狛江市立古民家園(むいから民家園)滞留記 [きたろう散歩]
2015/10/3(土) 取材
SNSの友人が狛江市で演奏会を行うので、聴きに行くことになったが、夕方からなので、早めに行って狛江市内を散策でもしようと思いました。ネットの地図を開き、どこか良いとこないかな~と探したところ、駅から西方約700mのところに「むいから民家園」というのが目につきここへ行くことにしました。
駅から歩いて「むいから民家園」の該当の場所に行ったら「狛江市立古民家園」の看板がかかっていたのでここだと思い入りました(入場無料)。
#01、古民家園入口(1)
園内左手の建物は、管理棟です。
あとで分かったのですが、「むいから」とは「麦殻」のことで、屋根材に使う麦殻の音便だということでした。
#02、古民家園入口(2)
園内右手に、昔の農家の建物が見えます。
狛江市立古民家園住所・・・東京都狛江市元和泉2-15-5
#03、狛江市の地図(古民家園と演奏会場の位置等)
#04、むいから村役場=古民家園管理棟
演奏会は夕方5時開演で、現在時刻は2時42分なので、時間はたっぷりあります。
#05、管理棟脇にある、園内の説明板
この説明板には、園内の二つの主要建物、「農家の主屋」と「長屋門」の
概要が描いてあります。
※丁度、説明板の面上に、木の葉の影がかかり、明度の濃淡が強いので、この写真は大幅にレタッチしてあります。
#06、荒井家住宅(1)
#07、荒井家住宅(2)
#08、荒井家住宅(3)
#09、荒井家住宅(4)
庭には、人口の池と小川が造られ、子供たちの格好の遊び場となっていました。(池には、ヤゴが生息しているらしい。)
#10、荒井家住宅主屋の復元経過の説明板(住宅の台所に掲示されている)
#11、復元された荒井家住宅の間取り
※#10の写真を拡大
荒井家住宅は、かつて元和泉一丁目に所在し、江戸時代後期頃に建築されたと考えられます。(#03の地図参照)
その後、江戸末期と明治期に大幅な改築が行われましたが、復元は、江戸末期の「角屋(つのや)」と呼ばれる、住宅形式のものに復元しました。(#11の間取り参照)
平成4年小田急小田原線の立体交差及び複々線化事業に伴い、荒井家住宅は解体保存されていましたが、平成14年に当地に移築されたとのことです。
※管理棟脇の説明板から抜粋
※#05の説明板及び#10の説明板の内容は、本ブログ末に、テキストにして掲載していますので、詳細はそちらをご覧ください。
#12、移築前の荒井家住宅主屋
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したものです。
#13、庭の一角に井戸あり
井戸の脇にある看板に「井戸の水は飲まないでください」と書いてある。
#14、旧高木家長屋門(1)庭側から見た写真
長屋門とは、主に武家の屋敷門として造られ、門の両脇に長屋を設けたものです。農村でも、名主など、格式のある家に、建てられることかありました。この長屋門を建てた高木家は、江戸時代に覚東村(がくとうむら)(現在の西野川一丁目近辺)(#03の地図参照)の名主を務めていました。
建築当初、写真右側(南側)は穀蔵で、左側(北側)は土間の納屋でした。屋根は、寄棟造の茅葺屋根でした。
その後、北側の納屋が馬屋になるなど、部屋の用途が変わり、改築がなされてきましたが、江戸時代に遡る貴重な建造物として、保存に向けて取り組みがなされました。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年にこの古民家園に移築・復元がなされました。
現在、市内に残る唯一の長屋門です。
※管理棟脇の説明板より抜粋。
#15、旧高木家長屋門(2)外側から見た写真
柱の下部の色の違う部分は、補修の跡である。
#16、旧高木家長屋門(3)外側から見た写真
#17、「旧高木家長屋門 修理記」説明板
※ここに表示された内容は、ブログ末にテキストで掲載しました。
#18、移築前の高木家長屋門
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したもの。
