瑞鳳殿見学記(その2) [きたろう散歩会]

2019.7.19 FRI. 取材
2019.9.30.MON.アップ
前回ブログのラストの写真を再度掲載します。

#17、瑞鳳殿2
#17瑞鳳殿2.jpg
瑞鳳殿本体の直近の唐門の下までやって来ました。
ここで、前回の写真#05から#17までの撮影地点と方向を「(瑞鳳殿等)観覧順路図」に記入してみました。

#18、瑞鳳寺山門から瑞鳳殿までの写真撮影場所と方向
#18瑞鳳殿等観覧順路012カ.jpg


#19、瑞鳳殿3(正面拡大写真)
#19瑞鳳殿3.jpg
前回#16の説明板の文章で「慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)欄間に飛天、花頭窓(かとうまど)に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。」ということが書いてありましたが、一つずつ写真と照合したいと思います。
① 慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)・・・瑞鳳殿の扁額の左右にある黒いアーチ状の構造物が慕股(かえるまた)で、その中に描かれているのが瑞鳥(ずいちょう)です。
② 欄間に飛天・・・扁額の下の欄干に3人の天女が飛んでいます。左の天女は笛を、右の天女は琴を奏でています。中央の天女は舞を舞っているものと思われます。
③ 花頭窓(かとうまど)に鳳凰・・・左右の天女と窓の間に書かれているのが鳳凰です。
④ 隅柱に獅子頭・・・獅子頭が隅柱上部に位置しています(この写真では、はっきり獅子頭とはわかりませんが#24で説明します)
     

#20、瑞鳳殿4(さらに拡大)
#20瑞鳳殿4.jpg
扉の上部には、大きな「竹に雀」の紋が鎮座しています。
この扉は、普段は閉まっています。毎年元日、午前8時半から御開帳されるとのこと。その他命日などにも御開帳されるそうです。

#21、瑞鳳殿5(左斜め前から撮影)
#21瑞鳳殿5.jpg
屋根の下の庇状の構造物が二重で、格式高い造りになっています。
手前の説明板は#16の項で紹介した文章
『政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くため、ここ経ヶ峯(きょうがみね)に登り、同行の家臣に死後は当地へ墓所を造るように命じました・・・』が書いてあります。

#22、瑞鳳殿6(殉死者の供養塔(左側))
#22瑞鳳殿6.jpg
◆以下説明板より
 主君が亡くなった時に、家臣がその後を追って自ら死ぬことを殉死といい江戸時代初期までその風習がありました。藩主伊達改宗の死に際して、家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の計20名が殉死しました。
こうした殉死者を供養するため、瑞鳳殿の両脇には宝篋印塔という形式の石塔が建てられました。殉死者の墓は各家の菩提寺等にあり、瑞鳳殿両脇に遺骨はなく石塔は供養のためのものと考えられます。現在の石塔は昭和54年(1979)の瑞鳳殿再建の際に作り直されたものです。
瑞鳳殿の左側には9基の供養塔が立っています。
◆各供養塔の供養者氏名
 瑞鳳殿向かって左側(瑞鳳殿すぐ左)、手前から
   2、茂庭采女兼綱
   4、青木忠五郎友重
   6、加藤十三郎安次
   8、喜斎
   10、桑折豊後綱長
   12、小平太郎左衛門元成
   14、渡邊権之允重孝
   ※2~14 伊達政宗公に殉死した家臣
 瑞鳳殿向かって左側(左外側)、手前から
   18、東海林茂傳次
   19、横山角兵衛
  ※18、19 は政宗公に殉死した家臣に仕え殉死した陪臣
※2~19の番号の意味は、説明板には書いてなかったが、恐らく、家臣としての位の順番と思われます。

#23、瑞鳳殿7(右斜め前から撮影)
#23瑞鳳殿7.jpg
このアングルだと、獅子頭の造形が良くみえるので拡大して見ました。

#24、瑞鳳殿8(獅子頭部拡大)
#24瑞鳳殿8.jpg
正面と右方向を向いた獅子頭がありますが、左が「阿」、右が「吽」様式になっているとのこと。

#25、瑞鳳殿9(殉死者の供養塔(右側))
#25瑞鳳殿9.jpg
瑞鳳殿右側の供養塔、こちらには、11基の供養塔があります。
 ◆各供養塔の供養者氏名
 瑞鳳殿の向かって右(瑞鳳殿のすぐ右側)、手前から
1、石田將監興純
 3、佐藤内膳吉信
 5、南次郎吉政吉
 7、菅野勝左衛門重成
 9、入生田三右衛門元康
 11、矢目伊兵衛常重
 13、小野二左衛門時村
 15、大槻喜右衛門定安
 ※1~15は伊達政宗公に殉死した家臣
 瑞鳳殿の向かって右(右外側)、手前から
 16、青柳傅右衛門
 1、加藤藤三右衛門
 20、杉山理兵衛
※16、1、20は政宗公に殉死した家臣に仕え殉死した陪臣
※供養塔は、左に9基、右に11基、合わせて20基の供養塔がありました。

#26、瑞鳳殿10(瑞鳳殿門の裏側)
#26瑞鳳殿10.jpg


#27、瑞鳳殿11(瑞鳳殿の門裏側(右))
#27瑞鳳殿11.jpg
七夕祭り飾りの吹流しが飾ってありました。
※撮影日は7月19日であるが仙台の七夕祭りは8月に実施するので、この吹流しは取り込み忘れではありません。
右側は音声ガイドの機械が置いてあります。タイトルは「経ケ峯」、「伊達政宗」、「瑞鳳殿」他数本ありましたが、再生時間がいずれも、1分30秒と短く、全く物足りませんでした。

#28、臥龍梅
#28臥龍梅.jpg
◆手前の説明板の説明
「臥龍梅」、樹種 ウメ(朝鮮ウメ)
『地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達改宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせた後、隠居所であった若林城(仙台市古城)(注)に移植したものといわれている。
 この臥龍梅は、古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979)、瑞鳳殿再建を記念して植樹されたものである。』
注)若林城跡は現在、宮城刑務所になっている。
拙SO-NETブログ「きたろう散歩」「ブラタモリトレース・仙台杜の都の秘密(宮城刑務所)編」で、この親木の臥龍梅について取り上げました。
https://hiroshige-kitarou.blog.so-net.ne.jp/2018-11-17
(ただし刑務所内は写真撮影禁止で、きたろう撮影の写真はありません。NHKのTVの写真はあります。)
瑞鳳殿見学記(その2)は以上です。
臥龍梅の右後方は、資料館ですが、次回は、この資料館内の見学記録を取り上げます。
(資料館の見学記では、写真と”ある仕掛け”により、より、実地体験に近い感覚が味わえます。乞うご期待!)
<続く>



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