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講演会受講記「遺伝子から見た古代のイヌ」 その2 [講演会]
前回の予告編的な記事から大分間が空いてしまいましたが、今回から実際の講演を要約して紹介します。
講師3名の講演がありましたが、今回はトップバッターの市川考古博物館の方からの「イヌの骨の発掘場所」についての講演を紹介いたします。
◆◇演題1、イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは◆◇
講師:市立市川考古博物館 山路直充氏
(同館を2年前に退職、現在再雇用中との由)
■イヌの骨発見のきっかけ
個人住宅の事前調査として、1984年(昭和59年)8月~10月の発掘された。
■第6地点とは?
イヌの骨は、市川市の須和田遺跡の第6地点から出土した。
この付近から、「博士館」銘の墨書土器が出土したことから、国府で儒教を教えた国博士の屋敷があったものと考えられる。
(第6地点の北東約600mのところに、国府の中心的建物があったと推定されている)
■遺跡第6地点
次の遺跡が出土した
❖竪穴建物4棟(5C末から7C)
❖土坑3口・・・古代(時期不詳2口)、8C後半1口
❖イヌ、ウシ、ウマ(の骨)、貝層、土錘30点以上
■3号土坑から出土した遺物
❖形・大きさ・・・下図参照
❖用途・・・当初は貯蔵庫として作られた。のちに、動物の埋葬等として使われた。
❖堆積状況、イヌ、ウシ、ウマは中層の上半部に集中する。
❖年代・・下層に7Cの土器がある以外は8Cのものである。上層に瓦があるが。これは、765~767年に発生したものと思われる。
■土坑の再利用
貯蔵穴としての利用が終わった後、壊れた土器や6号のイヌが入れられた。6号のイヌは祭祀に利用された可能性が高い。
中層出土のイヌ、ウシ、ウマは、廃棄と埋葬の場合がある。
※きたろう感想
土坑に埋められたイヌの一部は、骨の状況から見て、捨てられた推定されるとのことで、当時は、全部のイヌが必ずしも埋葬されということではないということで、現在の犬に関する態度と大いに異なると感じた。
講師3名の講演がありましたが、今回はトップバッターの市川考古博物館の方からの「イヌの骨の発掘場所」についての講演を紹介いたします。
◆◇演題1、イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは◆◇
講師:市立市川考古博物館 山路直充氏
(同館を2年前に退職、現在再雇用中との由)
■イヌの骨発見のきっかけ
個人住宅の事前調査として、1984年(昭和59年)8月~10月の発掘された。
■第6地点とは?
イヌの骨は、市川市の須和田遺跡の第6地点から出土した。
この付近から、「博士館」銘の墨書土器が出土したことから、国府で儒教を教えた国博士の屋敷があったものと考えられる。
(第6地点の北東約600mのところに、国府の中心的建物があったと推定されている)
■遺跡第6地点
次の遺跡が出土した
❖竪穴建物4棟(5C末から7C)
❖土坑3口・・・古代(時期不詳2口)、8C後半1口
❖イヌ、ウシ、ウマ(の骨)、貝層、土錘30点以上
■3号土坑から出土した遺物
❖形・大きさ・・・下図参照
❖用途・・・当初は貯蔵庫として作られた。のちに、動物の埋葬等として使われた。
❖堆積状況、イヌ、ウシ、ウマは中層の上半部に集中する。
❖年代・・下層に7Cの土器がある以外は8Cのものである。上層に瓦があるが。これは、765~767年に発生したものと思われる。
■土坑の再利用
貯蔵穴としての利用が終わった後、壊れた土器や6号のイヌが入れられた。6号のイヌは祭祀に利用された可能性が高い。
中層出土のイヌ、ウシ、ウマは、廃棄と埋葬の場合がある。
※きたろう感想
土坑に埋められたイヌの一部は、骨の状況から見て、捨てられた推定されるとのことで、当時は、全部のイヌが必ずしも埋葬されということではないということで、現在の犬に関する態度と大いに異なると感じた。
講演会受講記「遺伝子から見た古代のイヌ」(市川市) [講演会]
超久しぶりに投稿します。
コロナが第8波が収束しつつあり、久しぶりに「ジム(水泳)」以外の活動に取り組みましたので紹介いたします
●2023年2月19日市川考古博物館主催の「遺伝子から見た古代のイヌ」と言うテーマの後援会が行われ聴いてきました(事前申し込み制)
■チラシ
#01、チラシの写真
◆開催趣旨
市川市広報に、本展示会及び講演会の案内がありましたのでそのまま転載します。
❖市川市広報・・・「歴史と文化の散歩道 Vol.117」
『遺伝子からみた古代のイヌ―須和田遺跡出土の11匹のイヌ―』
1984(昭和59)年の夏から秋にかけて、須和田で210平方メートルほどの小規模な発掘調査が実施されました。確認された遺構は竪穴建物が四棟と土坑(竪穴)が三口でした。
竪穴建物の年代は五世紀末~七世紀で、それは古代の須和田を考える上で貴重なのですが、それ以上に注目すべき発見が八世紀後半の一口の土坑からありました。11匹ものイヌの骨が出土したのです。奈良時代のイヌの骨が、これだけまとまって出土したのはまれな出来事です。
