瑞鳳殿見学記(その1) [きたろう散歩会]
取材日、2019.07.19 FRI.
アップ日、2019、09.26 THU.
仙台に帰省したおり開催している散歩会で、今回は、瑞鳳殿見学を取り上げました。
前回までは、NHKの番組のブラタモリ(仙台編)で、タモリさんが歩いた所をトレースして来ましたが、タモリさんの歩いた所はほとんど追尾し終えたので、今回から、伊達政宗のゆかりの地を巡って見ようと考えました。
#01、瑞鳳寺、瑞鳳殿のパンフレット
瑞鳳寺のパンフは表紙のみ、瑞鳳殿のパンフは表紙と裏表紙。両者とも散歩会当日に入手したもの。
#02、瑞鳳殿案内図
※瑞鳳殿パンフ裏表紙の案内図(一部(北側部分)カットしてあります)。
瑞鳳殿は、青葉城跡から東約900m、広瀬川が大きくS字状に蛇行した内側の経ケ峯の上にあります。
#03、瑞鳳殿近辺の地図(Google Map)
今回瑞鳳殿見学散歩会を募集したところ、参加者が少なかったので、「散歩会」ですが、車を出すことにしました。事前に、瑞鳳殿の住所を調べると「青葉区霊屋下23-2」とあり、その住所でナビを入力すると、瑞鳳殿の南側の住宅地の一角が設定されました(#03の青○印)。この付近に、一般駐車場はなさそうなので、さらに調べたところ、瑞鳳殿観覧者用駐車場(青葉区霊屋下18-12)というのがあったので、これをナビの目的地に設定しました。
#04、瑞鳳殿観覧者用駐車場(Googleストリートビュー)
駐車場は無料でした。
#05、瑞鳳殿案内板(右)と瑞鳳寺入口(左)(Googleストリートビュー)
駐車場から約100m上ったところにある「瑞鳳殿等の案内板」(右)と、瑞鳳寺入口。
#06、瑞鳳殿等総合案内板
瑞鳳殿のある一帯は経ケ峯という山地で、全体が伊達家の墓所となっています。案内板左上の部分にそのことが書いてあります。左下は、各霊屋、墓所の観覧順路の図、中央の写真は、戦前・焼失前の瑞鳳殿の写真、その右は、英語・中国語・ハングルの説明文。
左上「経ケ峯伊達家墓所」の説明文を原文のまま以下に掲載します。
『仙台城本丸跡から南東へ約900m、三方向を広瀬川に囲まれた丘陵地を経ケ峯(きょうがみね)と称し、その由来は古く満海(まんかい)上人が東峰に経文を納めたことによるものと伝られている。
ここには仙台藩祖伊達政宗(だてまさむね)公の霊屋・瑞鳳殿(おたまや・ずいほうでん)をはじめ2代忠宗(ただむね)公の霊屋・感仙殿(かんせんでん)、3代綱宗(つなむね)公の霊屋・善応殿(ぜんのうでん)、及び9代周宗(ちかむね)公、11代斉義(なりよし)公、同夫人の墓所である妙雲界廟(みょううんかいびょう)、5代吉村(よしむら)公以降の公子公女の墓所である御子様御廟(おこさまごびょう)がおかれ、藩政時代から伊達家の霊域となっていた。
昭和6年(1931年)瑞鳳殿と感仙殿は、桃山様式の代表的な廟建築として国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災により善応殿と共に焼失した。戦後経ケ峯は伊達家より仙台市に寄贈され、遺跡として保存されてきたが、昭和49年(1974年)から昭和60年(1985年)にかけて3霊屋が再建され、現在経ケ峯は仙台市指定史跡歴史公園となっている。』
#07、瑞鳳寺山門
※#07及び以下の#17まで、きたろうオリジナルの写真です。
#08、「瑞鳳寺」の説明板
瑞鳳寺説明板の内容は以下の通りです。
「正宗山 瑞鳳寺」
当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永十四年(一、六三七)二代忠宗公によって創建された御一門格寺院である。
御本尊は釈迦、文珠、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの、梵鐘は寛永十四年忠宗公の寄進によるもので県指定の文化財である。
本堂前の冠木門は三代綱家公 側室椙原(すぎのはら)お品邸にあったもので俗に高尾門といわれている。
栄西堂は臨済宗の宗祖であり又日本に初めてお茶を伝えた、栄西禅師の御像を安置したもので、人間国宝、香取正彦氏の作である。
茶室端新軒は十四代淡々斉好裏千家又隠席写、ニ畳台目の二席。
