さだまさし市川市ゆかりの地の探索Ⅰ(寺川邸(上))ちゃんぽん食べたかっ!ネタバレあり!! [きたろう散歩]

久しぶりに投稿します。今回休んでいたのは、かなり難しいテーマのため、文献調査と現地調査で時間が取られたからです。(ちょっとオーバーですが・・・)
 また、なぜ、今の時期「さだまさし」なのかということですが、5年前、さだまさしの高校時代からプロデビューまでの出来事を素材にした、NHKのTV青春ドラマ「ちゃんぽん食べたか」が放映されました。その放映期間中に、我が地元・市川で「さだまさしミュージアム」というさだまさしに関する展示会が開催されました。この詳細は、拙ブログで2015年7月5日~7月25日の間6回に渡ってアップしました。私は、ソネブロの他にも、2~3SNSをやっていますがその一つのSNSにも、同様記事を投稿していました。その記事に、最近コメントが付き、その方と、SNS上で若干やりとりをしていました。また、9月上旬に、市川でさだまさしのコンサートがあるという情報が入り、5年ぶりに、「さだまさし」熱が再燃したからです。

 5年前、いろいろな切り口でさだまさしを取り上げましたが、その一つとして、さだまさしの第2のふるさと・市川市での、さだまさしのゆかりの地の探索しました。大学時代に住んだアパートの「平川荘」、大事な大事なヴァイオリンを質入した質屋、通った銭湯、さださんのお父様が親しく交流した畳屋さん等は、場所を特定し写真に収めました。しかし、中学3年から大学2年まで下宿をしていた寺川邸、大学時代アルバイトをした居酒屋おざわ、同ペンキ屋(上田板金塗装)等については、探索を断念していました。今回、前回、探索を断念していた場所を突き止めようと挑戦しましたので、レポしたいとおもいます。

    

#01、寺川邸にて佐田雅志と大家さんの息子朔太郎と力哉(NHKドラマより)
#01寺川邸にて雅志と寺川(寺山)兄弟.jpg
 
※NHKドラマ「ちゃんぽん食べたか」※より、佐田雅志はドラマでは佐野雅志(=演 - 菅田将暉)、大家の息子、寺川朔太郎と同力哉であるが、ドラマでは寺山朔太郎と寺山力哉となっている。(寺山 朔太郎=演 - 澤部佑、寺山 力哉=演 - 中村倫也)
※原作本のタイトルは「ちゃんぽん食べたかっ!」であるが、TVドラマのタイトルは「ちゃんぽん食べたか」と微妙に異なっています。

   




 ここで、大雑把に、さだまさしが寺川邸で暮らようになった経緯を紐解きます。 さだまさしは、昭和40年(1965年)13歳、中学入学と同時に上京しました。ヴァイオリンのプロの道をめざし、東京で一人暮らしをしながらヴァイオリンの修行をするためです。東京で、一人暮らしをしながら通学しヴァイオリンの修行もやるということですが、ご両親もずいぶんな覚悟で送り出したな~というのが、率直な感想です。中学時代(葛飾区立中川中学)では、最初、葛飾区四つ木のプレス工場を経営する星名家に下宿をしました。中2になる直前に、ここから、つてを頼って、前田家へ移り下宿生活を続けました。

 雅志が中2の終り、父が仕事の関係で上京しましたが、その時に、叔父が、もともと、住んでいた、市川市菅野の寺川邸の離れに、父と叔父と3人で暮らすことになりました。中川中学では、市川から四つ木への越境通学を「やむを得ない家庭の事情」ということで認めてくれました。父は、夏には長崎に帰り、翌年、叔父は結婚して、同敷地内のアパートに引越しし、ここから、雅志は寺川邸の離れでの一人暮らしが始まりました。その後、大学2年の春まで、まる5年間寺川邸で暮らしました。

   

 まず雅志(さだまさし)が市川市で最初に住んだ寺川邸の場所の特定を試みました。 前回、寺川邸の探索を断念したのは、情報不足のためで、今回は、TVドラマの原作本、NHK出版の「ちゃんぽん食べたかっ!」を読んで、情報を取り込みました。 元々寺川邸は、木場の老舗の材木問屋の経営者が、市川市菅野の敷地内に、自分の別邸や社員の寮を建てていたところです。そこの番頭を長年勤めた寺川氏が退職するときに、退職金代わりに譲り受けた土地・建物で約1,000坪の敷地があったというから、驚きです。雅志が、移り住んだ当時は、寺川氏の母屋と離れの他、アパート2棟、駐車場がありました(原作本には書いてないが、その他に借家が数棟建っていたと思われます)。、寺川邸の離れは6畳、8畳、10畳の3部屋があり、雅志は6畳の部屋に住んでいました。

   

 雅志が叔父と暮らしていた、中3の時は、毎土曜日、叔父の仲間の市川男声合唱団のメンバーがこの離れに遊びに来ました。歌ったり、食事をしたりのミニパーティになりましたが、雅志は、ギターで伴奏しました。 高校時代になると、同級生が、高校生の一人暮らしを面白がって、時々数人で泊まりに来ました。 大学1年の秋には、後にグレープのメンバー(相方)となる、吉田政美が転がり込んで来て、一緒に生活するようになるという風に、雅志は、この離れを舞台に、普通の高校生には経験できないような、波乱万丈の経験をしました。

