きたろう散歩(心乱される交響曲) [演奏会]

オーケストラのコンサートへ行って来ました。今回の演奏会は、交響曲が3曲という、一寸、ヘビーな演奏会でした。
#01演奏会場・ステンドグラス.jpg
この演奏会で、目からうろこというか、カルチャーショックというか、きたろうは、そのような経験をしました。

きたろうは、演奏を聴く前に、プログラムに書いてある曲の紹介や解説はあまり読みません(ちょっとだけ見る)。そいう主義という大層なものではなく、会場はだいたい薄暗くて、読む気がしないという理由からです。

さて、交響曲の演奏ですが、特に2番目に演奏された、オネゲルの交響曲第三番で、ややショックを受けました。
#02演奏会場・客席案内.jpg
演奏を聴きながら取ったメモを以下に掲げます。
「第1楽章→荒々しいリズムと不協和音で心地よくない。第2楽章→静かでゆったりとした曲調。西洋的とも東洋的ともつかない調べ。フルートが不思議なメロディを奏でている。第3楽章→金管群が戦場へ向かう戦士の行進を思わせる。中盤、突然穏やかな、鎮魂のような、または新しい生命の誕生を思わせるような曲調になる。最後は、フルート(ピッコロ?)の超高音のソロで終わる。」

つまり、一般の交響曲では、聴いていて、興奮させられたり、癒されたり、元気づけられたりします。この交響曲は、はっきり言って第1楽章は不協和音等不快でした。第2楽章も居心地が悪いような感じで、第3楽章(前半)は、戦いに向う兵士の恐怖感や不安感が感じられました。フィナーレの部分で、何か光明が見えて来るような、わずかな希望が見えて来るような感じで、少し救われます。

このように心乱される交響曲は、初めて聴きました。音楽と言っても、こういう聞き手を、不快にして、不安と恐怖を味あわせるような交響曲と言うのがあるんですね。カルチャーショックを受けました。

家に帰ってから、指揮者のメッセージがあり、それを読んで、なぜこの曲を演奏したかが分かりました。この選曲は、昨年・春の大震災の犠牲者に対する追悼・鎮魂の意味があったのです。
以下、指揮者(金子建志氏)のメッセージ(後半部)をそのまま掲示致します。
***********************************
オネゲルは第二次大戦の際、ナチス占領下のフランスに留まったのですが、レニングラードに留まったショスタコーヴィチ、若しくはナボレオン戦争下のウィーンを去らなかったベートーヴェンがそうであったように、戦禍の中に身を置いた作曲家の描いた戦争は、リアリティが全く違います、
お聴きになればお分かりのように、炸裂する砲弾、軍靴やキャタビラの響き、急降下爆撃や絨毯爆撃の轟音など、様々な描写が聴き採れるのですが、最も痛切に描かれているのは、その結果として奪われた何百万もの命に対する慟哭と真摯な祈りです。
今回、この交響曲を練習している際、オネゲルが描いた戦争の殺戮が、全てを蹂躙して進むあの津波の映像に重なりあっていくのを禁じ得ませんてした。
 

ここで述べたことは、あくまでも、私、個人の思いであり、追悼演奏会と銘打って拍手を禁じるようなつもりもありません。ただ、今回の曲目こ描かれている悲嘆と祈りを、大震災で奪われた尊い命の冥福を祈る気持ちと重ね合わせて、千葉フィルの一同と共に演奏させて頂ければと願っております。
2012年1月15日 金 子 建 志
************************************
#03演奏会場・ロビー.jpg
NOTE
千葉フルハーモニー管弦楽団
第27回演奏会
日時:2012年1月15日(日)13:30
場所:習志野文化ホール
指揮:金子建志
曲目:
①芥川也寸志、交響三章
②オネゲル、交響曲第三番(典礼風)
③ドヴォルザーク、交響曲第七番
END


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。