花塚は、本源流の奥儀を示す石の組かたで、仙台の詩人土井晩翠の詩が記されている、その他伊達安芸の献灯、先代萩の亀千代、政岡、千松の像などがあり境内には多数の花木があります。
#10、瑞鳳寺本堂
#11、瑞鳳殿へ至る階段
瑞鳳殿は、左の階段を登った先にあります。
#12、瑞鳳殿入口
観覧料は一般550円(シルバー割引無し)。
#13、「瑞鳳殿」、「政宗公墓室」の説明板
「瑞鳳殿」の説明文は以下の通りです。
『仙台藩祖伊達改宗公は永禄10年(1567)米沢城に誕生し、18歳で伊達家を相続した。以来、卓越した武将として南奥羽を支配し、「独眼竜政宗」の異名を天下に轟かせた。
天正19年(1591)豊臣秀吉の命により、米沢から岩出山(宮城県北)に移り10年を過ごした後、慶長6年(1601)徳川家康の許しを得て、35歳の時仙台城を築き、以後、仙台藩の政治、産業、文化の振興に尽力し、また、スペインとの通商貿易を試み、家臣支倉六右衛門常長を使者としてヨーロッパまで派遣する等、伊達62万石の基礎を築いた。
寛永13年(1636)政宗公は70歳で没し、遺言によって経ケ峯に埋葬された。
瑞鳳殿は、政宗公の霊屋で、桃山様式の豪華絢爛たる廟建築として昭和6年(1931)国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災で焼失し、昭和54年(1979)再建された。』
「政宗公墓室」の説明文は以下の通りです。
『昭和49年(1974)瑞鳳殿再建に先立って地下墓室の学術調査が行われた。墓室は凝灰岩の切石47個で組立られ内部からは遺骸と共に30余点の副葬品が発掘されている。遺骸は学術調査終了後再埋葬された。』
#14、涅槃門
涅槃門は、瑞鳳殿へ至る一番下の門で、#12瑞鳳殿入口と同じ高さの平面上にあります。
「涅槃門」の説明文は以下の通りです。
『瑞鳳殿の正面門は「涅槃門」(ねはんもん)と呼ばれています。涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死という意味にもなります。
瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉(ひば)を用いて再建され、正面扉上部の蟇股(かえるまた)には瑞獣(ずいじゅう)「麒麟」、左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。』
#15、瑞鳳殿の門
涅槃門から階段を約30段昇った、一段高いところにある門。
#16、瑞鳳殿(1)
瑞鳳殿の説明文は以下の通りです。
『「政宗公の霊屋 瑞鳳殿」
政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くため、ここ経ヶ峯(きょうがみね)に登り、同行の家臣に死後は当地へ墓所を造るように命じました。この遺言に従い、寛永13(1636)年5月24日、江戸で70年の生涯を終えると、仙台に運ばれ、ここ経ケ峯に葬られました。
霊屋瑞鳳殿(たまやずいほうでん)は翌年の10月に完成しています。木造三間四方の建物は漆極彩色によって仕上げられた、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛たる廟で、慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)欄間に飛天、花頭窓(かとうまど)に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。霊屋内部には須弥壇(すみだん)が設けられ、政宗の尊像(御木像)が安置されており、壁や天井には仏画や鳳凰などが描かれていました。
瑞鳳殿は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたか、昭和20(1945)年の戦災により焼失。昭和54(1979)年に再建されました。
本殿の扉は普段は閉ざされており、政宗の命日(5月24日)、新年の拝礼式など特別な場合に御開帳されます。』
#17、瑞鳳殿(2)
瑞鳳殿本体は、ここからさらに階段数段を昇ったところにあります。
※瑞鳳殿(その1)は以上です。
<続く>
アップ日、2019、09.26 THU.