※#02、土坑の写真
※#03、イヌの骨出土状況の写真
発掘の成果は、1989(平成元)年の考古博物館の企画展で紹介し、1992(平成4)年に本市教育委員会が刊行した報告書にまとめられました。一部の研究者を除き、その後は注目されることもなく収蔵されて今日に至りました。
昭和、平成と時は移り、令和の現在、科学技術の進歩により新たな視点でこのイヌの骨を取りあげることができるようになりました。遺伝子による分析です。
考古博物館では今年度の企画展にあわせ、この11匹のうち遺伝子が採取可能な7匹と曽谷の向台貝塚から出土した縄文時代の1匹のイヌの分析を行いました。奈良時代のイヌの遺伝子分析は全国でも初の試みです。須和田遺跡は下総国府の一部を構成する遺跡ですので、国府でのイヌの飼育という問題も絡んできます。
今回の分析では、すでに失われた毛色、耳や尻尾などの形などイヌの復元に関する具体的な情報をはじめ、日本における縄文時代と奈良時代のイヌの関係などが判明し、古代のイヌの飼育にも光をあてることができました。
奈良時代の市川にはどんなイヌがいたのか。詳しくは2月12日(日)~3月26日(日)に歴史博物館を会場とした考古博物館の企画展で展示しますので、たくさんのご来場をお待ちしています。2月19日(日)には今回の分析に携わった先生方の講演も予定しています。
(考古博物館 山路直充)
■講演会演題及び講師
【レジュメ】
日時 2023年2月19日(日)13 : 00~16 : 30
会場 メディアパーク市川グリーンスタジオ(市川市鬼高)
主催 市立市川考古博物館
❖13 : 00・・ 開演 市立博物館 館長 挨拶
❖13 : 05 ~13 : 30
イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは・・ 市立市川考古博物誼 山路直充
※#04、山路直充氏写真
❖13 : 30~14 : 30
須和田遺跡のイヌが語るもの・・國學院大學 山崎京美先生
※#05、山崎京美氏写真
❖14 : 50 ~15 : 50
金沢大学覺張隆史先生・・「遺伝子からみたイヌの歴史」
※#06、覺張隆史氏写真
❖16:00~16 : 30
トークセッション・・覺張先生、山埼先生、司会山路
※講師3人の動画
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
覺張隆史氏
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
山崎京美氏
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
山路直充氏
※公演の具体的内容の紹介は次回で行います。
END
コロナが第8波が収束しつつあり、久しぶりに「ジム(水泳)」以外の活動に取り組みましたので紹介いたします
●2023年2月19日市川考古博物館主催の「遺伝子から見た古代のイヌ」と言うテーマの後援会が行われ聴いてきました(事前申し込み制)
■チラシ
#01、チラシの写真
◆開催趣旨
市川市広報に、本展示会及び講演会の案内がありましたのでそのまま転載します。
❖市川市広報・・・「歴史と文化の散歩道 Vol.117」
『遺伝子からみた古代のイヌ―須和田遺跡出土の11匹のイヌ―』
1984(昭和59)年の夏から秋にかけて、須和田で210平方メートルほどの小規模な発掘調査が実施されました。確認された遺構は竪穴建物が四棟と土坑(竪穴)が三口でした。
竪穴建物の年代は五世紀末~七世紀で、それは古代の須和田を考える上で貴重なのですが、それ以上に注目すべき発見が八世紀後半の一口の土坑からありました。11匹ものイヌの骨が出土したのです。奈良時代のイヌの骨が、これだけまとまって出土したのはまれな出来事です。
※#02、土坑の写真
※#03、イヌの骨出土状況の写真
発掘の成果は、1989(平成元)年の考古博物館の企画展で紹介し、1992(平成4)年に本市教育委員会が刊行した報告書にまとめられました。一部の研究者を除き、その後は注目されることもなく収蔵されて今日に至りました。
昭和、平成と時は移り、令和の現在、科学技術の進歩により新たな視点でこのイヌの骨を取りあげることができるようになりました。遺伝子による分析です。
考古博物館では今年度の企画展にあわせ、この11匹のうち遺伝子が採取可能な7匹と曽谷の向台貝塚から出土した縄文時代の1匹のイヌの分析を行いました。奈良時代のイヌの遺伝子分析は全国でも初の試みです。須和田遺跡は下総国府の一部を構成する遺跡ですので、国府でのイヌの飼育という問題も絡んできます。
今回の分析では、すでに失われた毛色、耳や尻尾などの形などイヌの復元に関する具体的な情報をはじめ、日本における縄文時代と奈良時代のイヌの関係などが判明し、古代のイヌの飼育にも光をあてることができました。
