瑞鳳殿見学記(その3) [きたろう散歩会]
2019/07/19 FRI. 取材
2019/10/4 FRI. アップ
◆今朝、SO-NETブログにログインしようとしたら、いままで見たことのない画面でIDとパスワードを要求され、既存のID、パスワードをいくら入力しても、ログイン出来ず、あせった(-_-;)
(登録していたメールアドレスが、無効になっていて、SO-NETからSSブログへの切り替えの連絡が来なかったようだ)
ともあれ、なんとかSSブログに切り替え、投稿を続けることが出来ました。
<本文開始>
前回は、瑞鳳殿の”臥龍梅”まで、やってきました。(臥龍梅は、瑞鳳殿の手前向かって左側(東側)に位置します)
臥龍梅のさらに左(東側)に、瑞鳳殿資料館があります。
#29&#30、瑞鳳殿資料館全景
引用:#29はウイキペディアより、#30は瑞鳳殿ホームペジより
#31、瑞鳳殿資料館内部
※本写真は、瑞鳳殿ホームページより引用
資料館の奥の隅で、伊達政宗に関するビデオが放映されていました。タイトルは2本あり、各々16分位のビデオでした(1本は、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するもの(タイトル失念)、もう1本は、確か「政宗公と仙台」というタイトルだった。)
このうち、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するビデオの一部の音声のみを録音しました。
#32、瑞鳳殿案内音声
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら今回の見学記その3では、このビデオの音声の内容に沿って、レポを進めて行きたいと思います。以下の写真#33から#55は、音声の内容に沿ったものを、ネット上から探して転載したものです。これらの写真は、資料館内の展示物ともほぼ共通するものでした。
◆つまり、このビデオ音声を再生し、同時に以下の写真#33から#55を順次見るようにすると、「紙芝居」を見るがごとく、「瑞鳳殿」、「発掘された政宗の遺骨」、「政宗の副葬品」等に関する写真を鑑賞できます(約7分間)。
※資料館内は撮影禁止で、資料館の展示物を撮影し、その写真をアップするというわけにいかないので、このような試みをしました。
#33、瑞鳳殿正面
※音声13秒~:「仙台藩祖伊達政宗の御霊屋瑞鳳殿。」
※撮影:江戸川きたろう
#34、焼失前の瑞鳳殿
※音声17秒~:「江戸初期に於ける桃山様式のキョウテンチ(?)として1931年(昭和6年)国宝に指定された。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ
#35、焼失前の感仙殿
※音声24秒~:「二代目伊達忠宗の御霊屋感仙殿。瑞鳳殿と共に国宝指定。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ
#36、善応殿
※音声34秒~:「三代藩主伊達綱宗の御霊屋善応殿。」
※撮影:江戸川きたろう/モノクロ写真ですが、焼失前の写真ではありません。(画像の流れの雰囲気を保つため、当日撮影した写真をモノクロ化したもの。)
#37、仙台空襲の後の焼け野原
※音声42秒~:「創建当時から伝えられた華麗な姿は、1945年(昭和20年)7月10日の仙台大空襲によって、惜しくも消失した。」
※引用:ウイキペディア
#38、瑞鳳殿焼失跡に建てられた墓標(合成写真)
※音声54秒~:「跡には墓標が建てられ、ここに御霊屋があったことを示していた。」
※ネット上で、政宗の墓標の写真を探したが、見つからなかったので、自分でイメージ写真を合成しました。
ベースの写真は、きたろうオリジナル写真(瑞鳳殿の西方にある「公子公女の墓所の一角」、墓標はきたろうの合成画像。
注)かつてあった政宗の墓標は、本イメージ写真よりも、もっと大きく荘厳なものと推定されます。
もし、政宗の墓標の写真をお持ちの方は、ご連絡をお願いします
ネット上に公開し保存したいと考えます(^O^)/
#39、瑞鳳殿再建事業(ナレーションのみ)
※音声1分06秒~:「御霊屋の再建は、1974年(昭49)瑞鳳殿再建期成会着工から、財団法人「瑞鳳殿」に引き継がれ、1985年(昭60)完成を見るに至った。」
#40、瑞鳳殿発掘作業
※音声1分21秒:「この御霊屋再建事業の一環として行われた遺跡の発掘調査では、大名のソウコウ(ソウホウ?)を知る上で大きな成果を上げた。※引用:瑞鳳殿ホームページより
#41、発掘作業&遺骨調査の調査団
