中耕地駅は)ここでしょう!」
向谷さん:「正解です!」
◆きたろう注
中耕地駅跡は写真左の店(黄色の横帯看板の店)の前にありました。但しこの店は、現在は無く、Hot Tapasの店に変っています。
#14、旧中耕地駅のホームを示す四角のパネル
向谷さん:「中耕地の駅があったというもの(パネル)ちゃんと置いてあります。」
タモリさん:「ここが丁度、ホームなんだよね」
久保田アナ:「へ~~~!」
#15、同上きたろう実写
向谷さん:「私は、しょちゅうここで乗り降りしていたので、こういう隙間をとっておいてくれたのは、すごい嬉しいですね!」
#16、中耕地駅の写真
◆きたろう注
路面電車なので、駅と言っても、改札はありません。また、ホームの高さも40~50センチ程しかありません。
#17、「中耕地駅跡」の碑のところで
向谷さん:「子供たちが『次は(後は)吉沢』とか言っていましたが、中耕地の次は吉沢駅なんです。」
#18、同上きたろう実写
◆石碑に『砧線』と刻んでありますが、ここを通る玉電は、「砧(きぬた)線と言っていました。
#19、#20、中耕地駅そばの郵便局(地点H)(玉川4-12-1)
タモリさん:「あれ!そうだよね、全く同じですねこの建物は・・・」
久保田アナ:「そんな感じですけど。」
向谷さん:「これはですね、昔も今も郵便局なんです。」
◆きたろう注
かつて郵便局だったという建物は、現在はBOTANICALという店に変わっています。
#21、玉電廃線の日、郵便局前から電車を見る子供たち(1)(#19の拡大写真)
戸田ナレーター:「実は、この写真には、驚きの事実が隠されていました。」
※右端の子供に注目
#22、玉電を見る子供(2)(#19のさらなる拡大写真)
向谷さん:「(この子供は)僕らしいんですよ!」
タモリさん:「ええ~~~~!」
久保田アナ:「そんな~~!ハハハハ(*^_^*)」
タモリさん:「鼻の形が同じだよ」
戸田ナレーター:「向谷さん、そっくりですよ!」
#23、旧玉電のレール跡(現歩道)を歩くタモリさん一行
タモリさん一行は、直線的で広い線路跡の歩道を、旧吉沢駅方向へ歩いて行きました。
◆きたろうコメント
玉電線路跡は、現在歩道になっています。そのため、歩道の幅は広く、大変ゆったりと歩けます。散歩していて大変気分が良かったです。
#24、玉電のレールをガードレールにして保存
(きたろう実写)
◆画面左の歩道が、旧玉電の線路、右は線路沿いだった道路で現在は車道となっています。
このベンチは、旧玉電と関係があるのかどうかは確認していません。
<続く>
同7月20日(金)アップ
ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。
#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)
%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)
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地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
#02、旧玉電・運行当時の姿(番組では動画)
戸田ナレーター:「明治40年に開通した玉川電気鉄道、通称玉電。渋谷と、二子玉川を結んだ電車です。
#03、珍しい編成の玉電(前部=客車、後部=貨物車(砂利))
戸田ナレーター:「関東大震災後、コンクリート建築が増えると大量の砂利が必要になるので、玉川の砂利を都心に運ぶのがこの玉電だったのです。」
#04、昭和44年頃の二子玉川駅付近の写真
戸田ナレーター:「昭和44年人口増加に、輸送力がついて行けず廃止が決まりました。
しかし、二子玉川周辺には、玉電が走った名残が今も残っています。
ここで、40年前に撮った写真をもとに面影を探してみることにしました。」
#05、玉川駅の北東(地点E)(玉川2-24-27)
向谷さん:「この田園都市線(写真右側の高架)の下に、これ(玉電)があった。」
%音声ファイル02、写真05(二子玉川駅近辺)~写真10(残った鉄道柵)に対応する音声
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#06、田園都市線の脇にある駐車場(1)(地点F)(玉川2-2-11)
タモリさん:「あっ!?、この道は何だ?」
#07、田園都市線の脇にある駐車場(2)
タモリさん:「この柵は何だ?」
#08、同上、きたろう実写
#09、そっくり残った玉電の鉄道柵
向谷さん:「これは何ですかね~~?」