奈良時代の市川にはどんなイヌがいたのか。詳しくは2月12日(日)~3月26日(日)に歴史博物館を会場とした考古博物館の企画展で展示しますので、たくさんのご来場をお待ちしています。2月19日(日)には今回の分析に携わった先生方の講演も予定しています。
(考古博物館 山路直充)
■講演会演題及び講師
【レジュメ】
日時 2023年2月19日(日)13 : 00~16 : 30
会場 メディアパーク市川グリーンスタジオ(市川市鬼高)
主催 市立市川考古博物館
❖13 : 00・・ 開演 市立博物館 館長 挨拶
❖13 : 05 ~13 : 30
イヌ出土の須和田遺跡第6地点とは・・ 市立市川考古博物誼 山路直充
※#04、山路直充氏写真
❖13 : 30~14 : 30
須和田遺跡のイヌが語るもの・・國學院大學 山崎京美先生
※#05、山崎京美氏写真
❖14 : 50 ~15 : 50
金沢大学覺張隆史先生・・「遺伝子からみたイヌの歴史」
※#06、覺張隆史氏写真
❖16:00~16 : 30
トークセッション・・覺張先生、山埼先生、司会山路
※講師3人の動画
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
覺張隆史氏
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
山崎京美氏
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
山路直充氏
※公演の具体的内容の紹介は次回で行います。
END
地道な水泳の記録(通算2000日泳いだ) [スイミング]
私は、市内のスポーツクラブのプールに、概ね週4のペースで通い水泳をやっています。
※正面建物の3F部分にプールがあります(写真:きたろうオリジナル)
プールは25m×7コース、左サイド奥にジャグジーがあります。
(写真:スポーツクラブのHPより引用)
実際につけている「トレーニング・ノート」
このプールには2011年3月9日※から通っており、2022年4月25日で、プールで泳いだ通算日数が2,000日となりました。
※東日本大震災は2011年3月11日発生したので、このプールで水泳を始めた年月は忘れられません。
※水泳は、概ね600m泳ぎ、クロールとバックを半々で行なっています。(キックは0~100m)
陸トレとは、水泳以外のトレーニングで、1日の標準は、階段昇降(早足で)38段3往復、スクワット30回、腹筋・腕立て伏せ、各20回、ウエストひねり左右各20回、片足振り上げ左右各20~30回を目標としています。(全部実施した場合Fullと表記)
2011年当初は、25mをおよぐのがやっとの状態でしたが、2013年3月から約2年間、ここのプールのレッスンを週2回受けて、一応4泳法(クロール、バック、平泳ぎ、バタフライ)を泳げるようになりました。
距離も、クロールとバックなら、余裕で1,000m泳げます。
一時は、1日、1,500m以上泳ぎ、大会にも年2回出場していましたが、今は、週4回、500~600mの泳ぎで留まっています。
5年前くらいに坐骨神経痛を患って以来、大会にも出場していません。
今プールに行っている時間帯は、当初は常連さんが10名位居ましたが、現在はコロナの影響もあってか、常連の方は4名位と大分減ってしまいました(キッズの教室は除く)。
現在、体調良好ですが、継続的にやっている水泳のお陰だと思っています。
今後、ジム通い3,000日を目指し、水泳を続けて行きたいと思っています(^O^)/
ジム出入口付近の階段。ツツジが満開でした。
参考:トレーニングデータ
END
※正面建物の3F部分にプールがあります(写真:きたろうオリジナル)
プールは25m×7コース、左サイド奥にジャグジーがあります。
(写真:スポーツクラブのHPより引用)
実際につけている「トレーニング・ノート」
このプールには2011年3月9日※から通っており、2022年4月25日で、プールで泳いだ通算日数が2,000日となりました。
※東日本大震災は2011年3月11日発生したので、このプールで水泳を始めた年月は忘れられません。
※水泳は、概ね600m泳ぎ、クロールとバックを半々で行なっています。(キックは0~100m)
陸トレとは、水泳以外のトレーニングで、1日の標準は、階段昇降(早足で)38段3往復、スクワット30回、腹筋・腕立て伏せ、各20回、ウエストひねり左右各20回、片足振り上げ左右各20~30回を目標としています。(全部実施した場合Fullと表記)
2011年当初は、25mをおよぐのがやっとの状態でしたが、2013年3月から約2年間、ここのプールのレッスンを週2回受けて、一応4泳法(クロール、バック、平泳ぎ、バタフライ)を泳げるようになりました。
距離も、クロールとバックなら、余裕で1,000m泳げます。
一時は、1日、1,500m以上泳ぎ、大会にも年2回出場していましたが、今は、週4回、500~600mの泳ぎで留まっています。
5年前くらいに坐骨神経痛を患って以来、大会にも出場していません。