園内の写真は30分程で撮り終え、演奏会が始まるまで、子供たちが遊ぶのを見ながら、本を読んで過ごしました。
●以下、各説明板に記載の文章をテキストにしたものを掲載します。
❖管理棟脇の旧荒井家住宅主屋の説明文
狛江市指定文化財(建造物)
旧荒井家住宅主屋
指定年月日 平成3年11月12日
この古民家は、かつて元和泉一丁目に所在し、江戸時代後期頃に建築されたと考えられます。泉龍寺の山門の突き当たりにあったごとから、屋号を大門前(だいもんさき)と呼ばれていた荒井家の主屋でした。
荒井家は、江戸時代の後期、農業を家業とし、また、村方の医師でもありました。
建築当初の主屋は、直屋(すごや)で、桁行7間、梁間3
間、三ツ間取りヒロマ型でしたが、江戸時代末期頃に、ヒロマの後方部を1間半拡張して角屋(つのや)とし、整形四ツ間取りに改修されました。また、養蚕のために屋根に煙出しを設けるなどの工夫が見られます。
明治時代以降には、(チャノマを間仕切ってナカベヤや小部屋を造ったり、内便所や縁側を設けています。
この古民家は、小田急小田原線の立体交差及び複々線化事業にともない解体保存され、平成14年に当地に移築されました。再建にあたってば、角屋の時期の状態に復元し、使い勝手のために縁側を設けました。土間境やザシキ、デイ境の柱を切って差鴨居を入れたり、ザシキに京呂組 (きょうろぐみ)の梁組が使われていることなどに特微がみられます。
❖管理棟脇の高木家長屋門の説明文
狛江市指定文化財(建造物)
旧高木家長屋門 附棟札1枚指定年月日 平成22年9月10日
長屋門とは、主に武家の屋敷門として造られ、門の両脇
に長屋を設けたものです。農村でも、名主など、格式のあ
る家に、建てられることかありました。この長屋門を建てた高木家は、江戸時代に覚東村(がくとうむら)の名主を務めていました。
建築を請け負ったのは、和泉村の大工棟梁飯田栄八で、安政6年(1859)に建てられました。栄八は、地元大工として、泉龍寺の鐘楼門や山門の建築にも携わっています。
建築当初、構造は、両開きの門の南北両側に、二間四方の部屋が設けられていました。南側の部屋は、床、壁、天井に板を張りつめた穀蔵でした。北側の部屋は、土間の納屋でした。
屋根は、寄棟造の茅葺屋根でした。
その後、北側の納屋が馬屋になるなど、部屋の用途が変わり、改築がなされてきましたが、江戸時代に遡る貴重な建造物として、保存に向けて取り組みがなされました。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年に移築・復元がなされました。
現在、市内に残る唯一の長屋門です。
移築前の高木家長屋門
平成25年3月 狛江市教育委員会
❖荒井家住宅の台所に掲示してある説明板
狛江市指定文化財荒井家住宅主屋復元修理記
概 要
荒井家は、泉龍寺の表門の突き当たりにあったところから.家号を大門先といい、江戸時代の後期には、村方医師として医師、農業が家業でした。昭和2年の小田急線開通の際に屋敷内を線路が通るため、東向きの主屋を曳き屋して南向きにしました。さらに平成4年に小田急小田原線連続立体交差業および複々線化事業のために解体保存され、平成14年にこの古民家園に移築されたものです。
建築当初は、直屋(すごや)で、桁行7間、梁間3問、三ツ間取り広間型の間取りでしたが、 江戸時代未頃にヒロマの後方部を1間拡張して角(つのや)とし、整形四ツ間取りに改修しました。明治時代以降には、チャノマを間仕切ってナカベヤや小部屋を造ったり、内便所を付けています。
今回の復元は角屋の時期としました。土間境やザシキ、デイ境の柱を切って差鴨居を入れたり、ザシキに京呂組の梁組が使われていることなどに特徴がみられます。
復元工事期間 平成12年12月15目~平成14年3月15日
工事関係者
事業者 狛 江 市
1.事監理 株式会社文化財工学研究所
施 工 主屋復元工事 安藤建設株式会社
管理事務所・消火施設棟等新築工事
五幸建設株式会村,
電気設備工事 株式会社田島電興社
機械設備工事 株式会社絹山工業所
防災設備工事 八洲防災設備株式会社
植 裁 工事 株式会社.小谷野造樹
機械警備工事 綜合警備保障株式会社
間取の変遷
建築当初 広間型