仙台に帰省したおり開催している散歩会で、今回は、瑞鳳殿見学を取り上げました。
前回までは、NHKの番組のブラタモリ(仙台編)で、タモリさんが歩いた所をトレースして来ましたが、タモリさんの歩いた所はほとんど追尾し終えたので、今回から、伊達政宗のゆかりの地を巡って見ようと考えました。
#01、瑞鳳寺、瑞鳳殿のパンフレット
瑞鳳寺のパンフは表紙のみ、瑞鳳殿のパンフは表紙と裏表紙。両者とも散歩会当日に入手したもの。
#02、瑞鳳殿案内図
※瑞鳳殿パンフ裏表紙の案内図(一部(北側部分)カットしてあります)。
瑞鳳殿は、青葉城跡から東約900m、広瀬川が大きくS字状に蛇行した内側の経ケ峯の上にあります。
#03、瑞鳳殿近辺の地図(Google Map)
今回瑞鳳殿見学散歩会を募集したところ、参加者が少なかったので、「散歩会」ですが、車を出すことにしました。事前に、瑞鳳殿の住所を調べると「青葉区霊屋下23-2」とあり、その住所でナビを入力すると、瑞鳳殿の南側の住宅地の一角が設定されました(#03の青○印)。この付近に、一般駐車場はなさそうなので、さらに調べたところ、瑞鳳殿観覧者用駐車場(青葉区霊屋下18-12)というのがあったので、これをナビの目的地に設定しました。
#04、瑞鳳殿観覧者用駐車場(Googleストリートビュー)
駐車場は無料でした。
#05、瑞鳳殿案内板(右)と瑞鳳寺入口(左)(Googleストリートビュー)
駐車場から約100m上ったところにある「瑞鳳殿等の案内板」(右)と、瑞鳳寺入口。
#06、瑞鳳殿等総合案内板
瑞鳳殿のある一帯は経ケ峯という山地で、全体が伊達家の墓所となっています。案内板左上の部分にそのことが書いてあります。左下は、各霊屋、墓所の観覧順路の図、中央の写真は、戦前・焼失前の瑞鳳殿の写真、その右は、英語・中国語・ハングルの説明文。
左上「経ケ峯伊達家墓所」の説明文を原文のまま以下に掲載します。
『仙台城本丸跡から南東へ約900m、三方向を広瀬川に囲まれた丘陵地を経ケ峯(きょうがみね)と称し、その由来は古く満海(まんかい)上人が東峰に経文を納めたことによるものと伝られている。
ここには仙台藩祖伊達政宗(だてまさむね)公の霊屋・瑞鳳殿(おたまや・ずいほうでん)をはじめ2代忠宗(ただむね)公の霊屋・感仙殿(かんせんでん)、3代綱宗(つなむね)公の霊屋・善応殿(ぜんのうでん)、及び9代周宗(ちかむね)公、11代斉義(なりよし)公、同夫人の墓所である妙雲界廟(みょううんかいびょう)、5代吉村(よしむら)公以降の公子公女の墓所である御子様御廟(おこさまごびょう)がおかれ、藩政時代から伊達家の霊域となっていた。
昭和6年(1931年)瑞鳳殿と感仙殿は、桃山様式の代表的な廟建築として国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災により善応殿と共に焼失した。戦後経ケ峯は伊達家より仙台市に寄贈され、遺跡として保存されてきたが、昭和49年(1974年)から昭和60年(1985年)にかけて3霊屋が再建され、現在経ケ峯は仙台市指定史跡歴史公園となっている。』
#07、瑞鳳寺山門
※#07及び以下の#17まで、きたろうオリジナルの写真です。
#08、「瑞鳳寺」の説明板
瑞鳳寺説明板の内容は以下の通りです。
「正宗山 瑞鳳寺」
当山は藩祖政宗公の菩提寺として寛永十四年(一、六三七)二代忠宗公によって創建された御一門格寺院である。
御本尊は釈迦、文珠、普賢の三体で平泉毛越寺より遷したもの、梵鐘は寛永十四年忠宗公の寄進によるもので県指定の文化財である。
本堂前の冠木門は三代綱家公 側室椙原(すぎのはら)お品邸にあったもので俗に高尾門といわれている。
栄西堂は臨済宗の宗祖であり又日本に初めてお茶を伝えた、栄西禅師の御像を安置したもので、人間国宝、香取正彦氏の作である。
茶室端新軒は十四代淡々斉好裏千家又隠席写、ニ畳台目の二席。
花塚は、本源流の奥儀を示す石の組かたで、仙台の詩人土井晩翠の詩が記されている、その他伊達安芸の献灯、先代萩の亀千代、政岡、千松の像などがあり境内には多数の花木があります。
#10、瑞鳳寺本堂
#11、瑞鳳殿へ至る階段
瑞鳳殿は、左の階段を登った先にあります。
#12、瑞鳳殿入口
観覧料は一般550円(シルバー割引無し)。
#13、「瑞鳳殿」、「政宗公墓室」の説明板
「瑞鳳殿」の説明文は以下の通りです。
