とても珍しい農業用水関連施設(溝ノ口の円筒分水) [散歩会]
2012/07/01(日)取材
2012/07/07(土)アップ
7月1日、溝ノ口・前田ホールへ午後からのコンサートで出かける予定でした。例によって、午前中、最寄りの溝ノ口駅近辺の散策をしようと思い、ネットで調べて見ました。そしたら、駅から北西方向約1kmのところに「円筒分水」というものがあることが判りました。
地図で確認すると、丸い貯水池のような感じのものでした。しかし、「円筒分水」という単語からは、これが、何を意味するのかは、全く想像出来ませんでした。ただし、円筒分水については、これ以上追及せず(現地確認の楽しみのため)、他の神社仏閣等の散策候補地を数か所セレクトし、きたろう独自の散策マップを前夜に作製しました。
当日、駅を降りると、早速「円筒分水」の案内板が目につきました。ということは、溝ノ口駅の近辺はこの「円筒分水」が最大の売りであると想像されました。
途中、溝口神社で、本日のミニミニトリップの安全を祈願しました。
写真#01、久地円筒分水案内板(川崎市高津区久地1-24 傍)
途中、円筒分水の案内板があり、円筒分水の正体が何であるか期待は高まりました。
写真#02、円筒分水・中心部拡大(北側から撮影)
円筒分水は、一見公園等で良く見かける円形の噴水池の噴水装置の無いような感じの施設でした。
(以下、円筒分水は円筒分水施設と呼称します)
#03、川崎市高津区久地、円筒分水施設近辺の地図
#04、円筒分水施設の構造
この図は#03の地図のA地点(平瀬川堤)の下、円筒分水施設を囲む金網のところにある説明板の図です。
また、下記に、この説明板に書いてある説明文をそのまま掲載致します。
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国登録有形文化財 ニケ領用水久地円筒分水
(にかりょうようすいくじえんとうぶんすい)
この円筒分水と呼ばれる分水装置は、送水されてくる流量が変わっても分水比が変わらない定比分水装置の一種で昭和16(1941)年に造られました。
内側の円形の構造物は整水壁とも呼ばれ、一方向から送水されて吹き上げる水を放射状に均等にあふれさせ、送水されてくる流量が変わっても、円弧の長さに比例してー定の比率で分水される、当時の最先端をいく装置でした。
平成10(1998)年6月9日に、国登録有形文化財となっています。
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この、説明文はかなり簡潔です。簡潔すぎて良くわかりません。
さらにB地点にある説明板(写真#08)に書いてある文を次に掲載しました。
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二ケ領用水400年・久地円筒分水70年記念
平賀栄治顕彰碑
この世界に冠たる独創的な久地円筒分水は、平賀栄治(ひらがえいじ)が設計し手がけたもので、1941(昭和16)年に完成した。多摩川から取水された二ケ領用水を平瀬川の下をトンネル水路で導き、中央の円筒形の噴出□からサイフオンの原理で流水を吹き上げさせて、正確で公平な分水比で四方向へ泉のように用水を吹きこぼす装置により、潅漑用水の分水量を巡って渇水期に多発していた水争いが一挙に解決した。
以下省略
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この説明及び#04の構造図から、この円筒分水施設の設置理由およびその機能が良く理解できました。
次の#05から#07の写真で順次説明致します。
#05、円筒分水上流側、二ケ領用水と平瀬川
この、円筒分水施設は、上流二ケ領用水を、この近辺の4つの地区に分水する施設で、4つの地区の灌漑面積に正確に比例配分することが出来る設備でありました。
#06、二ケ領用水、円筒分水施設のための取水口(二ケ領用水上流側から撮影)
#05の写真で、中央二ケ領用水の大半は、平瀬川に流れ込みます。二ケ領用水の一部は、#06の円筒分水のための取水口から取り込まれ、平瀬川の下をくぐって、円筒分水施設中央部からサイフォンの原理で吹きだすとのことです。
#07、円筒分水で用水が灌漑面積に応じて水が分けられる原理
円筒分水施設のまんなかから吹きあがった用水は、各4つの地区の灌漑面積に応じて、円弧の角度が定められ、そこから、灌漑面積に応じた水量が流出するようになっています。
