第21回、広重・名所江戸百景/日本橋江戸はし(夏43景)(Ⅰ) [広重・名所江戸百景]
2012/05/16及び2012/06/13 取材
2012/06/22 アップ
久しぶりに、本ブログのメインテーマ「名所江戸百景」をアップします。(最近は、メインテーマでも登場頻度は低いですが・・・)
今回は、昨年架橋100周年を迎えた「日本橋」を取り上げました。名所江戸百景の中に日本橋(橋自体)を描いた絵は2枚あります(そのほか、地名として「日本橋」が入った絵が1枚あります)。
そのうちの、今の季節に合わせ「夏43景・・・日本橋江戸ばし」を取り上げました。
#01、江戸名所百景・日本橋江戸ばし(夏43景)
この絵の解説は、タネ本の解説をそのまま引用しました。
****************************************
この絵は日本橋の北西から日本橋川の下流とその両岸を描いたものである。左辺に擬宝珠を冠した欄干が配してある。
<中略>
この欄干の左方、日本橋川の北岸には、江戸の台所魚河岸があり、早朝から夜を徹して運ばれて来た鮮魚を売る人や買う人で活気がみなぎっていた。人影は見えないが、今仕入れたばかりの鰹を盤台に入れた棒手振りが橋を南へ渡ろうとしている。目には青葉山ほととぎす初鰹(山口素堂(そどう))」と初物を好んだ江戸っ子達は、高値を物ともせずに鰹を早く買って食べることに異常な情熱を燃やしていた。
<中略>
日本橋の下流が江戸橋で、両橋の南側には塩干物を扱う四日市河岸と、木更津との間を往復して旅人や物資を運ぶ舟が集まる木更津河岸があった。
<中略>
****************************************
引用・・・ 広重の大江戸名所百景散歩(人文社)1996年4月1日発行
#02、日本橋・江戸橋(2012年05月16日撮影)
本ブログでは、広重が描いた絵のアングルと季節を極力同じようにして、現在の写真を撮影しています。
#01のアングルは、日本橋の北端から東方江戸橋方向を描いたものです。描いた季節は江戸期の「初ガツオ」の時期で、5~6月に相当しますのでそれに合わせて撮影しました。
#02の写真と広重の絵でもっとも大きな違いは、川の上を高速道路が通っている点です。
広重の絵では、下流の江戸橋、さらにその先の、ずらっと並んだ蔵の白い壁までが見えますが、現在の写真では、江戸橋さえ高速道路の橋脚に隠れてはっきり見えませんでした。
#03、日本橋北東端(1999年9月21日撮影)
この写真は、#01、#02とほぼ同アングルの13年前の写真です。この頃から本テーマ(名所江戸百景)で写真を撮り始めました。フィルムカメラでの撮影です。
写真の撮影の日付で分かるように、この頃は2000年問題が騒がれていた時期で、この写真は、2000年問題の講習会へ出掛ける途中で撮影したものです。
#02と#03とでは、13年間のへだたりがありますが、比べても、全くと言っていいほど変化がありませんでした。
#04広重日本橋江戸ばし(部分拡大)
#01の絵の江戸橋の辺りを拡大したものです。江戸橋の向こうの白壁の蔵は(当時の)小網町一丁目です。(現在の小網町は”丁目”分けされていません)
画面右・江戸橋の南詰めは切絵図で見ると、蔵屋敷と描いてありますが、この絵を見ると蔵は二つだけで地名とギャップがあるようです。
#05日本橋から江戸橋を望む2012年6月13日撮影
#02では、日本橋上の北端部分からでは江戸橋が良く見えなかったので、橋の中央付近に移動し、江戸橋が良く見えるところから撮影しました。この位置からだと江戸橋はかろうじて見えますが、その向こう側迄はとても見えませんでした。
以下、日本橋の古写真を若干掲載致します。
#06木造の日本橋(1873年頃)
手持ちの資料の中で最も古い日本橋の写真です。この撮影年は特定はされていませんが、キャプションをよく読んでみると、新木造の橋に架け替え直後で、ガス灯が取り付けられる前と思われました。このことから、更に特定を進めると、この写真は、明治6年頃の撮影と推定されました。
引用文献・・・古写真で見る江戸から東京へ(世界文化社) 2001年4月20日発行
#07日本橋(石造り)東京府名勝図会1912年5月
手持ち資料に、日本橋が石造りになった直後の良い写真が無かったので、この写真はネットから取りました。この写真も撮影年がはっきりかいてありませんが、日本橋が出来たのが明治44年4月で、この写真が掲載された本は、明治45年5月に刊行されているので、この間に撮られたものです。
引用(ネットから)・・・東京府名勝図会/刊行年 明治45(1912)年5月/国立国会図書館所蔵
#08日本橋と三越本店(1935年)
この写真は、手持ち資料の中で、日本橋が高速道路に覆われる前で一番鮮明な写真です。この写真の中で、画面右側の三越本店の建物は、現在もそのまま残っています。
橋の北西詰のレンガ造りのビルは帝国製麻(現帝国繊維)の本社ビルです。大正元年(1912)、東京駅の設計で有名な辰野金吾の設計で竣工しました。帝国繊維と社名がかわってからも、本社ビルとして使われましたが、昭和62年(1987)取り壊されました。
引用文献・・・/地図物語 あの日の日本橋(武揚堂)/2007年9月14日発行
<続く>
2012/06/22 アップ
