第27回、広重・名所江戸百景「広尾ふる川」(春22景)(その1B)  [広重・名所江戸百景]

アップ:2018年10月8日(月)

※今回は、現地取材内容に基づいた記事ではないので、「その1B」としました。

#13、名所江戸百景「広尾ふる川」(再掲)
#13広重名所江戸百景広尾ふる川.jpg
今回この地の取材は、手持ちの資料の「この絵は南麻布天現寺橋を渡った先にあった広尾原を描いていると考えられる。」という記述に従って、天現寺橋近辺の川沿いの写真を撮影してきました。
 自宅に戻り、広重が当時画いた地点を特定すべく、古地図で検討しました。人文社の「嘉永・慶応江戸切絵図」及び「明治の東京」で、天現寺橋を探しましたが、これらの地図では天現寺橋と明記された橋は見つかりませんでした。

#14、広尾ふる川の舞台「東京大絵図」(明治4年)
#14広尾ふる川近辺の古地図.jpg
上の地図で、①が天現寺、②が現在の天現寺橋が架かっている場所です。しかし、この位置には当時橋は架かっていませんでした。
天現寺の辺りで、③広野原を遠望し、手前に橋がある景色ということで、この時点で一応④の近辺からの景色を、画いたと考えました。(青矢印の方向を画いた?)
 ところが、ネットで広尾の昔の調べを進めているうちに、広重が50歳代のときに画いた「絵本江戸土産」という絵を見つけました。

#15、絵本江戸土産「麻布古川相模殿橋広尾之原」
#15絵本江戸土産麻布古川相模殿橋広尾之原B.jpg
#13と#15の絵はそっくりで、同じ場所を画いたものと考えられました。
即ち、この二つの絵は、古川に架かっている相模殿橋の東側から相模殿橋と遠景として広尾原を画いたものということが判明しました。
※相模殿橋は、上の地図の⑨四ノハシのことで、広重は赤矢印の方向を画いたと考えられる。

 今回の取材では、現在の天現寺橋の周辺を取材しましたが、結果的に、大分的外れな取材だったことがわかりました。
 従って、早急に再取材し、改訂版をアップしたいと考えます。


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