第13回「昌平橋聖堂神田川(夏47景)」 [広重・名所江戸百景]
2011/8/7(日)アップ
。
今回は、久々に本論のテーマでアップします。
タイトルは、「昌平橋聖堂(しょうへいばしせいどう)神田川」です。
昌平橋(しょうへいばし)と言われてもピンと来ない方が大半と思いますが、JRお茶の水駅と秋葉原駅の中間辺りで神田川に架かる橋です。広重が描いた時も現在も変わらず存続しています。
広重の絵では、画面右下隅に欄干が描かれています。これが、昌平橋の欄干です。
この昌平橋が架かる神田川ですが、ブラタモリをご覧になった方はご存知と思いますが、神田川は、江戸時代洪水防止のため掘削された人工の川です。
画面の左が上流側、右が下流側で、ずっと先で日本橋川に合流します。
また、江戸期、神田川のこの辺から、お茶の水、水道橋にかけては、今では考えられませんが、風光明媚な景勝地として、文人墨客や一般市民の清遊の地でした。
広重はじめ、多くの画家がこの辺の風景を描いていて、江戸時代もメジャーな場所でした。
さて、聖堂(せいどう)ですが、聖堂とは、孔子とその弟子を祀ったお堂です。
この、境内には、昌平黌(こう)という、幕府の学問所があり、幕臣達に朱子学(儒学)を教えていました。
。
。
昌平とは、孔子の生れ故郷、昌平郷に因んで名づけられました。
また、お茶の水駅の東側にある橋は聖(ひじり)橋と言いますが、聖堂に通ずる橋で、聖橋と名付けられました(一般市民の公募をした上で)。
聖堂は、広重の絵では、直接は描かれていません。外殻の段々状の練塀が描かれています。この練塀は今でも残っています。
。
この絵も、広重特有の俯瞰で眺めた絵となっています。
これと同じアングルで撮るために幸いにも、昌平橋の南詰めの所を中央線が走っています。
。
。
#01は、中央線車内から、広重と同アングルで撮影したものです。スチール写真だと、走行中の電車からでは、シャッターチャンスが一瞬のため撮影困難なので、動画で撮影したものからスチールに落としました。
動画から落とした写真なので、画素が粗くアングルとしては、ジャストですが、画質は悪いです。
対岸の、緑の鉄橋は、総武線の鉄橋です。
この写真では写っていませんが、秋葉原の電気街は昌平橋の右奥側に広がっています。
。
。
#02は、フィルムカメラ時代に、同車内から撮影したもので、シャッターのタイミングとしては、遅れていて、神田川の水面が写っておらず、アングルとしては、失敗写真です。
地上からの撮影も試みました。
#03は、一脚にカメラを付け、腕を伸ばして、出来るだけ高い位置から撮影を試みました。
。
。
いくら腕を伸ばしても、せいぜい3m程度の高さで、中央線車内のアングルにはかないませんでした。
。
。
#04は、昌平橋の北詰から相生(あいおい)坂方向を見た写真です。
また、左側高架にオレンジラインの電車が走っていますが、この電車が中央線の上り電車で、写真#01、#02はこの電車から撮影したものです。
。
。
#05は、広重の画面中央に相当する部分を、総武線車内(千葉方面行)から撮影したものです。広重時代は、坂の中腹が描かれていますが、現在では、川沿いに建物が建っているので坂の中腹は見えません。この画面では、聖堂の屋根が写っています。
。
。
#06は、聖堂の外郭の練塀を相生坂の中腹で撮影した写真です。
この練塀は、詳しいことは分かりませんが、外から見た感じでは、瓦と同じ素材の板状のものを、しっくいのようなものでサンドイッチ状に練り固めてあるようで、厚さもかなり厚く大変強固な構造のようです。
。
。
#07は、相生坂の頂上付近をお茶の水駅構内から撮影したものです。
広重の絵に見られる、練塀が段々状になっている状態が、ここからだと良く見えます。
手前の、赤いラインの電車は、地下鉄丸ノ内線です。一瞬神田川を渡る所で、地上に出て、また本郷台地で地下潜ろうとしています。
。
。
最後に、広重の絵のように、神田川と相生坂が同時に見えるアングルを探しました。それは、総武線でお茶の水から秋葉原に行く途中に一瞬だけ見える位置がありました。
これも、スチール写真で捕えるのは、困難なので、動画から落としました。
。
今度、機会があったら、#01と#08の写真に相当するスチール写真を取り、鮮明な画像の写真に差し替えたいと思います。
END
2011-08-07 17:38
nice!(1)
コメント(0)
コメント 0