18世紀末頃
<図面>
今回の復元 角屋
19世紀中頃
<図面>
解体前
平成3年
<図面>
❖長屋門に掲示してある説明文
旧高木家長屋門 修理記
名 称 旧高木家長屋門 一棟
構造および形式 木造、寄棟造り、茅葺き型鋼板葺き、
正面39.5尺(11.97m)、側面14.0尺(4.24m)
建造物の概要
高木家は江戸時代中期から覚東村(がくとうむら)の名主を務めた家で、江戸時代には高野姓を名乗っていました。屋敷内には主屋(文政10年・1827)、文庫蔵(安政元年・1854)、土蔵(安政4年・1857)があり、これらに続いて安政6年(1859)に長屋門が建てられました。長屋門建設時の当主は高野孫七、大工棟梁は和泉(いずみ)村の飯田栄八であったことが棟札から知られます。
中央を門とし、その両側に蔵屋(板床)と納屋(土間)を左右対称に配している点は長屋門の一般的な形式ですが、屋敷への進入方向であった左側面と正面のみ、軒を「せがい造り」とし、背面と右側面は土間庇を葺き降ろしている点に特徴がみられます。
工事の概要
平成11年に解体・保管した長屋門の部材を、在来の構造形式を踏襲して組み直し、併せて構造補強を施しました。旧規が判明した部分は復元を行い、柱の長さ、門の蹴放(けはなち)葺き降ろしの下屋(げや)(土間庇)、蔵屋・納屋の出入口、蔵屋の床組などを復しました。
また門の錺(かざ)り金物は補修のうえ再用し、漆仕上げを復しました。
なお、当初の屋根は茅葺きでしたが、今回の復元工事では茅葺きの形状を模した銅板葺きに整備しました。棟は「グシ瓦」を銅板で表しています。また、蔵屋・納屋の天井は構造補強による整備、ガラス戸は活用のための整備として新たに設けたものです。
復元工事期間 平成20年7月15日~平成22年1月29日
工事関係者
事業者 古狛江市
工事監理 株式会社 文化財工学研究所
施 工 長屋門復元工事 兵藤建設株式会社
電気設備工事 紺野電設株式会社
END
SNSの友人が狛江市で演奏会を行うので、聴きに行くことになったが、夕方からなので、早めに行って狛江市内を散策でもしようと思いました。ネットの地図を開き、どこか良いとこないかな~と探したところ、駅から西方約700mのところに「むいから民家園」というのが目につきここへ行くことにしました。
駅から歩いて「むいから民家園」の該当の場所に行ったら「狛江市立古民家園」の看板がかかっていたのでここだと思い入りました(入場無料)。
#01、古民家園入口(1)
園内左手の建物は、管理棟です。
あとで分かったのですが、「むいから」とは「麦殻」のことで、屋根材に使う麦殻の音便だということでした。
#02、古民家園入口(2)
園内右手に、昔の農家の建物が見えます。
狛江市立古民家園住所・・・東京都狛江市元和泉2-15-5
#03、狛江市の地図(古民家園と演奏会場の位置等)
#04、むいから村役場=古民家園管理棟
演奏会は夕方5時開演で、現在時刻は2時42分なので、時間はたっぷりあります。
#05、管理棟脇にある、園内の説明板
この説明板には、園内の二つの主要建物、「農家の主屋」と「長屋門」の
概要が描いてあります。
※丁度、説明板の面上に、木の葉の影がかかり、明度の濃淡が強いので、この写真は大幅にレタッチしてあります。
#06、荒井家住宅(1)
#07、荒井家住宅(2)
#08、荒井家住宅(3)
#09、荒井家住宅(4)
庭には、人口の池と小川が造られ、子供たちの格好の遊び場となっていました。(池には、ヤゴが生息しているらしい。)
#10、荒井家住宅主屋の復元経過の説明板(住宅の台所に掲示されている)
#11、復元された荒井家住宅の間取り
※#10の写真を拡大
荒井家住宅は、かつて元和泉一丁目に所在し、江戸時代後期頃に建築されたと考えられます。(#03の地図参照)
その後、江戸末期と明治期に大幅な改築が行われましたが、復元は、江戸末期の「角屋(つのや)」と呼ばれる、住宅形式のものに復元しました。(#11の間取り参照)
平成4年小田急小田原線の立体交差及び複々線化事業に伴い、荒井家住宅は解体保存されていましたが、平成14年に当地に移築されたとのことです。
※管理棟脇の説明板から抜粋