#08、川崎堀(二ケ領用水)出口
川崎堀は二ケ領用水の本流ということで、一般の地図のには「二ケ領用水」と書かれています。
#09、二ケ領用水400年・久地円筒分水70年記念・平賀栄治顕彰碑
この、顕彰碑に書いてある前半の部分は、#04の写真の項の説明で#04の説明の所に書きました。
この、顕彰碑の後半部分で、円筒分水を設計・施工した平賀栄治と言う方の業績を伝えています。当時、円筒分水施設は世界的にみても、大変ユニークな分水施設だったそうです。
顕彰碑・後半部
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平賀栄治は1892(明治25)年甲府市生まれ。東京農業大学農業土木学科を卒業し、宮内省帝室林野管理局、農商務省等の勤務を経て、1940(昭和15)年に神奈川県の多摩川右岸農業水利改良事務所長に就任。多摩川の上河原堰や宿河原堰の改修、平瀬川と三沢川の排水改修、そして久池円筒分水の建設などに携わった。川崎のまちを支える水の確保に全力を捧げた「水恩の人」は、1982(昭和57)年、89歳の生涯を閉じた。
2010(平成22)年3月27日
寄贈川崎西ライオンズクラブ
結成45周年記念事業
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#10、平賀栄治所長
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/common/img/under_image.jpg
多摩川リバーミュージアム/多摩川先人館より転載
#11、円筒分水が造られた当時の写真(平瀬川上流方向から東方を望む)
水田畑作面積に応じて正確に分水出来る施設のお陰で、二ケ領用水をめぐる近隣の地区の水争いはなくなりました。
#12、円筒分水施設の下流(二ケ領用水)
現在、二ケ領用水はその用水としての役目は終えているそうです。
用水の両岸は、樹木等植樹されていて、散策路として整備されていました。
この、円筒分水施設は最近の散歩で出会った珍しいものの筆頭と思われました。久々に、興奮・感動しました^-^
2012/07/07(土)アップ
7月1日、溝ノ口・前田ホールへ午後からのコンサートで出かける予定でした。例によって、午前中、最寄りの溝ノ口駅近辺の散策をしようと思い、ネットで調べて見ました。そしたら、駅から北西方向約1kmのところに「円筒分水」というものがあることが判りました。
地図で確認すると、丸い貯水池のような感じのものでした。しかし、「円筒分水」という単語からは、これが、何を意味するのかは、全く想像出来ませんでした。ただし、円筒分水については、これ以上追及せず(現地確認の楽しみのため)、他の神社仏閣等の散策候補地を数か所セレクトし、きたろう独自の散策マップを前夜に作製しました。
当日、駅を降りると、早速「円筒分水」の案内板が目につきました。ということは、溝ノ口駅の近辺はこの「円筒分水」が最大の売りであると想像されました。
途中、溝口神社で、本日のミニミニトリップの安全を祈願しました。
写真#01、久地円筒分水案内板(川崎市高津区久地1-24 傍)
途中、円筒分水の案内板があり、円筒分水の正体が何であるか期待は高まりました。
写真#02、円筒分水・中心部拡大(北側から撮影)
円筒分水は、一見公園等で良く見かける円形の噴水池の噴水装置の無いような感じの施設でした。
(以下、円筒分水は円筒分水施設と呼称します)
#03、川崎市高津区久地、円筒分水施設近辺の地図
#04、円筒分水施設の構造
この図は#03の地図のA地点(平瀬川堤)の下、円筒分水施設を囲む金網のところにある説明板の図です。
また、下記に、この説明板に書いてある説明文をそのまま掲載致します。
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国登録有形文化財 ニケ領用水久地円筒分水
(にかりょうようすいくじえんとうぶんすい)
この円筒分水と呼ばれる分水装置は、送水されてくる流量が変わっても分水比が変わらない定比分水装置の一種で昭和16(1941)年に造られました。
内側の円形の構造物は整水壁とも呼ばれ、一方向から送水されて吹き上げる水を放射状に均等にあふれさせ、送水されてくる流量が変わっても、円弧の長さに比例してー定の比率で分水される、当時の最先端をいく装置でした。