今プールに行っている時間帯は、当初は常連さんが10名位居ましたが、現在はコロナの影響もあってか、常連の方は4名位と大分減ってしまいました(キッズの教室は除く)。
現在、体調良好ですが、継続的にやっている水泳のお陰だと思っています。
今後、ジム通い3,000日を目指し、水泳を続けて行きたいと思っています(^O^)/
ジム出入口付近の階段。ツツジが満開でした。
参考:トレーニングデータ
END
鎌倉散歩Ⅰ(長谷寺・御足参り) [きたろう散歩会]
最大の趣味の一つの散歩会は、ここ2年間中断しています。第6波はピークを越え、感染者減少が続いていましたが、減少傾向も止まり、リバウンド(第7波)の兆候さえ見え始めました。
ということは、ここ数ヶ月のスパンで見れば、感染者数は今が底と考え、散歩会を挙行することにしました。
逗子に友人がいるのですが、4月5日は逗子海岸からダイヤモンド富士が観測出来るのでこの日に散歩会をやることにしました。
当日、AMは長谷寺の参拝をしました。
#01、長谷寺全景
江ノ電長谷駅から徒歩5分、丁度桜も見頃でした。
#02、「御足参り」案内の看板
今日の参拝の目玉は、この「御足参り」というお参りです。
#03、長谷寺本堂(観音堂)
#04、本堂入口
#05、十一面観音菩薩像(TV番組画像)
長谷寺のご本尊様で、高さ9m強の木像で、国内では最大級の像だそうです(堂内撮影禁止のため、TV番組(注)の画像を引用しました)
注)テレビ朝日「じゅん散歩」2022年3月21日放送
#06、御足参り(TV番組画像)
観音像の足に手を触れ、観音様に自分の願いを伝えるというのが御足参りです。コロナ禍のため像の足には手拭を介して接しています(通常であれば直接触れることが出来る)。
(画面左=高田純次さん、右=2020ミス鎌倉・中塚星来(せいら)さん
#07、桜と観音堂
#08、桜越の見晴台
#09、見晴台より由比ガ浜、逗子海岸方面を望む
#10A、見晴台より由比ガ浜のボードセーリング(静止画)
#10、見晴台より由比ガ浜のボードセーリング(動画)
動画はスマホでQRコードを読取ってご覧ください。
#11、長谷寺裏山
#12、境内点描(桜)
#13、境内点描(花名不明)
#14、境内点描(桜)
#15、境内点描(和み地蔵)
#16、長谷寺山門
この後、由比ガ浜に立ち寄った後鎌倉へランチに向かいました。(続く)
#付録、御足参りで使用した手拭
<鎌倉Ⅱに続く>
ということは、ここ数ヶ月のスパンで見れば、感染者数は今が底と考え、散歩会を挙行することにしました。
逗子に友人がいるのですが、4月5日は逗子海岸からダイヤモンド富士が観測出来るのでこの日に散歩会をやることにしました。
当日、AMは長谷寺の参拝をしました。
#01、長谷寺全景
江ノ電長谷駅から徒歩5分、丁度桜も見頃でした。
#02、「御足参り」案内の看板
今日の参拝の目玉は、この「御足参り」というお参りです。
#03、長谷寺本堂(観音堂)
#04、本堂入口
#05、十一面観音菩薩像(TV番組画像)
長谷寺のご本尊様で、高さ9m強の木像で、国内では最大級の像だそうです(堂内撮影禁止のため、TV番組(注)の画像を引用しました)
注)テレビ朝日「じゅん散歩」2022年3月21日放送
#06、御足参り(TV番組画像)
観音像の足に手を触れ、観音様に自分の願いを伝えるというのが御足参りです。コロナ禍のため像の足には手拭を介して接しています(通常であれば直接触れることが出来る)。
(画面左=高田純次さん、右=2020ミス鎌倉・中塚星来(せいら)さん
#07、桜と観音堂
#08、桜越の見晴台
#09、見晴台より由比ガ浜、逗子海岸方面を望む
#10A、見晴台より由比ガ浜のボードセーリング(静止画)
#10、見晴台より由比ガ浜のボードセーリング(動画)
動画はスマホでQRコードを読取ってご覧ください。
#11、長谷寺裏山
#12、境内点描(桜)
#13、境内点描(花名不明)
#14、境内点描(桜)
#15、境内点描(和み地蔵)
#16、長谷寺山門
この後、由比ガ浜に立ち寄った後鎌倉へランチに向かいました。(続く)
#付録、御足参りで使用した手拭
<鎌倉Ⅱに続く>
ここ一番の勝負に弱い高安(田子の浦部屋所属の宿命?)2022大阪場所 [ニュース]
2022大阪場所の優勝争いは千秋楽、高安と若隆景の優勝決定戦にもつれこみ、結局若隆景が高安を上手出し投げで下し、若隆景が初優勝をものにしました。
私は、またまた、高安の「ここ一番」に弱い体質を改めて再認識させられました。
高安は、現在は平幕ですが、一時は大関まで昇り、パワーあふれる取り口で活躍していましたが、優勝経験が無いというめずらしい大関でした。怪我などで大関から陥落し、平幕まで番付を下げていましたが、ここ数場所は調子が良く、今場所は優勝街道トップ(タイ)で若隆景とともに千秋楽を迎えました。
★☆千秋楽へ12勝2敗で臨む2力士★☆
千秋楽本割り、高安は12勝2敗で阿炎との対戦でした。阿炎は、場所後半は得意のもろて突きの威力が無く連敗を重ねており、高安の好調さから言えば問題にならない相手でした。(ここで高安が阿炎に勝ち、その後の取組で若隆景が勝ったとしたら優勝決定戦、若隆景が負ければ、高安の優勝が決まるという「ここ一番」の取組である。)