※#05の説明板及び#10の説明板の内容は、本ブログ末に、テキストにして掲載していますので、詳細はそちらをご覧ください。
#12、移築前の荒井家住宅主屋
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したものです。
#13、庭の一角に井戸あり
井戸の脇にある看板に「井戸の水は飲まないでください」と書いてある。
#14、旧高木家長屋門(1)庭側から見た写真
長屋門とは、主に武家の屋敷門として造られ、門の両脇に長屋を設けたものです。農村でも、名主など、格式のある家に、建てられることかありました。この長屋門を建てた高木家は、江戸時代に覚東村(がくとうむら)(現在の西野川一丁目近辺)(#03の地図参照)の名主を務めていました。
建築当初、写真右側(南側)は穀蔵で、左側(北側)は土間の納屋でした。屋根は、寄棟造の茅葺屋根でした。
その後、北側の納屋が馬屋になるなど、部屋の用途が変わり、改築がなされてきましたが、江戸時代に遡る貴重な建造物として、保存に向けて取り組みがなされました。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年にこの古民家園に移築・復元がなされました。
現在、市内に残る唯一の長屋門です。
※管理棟脇の説明板より抜粋。
#15、旧高木家長屋門(2)外側から見た写真
柱の下部の色の違う部分は、補修の跡である。
#16、旧高木家長屋門(3)外側から見た写真
#17、「旧高木家長屋門 修理記」説明板
※ここに表示された内容は、ブログ末にテキストで掲載しました。
#18、移築前の高木家長屋門
※管理棟脇の説明板の写真を拡大したもの。
園内の写真は30分程で撮り終え、演奏会が始まるまで、子供たちが遊ぶのを見ながら、本を読んで過ごしました。
●以下、各説明板に記載の文章をテキストにしたものを掲載します。
❖管理棟脇の旧荒井家住宅主屋の説明文
狛江市指定文化財(建造物)
旧荒井家住宅主屋
指定年月日 平成3年11月12日
この古民家は、かつて元和泉一丁目に所在し、江戸時代後期頃に建築されたと考えられます。泉龍寺の山門の突き当たりにあったごとから、屋号を大門前(だいもんさき)と呼ばれていた荒井家の主屋でした。
荒井家は、江戸時代の後期、農業を家業とし、また、村方の医師でもありました。
建築当初の主屋は、直屋(すごや)で、桁行7間、梁間3
間、三ツ間取りヒロマ型でしたが、江戸時代末期頃に、ヒロマの後方部を1間半拡張して角屋(つのや)とし、整形四ツ間取りに改修されました。また、養蚕のために屋根に煙出しを設けるなどの工夫が見られます。
明治時代以降には、(チャノマを間仕切ってナカベヤや小部屋を造ったり、内便所や縁側を設けています。
この古民家は、小田急小田原線の立体交差及び複々線化事業にともない解体保存され、平成14年に当地に移築されました。再建にあたってば、角屋の時期の状態に復元し、使い勝手のために縁側を設けました。土間境やザシキ、デイ境の柱を切って差鴨居を入れたり、ザシキに京呂組 (きょうろぐみ)の梁組が使われていることなどに特微がみられます。
❖管理棟脇の高木家長屋門の説明文
狛江市指定文化財(建造物)
旧高木家長屋門 附棟札1枚指定年月日 平成22年9月10日
長屋門とは、主に武家の屋敷門として造られ、門の両脇
に長屋を設けたものです。農村でも、名主など、格式のあ
る家に、建てられることかありました。この長屋門を建てた高木家は、江戸時代に覚東村(がくとうむら)の名主を務めていました。
建築を請け負ったのは、和泉村の大工棟梁飯田栄八で、安政6年(1859)に建てられました。栄八は、地元大工として、泉龍寺の鐘楼門や山門の建築にも携わっています。
建築当初、構造は、両開きの門の南北両側に、二間四方の部屋が設けられていました。南側の部屋は、床、壁、天井に板を張りつめた穀蔵でした。北側の部屋は、土間の納屋でした。
屋根は、寄棟造の茅葺屋根でした。
その後、北側の納屋が馬屋になるなど、部屋の用途が変わり、改築がなされてきましたが、江戸時代に遡る貴重な建造物として、保存に向けて取り組みがなされました。平成11年に解体され、部材を保管していたものを、平成21年に移築・復元がなされました。
