文化施設・旧片桐邸は解体(補修・再建は断念)市川市 [ニュース]
2013/04/27(土)取材
きたろうは、月一回ある歴史講座を受講していますが、今日は、その歴史講座のフィールド授業で、中山法華経寺及び周辺の寺院及び史跡の見学会がありました。(見学会のレポは割愛します。)
法華経寺のすぐそばに、旧片桐邸がありますが、震災後、公開が中止されていたのが、現在どうなっているか?フィールド授業終了後、見て来ました。(旧片桐邸住所・・・千葉県市川市中山3-15-8)
<旧片桐邸の入り口にある案内板からの抜粋>
(説明文全文は末尾(続きを読む)に掲載致しました。)
その後、旧片桐邸は、歴史講話やコンサートの会場として、市民に親しまれました。きたろうも、歴史講和とコンサート開催時に訪問したことがあります。
平成23年3月の大震災で、旧片桐邸も被害を受け閉鎖されていました。再公開に向けて、補修や建て替えを検討しましたが、莫大な費用が見込まれるため解体という結論に達したようです。
震災前の旧片桐邸
旧片桐邸の現在
旧片桐邸は、解体されていました(2013/4/27(土)撮影)
Photo by Kitarou
Photo by Kitarou 2013/4/27(土)撮影
以下旧片桐邸が、健在だったときの写真を掲載いたします(ネットからの借用掲載です)。
#04、門の上の飾り(門の上のオブジェは市内在住の彫刻家の作品。)
引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋
http://blog.goo.ne.jp/es_february/e/f288dc0a8114d926e846b281d3b59cc6
#05、玄関(引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋)
#06、洋間(1)・・・玄関、入ってすぐの所にある洋間。コンサート開催の時は、ここで演奏されました。
#07、洋間(2)
(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】2012年02月04日 (土))
http://vicroad.blog31.fc2.com/blog-entry-838.html
#08、縁側(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】)
#09、茶の間(引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋)
#10、座敷(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】)
旧片桐邸(中山文化村) 説明板全文※
旧片桐邸は、昭和13年電気器具販売業界で成功を収めた片桐勝蔵氏が建てた家屋で、木造2建て瓦葺の日本家屋です。
勝蔵氏は明治20年、東京都台東区に生まれ、石油ランプを見て「これからは必ず電気の時代が来る」と考え、明治41年に片桐勝蔵商店を創設しました。以来、関東の電気器具問屋として東京芝浦電気(現東芝)と取引したり、関西の松下電器の代理店となって東京進出に力を尽くすなど、着実に事業を拡大しました。
勝蔵氏のよき片腕には、後にヤマギワ電器を創設した山際弘文氏がいました。
勝蔵氏は、建築に趣味を持ち、中山のこの家も、安田銀行の安田和重氏の紹介で、設計者を選び、建てたものです。純和風の間取りに洋風な趣向を凝らした造りは、当時としては、モダンなものと思われます。
庭は、赤坂の通称「寅さん」と呼ばれた庭師の手によるもので、庭石は長瀞から運び入れました。
昭和36年、引退した勝蔵氏は、かねてより愛した憩いの地、市川・中山のこの家に長女照子氏と暮らし、昭和55年に亡くなりました。
平成10年10月、次女川原君江氏から、「父と姉が愛した市川・中山の土地と家を市に寄贈したい」とのお話があり、市川市は、出来るだけ たたずまいを遺しながら市民の文化活動の場として活用できるように、整備しました。
平成16年1月
市川市
※漢数字はアラビア数字に変換しました。
きたろうは、月一回ある歴史講座を受講していますが、今日は、その歴史講座のフィールド授業で、中山法華経寺及び周辺の寺院及び史跡の見学会がありました。(見学会のレポは割愛します。)