ところがところがです、阿炎の一方的な突き押しで、高安は何も出来ず、土俵から突き倒されました。完敗でした。
千秋楽本割で高安の「ここ一番」に弱いもろさを見せ付けられました。
しかし、その後、若隆景も正代に破れ、高安、若隆景の優勝決定戦となりました。
優勝決定戦では、若隆景は、いつもと同じようにややポーカーフェイス的に表情は変わりませんでした、これに対し、高安は、かなり気合が入った表情で挑み、最後の塩の時は、今まで聞いたことのないような声(咆哮?)まで発し、むき出しの闘志で挑みました。
そして、立会いから、両者離れたままの攻防で、高安の方が終始優勢に展開し、たまらず、若隆景がひいたところを、追いかけるように突き押しで若隆景を土俵際に追い詰めました。土俵際、若隆景しぶとく右に俵を伝いまわりこんで、若隆景は高安の上手をつかみ突っ込んできた高安を上手出し投げで土俵下に陥落させ、勝利をものにしました。
★☆若隆景が高安を制す★☆
★☆若隆景が高安を制す(動画QRコード)★☆
★☆若隆景初優勝★☆
土俵際に追い詰めたときは、90%高安が勝てると思ったのに、残念ながら、初優勝はできませんでした。
千秋楽で、2回のここ一番に弱い体質を見せ付けられてしまいました。
若隆景のしぶとさは賞賛されるべきものですが、高安のあの闘志、土俵際まで追い詰めたあの実力、これらが備わっていても勝てないという、不運さが目立ちました。
高安は、いままでも、「ここ一番の」勝負で星を落とし、結局優勝できずにいました。
実は、高安は、田子の浦部屋に所属していますが、高安の兄弟子の稀勢の里も、同様「ここ一番に」弱い体質でした。大関昇進の頃は、関東勢ということもあり応援していましたが、大関になってから、いつもいつも「ここ一番で」敗れるので、一時応援をやめてしまいました。(横綱に上がれそうになったときはまた応援しましたが・・・)
★☆田子の浦部屋の稀勢の里と高安★☆
田子の浦部屋の稀勢の里といい高安といい、どうしてこう「ここ一番」の勝負に弱いのか(弱かったのか)?
応援しがいがありません・・・
END
私は、またまた、高安の「ここ一番」に弱い体質を改めて再認識させられました。
高安は、現在は平幕ですが、一時は大関まで昇り、パワーあふれる取り口で活躍していましたが、優勝経験が無いというめずらしい大関でした。怪我などで大関から陥落し、平幕まで番付を下げていましたが、ここ数場所は調子が良く、今場所は優勝街道トップ(タイ)で若隆景とともに千秋楽を迎えました。
★☆千秋楽へ12勝2敗で臨む2力士★☆
千秋楽本割り、高安は12勝2敗で阿炎との対戦でした。阿炎は、場所後半は得意のもろて突きの威力が無く連敗を重ねており、高安の好調さから言えば問題にならない相手でした。(ここで高安が阿炎に勝ち、その後の取組で若隆景が勝ったとしたら優勝決定戦、若隆景が負ければ、高安の優勝が決まるという「ここ一番」の取組である。)
ところがところがです、阿炎の一方的な突き押しで、高安は何も出来ず、土俵から突き倒されました。完敗でした。
千秋楽本割で高安の「ここ一番」に弱いもろさを見せ付けられました。
しかし、その後、若隆景も正代に破れ、高安、若隆景の優勝決定戦となりました。
優勝決定戦では、若隆景は、いつもと同じようにややポーカーフェイス的に表情は変わりませんでした、これに対し、高安は、かなり気合が入った表情で挑み、最後の塩の時は、今まで聞いたことのないような声(咆哮?)まで発し、むき出しの闘志で挑みました。
そして、立会いから、両者離れたままの攻防で、高安の方が終始優勢に展開し、たまらず、若隆景がひいたところを、追いかけるように突き押しで若隆景を土俵際に追い詰めました。土俵際、若隆景しぶとく右に俵を伝いまわりこんで、若隆景は高安の上手をつかみ突っ込んできた高安を上手出し投げで土俵下に陥落させ、勝利をものにしました。
★☆若隆景が高安を制す★☆
★☆若隆景が高安を制す(動画QRコード)★☆
★☆若隆景初優勝★☆
土俵際に追い詰めたときは、90%高安が勝てると思ったのに、残念ながら、初優勝はできませんでした。
千秋楽で、2回のここ一番に弱い体質を見せ付けられてしまいました。
若隆景のしぶとさは賞賛されるべきものですが、高安のあの闘志、土俵際まで追い詰めたあの実力、これらが備わっていても勝てないという、不運さが目立ちました。
高安は、いままでも、「ここ一番の」勝負で星を落とし、結局優勝できずにいました。
実は、高安は、田子の浦部屋に所属していますが、高安の兄弟子の稀勢の里も、同様「ここ一番に」弱い体質でした。大関昇進の頃は、関東勢ということもあり応援していましたが、大関になってから、いつもいつも「ここ一番で」敗れるので、一時応援をやめてしまいました。(横綱に上がれそうになったときはまた応援しましたが・・・)
★☆田子の浦部屋の稀勢の里と高安★☆
田子の浦部屋の稀勢の里といい高安といい、どうしてこう「ここ一番」の勝負に弱いのか(弱かったのか)?