久しぶりに、本ブログのメインテーマ「名所江戸百景」をアップします。(最近は、メインテーマでも登場頻度は低いですが・・・)
今回は、昨年架橋100周年を迎えた「日本橋」を取り上げました。名所江戸百景の中に日本橋(橋自体)を描いた絵は2枚あります(そのほか、地名として「日本橋」が入った絵が1枚あります)。
そのうちの、今の季節に合わせ「夏43景・・・日本橋江戸ばし」を取り上げました。
#01、江戸名所百景・日本橋江戸ばし(夏43景)
この絵の解説は、タネ本の解説をそのまま引用しました。
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この絵は日本橋の北西から日本橋川の下流とその両岸を描いたものである。左辺に擬宝珠を冠した欄干が配してある。
<中略>
この欄干の左方、日本橋川の北岸には、江戸の台所魚河岸があり、早朝から夜を徹して運ばれて来た鮮魚を売る人や買う人で活気がみなぎっていた。人影は見えないが、今仕入れたばかりの鰹を盤台に入れた棒手振りが橋を南へ渡ろうとしている。目には青葉山ほととぎす初鰹(山口素堂(そどう))」と初物を好んだ江戸っ子達は、高値を物ともせずに鰹を早く買って食べることに異常な情熱を燃やしていた。
<中略>
日本橋の下流が江戸橋で、両橋の南側には塩干物を扱う四日市河岸と、木更津との間を往復して旅人や物資を運ぶ舟が集まる木更津河岸があった。
<中略>
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引用・・・ 広重の大江戸名所百景散歩(人文社)1996年4月1日発行
#02、日本橋・江戸橋(2012年05月16日撮影)
本ブログでは、広重が描いた絵のアングルと季節を極力同じようにして、現在の写真を撮影しています。
#01のアングルは、日本橋の北端から東方江戸橋方向を描いたものです。描いた季節は江戸期の「初ガツオ」の時期で、5~6月に相当しますのでそれに合わせて撮影しました。
#02の写真と広重の絵でもっとも大きな違いは、川の上を高速道路が通っている点です。
広重の絵では、下流の江戸橋、さらにその先の、ずらっと並んだ蔵の白い壁までが見えますが、現在の写真では、江戸橋さえ高速道路の橋脚に隠れてはっきり見えませんでした。
#03、日本橋北東端(1999年9月21日撮影)
この写真は、#01、#02とほぼ同アングルの13年前の写真です。この頃から本テーマ(名所江戸百景)で写真を撮り始めました。フィルムカメラでの撮影です。
写真の撮影の日付で分かるように、この頃は2000年問題が騒がれていた時期で、この写真は、2000年問題の講習会へ出掛ける途中で撮影したものです。
#02と#03とでは、13年間のへだたりがありますが、比べても、全くと言っていいほど変化がありませんでした。
#04広重日本橋江戸ばし(部分拡大)
#01の絵の江戸橋の辺りを拡大したものです。江戸橋の向こうの白壁の蔵は(当時の)小網町一丁目です。(現在の小網町は”丁目”分けされていません)
画面右・江戸橋の南詰めは切絵図で見ると、蔵屋敷と描いてありますが、この絵を見ると蔵は二つだけで地名とギャップがあるようです。
#05日本橋から江戸橋を望む2012年6月13日撮影
#02では、日本橋上の北端部分からでは江戸橋が良く見えなかったので、橋の中央付近に移動し、江戸橋が良く見えるところから撮影しました。この位置からだと江戸橋はかろうじて見えますが、その向こう側迄はとても見えませんでした。
以下、日本橋の古写真を若干掲載致します。
#06木造の日本橋(1873年頃)
手持ちの資料の中で最も古い日本橋の写真です。この撮影年は特定はされていませんが、キャプションをよく読んでみると、新木造の橋に架け替え直後で、ガス灯が取り付けられる前と思われました。このことから、更に特定を進めると、この写真は、明治6年頃の撮影と推定されました。
引用文献・・・古写真で見る江戸から東京へ(世界文化社) 2001年4月20日発行
#07日本橋(石造り)東京府名勝図会1912年5月
手持ち資料に、日本橋が石造りになった直後の良い写真が無かったので、この写真はネットから取りました。この写真も撮影年がはっきりかいてありませんが、日本橋が出来たのが明治44年4月で、この写真が掲載された本は、明治45年5月に刊行されているので、この間に撮られたものです。
引用(ネットから)・・・東京府名勝図会/刊行年 明治45(1912)年5月/国立国会図書館所蔵
#08日本橋と三越本店(1935年)
この写真は、手持ち資料の中で、日本橋が高速道路に覆われる前で一番鮮明な写真です。この写真の中で、画面右側の三越本店の建物は、現在もそのまま残っています。
橋の北西詰のレンガ造りのビルは帝国製麻(現帝国繊維)の本社ビルです。大正元年(1912)、東京駅の設計で有名な辰野金吾の設計で竣工しました。帝国繊維と社名がかわってからも、本社ビルとして使われましたが、昭和62年(1987)取り壊されました。
引用文献・・・/地図物語 あの日の日本橋(武揚堂)/2007年9月14日発行
<続く>
2012-06-22 23:35
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