第19回、湯しま天神坂上眺望(ゆしまてんじんさかうえちょうぼう)(冬117景) [広重・名所江戸百景]

2012/02/29(水)取材
2012/04/03(火)アップ

広重の名所江戸百景には、雪景色も数場面あります。
しかし、近年暖冬でなかなか、東京に雪は降りません。降っても、すぐに融けてしまいます。今までも、名所江戸百景の雪景色に何度か挑戦しましたが、現地に着くころには、たいてい融けてしまっていると言うのが続きました。
2月29日は、未明から雪が降っていて、チャンス到来と、撮影に出かけました。
向かった先は、湯島天神です。きたろうはJR御徒町からアプローチしました。

図#01、湯しま天神坂上眺望(広重画)(冬117景)
#01湯島天神・広重原図.jpg
安政3年(1856)4月

湯島天神はJR御徒町の西、約500mの所に在ります。地形的には、本郷台地の東端に位置します。
広重の絵で正面に二人の人物が登って来るのが見られますが、この斜面が、本郷台地の東の崖に相当します。因みに、この正面の斜面(階段)は女坂と呼称されています。絵の右下隅の階段は、斜面を東側から直登するかなり急な階段で、男坂と呼称されています。
男坂・女坂を登りきった所からの眺望はすばらしく、北西には不忍池が広がっていました。絵のタイトルは、この眺望に因んで付けられています。

#02、「湯島天神坂上眺望」の現在(パノラマ合成写真)
#02湯島天神坂上眺望panorama合成.jpg
広重の絵の視点と同じ場所(高さは大分低いが)からの現在の眺めです。現在は、周囲をビルに囲まれて、眺望はききません。
絵で見ると、階段の上(鳥居の前は)は、ちょっとした広場のように広く見えますが、実際はそれほど広くはありません。
逆に、この写真で、右隅に見える、男坂の階段は、結構ゆるく見えますが、実際の階段は広重の絵のように、かなり急な階段です。
※この写真は、パノラマ合成です。この、階段の傾斜がゆるく写っていることや、坂上の石畳が歪んで見える(実際は平らである)のは、パノラマ合成による歪みです。

#03、坂上から、西方向(境内側)を望む
#03湯島天神坂上415.jpg
この日(2月29日)は、丁度梅まつりの開催期間でしたが、今年は、梅の開花が遅れていて、梅はつぼみの状態でした。

#04、湯島天神境内から境内から東方(男坂)方向を望む
#04湯島天神坂上411.jpg
東の方向は丁度道路が東方向に伸びているので、比較的遠くまで眺められます。天気が良いと、ここから約400m東の松坂屋の本館と南館を結ぶ(空中の)連絡通路が見えます。
今日は、雪が降っていて、見えませんでした。

#05、湯島天神本社殿
#05湯島天神社殿412.jpg
こんな、雪の日にもかかわらず、お参りの善男善女は結構いました。さすが、千年以上の伝統ある神社です!

ここで、湯島天神について、本ブログのテーマの、タネ本的な人文社の「広重の大江戸名所百景散歩」の湯島天神の項の解説文を、そのまま以下に転載致します。

「広重の大江戸名所百景散歩」人文社(堀 晃明 著)1996年4月1日第1刷発行 より 湯しま天神坂上眺望(ゆしまてんじんさかうえちょうぼう)  湯島天神は湯島台地の東の突端に建っていた。この辺りの村民が、南北朝時代(1336~1392)に京都北野天満宮の分霊を勧請して祠に祀ったのがその始まりだという。  江戸時代における湯島天神は、和歌や連歌の神、芸能の神、書道の神、さらには縁結びの神として崇められ、本郷や下谷にかけての町人層の間で特別に親しまれていた。           また境内には茶店、休処、売薬屋、香具屋(こうぐや)、楊弓場、宮芝居(みやしばい)小屋などが立ち並び、門前には料理茶屋などもあって、江戸庶民の娯楽地ともなっていた。  湯島天神をとくに有名にしていたのは、富籤である。 「江戸の三富」(他は谷中感応寺・目黒不動)の一つとして、ここで毎月16日に富籤興業が行なわれた。この日は一擢千金を夢見る人々で混雑したという。  湯島天神のある台地へは、女や子供は勾配の緩やかな女坂を北から、また男は真直ぐで急な勾配の男坂を東から登った。  女坂を登り詰めた坂上から北方の景色は素晴らしく、眼下に池之端の町屋、不忍池、池の中へ突出した中島、上野の山の清水堂、寛永寺の大伽藍、さらには谷中辺りまで望むことができた。この絵はその雪景色である。また男坂の上から東方には、下谷広小路の町屋、南方には江戸湾に浮かぶ佃島の沖まで見渡すことができた。


#06~#08、平成14年5月19日撮影
#06湯島天神坂上ア.jpg
#07湯島天神坂上イ.jpg
#08湯島天神坂上ウ.jpg
10年前、同じテーマで、撮った写真です。当時は、デジカメは普及し始めの頃で、この写真はフィルムカメラで撮影したものです。
それから、この頃は、まず広重と同じ視点の場所から現在の景色を撮影するという点に興味の焦点があったため、季節は関係無しに撮っていました。そんなこともあって、これは5月に撮影しており、階段脇の梅林は青葉が茂っています。
この10年前の写真と、現在の写真を比べるとまったくと云って良いほど変わりはありません(青葉で隠れている部分は除いて)。

#09、湯島天神本社殿(平成14年5月19日撮影)
#09湯島天神社殿H140519.jpg
この時は、丁度菅原道真公・千百年大祭をおこなっていました。

#10、湯島天神境内(古写真)
#10湯島天神(古写真)B.jpg
現在は、湯島天神からの眺望は、一部(真東方向)を除いて期待できなかったので、眺望が良かった時代の古写真を、手持ち資料やその他から探しました。その結果、撮影年代は不明ですが、湯島天神境内に立つ粋筋のお姉さんの写真が見つかりました。お姉さんの丁度後方に、崖下の街並みが見下ろせるアングルで撮影されていました。
それから、湯島天神から不忍池を見下ろした写真を探しましたが、これは見つかりませんでした。やっと、ひとつだけ、明治22年建設中のニコライ堂から撮影した写真に不忍池の俯瞰写真がありました。但し、湯島天神から不忍池は約200mに対し、ニコライ堂からは1,300mと距離は異なります。

#11、建設中のニコライ堂から不忍池方向を見た写真(拡大)
#11湯島天神・不忍池遠望ブログ用.jpg
この写真は、有名な写真で、明治22年に建設中のニコライ堂の最上部から、全周360°のパノラマを撮影したものです。1月頃撮られたものと伝えられています。
※「神田まちなみ沿革図集」から転載
END

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