瑞鳳殿見学記(その3の補遺版) [きたろう散歩会]

2019/7/19 FRI. 取材
2020/4/14 WED. アップ

◆コロナ感染防止対策で、外出がままならず、はからずも時間が出来、SO-NETブログで気になっていたが、手付かずだったことについて作業を始めています。
その、第一弾として、2019年10月4日にアップした「瑞鳳殿見学記(その3)」について、今回補遺版をアップすることにしました。
2019年10月4日以降の調査で、前回、参考写真としてアップ出来なかった写真、または、アップしたが誤ったメージでアップした写真に関し、今回、補遺版として、より正確な写真(またはイラスト)をアップしたいと思います。


<補遺版本文開始>
前回は「瑞鳳殿見学記(その2)」、瑞鳳殿の”臥龍梅”まで、やってきました。(臥龍梅は、瑞鳳殿の手前向かって左側(東側)に位置します)
臥龍梅のさらに左(東側)に、瑞鳳殿資料館があります。

#29&#30、瑞鳳殿資料館全景
#29瑞鳳殿資料館全景ウイキペディアより.jpg

#30瑞鳳殿資料館(公式HPより).jpg
引用:#29はウイキペディアより、#30は瑞鳳殿ホームペジより

#31、瑞鳳殿資料館内部
#31瑞鳳殿資料館内部(公式HPより).jpg
※本写真は、瑞鳳殿ホームページより引用
資料館の奥の隅で、伊達政宗に関するビデオが放映されていました。タイトルは2本あり、各々16分位のビデオでした(1本は、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するもの(タイトル失念)、もう1本は、確か「政宗公と仙台」というタイトルだった。)
このうち、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿に関するビデオの一部の音声のみを録音しました。

#32、瑞鳳殿案内音声
今回の見学記その3では、このビデオの音声の内容に沿って、レポを進めて行きたいと思います。以下の写真#33から#55は、音声の内容に沿ったものを、ネット上から探して転載したものです。これらの写真は、資料館内の展示物ともほぼ共通するものでした。
◆つまり、このビデオ音声を再生し、同時に以下の写真#33から#55を順次見るようにすると、「紙芝居」を見るがごとく、「瑞鳳殿」、「発掘された政宗の遺骨」、「政宗の副葬品」等に関する写真を鑑賞できます(約7分間)。
※資料館内は撮影禁止で、資料館の展示物を撮影し、その写真をアップするというわけにいかないので、このような試みをしました。


#33、瑞鳳殿正面
#33瑞鳳殿(オリジナル写真).jpg
※音声13秒~:「仙台藩祖伊達政宗の御霊屋瑞鳳殿。」
※撮影:江戸川きたろう

#34、焼失前の瑞鳳殿
#34焼失前の瑞鳳殿.jpg
※音声17秒~:「江戸初期に於ける桃山様式のキョウテンチ(?)として1931年(昭和6年)国宝に指定された。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ

#35、焼失前の感仙殿
#35感仙殿(焼失前).jpg
※音声24秒~:「二代目伊達忠宗の御霊屋感仙殿。瑞鳳殿と共に国宝指定。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ

#36、善応殿
#36善応殿(現在のものをモノクロ表示).jpg
※音声34秒~:「三代藩主伊達綱宗の御霊屋善応殿。」
※撮影:江戸川きたろう/モノクロ写真ですが、焼失前の写真ではありません。(画像の流れの雰囲気を保つため、当日撮影した写真をモノクロ化したもの。)

#37、仙台空襲の後の焼け野原
#37仙台空襲の後の焼け野原.jpg

※音声42秒~:「創建当時から伝えられた華麗な姿は、1945年(昭和20年)7月10日の仙台大空襲によって、惜しくも消失した。」
※引用:ウイキペディア

#38、瑞鳳殿焼失跡に建てられた政宗の墓標(前回アップの写真と異なります=補遺版固有の写真)
#38、瑞鳳殿焼失跡に建てられた墓標(合成写真)補遣版.jpg
瑞鳳殿焼失跡に建てられた墓標の写真は、ネット上に公開されていませんでした。
2019年10月20日、宮城図書館の蔵書に、この写真を発見し、図書館にコピーを依頼しましたが、著作権の関係で、コピー依頼は受理されませんでした。
従って、その写真の墓標と厨子台石(注)の部分を模写し、それに基づき上記のイメージ写真を合成しました。
注)厨子台=瑞鳳殿は、お堂の中に厨子があり、その中に、政宗の木造が安置されています
(ご遺体は、地下の石室内に安置)。その厨子の土台となる石組みを厨子台石と言います。


