第5回 「亀戸梅屋舗(うめやしき)」を探査する(上) [広重・名所江戸百景]

2010/3/17(水)

この季節、梅が旬なので、前回・蒲田の梅園に引き続き亀戸梅屋舗(うめやしき)に行くことにしました。江戸名所百景での表題は「亀戸梅屋舗(やしき)」となっていますが、広重は、梅屋敷の庭内にあった「臥龍梅(“がりゅうばい”または“がりょうばい”と呼称される)」を描いています。手前に梅の太い幹を大きくあしらった広重一流の大胆な構図で描いています。背景に、遠景で観梅の大勢の人を描いています。(絵#01)


#01春30亀戸梅屋舗(名所江戸).jpg

※広重の表題では「梅屋舗(やしき)」と表記していますが、一般的には「屋敷」なので、広重の表題以外の場合は「梅屋敷」と表記します。


広重は臥龍梅を1857年(安政四年)に描きましたが、海を渡ったこの絵に衝撃を受けたゴッホが1887年にこの絵を油絵で模写したとことは大変有名な話です。


前回(3月3日)蒲田の梅園(梅屋敷)を訪問した後、亀戸の梅屋敷(跡)に向かいました。このコースは京浜急行→都営地下鉄・押上と乗り換え無しで行けます。押上駅から東南東方向川沿いに1km程で梅屋敷跡の石碑があります。一度訪問したことがあるので、梅屋敷跡の石碑があったと思われる場所に行きましたが石碑が見当たらず、この近辺を大分うろうろしてしまいました。結局、記憶違いで信号一つ渡った場所に石碑がありました。大分時間をロスしてしまい、石碑や史蹟の説明板の写真を撮っているうちに暗くなってきたので再度来ることにしました。(写真#02、03)


#02亀戸梅屋敷碑と看板.jpg

#03亀戸梅屋敷の碑.jpg

亀戸梅屋敷は江戸・明治と多数の来訪者で賑わっていました。梅屋敷の基本情報は、江東区教育委員会の史蹟の説明板の写真をご覧ください。(写真#04)


#04亀戸梅屋敷説明板.JPG

この説明板には、梅屋敷は「商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で・・・」と書いてありましたが、ここの石碑には、「地主喜右衛門が庭に梅を植えて・・・」と刻んでありました。この記述について他の文献を当たったところ彦右衛門の何代か後が喜右衛門で、喜右衛門の代辺りから、商人はやめて梅栽培に専念したということが判りました。どちらの説明も誤りではないということです。  また、説明板には「明治43年の洪水で、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となった」旨の記述がありますが、別な文献に「明治43年に臥龍梅が枯れ、大正末年には工場の煤煙で閉園になった」という記録も見られます。(文献は脚注参照)別の文献には大正8年の梅屋敷の写真もあり(写真は後掲)、明治43年で完全に閉鎖されたわけではないようです。

 
3月12日(金)本日は、天気も良く温かくなるとのことで、再び「亀戸梅屋舗跡」に行きました。今日はJR亀戸駅からアプローチしました。史蹟のガイド本などによると、亀戸梅屋敷は現存せず梅屋敷跡を示す石碑があるだけと書かれていますが、念のため梅屋敷の跡地と思われる所を歩き、何か昔の梅屋敷の痕跡または、昔を偲ぶ何かがないかどうか確かめることにしました。  梅屋敷は、教育委員会の史蹟の説明板によると亀戸3丁目40、50、51、52、53番付近だそうで、まず梅屋敷跡の外周を左回りに探査しました。(地図#5、写真#6、#7、#8)


#05梅屋敷跡の探査(外周).jpg

#06香取神社.jpg

#07香取神社の梅.jpg

#08龍光寺.jpg

明治11年の地図で、香取神社、龍光寺と梅屋敷が記載されているのが確認出来ます。(地図#09/地図では各々香取社、竜光寺、梅園となっています)


#09亀戸3丁目・明治11年の地図.jpg

梅屋敷の西~北西方向はこんな感じです。(写真#10)


#10梅屋敷跡碑とオリンピック.jpg

梅屋敷の碑の西200m程のところにある梅の木。この木の梅の花は大分散ってしまいました。前回来た時(3月3日)、勘違いをして、碑を探してこの辺を大分探し回ってしまいました。(写真11)


#11亀戸3-38の前の梅.JPG

梅屋敷跡の西側の辺りです。(写真#12、#13)


#12亀戸3-40(3月3日).JPG

#13亀戸3-40(通りの左)と41(通りの右).JPG

光明寺には、二世歌川豊國の墓があります。(写真#14)


#14光明寺.JPG

光明寺の向いにあるお蕎麦屋さん前野屋。梅屋敷は、別名「清光庵」といいましたが、このお蕎麦屋さんは「旬光庵・前野屋」称しています。梅の木もちゃんとあります。(写真#15)


#15旬香庵前野屋(そばや).JPG

店頭の看板は広重の亀戸梅屋舗の絵をあしらった看板です。(写真#16)


#16旬光庵前野屋のウリ.JPG

直接的な梅屋敷の名残りではありませんが梅屋敷にあやかったお店を発見しました。丁度時間も昼時なので、このお店で昼食を取ることにしました。(続く)
訪問頂きましてありがとうございます。 写真の容量が一杯なので、一旦中断します。次回をお楽しみに。

<広重の絵>名所江戸百景の内「亀戸梅屋舗(春30景)」安政四年

<訪問日>平成22年3月3日(水)及び3月12日(金)

<梅屋敷跡の碑の場所>東京都江東区亀戸3丁目51番10号浅草通り歩道の植え込みの中にあります。

<梅屋舗の跡地>江東区亀戸3丁目40、50、51、52、53番

<お蕎麦屋さん>旬香庵前野屋(住所:江東区亀戸3-23-10)

<引用文献>色刷・明治東京名所絵(井上安治画)木下龍也編、角川書店/昭和56年11月発行

※梅屋敷の大正8年の写真は次回掲載します。

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