下町クルーズ(日本橋川⇄隅田川⇄神田川)そのⅡ(復路) [散歩会]
2014/05/06(火) 取材
前回、往路からの続きです。
船は、聖橋の一寸上流でUターンしました。
#15-1、Uターン後聖橋を通過したところ(11時08分)
画面右上に覆いかぶさっている橋は、地下鉄丸ノ内線の鉄橋です。
#15-2、復路のコース図
#16、万世橋(下流より)(11時11分)
#17、柳橋を通過し再び隅田川へ(11時21分)
ここから隅田川下流へ向かわず、一旦上流へ舵を切りました。JRの鉄橋の先、蔵前橋の手前で、Uターンして下流へ向かいました。
#18、清洲橋と東京スカイツリー(下流側から)(11時33分)
#19-1、永代橋(上流から)(11時38分)
船は永代橋を下流方向に通過してからUターンし、再び永代橋をくぐって日本橋川に向かいました。
下流から上流に向けて永代橋をくぐった瞬間、はっとしました。本ブログのメインテーマ、広重の「名所江戸百景」の春の景「永代橋佃しま」(#19-2)を描いたアングルそのものであることに気付いたからです。
#19-2、歌川広重画・名所江戸百景・春四景「永代橋佃しま」
歌川広重が安政四年(1857年)に永代橋の下辺りから佃島方向を描いた絵である。漁火は、白魚漁の漁火で、遠くに茅葺の家が2棟建っている所が佃島である。この時から150年~160年経過した今日の橋と建物の変化は正に隔世の感がします。
#20、日本橋川へ入り豊海橋(上流より)(11時39分)
再び、隅田川から日本橋川に入りました。
#21、湊橋(上流より)(11時41分)
#22、鎧橋(上流より)(11時43分)
画面奥の緑っぽい色の橋は、茅場橋。この辺りから、高速道が日本橋川の上に覆いかぶさって来ます。
鎧橋の辺りも、広重の名所江戸百景の舞台です。しかし、江戸時代ここに橋は無く、渡し船で両岸を結んでいました。「鎧の渡し小網町(夏四十六景)」(広重の絵は割愛します。)
#23、江戸橋(上流から)(11時45分)
#24、終点日本橋(下流から)(11時46分)
ほぼ定刻どおりに日本橋乗船場に戻って来ました。「!」のマークは、「航行注意」の標識。
#25、日本橋の船着場に下船(11時50分)
この後、日本橋・京橋方面へ史跡めぐりへ出発しました。
前回、往路からの続きです。
船は、聖橋の一寸上流でUターンしました。
#15-1、Uターン後聖橋を通過したところ(11時08分)
画面右上に覆いかぶさっている橋は、地下鉄丸ノ内線の鉄橋です。
#15-2、復路のコース図
#16、万世橋(下流より)(11時11分)
#17、柳橋を通過し再び隅田川へ(11時21分)
ここから隅田川下流へ向かわず、一旦上流へ舵を切りました。JRの鉄橋の先、蔵前橋の手前で、Uターンして下流へ向かいました。
#18、清洲橋と東京スカイツリー(下流側から)(11時33分)
#19-1、永代橋(上流から)(11時38分)
船は永代橋を下流方向に通過してからUターンし、再び永代橋をくぐって日本橋川に向かいました。
下流から上流に向けて永代橋をくぐった瞬間、はっとしました。本ブログのメインテーマ、広重の「名所江戸百景」の春の景「永代橋佃しま」(#19-2)を描いたアングルそのものであることに気付いたからです。
#19-2、歌川広重画・名所江戸百景・春四景「永代橋佃しま」
歌川広重が安政四年(1857年)に永代橋の下辺りから佃島方向を描いた絵である。漁火は、白魚漁の漁火で、遠くに茅葺の家が2棟建っている所が佃島である。この時から150年~160年経過した今日の橋と建物の変化は正に隔世の感がします。
#20、日本橋川へ入り豊海橋(上流より)(11時39分)
再び、隅田川から日本橋川に入りました。
#21、湊橋(上流より)(11時41分)
#22、鎧橋(上流より)(11時43分)
画面奥の緑っぽい色の橋は、茅場橋。この辺りから、高速道が日本橋川の上に覆いかぶさって来ます。
鎧橋の辺りも、広重の名所江戸百景の舞台です。しかし、江戸時代ここに橋は無く、渡し船で両岸を結んでいました。「鎧の渡し小網町(夏四十六景)」(広重の絵は割愛します。)
#23、江戸橋(上流から)(11時45分)
#24、終点日本橋(下流から)(11時46分)
ほぼ定刻どおりに日本橋乗船場に戻って来ました。「!」のマークは、「航行注意」の標識。
#25、日本橋の船着場に下船(11時50分)
この後、日本橋・京橋方面へ史跡めぐりへ出発しました。
2014-05-17 07:18
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コメント(1)
散歩会企画だったんですね。
クルージング、楽しそうです!
by tamana (2014-05-26 22:48)