#39、瑞鳳殿再建事業(ナレーションのみ)
#39瑞鳳殿再建事業.jpg

※音声1分06秒~:「御霊屋の再建は、1974年(昭49)瑞鳳殿再建期成会着工から、財団法人「瑞鳳殿」に引き継がれ、1985年(昭60)完成を見るに至った。」

#40、瑞鳳殿発掘作業
#40瑞鳳殿発掘作業.jpg

※音声1分21秒:「この御霊屋再建事業の一環として行われた遺跡の発掘調査では、大名のソウコウ(ソウホウ?)を知る上で大きな成果を上げた。※引用:瑞鳳殿ホームページより
     

#41、発掘作業&遺骨調査の調査団
#41伊東信雄鈴木尚東北大学歯学部.jpg
※音声1分32秒~:「遺跡の発掘調査は、東北大学名誉教授 伊東信雄氏を団長とし、また遺骨の調査は東京大学 鈴木尚(ひさし)氏と東北大学歯学部を中心に進められた。」
※引用元

◆伊東信雄氏画像・・・多賀城市の文化財/古今往来-たがじょう人物伝

http://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/shiseki/bunkazai/salon/jinbutsuden.html
◆鈴木尚氏画像(1955年)・・・ウイキペディアより

◆東北大学歯学部(1964年)・・・東北大学関係写真データベース / 歯学部設置の認可の知らせに乾杯する歯科医局員
http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-b.php?id=D15-1-027-003&instg=&areag=03&sbjg=&yrsg=
    

#42、瑞鳳殿・感仙殿・善応殿発掘調査
#42瑞鳳殿感仙殿善応殿発掘調査.jpg
※音声1分48秒~:「1974年(昭49)瑞鳳殿、1981年(昭56)感仙殿及び善応殿・第一次、さらに1983(昭58)善応殿第二次調査が実施されました。」
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ

    

#43、瑞鳳殿発掘作業の開始(ナレーションのみ)
#43瑞鳳殿発掘作業.jpg
※音声2分27秒~:「仙台藩祖伊達政宗の御霊屋瑞鳳殿の遺跡の発掘調査は1974年(昭49)9月25日から開始された。」
  

#44、伊達政宗の墓室
#44伊達政宗の墓室.jpg
※音声2分43秒~:「10月2日、本殿床面下120cm、中央やや北側の位置で、墓室・墓石に到達。内部の調査は、翌3日から行われた。」
※撮影:江戸川きたろう(涅槃門の手前にある、説明板の墓室部分を拡大表示)

   

#45、座棺と葬式神輿(参考写真)
#45政宗埋葬関連写真.jpg
※音声3分07秒~:「遺体は石灰を詰められた、楕円形の木製座棺に納められ、籠に載せられていた。」
※引用元・・・座棺・葬式神輿/らじ☆カン | らじ☆カン | SBC信越放送
https://sbc21.co.jp/blogwp/radikan/article/15155
 

#46、副葬品の出土状況
#46副葬品出土状況.jpg
※音声3分17秒~:「墓石の西側には武具をはじめ、文具などの副葬品が納められていた。」
※引用元・・・政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2): funny 一時 serious のち interesting
http://arcadia.cocolog-nifty.com/nikko81_fsi/2014/10/--402-cce8.html
  

#47、葛の蒔絵の文箱
#47葛の蒔絵の文箱.jpg

※音声3分25秒~:「副葬品が取り出される。葛の蒔絵をほどこした文箱。桃山風の模様が×××××。」
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ

  

#48、糸巻き太刀
#48糸巻太刀.jpg
※音声3分36秒~:「長さ106cmの糸巻太刀葵と桐の家紋を蒔絵で交互に散らしています。」
※引用元・・・瑞鳳殿ホームページ

  