現在、市内に残る唯一の長屋門です。
移築前の高木家長屋門
平成25年3月 狛江市教育委員会
❖荒井家住宅の台所に掲示してある説明板
狛江市指定文化財荒井家住宅主屋復元修理記
概 要
荒井家は、泉龍寺の表門の突き当たりにあったところから.家号を大門先といい、江戸時代の後期には、村方医師として医師、農業が家業でした。昭和2年の小田急線開通の際に屋敷内を線路が通るため、東向きの主屋を曳き屋して南向きにしました。さらに平成4年に小田急小田原線連続立体交差業および複々線化事業のために解体保存され、平成14年にこの古民家園に移築されたものです。
建築当初は、直屋(すごや)で、桁行7間、梁間3問、三ツ間取り広間型の間取りでしたが、 江戸時代未頃にヒロマの後方部を1間拡張して角(つのや)とし、整形四ツ間取りに改修しました。明治時代以降には、チャノマを間仕切ってナカベヤや小部屋を造ったり、内便所を付けています。
今回の復元は角屋の時期としました。土間境やザシキ、デイ境の柱を切って差鴨居を入れたり、ザシキに京呂組の梁組が使われていることなどに特徴がみられます。
復元工事期間 平成12年12月15目~平成14年3月15日
工事関係者
事業者 狛 江 市
1.事監理 株式会社文化財工学研究所
施 工 主屋復元工事 安藤建設株式会社
管理事務所・消火施設棟等新築工事
五幸建設株式会村,
電気設備工事 株式会社田島電興社
機械設備工事 株式会社絹山工業所
防災設備工事 八洲防災設備株式会社
植 裁 工事 株式会社.小谷野造樹
機械警備工事 綜合警備保障株式会社
間取の変遷
建築当初 広間型
18世紀末頃
<図面>
今回の復元 角屋
19世紀中頃
<図面>
解体前
平成3年
<図面>
❖長屋門に掲示してある説明文
旧高木家長屋門 修理記
名 称 旧高木家長屋門 一棟
構造および形式 木造、寄棟造り、茅葺き型鋼板葺き、
正面39.5尺(11.97m)、側面14.0尺(4.24m)
建造物の概要
高木家は江戸時代中期から覚東村(がくとうむら)の名主を務めた家で、江戸時代には高野姓を名乗っていました。屋敷内には主屋(文政10年・1827)、文庫蔵(安政元年・1854)、土蔵(安政4年・1857)があり、これらに続いて安政6年(1859)に長屋門が建てられました。長屋門建設時の当主は高野孫七、大工棟梁は和泉(いずみ)村の飯田栄八であったことが棟札から知られます。
中央を門とし、その両側に蔵屋(板床)と納屋(土間)を左右対称に配している点は長屋門の一般的な形式ですが、屋敷への進入方向であった左側面と正面のみ、軒を「せがい造り」とし、背面と右側面は土間庇を葺き降ろしている点に特徴がみられます。
工事の概要
平成11年に解体・保管した長屋門の部材を、在来の構造形式を踏襲して組み直し、併せて構造補強を施しました。旧規が判明した部分は復元を行い、柱の長さ、門の蹴放(けはなち)葺き降ろしの下屋(げや)(土間庇)、蔵屋・納屋の出入口、蔵屋の床組などを復しました。
また門の錺(かざ)り金物は補修のうえ再用し、漆仕上げを復しました。
なお、当初の屋根は茅葺きでしたが、今回の復元工事では茅葺きの形状を模した銅板葺きに整備しました。棟は「グシ瓦」を銅板で表しています。また、蔵屋・納屋の天井は構造補強による整備、ガラス戸は活用のための整備として新たに設けたものです。
復元工事期間 平成20年7月15日~平成22年1月29日
工事関係者
事業者 古狛江市
工事監理 株式会社 文化財工学研究所
施 工 長屋門復元工事 兵藤建設株式会社
電気設備工事 紺野電設株式会社
END
2015-10-11 05:02
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コメント(2)
ありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
by あらえり (2015-10-25 21:27)
古民家大好きなので、楽しませていただきました。
by レイン (2015-12-31 01:00)