応援しがいがありません・・・
END
コロナ禍の中で開催されたコンサート [演奏会]
2年以上ぶりに木内邸音楽会へ行って来ました。
★☆てこなの森・木内邸音楽会vol.106★☆
開催日:2022/3/12(土)
演奏者は、昨年の市川市新人演奏家コンクールで入賞したVn.山本栞奈(かんな)さんとVn.梅田真叶(まなか)さんです(きたろう散歩)このコンサートは、主催:市川市文化振興財団で年に数回開催されます。演奏は、旧木内邸の一室で行なわれます。演奏会場としては大変狭いので、演奏者は2~3名、客席数はコロナ前は50席ありましたが、現在は、コロナ対策で20数席に減らして行なわれています。参加者が少人数なので聴きに行きました。
※木内邸については後述します。
演奏者紹介
◎Vn.山本栞奈(かんな)さん
昨年の市川市の新人演奏家コンクール弦楽器部門最優秀賞を受賞。現在東京藝術大学音楽部3年在籍中。大谷康子氏に師事。
(福岡県出身)
◎Vn.梅田真叶(まなか)さん
同弦楽器部門優秀賞を受賞。現在東京音楽大学大学院音楽研究科修士課程1年に在学中。大谷康子氏、海野義雄氏に師事
※ヴァイオリン2本のデユオという珍しい編成のアンサンブルです。
市川市文化振興財団が主催する、室内楽で新人を起用するコンサートでは、結構ムチャブリの楽器の組み合わせでの演奏会がしばしばおこなわれます。
◇◆開場を待つ聴衆の方々◇◆(きたろう散歩)
木内邸はノスタルジックな洋館で、その旧書斎だった一室で演奏会が行なわれます。
★☆演奏終了時のお二人★☆(きたろう散歩)
演奏プログラム
①2つのヴァイオリンのための12の小品(グリエール)
Op.49より1番、2番、5番、9番、12番・・・デユオ
②無伴奏ヴァイオリンのための≪荒城の月≫の主題による変奏曲(山田耕筰)・・・山本栞奈さんソロ
③無伴奏ヴァイオリンソナタOp.115(プロコフィエフ)
第1楽章、第3楽章・・・梅田真叶さんソロ
④エチュード・カプリース(ヴィエニャフスキ)
Op.18より1番、2番、3番、4番、7番、8番・・・デュオ
選曲は、演奏者の方に任せられているようで、ミニコンサートにありがちな耳馴染みのあるクラシック有名曲ではなく、結構、技術的難曲もあり、じっくり堪能させていただきました。
★☆終演後記念撮影★☆(きたろう散歩)
左:山本栞奈さん、右:梅田真叶さん
■木内邸書斎(演奏会場)を外から撮影(きたろう散歩)
木内邸は、明治~大正時代に活躍した千葉県生まれの官僚・政治家の木内重四郎氏の別邸で、マンション建設で取り壊されることになったとき、その洋館部分のみを移築・再建した建物です。
演奏会場となった部屋は元は書斎だったそうです。
現在、木内ギャラリーとして、展示会その他イベントに利用されています。
■木内邸全景(きたろう散歩)
木内邸の北東方向より撮影。
演奏会会場となった書斎は右端。
END
★☆てこなの森・木内邸音楽会vol.106★☆
開催日:2022/3/12(土)
演奏者は、昨年の市川市新人演奏家コンクールで入賞したVn.山本栞奈(かんな)さんとVn.梅田真叶(まなか)さんです(きたろう散歩)このコンサートは、主催:市川市文化振興財団で年に数回開催されます。演奏は、旧木内邸の一室で行なわれます。演奏会場としては大変狭いので、演奏者は2~3名、客席数はコロナ前は50席ありましたが、現在は、コロナ対策で20数席に減らして行なわれています。参加者が少人数なので聴きに行きました。
※木内邸については後述します。
演奏者紹介
◎Vn.山本栞奈(かんな)さん