法華経寺のすぐそばに、旧片桐邸がありますが、震災後、公開が中止されていたのが、現在どうなっているか?フィールド授業終了後、見て来ました。(旧片桐邸住所・・・千葉県市川市中山3-15-8)
<旧片桐邸の入り口にある案内板からの抜粋>
旧片桐邸は、昭和13年電気器具販売業界で成功を収めた片桐勝蔵氏が建てた家屋で、木造2建て瓦葺(和洋折衷様式)の日本家屋です。昭和36年、引退した勝蔵氏は、かねてより愛した憩いの地、市川・中山のこの家に長女照子氏と暮らし、昭和55年に亡くなりました。平成10年10月、次女川原君江氏から、「父と姉が愛した市川・中山の土地と家を市に寄贈したい」とのお話があり、市川市は、出来るだけ たたずまいを遺しながら市民の文化活動の場として活用できるように、整備しました。平成16年1月 市川市
(説明文全文は末尾(続きを読む)に掲載致しました。)
その後、旧片桐邸は、歴史講話やコンサートの会場として、市民に親しまれました。きたろうも、歴史講和とコンサート開催時に訪問したことがあります。
平成23年3月の大震災で、旧片桐邸も被害を受け閉鎖されていました。再公開に向けて、補修や建て替えを検討しましたが、莫大な費用が見込まれるため解体という結論に達したようです。
震災前の旧片桐邸
旧片桐邸の現在
旧片桐邸は、解体されていました(2013/4/27(土)撮影)
Photo by Kitarou
Photo by Kitarou 2013/4/27(土)撮影
以下旧片桐邸が、健在だったときの写真を掲載いたします(ネットからの借用掲載です)。
#04、門の上の飾り(門の上のオブジェは市内在住の彫刻家の作品。)
引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋
http://blog.goo.ne.jp/es_february/e/f288dc0a8114d926e846b281d3b59cc6
#05、玄関(引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋)
#06、洋間(1)・・・玄関、入ってすぐの所にある洋間。コンサート開催の時は、ここで演奏されました。
#07、洋間(2)
(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】2012年02月04日 (土))
http://vicroad.blog31.fc2.com/blog-entry-838.html
#08、縁側(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】)
#09、茶の間(引用ブログ・・・建築ノスタルジア 郷愁への架け橋)
#10、座敷(引用ブログ・・・何カト見聞録 【建物探訪】)
旧片桐邸(中山文化村) 説明板全文※
旧片桐邸は、昭和13年電気器具販売業界で成功を収めた片桐勝蔵氏が建てた家屋で、木造2建て瓦葺の日本家屋です。
勝蔵氏は明治20年、東京都台東区に生まれ、石油ランプを見て「これからは必ず電気の時代が来る」と考え、明治41年に片桐勝蔵商店を創設しました。以来、関東の電気器具問屋として東京芝浦電気(現東芝)と取引したり、関西の松下電器の代理店となって東京進出に力を尽くすなど、着実に事業を拡大しました。
勝蔵氏のよき片腕には、後にヤマギワ電器を創設した山際弘文氏がいました。
勝蔵氏は、建築に趣味を持ち、中山のこの家も、安田銀行の安田和重氏の紹介で、設計者を選び、建てたものです。純和風の間取りに洋風な趣向を凝らした造りは、当時としては、モダンなものと思われます。
庭は、赤坂の通称「寅さん」と呼ばれた庭師の手によるもので、庭石は長瀞から運び入れました。
昭和36年、引退した勝蔵氏は、かねてより愛した憩いの地、市川・中山のこの家に長女照子氏と暮らし、昭和55年に亡くなりました。
平成10年10月、次女川原君江氏から、「父と姉が愛した市川・中山の土地と家を市に寄贈したい」とのお話があり、市川市は、出来るだけ たたずまいを遺しながら市民の文化活動の場として活用できるように、整備しました。
土地:1,097.49㎡、建物:210.54㎡
平成16年1月
市川市
※漢数字はアラビア数字に変換しました。
2013-05-02 18:33
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