第12回 「堀切の花菖蒲(夏64景)」 [広重・名所江戸百景]

2011/6/30(木)アップ
ほぼ、半年ぶりに、本業(名所江戸百景)のブログアップです。ネットの友人が“菖蒲園に行って来ました。”と報告があったので、ハッとして急遽、広重の「堀切の花菖蒲」をアップすることにしました。
今回、"現在の分"の写真は、3年前に撮った写真を使う事にしました。蔵出しの写真のみの使用で申し訳ありません。
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#00堀切の花菖蒲(フ.jpg
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写真#01は、11年前の6月3日に撮影したものです。その日は、“菖蒲まつり”の初日(または翌日)で、きたろうは勇んで出かけて行きました。ところが、菖蒲は、ほとんど咲いていませんでした。
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#01堀切菖蒲園(園内から南西方向を眺む)(撮影:平成12年6月3日)
#01堀切菖蒲園(H12.6.3).jpg
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次の写真は、#01とほぼ同アングルの、平成20年6月19日の写真で、菖蒲は、見頃の時期でした。手前の、黒い名札は、菖蒲の品種を示している札です。
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#02 見頃を向かえた堀切菖蒲園(撮影:平成20年6月12日)
#02堀切菖蒲園(.JPG
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次の#03の写真は、11年前、園内ほとんど菖蒲が咲いてないなか、貴重な早咲きの菖蒲の写真です。
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#03 早咲き(?)の菖蒲(堀切菖蒲園・園内から北東方向を眺める)(撮影:平成12年6月3日)
#03堀切菖蒲園(H12.6.3).jpg
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#04は、#03とほぼ同アングルの3年前の写真です。この時は木曜日にもかかわらず、園内は満員状態という感じでした。
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#04 菖蒲の見頃を迎えた堀切菖蒲園〔撮影:平成20年6月19日(木)〕
#04堀切菖蒲園(#20.6.19).JPG
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ここで、堀切菖蒲園の歴史を、ひも解いてみたいと思います。と言っても、園内にあった、葛飾区教育委員会の、説明板の文を以下そのまま掲載致します。
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「この地にはじめて花菖蒲が伝来したのはいつの頃か明らかではありませんが、一説によると、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積(あさか)沼から花菖蒲を取り寄せて培養させたのが始まりとも、文化年間(1804~1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万年録三郎から、「十二一重」を花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりとも言われています。  堀切で最初の菖蒲園は、江戸時代末期に開園した小高園で、明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園、花園などの菖蒲園が開園しています。この堀切菖蒲園は堀切園の跡です。  堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えられ、鈴木春信・安藤広重などの著名な浮世絵にも描かれています。また明治には「東京遊行記」(明治39)『東京近郊名所図絵(明治43年)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され。全盛期は明治中期から大正末期頃だと思われます。  園内では「十二単衣」「酔美人」「霓裳羽衣(げいしょううい)」など稀少な品種も多くみられます。」
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また、この説明板には、この菖蒲園が“葛飾区指定名勝”に昭和52年(1977)3月19日指定された旨も記載されていました。
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以下は、3年前撮影の園内の点景をランダムに掲載致します。
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#05 堀切菖蒲園・北西方向を眺める
    (高速道路の向こう側が、隅田川です。)
#05堀切菖蒲園(H20.6.19).JPG
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#06 菖蒲園の中で、広重の描いた菖蒲と最も似ていた花
#06堀切菖蒲園(H20).JPG
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#07 広重の描いた花に似た花の品種名は、奇しくも“江戸紫”であった。
#07堀切菖蒲園(H20).JPG
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#08 この日撮影した中で、もっとも華やかな菖蒲の写真です。
     後ろを歩く二人の女性がまたいい雰囲気をかもし出しています。
#08堀切菖蒲園(H20).JPG
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#09 入口入ってすぐの所にある葛飾区教育委員会の説明板
     (先程引用した説明板より大きく、菖蒲園の歴史に付いて詳しく書いてありました。)
#09堀切菖蒲園(H20).JPG
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この説明板の表示内容は末尾にテキストで表示しました。
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#10 手持ちの資料から、菖蒲園の古写真を一枚アップします。
    撮影年が今一はっきりしません。当時は、園内に築山があったんですね。
     いま、園内は、ほとんど平です。
#10菖蒲園・古写真.jpg
この園内には、200種、6,000株の花菖蒲が植えられています。
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本文END
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#09説明板の表示内容
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(区・史跡) 堀切菖蒲園の歴史
菖蒲園のある堀切は綾瀬川に沿った低湿地で、この付近は染井、向島などとともに昔より特に花菖蒲の栽培に適している所とされております。
 この地に、はじめて花菖蒲が伝来したのは、いつの頃か明らかではないが一説には、室町時代の頃、堀切の地頭久保寺胤夫という人が、家臣宮田将監に命じて奥州郡山附近の安積(あさか)沼から種子を持って来て自邸に培養されたのが始めといわれ、また一説としては、寛文、延宝(1661~1680)の頃堀切村の小高伊左衛門が各地の花菖蒲を収集し、自庭に植えたのが始めともいわれております。
 享和年間(1801~1803)花菖蒲の収集家として知られた松平左金吾という人の秘蔵の花菖蒲を小高伊左衛門が譲り受け、更に万年録三郎の逸品「十二単衣」をはじめ、相模、土佐などから十数種類を集め、天保末の頃には園内では数多くの名花が咲き競うようになったといわれております。
  また、春信、広重の錦絵や名所案内、紀行文にもこの地の菖蒲園の事が記され、江戸時代には、広く知られていたことがわかります。
 戦前までは武蔵園、観花園、小高園、堀切園等がありましたが、閉園、廃園などにより、その菖蒲田は埋められ、ほとんどが宅地に替り、家が建ち並んでいます。
 現在の菖蒲園は、堀切園が「堀切菖蒲園」と改称したもので、昭和34年5月、東京都に買収され、翌年6月1日から東京都立堀切菖蒲園として公開され、その後、昭和50年4月葛飾区に移管され、現在区が管理しております。
 現在園内には、二百種、六千株の花菖蒲が植えられており、毎年六月の開花時には、訪れる人々の目を楽しませております。
区史跡指定年月日 昭和52年3月19日
東京都葛飾区教育委員会

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