きたろう散歩/浅草散策と東京スカイツリー(Ⅰ) [きたろう散歩]

2012/06/23(土)取材
2012/06/27(水)アップ

きたろうプロデュースの散歩会を実行しました。
まず、西浅草の東本願寺に集合、ミニツアーの安全を祈ったあと、タレント○○もえさんの実家でもある「翠雲堂(すいうんどう)(仏具店)」でお線香を買い、食品サンプル店「まいづる」で食品サンプルのストラップを購入したあと、通称「かっぱ寺」と呼ばれている曹源寺まで足を進めました。
スタートから1kmにも満たない距離ですが、結構な人出と女性特有の○○で、ここまで結構な時間がかかりました。
曹源寺の境内に入ると、がらんとしていて、本堂も閉まっていて、通称かっぱ寺という割には愛想無しの感じでした。
ふと、境内の右手を見ると、小さなお堂があり、その前に賽銭箱があって、その賽銭箱にかっぱの顔が描かれていました。こんな、可愛らしい顔が描かれた賽銭箱は初めて見ました。

#01、かっぱ大明神の賽銭箱
#01かっぱ寺(賽銭箱)G1221.jpg
賽銭箱の上には、かっぱの好物の”きゅうり”がお供えしてありました。

<かっぱ寺の伝承>
曹源寺の門に、台東区教育委員会の「かっぱ寺の伝承」という説明板が掲げてあります(写真#05)。
この説明板の内容を、次にそのまま掲載致します。
******************************
「かっぱ寺」の伝承
曹源寺・・・台東区松が谷三丁目七番二号 
巨獄山(こがくさん)曹源寺は曹洞宗に属し、天正十六年(1588)に和田倉(千代田区)に開かれ、のち湯島天神下に移り、明暦の大火(1657年)の後、現在地に移転したと伝える。
当寺の通称を「かっぱ寺」という。
 伝承によると文化年間(1804~1817)に、当地の住人で雨合羽商の合羽川太郎(かっぱかわたろう)(合羽屋喜八(かっぱやきはち))がいた。この付近は水はけの悪い低地で雨が降ると洪水となり、人々は困窮していた。
そのため川太郎は私財を投じて排水のための堀割工事にとりかかった。このとき、かつて川太郎に助けられた隅田川の河童が工事を手伝い、堀割工事が完成した。この河童を目撃すると商売繁盛したという。
 この伝承が「かっぱ寺」という通称の由来であり、「合羽橋」(合羽橋交差点の付近にあった)という橋の名もまた、この伝承に由来するともいわれる。
 当寺には河童大明神が祭られるほか、合羽川太郎の墓とつたえる石碑があり、「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれている。
 
 平成十五年三月
             台東区教育委員会
******************************

#02、合羽川太郎の墓とかっぱの石象
#02合羽川太郎の墓(1)G1222.jpg
境内右手、かっぱ大明神の傍らに、合羽川太郎の墓と夫婦と思われるかっぱの石象があります。

#03、合羽川太郎の墓(拡大)
#03合羽川太郎の墓(2)拡大G1222.jpg
合羽川太郎の墓とされている石碑。「てつへんへ手向けの水や川太郎」という句が刻まれています。

#04、かっぱ夫婦?の石像
#04かっぱ夫婦像G1222.jpg
階段の下の方に、小さなかっぱの夫婦と思われる石象がありました。小さくて目立たないけど、良く見るとなかなかユーモラスで○○な石象でした。

#05、「かっぱ寺」の伝承・・・台東区教育委員会
#05かっぱ寺(曹源寺)の説明板G1223.jpg

#06、かっぱ寺の表通りからスカイツリーを望む
#06スカイツリー合羽橋本通りからG1219.jpg
かっぱ寺の表の通り(合羽橋本通り)から東方正面に東京スカイツリーが見えました。

#07、浅草案内地図(きたろう作成)
#07散歩会浅草マップ(ブログ掲載用).jpg

(続く)
nice!(3)  コメント(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。