タモリさん:「これは、線路の柵ですね」
向谷さん:「鉄道柵です」
久保田アナ:「へ~~!」
#10、同上きたろう実写
戸田ナレーター:「駐車場の片隅、すっかり溶け込んでしまった鉄道柵。聞こえませんか?みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・」
#11、玉電廃線当日の光景
戸田ナレーター:「続いて向谷さんが子供の頃利用していた中耕地駅周辺を目指します。
この写真は、廃線の日、中耕地駅に入ってくる玉電。子供たちも見送っていますよね。」
#12、地元の小学生に中耕地駅跡を尋ねる
タモリさん:「中耕地という駅の跡わかる?」
小学生:「中耕地の後は、吉沢」
%音声ファイル03、中耕地駅周辺の写真#11から#21に対応する。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
#13、かつて中耕地駅があったところ(地点G)(玉川3-20-10)
向谷さん:「前を見て、なんとなく感じません?」
タモリさん:「一寸広くなって、この辺だろう。電停だ!(中耕地駅は)ここでしょう!」
向谷さん:「正解です!」
◆きたろう注
中耕地駅跡は写真左の店(黄色の横帯看板の店)の前にありました。但しこの店は、現在は無く、Hot Tapasの店に変っています。
#14、旧中耕地駅のホームを示す四角のパネル
向谷さん:「中耕地の駅があったというもの(パネル)ちゃんと置いてあります。」
タモリさん:「ここが丁度、ホームなんだよね」
久保田アナ:「へ~~~!」
#15、同上きたろう実写
向谷さん:「私は、しょちゅうここで乗り降りしていたので、こういう隙間をとっておいてくれたのは、すごい嬉しいですね!」
#16、中耕地駅の写真
◆きたろう注
路面電車なので、駅と言っても、改札はありません。また、ホームの高さも40~50センチ程しかありません。
#17、「中耕地駅跡」の碑のところで
向谷さん:「子供たちが『次は(後は)吉沢』とか言っていましたが、中耕地の次は吉沢駅なんです。」
#18、同上きたろう実写
◆石碑に『砧線』と刻んでありますが、ここを通る玉電は、「砧(きぬた)線と言っていました。
#19、#20、中耕地駅そばの郵便局(地点H)(玉川4-12-1)
タモリさん:「あれ!そうだよね、全く同じですねこの建物は・・・」
久保田アナ:「そんな感じですけど。」
向谷さん:「これはですね、昔も今も郵便局なんです。」
◆きたろう注
かつて郵便局だったという建物は、現在はBOTANICALという店に変わっています。
#21、玉電廃線の日、郵便局前から電車を見る子供たち(1)(#19の拡大写真)
戸田ナレーター:「実は、この写真には、驚きの事実が隠されていました。」
※右端の子供に注目
#22、玉電を見る子供(2)(#19のさらなる拡大写真)
向谷さん:「(この子供は)僕らしいんですよ!」
タモリさん:「ええ~~~~!」
久保田アナ:「そんな~~!ハハハハ(*^_^*)」
タモリさん:「鼻の形が同じだよ」
戸田ナレーター:「向谷さん、そっくりですよ!」
#23、旧玉電のレール跡(現歩道)を歩くタモリさん一行
タモリさん一行は、直線的で広い線路跡の歩道を、旧吉沢駅方向へ歩いて行きました。
◆きたろうコメント
玉電線路跡は、現在歩道になっています。そのため、歩道の幅は広く、大変ゆったりと歩けます。散歩していて大変気分が良かったです。
#24、玉電のレールをガードレールにして保存
(きたろう実写)
◆画面左の歩道が、旧玉電の線路、右は線路沿いだった道路で現在は車道となっています。
このベンチは、旧玉電と関係があるのかどうかは確認していません。
<続く>
子供頃、よく玉電の乗って叔父の家を訪ねたことがあるので、記事を読み、周辺の風景こんなだったかなと思いつつも、懐かしい思いを
させていただきました。
玉電が廃止されてから既に半世紀が過ぎたはずなの、その遺構が残っているとは、機会があったら覗いてみたいと思います。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2018-07-22 15:29)
老年蛇銘多親父さんコメントありがとうございます(*^_^*)
二子玉川は遠いこともあって、ほとんど馴染みのある町とはいえません(昔閉園間際の二子玉川園に行ったのと最近では散歩会でランチを食べたくらい。)
写真、#23の玉電レール跡の歩道を歩いているとき、独特の道路形状(道の半分位が歩道)と一直線に道路がまっすぐ続いているのとで、とても不思議な感覚を覚えました。
by きたろう (2018-07-25 07:39)