第2回、秋89景「上野山内月のまつ」を見に行く [広重・名所江戸百景]

2009/10/26(月)


この、奇妙な絵はなんだろう?最初にこの絵を見たとき、木の枝を図案化して丸くしたのかな?と思いました。ところが、広重の名所江戸百景シリーズ春11「上野清水堂不忍ノ池」の絵にもこの丸い枝ぶりの松が描かれており、抽象的な作図ではなく、実際にあった奇木であることがわかりました。名所江戸百景に二度も登場しているこの松は、当時結構有名だったと想像されます。枝の丸窓を通して、対岸には町屋や武家屋敷が見えます(塔のようなものは武家屋敷の火の見やぐら)。右下の中景には中島の弁天堂が見えます。


#01広重・秋89景「上野山内月のまつ」.jpg
#02不忍池・弁天堂.jpg



この、広重の視点からの現在の眺めを写真#02に示しました。この写真では、樹木の陰になって不忍池の水面は見えません。また、丸い枝の松はともかく、松の木自体が見当たりません。広重の時代この辺は桜と松の木が植えられていましたが、桜はそのままですが、松は全く見当たらず他の木に変わっています。



#04不忍池弁天堂(明治23年頃).jpg


10年前、フィルムカメラの時代にもこの場所に撮影に来ましたが、その時は丸い枝ぶりの木が見当たらず撮影を断念しました。 この場所の古い写真を各種写真集で探したところ、1890年(明治23年)頃に撮影されたものがありました(写真#04)。この写真は、広重が書いてから33年後の写真なので、広重の絵の雰囲気とはほとんど同じに見えます。撮影場所は、写真#02の撮影場所と同じと思われます。この写真だと、不忍池の水面も写っているし、対岸の岸辺や街並みも木に隠れず写っています。 但し、この丸い枝ぶりの松は明治のはじめに枯れたということなので、この写真が撮影された時点では存在していなかったということになります。



#05上野公園内の面白い枝ぶりの木.jpg

次に、イメージの再現ですが、上野公園内のレストランT(写真#07)の裏に、この松のイメージに近い木がありました(写真#05)。残念ながら松の木ではありませんでしたがこれを使うことにしました。


#03不忍池弁天堂遠望.jpg

















中景から遠景、弁天堂と向こう岸の岸辺と街並みの写真は写真#03を使うことにしました。写真#03は、不忍池の南側、下町風俗資料館のそばから撮影したものです。この二枚の写真を合成した写真が#06です。


#06現代の上野山内月のまつ(イメージ).jpg

150年前、広重が描いた、「上野山内月のまつ」を現代版のイメージ写真でお楽しみください。


#07上野公園内のレストラン.jpg


※本シリーズは、本来合成写真で広重の名所図会を再現するのは趣旨ではありません。今回は例外とお考えください(第2回目で例外が登場するのはちょっと早いとはおもいますが・・・)
<広重の絵>
名所江戸百景の内「上野山内月のまつ」(秋89景)「広重の大江戸名所百景散歩・人文社」の番号
作成年月:安政4年(1857年)8月


<現在の写真>
撮影日時:2009/10/23(金)
撮影場所:東京上野公園内清水観音堂の下及び下町風俗資料館そば他
撮影者:きたろう

<引用写真>
タイトル:上野・不忍池の弁天堂
撮影年:1890年(明治23年)頃
撮影場所:清水観音堂の下から弁天堂方向を撮影(推定)
撮影者:不明
百年前の日本(1983年刊)より
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コメント 1

船団会員28号

枝ぶりそっくりな松をよく見つけたものですね。
次回以降も楽しみにしてます。
by 船団会員28号 (2009-12-06 19:09) 

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