   

#02、寺川邸にて佐田雅志と吉田政美(NHKドラマ「ちゃんぽん食べたか」より)
#02雅志と吉田(古田)政美.jpg

吉田政美は他校生であるが、雅志が高2の時に知り合った。ギターが抜群に上手くプロをめざしている。
※寺川邸(=ドラマで寺山酒造)、吉田政美はドラマでは古田 政美(=演 - 本郷奏多)。
    

建具屋の加藤さんは、寺川邸の二人の息子の弟力哉と同級生で、雅志より10歳位上の方ですが、どういうわけか雅志のところを気に入って、金欠病の雅志に、米や、インスタントラーメンを差し入れてくれる親切な兄貴分ですが、やはり、この寺川邸で出会いました。

寺川邸の離れで暮らした5年間で起こったエピソードは、もっともっと、いろいろありますが、またの機会に紹介したいとおもいます。

    

さて、寺川邸の探索ですが、原作本を読みましたが、そこから場所(住所)に関する手がかりは得られず、さだまさし展で入手した絵地図(「さだまさしゆかりの市川マップ」)が唯一のてがかりでした。

    

#03、「さだまさしゆかりの市川マップ」(部分)菅野駅&寺川邸近辺
#03さだまさしゆかりの市川マップ(部分).jpg

※2015年初夏開催のさだまさし展(さだまさしミュージアム)で配布されたマップ。 図中、「寺川邸時代」の年代表記で、寺川邸時代の終了年を1970としているが1972が正解と思われる。

    

このマップで、道路は省略や変形されていて、寺川邸の正確な位置を割り出すのは難しかった。
そこで、まず、ゼンリン電子地図上(1999年版)で大体の位置を把握することにしました。
    

#04、寺川邸場所の特定①(京成菅野駅及び日出学園付近)
#04寺川邸場所の探索①地図ベース1999年版.jpg

実際に作業してみると、寺川邸があったと推定される場所は、広すぎてピンポイントで特定するのは困難でした。
ただし、推定されたエリアは広いと言っても南北約200m×東西100mのエリアなので、1軒、1軒しらみつぶしに現地で当たり、「寺川」という家を探すという方法もあります。しかし、残念ながらこの方法は使えません。

   

次の、#05、#06の写真は、2009年9月に、日出学園幼稚園付近の外環予定地を撮影した写真ですが、2009年の段階で、この辺の住宅一帯は、買収され、更地になってしまっていたからです。
    

#05、日出幼稚園(市川市菅野2丁目21−12)から東方を望む
#05日の出幼稚園から東方を望む(2009年9月)P086.jpg

撮影日2009年9月4日
    

#06、日出幼稚園の東・外環自動車道予定地(市川市菅野2丁目18番地付近)
#06外環予定地菅野2丁目18番地付近(2009年9月)P090.jpg

撮影日2009年9月4日
    

上記2枚の撮影場所を、#07のマップ上で示しました。
    

#07、寺川邸場所の特定②(2009年に写真を撮影した場所)
#07、過去(2009年9月)に撮影した場所と方向.jpg

2009年頃のマップが無いので、現在2020年の地図を使用しましたが、2009年の実際の状況は、図4、1999年の状況とは全く異なり、外環工事の予定地にかかる家は撤去され更地になっていました。
   


#7B、写真撮影(カメラ設置場所)の位置の訂正
#07B、過去(2009年9月)に撮影した場所と方向(訂正版).jpg


この様に、2009年の段階で、すでに、寺川邸のあったと思われる辺り一帯は、外環工事予定地となって、住宅は撤去され、更地になっていて、寺川邸探しは絶望的でした。
   

寺川邸が、#04の地図上で、どこにあったのか?という命題の答えは、行き詰ってしまいましたが、ここで、起死回生の方法がピーンと浮かびました。というのは、雅志が寺川邸に住んでいた頃のこの辺の住宅地図を調べるという方法です。
 早速図書館で調べたところ、昭和41年(1966年)の住宅地図に「寺川」の家があるのを発見しました。

    

#08、寺川邸場所の特定③(1966年の市川市菅野近辺の住宅地図)
#08昭和41年住宅地図(市川市菅野近辺).jpg

※日出学園の幼稚園・小中高の校舎は、外環の工事と平行して大幅に建て替えられ1966年、1999年、2020年では、校舎の位置はまるで異なっています。
   

1966年は雅志が寺川家に来る一年前です。また、原作本「ちゃんぽん食べたかっ!」で「市川市菅野の寺川邸はこの辺りでは有名な大きい家で、ちょうど日出小学校の運動場のすぐ近くにある千坪ほどのお屋敷だった。・・・・」という記述とも一致していて、#07で示した地図の赤線で囲った場所が寺川邸であると確定しました。当時の地図は現在と住居表示が異なっていて、寺川邸の住所は「菅野町5丁目266番地」でした。
これで、寺川邸の場所の特定は大きく前進しましたが、次の段階につては、次回紹介致します。

<続く>


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