※音声1分32秒~:「遺跡の発掘調査は、東北大学名誉教授 伊東信雄氏を団長とし、また遺骨の調査は東京大学 鈴木尚(ひさし)氏と東北大学歯学部を中心に進められた。」
#42、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿発掘調査
※音声1分48秒~:「1974年(昭49)瑞鳳殿、1981年(昭56)感仙殿及び善応殿・第一次、さらに1983(昭58)善応殿第二次調査が実施されました。」
#43、瑞鳳殿発掘作業の開始(ナレーションのみ)
※音声2分27秒~:「仙台藩祖伊達政宗の御霊屋瑞鳳殿の遺跡の発掘調査は1974年(昭49)9月25日から開始された。」
#44、伊達政宗の墓室
※音声2分43秒~:「10月2日、本殿床面下120cm、中央やや北側の位置で、墓室・墓石に到達。内部の調査は、翌3日から行われた。」
#45、座棺と葬式神輿(参考写真)
※音声3分07秒~:「遺体は石灰を詰められた、楕円形の木製座棺に納められ、籠に載せられていた。」
※引用元・・・座棺・葬式神輿/らじ☆カン | らじ☆カン | SBC信越放送
https://sbc21.co.jp/blogwp/radikan/article/15155
#46、副葬品の出土状況
※音声3分17秒~:「墓石の西側には武具をはじめ、文具などの副葬品が納められていた。」
※引用元・・・政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2): funny 一時 serious のち interesting
http://arcadia.cocolog-nifty.com/nikko81_fsi/2014/10/--402-cce8.html
#47、葛の蒔絵の文箱
※音声3分25秒~:「副葬品が取り出される。葛の蒔絵をほどこした文箱。桃山風の模様が×××××。」
#48、糸巻き太刀
※音声3分36秒~:「長さ106cmの糸巻太刀葵と桐の家紋を蒔絵で交互に散らしています。」
#49、政宗の遺骨
※音声3分51秒~:「政宗の頭骨が取り出される。遺骨は保存が良くほぼ完全に残っていた。」
#50、政宗の遺骨1
※音声4分12秒~:「遺骨の調査は東京大学名誉教授 鈴木尚(ひさし)氏と東北大学歯学部で行われた。政宗の身長は159.4cm血液型はB型と判明した。」
#51、政宗の遺骨2
※音声4分30秒~:「頭骨は、長頭型に属し、顔面は面長で現代的な顔立ちであったと推定される。」
#53、政宗副葬品・文鎮とブローチ
※音声5分22秒~:「龍のツマミをつけた青銅製の文鎮。
黒漆地葛蒔絵文箱の中に、墨、筆と共に納められていた。
金製のブローチ。日本在来の装飾品には、類例が無く、カトリック教徒が使用している携帯用ロザリオと思われる。」
#54、副葬品・懐中日時計とキセル
※音声5分50秒~:「懐中日時計テンチシャク(?)。4cm角文字板を青銅製の針が時を指し示す。
キセル。キセル箱に収納されていた状況から推定して、がん首と吸い口を装着した場合、ゆうに60cmを越える長キセルとなる。」
#55、空の石室と副葬品の再埋葬
※音声6分23秒~:「墓室は凝灰岩の板石48個から成り、内法で、東西約180cm、南北約120cm、深さは145cmであった。
側面の板石はホンザでカイマキの手法(?)で構築されていた。
#56、エンディング
2019/10/4 FRI. アップ
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ともあれ、なんとかSSブログに切り替え、投稿を続けることが出来ました。
<本文開始>
前回は、瑞鳳殿の”臥龍梅”まで、やってきました。(臥龍梅は、瑞鳳殿の手前向かって左側(東側)に位置します)
臥龍梅のさらに左(東側)に、瑞鳳殿資料館があります。
#29&#30、瑞鳳殿資料館全景
引用:#29はウイキペディアより、#30は瑞鳳殿ホームペジより
#31、瑞鳳殿資料館内部
※本写真は、瑞鳳殿ホームページより引用
資料館の奥の隅で、伊達政宗に関するビデオが放映されていました。タイトルは2本あり、各々16分位のビデオでした(1本は、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するもの(タイトル失念)、もう1本は、確か「政宗公と仙台」というタイトルだった。)
このうち、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するビデオの一部の音声のみを録音しました。
#32、瑞鳳殿案内音声
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
