初日の出と初詣/真間山(ままさん)弘法寺(ぐほうじ)(市川市) [きたろう散歩]

2014年1月1日(水) 取材

市内で、初日の出が観測出来る場所は何箇所かありますが、今年は、真間山弘法寺から観測することにしました。

#01、例年に無く暖かい正月で、吐く息もわずかに白くなる程度でした。6時53分、南東の方向に太陽が昇り始めました。
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#02、6時55分12秒
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#03、6時56分41秒
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#04、撮影場所はこんなところです。(春は花見が出来ます)
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初日の出ファンが、多数集いました。

#05、弘法寺山門
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初日の出観測後、数十m移動しただけで初詣ができます。真間山弘法寺は、江戸時代には、江戸名所図絵や広重の名所江戸百景にも描かれ、紅葉の名所として有名なところでした。

#06、金剛力士 阿形(あぎょう)象・・・山門右側
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#07、金剛力士 吽形(うんぎょう)象・・・山門左側
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正月のため、ライトアップされていたので、阿形象、吽形像をはじめてはっきりと見ることができました。

#08、真間山弘法寺の史跡説明板
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山門、右手前に市川市教育委員会の真間山弘法寺の史跡説明板があります。以下、テキストに読みとったものをそっくり掲載します。

真間山 弘法寺

 弘法寺は、略縁起によると、奈良時代、行基菩薩が真間の手児奈の霊を供養するために建立した求法寺がはじまりであり、その後平安時代、弘法大師(空海)が七堂を構えて「真間山弘法寺」とし、さらにその後天台宗に転じたとされる。
 真間の地は、かつてはすぐ北に六所神社があり、国府が設置されていた古代以来の下総国の中心地であった。そのためここに古くから寺院があった可能性は高く、本来は国府と密接にかかわる寺院であったとの推測もある。
 鎌倉時代、この地に及んだ日蓮の布教を受けて、建治元年(一二七五)、時の住持了性が日蓮の弟子で中山法華経寺の開祖日常と問答の末やぶれ、日蓮宗に転じ、日常の子で六老僧の一人日頂を初代の貫首としたと伝える。
 鎌倉末期の元亨三年(一二二三)には千葉胤貞により寺領の寄進を受け、延文三年(一三五八)の日樹置文によれば葛飾郡一帯や千田庄(多古町)に多くの寺領や信徒を擁していたことが知られる。また室町・戦国時代には山下に真間宿または市川両宿といわれる門前町が発展し、賑わいをみせていた。
 天正十九年(一五九一)、徳川家康より朱印地三〇石を与えられ、元禄八年(一六九五)には水戸光圀も来訪したと言われる。
 江戸時代は紅葉の名所として知られ、諸書に真間山弘法寺の紅葉狩りのことが記されているが、明治二一年(一八八八)の火災のため諸堂は焼失してしまった。その後明治二三年(一八九〇)に再建され、現在に至っている。
 境内には、日蓮の真刻と伝える大黒天をまつる太刀大黒尊天堂、水戸光圀が賞賛して名づけたといわれる遍覧亭、袴腰の鐘倭、仁王門、伏姫桜とよばれる枝垂桜があり、小林一茶、水原秋桜子、富安風生などの句碑がある。

   平成十八年三月     市川市教育委員会

#09、祖師堂
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この祖師堂は、数年前(2010年)に建て替えられた新しいものです。

#10、太刀大黒天像(祖師堂内に安置)
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#11、祖師堂扉に貼ってあった太刀大黒天像設置のご案内
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この像は、正月期間中(1月7日まで)は、祖師堂に安置されているとのこと。
※太刀大黒天堂は境内の最西エリアに位置します。

#12、山門(裏側)
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正月期間中は、金剛力士像がライトアップされていたり、太刀大黒天像が祖師堂内に移され(公開され)ていたりと、特別なことをしているので、是非お参りに行かれては如何でしょうか(*^_^*)

最後に、一言
昨年中皆様にはいろいろお世話になりました
今年も宜しくお願い申し上げますm(__)m
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