市川の歴史的井戸(真間の井・羅漢の井)の紹介(原発事故から2年経過して)・・・Ⅰ [ニュース]

2013/2/23(土)及び2013/4/8(月) 取材

このタイトルを見て、「おや?」と思った方も、いらっしゃると思いますが、昨日のブログの続きで間違いありません。

 昨日予告の「ある目的」というのは、「里見公園の羅漢の井の写真を撮影する」ということです。台風(並低気圧)一過の富士山&東京スカイツリーを撮影するため、国府台に来たので里見公園まで足を延ばして羅漢の井を撮影しようと思いました。

 この井戸の話をしようと思ったいきさつは、平成25年2月23日、市川真間四丁目にある亀井院の真間の井に関する取材のときにさかのぼります。同日は、ある歴史講座の史跡見学会があり、途中亀井院の真間の井の見学に立ち寄りました。

写真#01、市川真間四丁目/亀井院・・・真間の井
#01G3503亀井院・真間の井 82.jpg


真間の井の概要を市川市のホームページから抜粋しました。

<亀井院/真間の井>
 万葉集には「勝鹿(葛飾)の真間の井を見れば立ち平(なら)し、水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」と高橋虫麻呂が詠んでいます。この真間の井は亀井院の裏庭にある井戸がそうであると伝えていますが、亀井院は、はじめ瓶井坊と呼ばれていたところからみて、真間の井というのは、水瓶を土中にいけたような形の所から清水が湧き出していたものと考えられます。(「市川散歩No.1」より)


写真#02、真間の井(拡大)
#02G3502亀井院・真間の井.jpg
一応、この井戸が、薄幸の美しい娘の手児奈が、水を汲んだ井戸とされていますが、万葉集で詠われた当時でさえ、手児奈姫はすでに伝説的存在だったので、この井戸は歴史的史実を物語る井戸というより、手児奈姫伝説のシンボル的な存在の井戸です。

 歴史講座の講師の方から、「この井戸は、裏の崖の擁壁工事した後、水脈を分断したらしく、井戸は枯れてしまった」という解説がありました。さらに、続けて「里見公園に羅漢の井という史跡的な井戸(湧水)があるが、この井戸も最近枯れて来て、上流の方で水道水を流している」という、一種、告発的内容の発言がありました。

写真#03、亀井院裏手の擁壁
#03G3501亀井院裏擁壁.jpg

 きたろうは一瞬「ふ~ん」と思いましたが、直ちに、それが事実としたら、非常に困ると思いました。というのは、2年前の原発事故の際、水道水の放射能のレベルが100ベクレルを越え、そのときに、この井戸の水を汲んで、しのいだ経験があったからです。
 この、発言の真偽を調べることにしました。

(次回に続く)
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