神田祭り・神輿宮入見物記 [きたろう散歩]
2015/05/10(日) 取材
二年に一度の神田祭・神輿宮入りを見物して来ました。江戸時代は徳川将軍様も上覧されたということで、天下祭りとも言われます。
神田明神の氏子・108町会の神輿約100基が神田神社に神輿ごと参拝しお祓いを受ける、神田祭りのクライマックスの行事です。朝9時から、日没まで、神田明神一帯は、祭りの熱気で最高潮に盛り上がります。
#01、昌平橋交差点を通過する山車
江戸時代、神田祭りは、山車主体の祭りであったが、明治期に電線の発達に伴い衰退した。
現在山車は数基のみ練り歩く。
#02、昌平橋交差点を通過する山車
後方は、神田郵便局とJR中央線(ガード)
#03、子供神輿
子供神輿と云っても、造りは本格的で、大体の町会で保有する。
#04、神田明神下交差点
北上して来た、神輿は、この交差点で90°西に向きを変え、いよいよ神田明神に宮入りする。
(神輿の名札(鳳凰の足元にある識別表示の札)は「八番」。)
#05、神輿女子
この町会の神輿の担ぎ手は女性が多い。
(名札「三番」)
#06、神輿女子
#07、神輿女子
#08、女神輿
名札は読みとれず(かろうじて「□中」と読める。□は読みとれず)
#09、女神輿
#10、境内全景
#11、お囃子の皆様
#12、お囃子の皆様
#13、太鼓女子
境内の西側で「神田祭太鼓フェスティバル」が行われていた。
(今回、初めて見ました)
#14、太鼓女子
#15、太鼓女子
#16、太鼓女子
おまけ、拝殿前のきれいどころ
神輿の担ぎ手の表情を、アップでとらえようと思ったが、神田明神境内は、大混雑で(満員電車並み)思うように写真は撮れませんでした。
二年後、再挑戦します(・_・)
二年に一度の神田祭・神輿宮入りを見物して来ました。江戸時代は徳川将軍様も上覧されたということで、天下祭りとも言われます。
神田明神の氏子・108町会の神輿約100基が神田神社に神輿ごと参拝しお祓いを受ける、神田祭りのクライマックスの行事です。朝9時から、日没まで、神田明神一帯は、祭りの熱気で最高潮に盛り上がります。
#01、昌平橋交差点を通過する山車
江戸時代、神田祭りは、山車主体の祭りであったが、明治期に電線の発達に伴い衰退した。
現在山車は数基のみ練り歩く。
#02、昌平橋交差点を通過する山車
後方は、神田郵便局とJR中央線(ガード)
#03、子供神輿
子供神輿と云っても、造りは本格的で、大体の町会で保有する。
#04、神田明神下交差点
北上して来た、神輿は、この交差点で90°西に向きを変え、いよいよ神田明神に宮入りする。
(神輿の名札(鳳凰の足元にある識別表示の札)は「八番」。)
#05、神輿女子
この町会の神輿の担ぎ手は女性が多い。
(名札「三番」)
#06、神輿女子
#07、神輿女子
#08、女神輿
名札は読みとれず(かろうじて「□中」と読める。□は読みとれず)
#09、女神輿
#10、境内全景
#11、お囃子の皆様
#12、お囃子の皆様
#13、太鼓女子
境内の西側で「神田祭太鼓フェスティバル」が行われていた。
(今回、初めて見ました)
#14、太鼓女子
#15、太鼓女子
#16、太鼓女子
おまけ、拝殿前のきれいどころ
神輿の担ぎ手の表情を、アップでとらえようと思ったが、神田明神境内は、大混雑で(満員電車並み)思うように写真は撮れませんでした。
二年後、再挑戦します(・_・)