◆つまり、このビデオ音声を再生し、同時に以下の写真#33から#55を順次見るようにすると、「紙芝居」を見るがごとく、「瑞鳳殿」、「発掘された政宗の遺骨」、「政宗の副葬品」等に関する写真を鑑賞できます(約7分間)。
※資料館内は撮影禁止で、資料館の展示物を撮影し、その写真をアップするというわけにいかないので、このような試みをしました。
#33、瑞鳳殿正面
※音声13秒~:「仙台藩祖伊達政宗の御霊屋瑞鳳殿。」
※撮影:江戸川きたろう
#34、焼失前の瑞鳳殿
※音声17秒~:「江戸初期に於ける桃山様式のキョウテンチ(?)として1931年(昭和6年)国宝に指定された。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ
#35、焼失前の感仙殿
※音声24秒~:「二代目伊達忠宗の御霊屋感仙殿。瑞鳳殿と共に国宝指定。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ
#36、善応殿
※音声34秒~:「三代藩主伊達綱宗の御霊屋善応殿。」
※撮影:江戸川きたろう/モノクロ写真ですが、焼失前の写真ではありません。(画像の流れの雰囲気を保つため、当日撮影した写真をモノクロ化したもの。)
#37、仙台空襲の後の焼け野原
※音声42秒~:「創建当時から伝えられた華麗な姿は、1945年(昭和20年)7月10日の仙台大空襲によって、惜しくも消失した。」
※引用:ウイキペディア
#38、瑞鳳殿焼失跡に建てられた墓標(合成写真)
※音声54秒~:「跡には墓標が建てられ、ここに御霊屋があったことを示していた。」
※ネット上で、政宗の墓標の写真を探したが、見つからなかったので、自分でイメージ写真を合成しました。
ベースの写真は、きたろうオリジナル写真(瑞鳳殿の西方にある「公子公女の墓所の一角」、墓標はきたろうの合成画像。
注)かつてあった政宗の墓標は、本イメージ写真よりも、もっと大きく荘厳なものと推定されます。
もし、政宗の墓標の写真をお持ちの方は、ご連絡をお願いします
※引用元
◆伊東信雄氏画像・・・多賀城市の文化財/古今往来-たがじょう人物伝
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/shiseki/bunkazai/salon/jinbutsuden.html
◆鈴木尚氏画像(1955年)・・・ウイキペディアより
◆東北大学歯学部(1964年)・・・東北大学関係写真データベース / 歯学部設置の認可の知らせに乾杯する歯科医局員
http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-b.php?id=D15-1-027-003&instg=&areag=03&sbjg=&yrsg=
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ
※撮影:江戸川きたろう(涅槃門の手前にある、説明板の墓室部分を拡大表示)
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ
※引用元・・・いかめし Twitter પર: "#真田丸 #伊達政宗 #独眼竜 伊達政宗公の墓所が開けられ(昭和49年)遺骨を調査した結果、身長159.4cm、血液型B型、彫りの深い美男子 だそうです。 (大河「独眼竜政宗」より)
https://twitter.com/kumamiso_beix/status/750110363174055936?lang=gu
※引用元:
◆鈴木尚氏(1963年)・・・日本の人骨発見史4.大浦山洞穴(弥生時代):弥生時代の食人 - 人類学のススメ
https://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/c71fd757e4d14d40a49ccae9031e0c9e
◆東北大学歯学部・・・#41と同じ
◆政宗遺骨(いろいろな部位)・・・独眼竜政宗/遺骨は語る・・・最後のカルテ - ひーさんの散歩道
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/f935cb63363bd560be7b69b761c548c4
◆左上・・・#50と同じ
◆右上・・・瑞鳳殿パンフレットより
◆きたろうコメント・・・再現された、伊達政宗の顔は、きたろう個人としては、草刈正雄と中井貴一とを足して2で割ったような顔と直感的に思ったが、如何でしょうか?