『仙台藩祖伊達改宗公は永禄10年(1567)米沢城に誕生し、18歳で伊達家を相続した。以来、卓越した武将として南奥羽を支配し、「独眼竜政宗」の異名を天下に轟かせた。
天正19年(1591)豊臣秀吉の命により、米沢から岩出山(宮城県北)に移り10年を過ごした後、慶長6年(1601)徳川家康の許しを得て、35歳の時仙台城を築き、以後、仙台藩の政治、産業、文化の振興に尽力し、また、スペインとの通商貿易を試み、家臣支倉六右衛門常長を使者としてヨーロッパまで派遣する等、伊達62万石の基礎を築いた。
寛永13年(1636)政宗公は70歳で没し、遺言によって経ケ峯に埋葬された。
瑞鳳殿は、政宗公の霊屋で、桃山様式の豪華絢爛たる廟建築として昭和6年(1931)国宝に指定されたが、昭和20年(1945)戦災で焼失し、昭和54年(1979)再建された。』
「政宗公墓室」の説明文は以下の通りです。
『昭和49年(1974)瑞鳳殿再建に先立って地下墓室の学術調査が行われた。墓室は凝灰岩の切石47個で組立られ内部からは遺骸と共に30余点の副葬品が発掘されている。遺骸は学術調査終了後再埋葬された。』
#14、涅槃門
涅槃門は、瑞鳳殿へ至る一番下の門で、#12瑞鳳殿入口と同じ高さの平面上にあります。
「涅槃門」の説明文は以下の通りです。
『瑞鳳殿の正面門は「涅槃門」(ねはんもん)と呼ばれています。涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死という意味にもなります。
瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉(ひば)を用いて再建され、正面扉上部の蟇股(かえるまた)には瑞獣(ずいじゅう)「麒麟」、左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されています。』
#15、瑞鳳殿の門
涅槃門から階段を約30段昇った、一段高いところにある門。
#16、瑞鳳殿(1)
瑞鳳殿の説明文は以下の通りです。
『「政宗公の霊屋 瑞鳳殿」
政宗は生前、ホトトギスの初音を聴くため、ここ経ヶ峯(きょうがみね)に登り、同行の家臣に死後は当地へ墓所を造るように命じました。この遺言に従い、寛永13(1636)年5月24日、江戸で70年の生涯を終えると、仙台に運ばれ、ここ経ケ峯に葬られました。
霊屋瑞鳳殿(たまやずいほうでん)は翌年の10月に完成しています。木造三間四方の建物は漆極彩色によって仕上げられた、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛たる廟で、慕股(かえるまた)に瑞鳥(ずいちょう)欄間に飛天、花頭窓(かとうまど)に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。霊屋内部には須弥壇(すみだん)が設けられ、政宗の尊像(御木像)が安置されており、壁や天井には仏画や鳳凰などが描かれていました。
瑞鳳殿は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたか、昭和20(1945)年の戦災により焼失。昭和54(1979)年に再建されました。
本殿の扉は普段は閉ざされており、政宗の命日(5月24日)、新年の拝礼式など特別な場合に御開帳されます。』
#17、瑞鳳殿(2)
瑞鳳殿本体は、ここからさらに階段数段を昇ったところにあります。
※瑞鳳殿(その1)は以上です。
<続く>
2019-09-26 14:34
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フルート3次予選、聴いて来ました。藝大の與口さんが17人中10人の伴奏を務めていました。東京音楽コンクールの二人は間違いなく本選に残るでしょう。
by おかぴょん (2019-09-26 22:38)
瀧本さん頑張っていますね!
2016年日本音楽コンクール(フルート部門)・・・第3位(SO-NETブログアップ(ただし第3予選時のブログ))
2017年東京音楽コンクール(木管部門)・・・本選出場できず(ブログなし)
2019年東京音楽コンクール(木管部門)・・・1位(第二次予選&本選出席したが、ブログなし)
2016年日本音楽コンクール(フルート部門)・・・第3予選通過本選出場(欠席)
※本選も所用があり出席できず(今回は縁がなかった)
by きたろう (2019-09-30 07:06)