昨年の市川市の新人演奏家コンクール弦楽器部門最優秀賞を受賞。現在東京藝術大学音楽部3年在籍中。大谷康子氏に師事。
(福岡県出身)
◎Vn.梅田真叶(まなか)さん
同弦楽器部門優秀賞を受賞。現在東京音楽大学大学院音楽研究科修士課程1年に在学中。大谷康子氏、海野義雄氏に師事
※ヴァイオリン2本のデユオという珍しい編成のアンサンブルです。
市川市文化振興財団が主催する、室内楽で新人を起用するコンサートでは、結構ムチャブリの楽器の組み合わせでの演奏会がしばしばおこなわれます。
◇◆開場を待つ聴衆の方々◇◆(きたろう散歩)
木内邸はノスタルジックな洋館で、その旧書斎だった一室で演奏会が行なわれます。
★☆演奏終了時のお二人★☆(きたろう散歩)
演奏プログラム
①2つのヴァイオリンのための12の小品(グリエール)
Op.49より1番、2番、5番、9番、12番・・・デユオ
②無伴奏ヴァイオリンのための≪荒城の月≫の主題による変奏曲(山田耕筰)・・・山本栞奈さんソロ
③無伴奏ヴァイオリンソナタOp.115(プロコフィエフ)
第1楽章、第3楽章・・・梅田真叶さんソロ
④エチュード・カプリース(ヴィエニャフスキ)
Op.18より1番、2番、3番、4番、7番、8番・・・デュオ
選曲は、演奏者の方に任せられているようで、ミニコンサートにありがちな耳馴染みのあるクラシック有名曲ではなく、結構、技術的難曲もあり、じっくり堪能させていただきました。
★☆終演後記念撮影★☆(きたろう散歩)
左:山本栞奈さん、右:梅田真叶さん
■木内邸書斎(演奏会場)を外から撮影(きたろう散歩)
木内邸は、明治~大正時代に活躍した千葉県生まれの官僚・政治家の木内重四郎氏の別邸で、マンション建設で取り壊されることになったとき、その洋館部分のみを移築・再建した建物です。
演奏会場となった部屋は元は書斎だったそうです。
現在、木内ギャラリーとして、展示会その他イベントに利用されています。
■木内邸全景(きたろう散歩)
木内邸の北東方向より撮影。
演奏会会場となった書斎は右端。
END
松戸市坂川の河津桜 [きたろう散歩]
2022年3月6日取材
2022年3月7日アップ
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続く中、平和ボケとお叱りを受けるかも知れませんが、河津桜の撮影に行って来ました。
新聞に隣町の坂川という川の流域の河津桜が咲き始めたという記事を見て撮影に出かけました。
#01、以前から水をバックにした桜を撮りたかったので、念願が叶いました(*^_^*)
#02、
#03、
#04、定番の、青空をバックにした桜を撮ろうとしたら、急に雲が出てきてしまいました。
#05、
#06、坂川上流(西)方向
この平和な風景が、いつまでも続くといいですね!
#07、坂川下流(東)方向
#08、松戸市坂川不動橋
松戸市の市街地の真ん中を流れる坂川からのレポートでした。
2022年3月7日アップ
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が続く中、平和ボケとお叱りを受けるかも知れませんが、河津桜の撮影に行って来ました。
新聞に隣町の坂川という川の流域の河津桜が咲き始めたという記事を見て撮影に出かけました。
#01、以前から水をバックにした桜を撮りたかったので、念願が叶いました(*^_^*)
#02、
#03、
#04、定番の、青空をバックにした桜を撮ろうとしたら、急に雲が出てきてしまいました。
#05、
#06、坂川上流(西)方向
この平和な風景が、いつまでも続くといいですね!