#52、政宗副葬品・鎧と兜
※音声4分47秒~:「発掘調査と平行して副葬品の整理作業が行われた。鉄黒漆五枚胴具足。六十二点筋兜。前立の一部と見られる金箔の残片が墓室内より発見されている。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ
※引用:瑞鳳殿ホームページ
※引用:瑞鳳殿ホームページ
◆1974年10月14日瑞鳳殿遺跡発掘調査が終了。翌1975年5月24日学術調査を終えた遺骨は、修復された墓室に、再び埋葬され、再建工事へと引き継がれた。」
※引用・・・講演会:政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2): funny 一時 serious のち interesting
http://arcadia.cocolog-nifty.com/nikko81_fsi/2014/10/--402-cce8.html
※音声7分09秒~・・・ナレーション中断分09秒・・・ナレーション中断
※音声7分18秒~:♪~音楽開始
◆◆ここで瑞鳳殿見学記(その3)の音声案内は終了です。◆◆
音声7分28秒・・・
ナレーション「2代藩主、伊達忠宗の御霊屋感仙殿の発掘調査は・・・」は、瑞鳳殿見学記(その4)としてアップ予定です。
<続く>
2019-10-03 14:30
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コメント(6)
瑞鳳寺の本尊として、奥州藤原氏の栄華の痕跡を残す毛越寺の文殊菩薩他三尊を安置していることや、政宗の御霊屋である瑞鳳殿の眼を見張る絢爛豪華さに、過去に奥州の覇者として君臨した藤原氏と同様、政宗の戦国における奥州の覇者としての誇りと、あわよけば世界に乗り出し、この世を統治しようとした大きな野望の痕跡を感じました。
仙台は、出張で何度も行った場所なのですけど、いつも仕事にかまけて史跡は見ずじまい。
この記事を読ませていただき、これは行かなければ思いました。
次回の記事も楽しみにしています。
by 老年蛇銘多親父(HM-Oyaji) (2019-10-03 16:50)
きたろうさん おはようございます。
文化遺産であり、歴史遺産でもありますね。興味深いものばかりです。10月1日の18時にメンテが終わると書かれていたので、18時に起動してびっくりでした。私も結構、手間取りました。それでも何とか1時間後の19時には「小龍海老と大龍海老」の記事を掲載することが出来ました。
by SORI (2019-10-04 07:41)
老年蛇銘多親父さんコメントありがとうございます(*^_^*)
昨年だったか、NHKで瑞鳳殿を取材した映像を見て、今度の帰省の際に見てみようと思っていました。恥ずかしながら、瑞鳳殿の地下に政宗が眠っているということは、今回初めて知りました。
次回帰省の際は、瑞巌寺の見学ですかね?
by きたろう (2019-10-04 15:33)
SORI さんコメントありがとうございます(*^_^*)
多分事前通知がメールであったのでしょうが、きたろうがSO-NETに登録しているアドレスは無効(登録後プロバイダーが潰れてしまい)で、当然事前メールは届かなかった。登録アドレスを、直そう直そうと思ってはいました。
何とか切り替えられて良かったです。
by きたろう (2019-10-04 16:15)
きたろうさん、こんにちは。
瑞鳳殿、仙台は親が数年赴任していたので何度も訪れていたのに、行ったことなかったですわ。
是非きたろうさんのブログを参考に行ってみます。
ところで話しは変わりますが、女性誌などでキムタクの長女が天才フルート奏者などと記事になっていますよね。
娘に話すと特に興味ないって様子でしたが、その長女さんが使用してるフルートケースを懇意にしてる楽器店が大量に仕入れたと言ってました。
まー、商売ですからね…
続編楽しみに待ってます!
by タロサ (2019-10-11 11:03)
タロサさんコメントありがとうございます(*^_^*)
近々、また帰省するので、瑞鳳殿は再取材し、その後続編としてアップします。
30~40年前くらいは、山形由美さんがフルート界のスターとして大人気でした(今でも現役で、数年前松戸に聴きに行きました)。
確かに最近は、ダントツな方はいないかも(竹山愛さんがNHKにも出たし、人気が高いかな?)
キムタクの長女の方のことは、全く知りませんでした。(最近、藝大と東京文化会館関係が主流のためか?)
by きたろう (2019-10-15 01:20)