#49、政宗の遺骨
#49政宗の遺骨.jpg
※音声3分51秒~:「政宗の頭骨が取り出される。遺骨は保存が良くほぼ完全に残っていた。」
※引用元・・・いかめし Twitter પર: "#真田丸 #伊達政宗 #独眼竜 伊達政宗公の墓所が開けられ(昭和49年)遺骨を調査した結果、身長159.4cm、血液型B型、彫りの深い美男子 だそうです。 (大河「独眼竜政宗」より)

https://twitter.com/kumamiso_beix/status/750110363174055936?lang=gu
  

#50、政宗の遺骨1
#50政宗の遺骨1.jpg
※音声4分12秒~:「遺骨の調査は東京大学名誉教授 鈴木尚(ひさし)氏と東北大学歯学部で行われた。政宗の身長は159.4cm血液型はB型と判明した。」
※引用元:

◆鈴木尚氏(1963年)・・・日本の人骨発見史4.大浦山洞穴(弥生時代):弥生時代の食人 - 人類学のススメ
https://blog.goo.ne.jp/garfsn1958/e/c71fd757e4d14d40a49ccae9031e0c9e
◆東北大学歯学部・・・#41と同じ

◆政宗遺骨(いろいろな部位)・・・独眼竜政宗/遺骨は語る・・・最後のカルテ - ひーさんの散歩道
https://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/f935cb63363bd560be7b69b761c548c4
  

#51、政宗の遺骨2
#51政宗の遺骨2.jpg
※音声4分30秒~:「頭骨は、長頭型に属し、顔面は面長で現代的な顔立ちであったと推定される。」
◆左上・・・#50と同じ

◆右上・・・瑞鳳殿パンフレットより
◆きたろうコメント・・・再現された、伊達政宗の顔は、きたろう個人としては、草刈正雄と中井貴一とを足して2で割ったような顔と直感的に思ったが、如何でしょうか?
  

#52、政宗副葬品・鎧と兜
#52政宗副葬品鎧と兜.jpg
※音声4分47秒~:「発掘調査と平行して副葬品の整理作業が行われた。鉄黒漆五枚胴具足。六十二点筋兜。前立の一部と見られる金箔の残片が墓室内より発見されている。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ

  

#53、政宗副葬品・文鎮とブローチ
#53政宗副葬品文鎮とブローチ.jpg
※音声5分22秒~:「龍のツマミをつけた青銅製の文鎮。
黒漆地葛蒔絵文箱の中に、墨、筆と共に納められていた。
金製のブローチ。日本在来の装飾品には、類例が無く、カトリック教徒が使用している携帯用ロザリオと思われる。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ

  

#54、政宗の副葬品・懐中日時計とキセル(補遺版固有写真)
#54副葬品懐中日時計キセル.jpg

※前回アップしたとき、「懐中日時計の写真」がネット上で見当たらず、アップできませんでした。2019年10月20日に再訪したときに、資料館に展示してある現物を模写し、それをイラスト化したものを今回アップしました。

※音声5分50秒~:「懐中日時計テンチシャク(?)。4cm角文字板を青銅製の針が時を指し示す。
キセル。キセル箱に収納されていた状況から推定して、がん首と吸い口を装着した場合、ゆうに60cmを越える長キセルとなる。」
※引用:瑞鳳殿ホームページ

  

#55、空の石室と副葬品の再埋葬
#55空の石室と副葬品の再埋葬.jpg
※音声6分23秒~:「墓室は凝灰岩の板石48個から成り、内法で、東西約180cm、南北約120cm、深さは145cmであった。
側面の板石はホンザでカイマキの手法(?)で構築されていた。
◆1974年10月14日瑞鳳殿遺跡発掘調査が終了。翌1975年5月24日学術調査を終えた遺骨は、修復された墓室に、再び埋葬され、再建工事へと引き継がれた。」

※引用・・・講演会:政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2): funny 一時 serious のち interesting
http://arcadia.cocolog-nifty.com/nikko81_fsi/2014/10/--402-cce8.html
  

#56、エンディング
#56瑞鳳殿その3エンディング表示B.jpg

※音声7分09秒~・・・ナレーション中断分09秒・・・ナレーション中断

※音声7分18秒~:♪~音楽開始
◆◆ここで瑞鳳殿見学記(その3)の音声案内は終了です。◆◆

音声7分28秒・・・
ナレーション「2代藩主、伊達忠宗の御霊屋感仙殿の発掘調査は・・・」は、瑞鳳殿見学記(その4)としてアップ予定です。
<続く>


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