平成10(1998)年6月9日に、国登録有形文化財となっています。
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この、説明文はかなり簡潔です。簡潔すぎて良くわかりません。
さらにB地点にある説明板(写真#08)に書いてある文を次に掲載しました。
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二ケ領用水400年・久地円筒分水70年記念
平賀栄治顕彰碑
この世界に冠たる独創的な久地円筒分水は、平賀栄治(ひらがえいじ)が設計し手がけたもので、1941(昭和16)年に完成した。多摩川から取水された二ケ領用水を平瀬川の下をトンネル水路で導き、中央の円筒形の噴出□からサイフオンの原理で流水を吹き上げさせて、正確で公平な分水比で四方向へ泉のように用水を吹きこぼす装置により、潅漑用水の分水量を巡って渇水期に多発していた水争いが一挙に解決した。
以下省略
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この説明及び#04の構造図から、この円筒分水施設の設置理由およびその機能が良く理解できました。
次の#05から#07の写真で順次説明致します。
#05、円筒分水上流側、二ケ領用水と平瀬川
この、円筒分水施設は、上流二ケ領用水を、この近辺の4つの地区に分水する施設で、4つの地区の灌漑面積に正確に比例配分することが出来る設備でありました。
#06、二ケ領用水、円筒分水施設のための取水口(二ケ領用水上流側から撮影)
#05の写真で、中央二ケ領用水の大半は、平瀬川に流れ込みます。二ケ領用水の一部は、#06の円筒分水のための取水口から取り込まれ、平瀬川の下をくぐって、円筒分水施設中央部からサイフォンの原理で吹きだすとのことです。
#07、円筒分水で用水が灌漑面積に応じて水が分けられる原理
円筒分水施設のまんなかから吹きあがった用水は、各4つの地区の灌漑面積に応じて、円弧の角度が定められ、そこから、灌漑面積に応じた水量が流出するようになっています。
#08、川崎堀(二ケ領用水)出口
川崎堀は二ケ領用水の本流ということで、一般の地図のには「二ケ領用水」と書かれています。
#09、二ケ領用水400年・久地円筒分水70年記念・平賀栄治顕彰碑
この、顕彰碑に書いてある前半の部分は、#04の写真の項の説明で#04の説明の所に書きました。
この、顕彰碑の後半部分で、円筒分水を設計・施工した平賀栄治と言う方の業績を伝えています。当時、円筒分水施設は世界的にみても、大変ユニークな分水施設だったそうです。
顕彰碑・後半部
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平賀栄治は1892(明治25)年甲府市生まれ。東京農業大学農業土木学科を卒業し、宮内省帝室林野管理局、農商務省等の勤務を経て、1940(昭和15)年に神奈川県の多摩川右岸農業水利改良事務所長に就任。多摩川の上河原堰や宿河原堰の改修、平瀬川と三沢川の排水改修、そして久池円筒分水の建設などに携わった。川崎のまちを支える水の確保に全力を捧げた「水恩の人」は、1982(昭和57)年、89歳の生涯を閉じた。
2010(平成22)年3月27日
寄贈川崎西ライオンズクラブ
結成45周年記念事業
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#10、平賀栄治所長
http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/tama/common/img/under_image.jpg
多摩川リバーミュージアム/多摩川先人館より転載
#11、円筒分水が造られた当時の写真(平瀬川上流方向から東方を望む)
水田畑作面積に応じて正確に分水出来る施設のお陰で、二ケ領用水をめぐる近隣の地区の水争いはなくなりました。
#12、円筒分水施設の下流(二ケ領用水)
現在、二ケ領用水はその用水としての役目は終えているそうです。
用水の両岸は、樹木等植樹されていて、散策路として整備されていました。
この、円筒分水施設は最近の散歩で出会った珍しいものの筆頭と思われました。久々に、興奮・感動しました^-^
2012-07-07 23:46
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