きたろう散歩
by きたろうさん
きたろうが関心のある、名所江戸百景(広重画)、コンサート、空と雲、ダイヤモンド富士、その他もろもろに関するブログです。
ブログを紹介する
きたろう散歩番外編”歌川国芳の浮世絵VS東京スカイツリー(6)(最終回)(注)
< この記事へ戻る
コメント (9)
様々な資料の比較・検証お疲れ様です。
切絵図と当時の絵を照らし合わせると色々な物が見えてくるのですね。
きたろうさんの探求心には感服致しました。
by
レッド
(2011/06/12 14:06)
はじめまして レッドさん
訪問&コメントありがとうございます。
by
きたろう
(2011/06/12 16:24)
興味深いレポートをありがとうございます。
深川江戸資料館の観覧券の裏に、凄い情報がありましたね!
私のほうは、国芳の謎の塔についての調査を中断したままになっていますが、ともかくも深川江戸資料館に行ってみなければと思い、今日は珍しく予定のない日なので行ってみようと朝から支度をしていましたが、念のため、深川江戸資料館のHPを見たら、なんと臨時休館でした(笑)。
国芳のこの画は、見ればみるほど不思議な構図ですね。
いったい視点場はどこなのかということをずっと考えているのですが、現在の日本橋中洲のあたりのどこを視点場と設定しても、構図にさまざまな矛盾が生まれます。
永代橋の長さと位置関係からいうと、問題の橋は「下ノ橋」でなければなりませんが、火の見櫓は「下ノ橋」の左側でなければおかしい。
また、当時の中洲の一番南側が視点場だとしても、「下ノ橋」はこのように正面には見えないはず。
問題の橋が「中ノ橋」と考えると、上の矛盾はほぼ解決しますが、永代橋との位置関係からは、火の見櫓はもっと右のほうに見えないとおかしい。
中洲が視点場だとすると、「上ノ橋」が正面に見えていてもおかしくないが、距離の近い「中ノ橋」が描かれていないのはおかしい。
どうもこの画には、さまざまな角度、複数の視点場から見た風景が、ひとつの風景として統合されて描かれているような気がしてなりません。
つまり、一種のキュービズムといえるのではないかと思っています。
画の主題は、近景の舟と、船底をあぶる焚き火の煙です。
その煙が上空にあやしげにただよい、その向こう側に隅田川の向こう岸が描かれていますが、国芳は煙の向こう側の世界を、空間が歪んだ異界として描いているのかもしれませんね。
by
お水番
(2011/06/14 12:04)
お水番さん コメントありがとうございます。
きたろうは、深川江戸資料館の観覧券の裏面の絵を見てからは、国芳の描いた墨田川の対岸の様子は、国芳の現実の基づいた虚構と割り切っています。多分正確な縮尺で対岸を描くと家などがもっと細かくなって、絵としての美術性に欠けてしまうと考えられます。
by
きたろう
(2011/06/14 20:01)
私も、「現実に基づいた虚構」というお説に同感です。
火の見櫓も、井戸掘りの櫓も、橋も、確かにあったのでしょう。川岸の町並みも、無かったものを書いているわけじゃない。
書かれているものは全て、そこにあったのだと思います。
でもたぶん、そのレイアウトやサイズは再構築されている。
そこに何か理由があるのでしょうね。
今、気になっているのは、三つ股の中洲は、伊達公による遊女・高尾惨殺の舞台だった場所だということと、落語の「反魂香」(これを炊くと、遊女・高尾の幽霊が出てくる)。
長屋の八五郎が、反魂香かと思って買い求めた「越中富山の反魂丹」を炊いてむせ返り・・・という噺。
国芳が描いた「船底をあぶる焚き火の煙」の裏側には、反魂香を炊く噺があって、遊女・高尾の幽霊を招く煙が仙台堀の空を覆っている、というような設定があるのかもしれません。
by
お水番
(2011/06/18 21:58)
国芳が描いた川岸の川幅や橋の長さは大雑把に見て2~3倍に拡大されています。きたろうはこれは、国芳の意図というより、単純に本当の縮尺では、細かくなりすぎて描き切れないためと思っています。単純に、これ以上細かく彫ることが出来ないため、絵描きと。彫り師の間には、暗黙のルールがあったと、きたろうは想像しています。
あと、煙の件は、きたろうが前にUFOでも出てきそうなと書きましたが、確かに不気味です。
今年の、5月13日(金)高尾大夫の墓がある、東浅草の春慶院に行きました。そこの説明板には、惨殺されたというのは、芝居の上の話で、身分を越えたロマンスだったというようなことが書いてありました。この墓も、伊達家が内々で金を出して建てさせたと書いてありました。
歴史の真実は、どっちなんでしょうかね?
