第3回、冬102景「蓑輪金杉三河しま」を探訪する [広重・名所江戸百景]
2010/2/14(日)
なかなか更新できなくて済みません。
先日、「蓑輪金杉三河しま」の舞台を探訪しました。(平22.2.12)題名の「蓑輪」は、現在の「三ノ輪」です。金杉は、現在は地名として残っていませんが、三ノ輪の南西方向、現在の下谷3丁目辺りで、「台東区民館 金杉下谷分館」や「金杉公園」として、その名を留めています。三河島も地名としては今はありませんが、常磐線の三河島駅としてその名を留めています
さて、安政四年(1857)に描かれた広重の絵を見ると田園風景に鶴が二羽いて、一羽は画面の上の方に大きく羽を広げ、もう一羽は水辺で鳴いているか相方を待っているかのような風情でたたずんでいるというような感じです。この絵は他の広重の名所江戸百景とはかなり異なっていて、風景画というより花鳥画と言ってもいいような絵です。
ものの本によると、この題名にもなっている三つの地名の一帯は、江戸時代には将軍家の御鷹場があり、鷹狩は毎年11月下旬から翌年2月下旬の間に開催されました。また御鷹場のそばには、鶴の餌付け場が何箇所か設けられていたとのことで、その餌付け場の一つを描いたとのことです。
まず、三ノ輪にあった餌付け場は現在の住所で東日暮里1-17ということなのでその場所を訪れました。ここには高層の都営アパートが何棟か建っていました。(写真#01、#02)
江戸時代の名残が何かないかとこの辺を歩き廻りましたが何も見つけることは出来ませんでした。よく、名所旧跡の跡地には「教育委員会」等の説明看板がありますが、それもありませんでした。(写真#03,04)
記録によると、鶴がいる間犬番役をおいて人の通行や犬の見張りをさせ、鶴の餌付けと保護をおこなったそうです。その犬番の番小屋が三河島村字正庭にあったとのこと。三河島村字正庭は、現在の三河島駅と三ノ輪の南側で、前述の金杉の北側という位置関係にあります。正庭という地名は現在残ってはいませんが、「正庭通り」としてその名を残しています。(写真#05)
また、「正庭」はこの通りの商店街名(まさにわ商栄会)にもその名を残しています。(写真#06)
この近辺を歩き廻りましたが、結局、江戸期の御鷹場、鶴の餌付け場、犬番小屋などの名残となるような物は見つけられませんでした。
このままでは、広重のこの絵の舞台に関して名残の発見ゼロで終わってしまうので、せめて絵の水辺のイメージの場所がないか地図上で探した所、北西800mの荒川公園に沼らしきものがあるので、そちらに向かいました。公園内の池なので、人工的に造営したものと思われますが、かろうじて広重の絵のイメージの一部が再現できました(写真#07)
荒川公園に隣接して、荒川区役所が位置していますが、荒川区役所は改修中でした。(写真#08
本項の出来の自己評価・・・☆(星一つ)
撮影データ等
<広重の絵>
名所江戸百景の内、冬102景「蓑輪金杉三河しま」
安政四年(1857)五月
<現在の写真>
平成22年(2010)2月12日15時16分~16時33分
<7年前の写真>
平成15年(2003)8月31日AM
2010-02-14 19:39
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