#07、坂川下流(東)方向
#08、松戸市坂川不動橋
松戸市の市街地の真ん中を流れる坂川からのレポートでした。
ダイヤモンド富士2022春/市川港(市川市高谷新町7−1先)より [ダイヤモンド富士]
撮影日2022/2/14(月)
2022/2/16(水)アップ
ご無沙汰しています。久し振りにダイヤモンド富士の写真をアップします。
以下は、撮影日当日の実況レポという形で進行して行きます。
『一昨日の天気予報で、本日(14日)の山中湖(富士山の15km東側)の天気予報は、「雪後曇り」、その他市川から富士山までの直線上にある地域(東京、相模原)の天気予報も「雪後晴れ」で、今日は全くダイヤモンド富士を撮影する予定ではありませんでした。
念のため、朝、富士山までの直線上にあたる各地(東京、狛江、相模原、山中湖)の天気予報(15時~18時)を見るとすべて晴れに変わっていました。
急遽、本日の観測ポイント・市川港で撮影することにしました。』
#01、江戸川護岸堤防から富士山方向を望む
この場所は、市川市高谷新町7−1の先(江戸川河口の突端から堤防沿いに430m戻った所)です。
富士山方向に、薄い雲が見えますが、太陽の光が強いので、富士山がシュルエットになりダイヤモンド富士が見られると予想しました。
#02、撮影地点(市川市高谷新町7−1先)の上流側
この辺は、工場や倉庫がある工業地帯で、上流側には誰もいませんでした。(休日だと釣り人が結構いますが。)
#03、撮影地点(市川市高谷新町7−1先)の下流側
画面左側は、日鉄鋼板㈱の工場、右側の岬状の所は浦安市日の出方面。
#04、下流側にカメラマン発見
カメラマンが3名いました。
#05、富士山と反対方向
日鉄鋼板㈱の工場です。
#06、17時02分、本日のダイヤモンド富士出現時刻は17時10分ですので、8分前です。
#07、17時08分、
#08、17時10分、太陽がわずかに富士山頂に沈みました。
#09、同上写真(17時10分)クローズアップ版
#10、17時11分09秒
#11、17時11分47秒、太陽が沈むにつれ、富士山がシュルエットで浮かんで来ました。
#12、17時12分24秒
#13、17時13分01秒、太陽は、富士山の右稜線に沿って沈んで行きます。
#14、17時13分41秒、しずみきり直前。
#15、17時14分13秒、完全に沈みました。
#16、同画像(広角で)
#17、おまけ(1)東京スカイツリー方面
#18、おまけ(2)浦安市日の出方面、中央の白っぽい建物は東京ベイ東急ホテルと思われます。
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2022/2/16(水)アップ
ご無沙汰しています。久し振りにダイヤモンド富士の写真をアップします。
以下は、撮影日当日の実況レポという形で進行して行きます。
『一昨日の天気予報で、本日(14日)の山中湖(富士山の15km東側)の天気予報は、「雪後曇り」、その他市川から富士山までの直線上にある地域(東京、相模原)の天気予報も「雪後晴れ」で、今日は全くダイヤモンド富士を撮影する予定ではありませんでした。
念のため、朝、富士山までの直線上にあたる各地(東京、狛江、相模原、山中湖)の天気予報(15時~18時)を見るとすべて晴れに変わっていました。
急遽、本日の観測ポイント・市川港で撮影することにしました。』
#01、江戸川護岸堤防から富士山方向を望む
この場所は、市川市高谷新町7−1の先(江戸川河口の突端から堤防沿いに430m戻った所)です。
富士山方向に、薄い雲が見えますが、太陽の光が強いので、富士山がシュルエットになりダイヤモンド富士が見られると予想しました。
#02、撮影地点(市川市高谷新町7−1先)の上流側
この辺は、工場や倉庫がある工業地帯で、上流側には誰もいませんでした。(休日だと釣り人が結構いますが。)
#03、撮影地点(市川市高谷新町7−1先)の下流側
画面左側は、日鉄鋼板㈱の工場、右側の岬状の所は浦安市日の出方面。
#04、下流側にカメラマン発見
カメラマンが3名いました。
#05、富士山と反対方向
日鉄鋼板㈱の工場です。
#06、17時02分、本日のダイヤモンド富士出現時刻は17時10分ですので、8分前です。
#07、17時08分、
#08、17時10分、太陽がわずかに富士山頂に沈みました。
#09、同上写真(17時10分)クローズアップ版
#10、17時11分09秒
#11、17時11分47秒、太陽が沈むにつれ、富士山がシュルエットで浮かんで来ました。
#12、17時12分24秒
#13、17時13分01秒、太陽は、富士山の右稜線に沿って沈んで行きます。
#14、17時13分41秒、しずみきり直前。
#15、17時14分13秒、完全に沈みました。
#16、同画像(広角で)
#17、おまけ(1)東京スカイツリー方面
#18、おまけ(2)浦安市日の出方面、中央の白っぽい建物は東京ベイ東急ホテルと思われます。
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スポーツ広場の菜の花のミニお花畑(市川市福栄) [きたろう散歩]
2022年1月21日(金)取材
2022年1月23日(土)アップ
昨日、妻が地域新聞の情報で、地元で菜の花が咲いているところがあるとアピールしてきました。
南房総では、1月に菜の花は咲きますが、この辺で1月には咲かないので行ってみることにしました。
以下画像でランダムに紹介致します・・・
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13 この場所は、塩浜橋(行徳地区)の傍、福栄スポーツ広場の南側にあります。
#14 行徳野鳥観察舎へ通ずる道の途中にあります。
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2022年1月23日(土)アップ
昨日、妻が地域新聞の情報で、地元で菜の花が咲いているところがあるとアピールしてきました。
南房総では、1月に菜の花は咲きますが、この辺で1月には咲かないので行ってみることにしました。
以下画像でランダムに紹介致します・・・
#01
#02
#03
#04
#05
#06
#07
#08
#09
#10
#11
#12
#13 この場所は、塩浜橋(行徳地区)の傍、福栄スポーツ広場の南側にあります。
#14 行徳野鳥観察舎へ通ずる道の途中にあります。
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