by
きたろう
(2011/06/19 13:27)
また見に来ます。
by MARY
(2011/07/19 06:26)
きたろうさん、お見事です
実は深川江戸資料館の久染達夫さんが「門前仲町の火の見櫓」の解説に「佐賀町下の橋際」に火の見櫓があったということを書いていました
今回のきたろうさんの謎解きで確信を持つことができました
一方でこんなことも考えたのですが
調べてみると門前仲町の交差点の近くに富岡八幡の一の鳥居があってその近くにも立派な火の見櫓があったそうです
高さ18mで江戸で一番のものだったとか・・・山本一力氏「ほうき星」毎日新聞小説より
http://hokiboshi.iza.ne.jp/blog/entry/164307/
また櫓下といわれるほど当時富岡八幡の門前は岡場所として栄え深川芸者の置屋が並んでいたそうです
有峰書店新社記事
http://www.arimine.com/reprint01_ex02.html
江戸の風俗八百八店
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai2/nagai2-13.html
そうしてみると国芳が描いた火の見櫓は あるいは「深川」を象徴するシンボルとして三ツ股の向こう岸に毅然と立っていなければならないものだったのではないか?江戸の人たちにとって火の見櫓はイコール「深川情緒」であり”いなせ”だったのではないか?なんて考えてみたのですがこれはいささか深読みすぎるでしょうか(笑)
by torikera
(2011/07/22 00:07)
torikeraさんコメントありがとうございます。
国芳の絵ってすごいです。
150年もたって、愛好家の人々が、ああでもない、こうでもないといじっているんですから。
広重の絵も同様です、広重の絵は、きたろうなんかは、ああいい景色だな、ああきれいな花だな、この場所はどこなんだろう?などと思ういながら見ています。
by
きたろう
(2011/07/22 08:51)
< この記事へ戻る
アーカイブ
月別
2023年04月(1)
2023年02月(1)
2022年05月(1)
2022年04月(2)
2022年03月(3)
2022年02月(1)
2022年01月(3)
2021年11月(1)
2021年10月(1)
2021年09月(1)
カテゴリー別
未分類(14)
料理(1)
TV番組(6)
演奏会(88)
絵画鑑賞(2)
スイーツレシピ(1)
イベント情報(13)
東京スカイツリー(13)
ダイヤモンド富士(40)
歌川国芳(6)
ニュース(41)
広重・名所江戸百景(36)
散歩会(29)
きたろう散歩(57)
俯瞰撮影(1)
珍しい大気の現象(4)
広重(5)
富士山とスカイツリー..(2)
工事中(1)
グルメ(3)
演奏と舞踊(7)
空と雲(14)
スイミング(5)
博物館(0)
外環道工事(2)
エンターテーメント(3)
女性タレント(1)
ライブ・レポート(2)
きたろう散歩会(6)
天体ショー(1)
講演会(2)
きたろうさんがNice!と思った記事
知恩院 (ちおんいん)国宝の三門は..
鵲
誰にだって
蹴上インクラインから南禅寺
桜が楽しい築地、月島界隈
きたろうさんがコメントした記事
思い出のロック・不朽の名作品 Ye..
講演会受講記「遺伝子から見た古代の..
第二ステージもクリアー致しました!..
no image
畑日誌5764-セリとキヌサヤの胡..
無題
このページの上部へ
管理ページ(ログイン)
表示切替: モバイル |
PC